不確定性を飼い馴らす─物語論的解釈を用いた妖術研究の課題

はじめに

本稿は、人類学における妖術研究の動向を追い、博士課程において妖術に照準を合わせた現地調査を行う予定である筆者自身の課題を明らかにするものである。
具体的には、90年代から頻繁に刊行されているアフリカの妖術に関連した研究群を概観したのちに、浜本満による業績を正確に把握し、人が物語に呪縛されるプロセスを押さえたうえで、博士課程において行う現地調査にむけて、今後の研究のアウトラインを素描する。
本稿の構成は次のようになっている。まず第一章において、妖術研究の動向を簡単に概観し、これらの研究に共通している特徴を指摘する。そして第二章では、前章で抽出された特徴が、災因論的なそれであることを確認し、続く第三章において、この視点を乗り越える形で提唱された浜本満の議論を詳細に追う。第四章では、浜本によって明らかにされた知見を踏襲するかたちで、筆者自身が妖術研究を行なううえでのスタンスを定めるとともに、博士過程において取り組むべき課題を明らかにする。そして終章の第五章では、筆者が設定した課題に取り組むための手がかりを、主にアスフォース(2000 ; 2001)が提示する事例に基づいて模索したい。
浜本は、『不幸の出来事:不幸の語りにおける「原因」と「非・原因」』において、「事の成りゆきが示す表情」が、出来事の生起する「原因」として実体化(物象化)していくメカニズムの探究へと進む(浜本 1989 : 81)。しかし私はあくまでも、「妖術をかけられると不幸な出来事に見舞われる」とでも陳述できるような「命題的な形式の物語」に焦点をしぼり、それが人々のリアリティを形作る仕組みを探究するつもりである。そしてさらに、妖術の物語に呪縛され、恐怖や不安を抱いている人間が、いかにして物語の引力から身を引き離すことができるのかという問いを設定し、この課題に取り組むための手がかりを模索したい。
妖術という研究対象は、競合するさまざまな「物語(解釈の鋳型)」間で揺れ動く人間について研究する際に、もっとも適したものである。「いったい今何が起きているのか」「この状況をどう理解したらいいのか」といったあくなき欲望を、われわれは常に感じている。精神科医である中井久夫が「説明飢餓」(中井 1984 : 2)と名付けるこの我々の習性は、「解釈の鋳型」に我々を飛びつかせる。
しかしフランス・オルレアンにおける女性誘拐の噂を調査したモラン(1973)が「私たちはここで、どんな確信も括弧に入れることにしよう」(モラン 1973(1969) : 166)と述べたように、我々は常に批判的であらねばならない。しかし、批判的でありつづけたいと願う我々の目論見は、絶えず矛盾に陥る。なぜなら、モランの議論を手がかりにして杉山が述べるように、「そこに立ちさえすれば十分な批判的精神の立場などというものはなくなっている」からである(杉山 1989 :130)。
「うわさについての社会学者の研究は、たいていはうわさを社会や共同体の病理的な反応とし、うわさに動揺させられないための批判的意識を保つことの重要性を説くという立場で書かれている。病理と正常は画然と区別され、批判的意識をもてば正常の側にいられるというわけだ。だが、モランのアルカイスムとモダニズムの弁証法の考え方は、現代においてはそのような保障はなにもないということである。正体のはっきりしない現象を無理に既知のある図式のうちに押し込めるという行為は、それ自身ひとつの神話を支えとしている。」(ibid :122-123)
上記における「うわさ」はここでの「解釈の鋳型」、つまり「物語」という言葉と同義である。また、「神話」も同様である。私は、このような己のリアリティを呪縛せんと待ち構えている物語を相対化する方法を明らかにしたい。私はフロイトの扱う患者たちが「現代社会では通常周縁部に追いやられている特殊な物語」(浜本 1985 : 121)に身を任せてしまったその理由、そのプロセス、そしてなによりもそこから離脱できる方法を明らかにしたい。すなわち、物語の感染力から逃れる術を見つけだしたい。

第一章 妖術研究の動向

妖術を資本主義経済や国家との兼ね合いにおいてとらえ、90年代のアフリカにおける近代化がどのような経過をたどっているのかについて考察する研究には、枚挙に暇がない。Comaroff (1993)を筆頭にして、アフリカ中の様々な地域から報告がなされている(Geschiere 1997 ; Comaroff and Comaroff 1993, 1999 ; Ashforth 2000, 2001 ; Meyer 1999 ; Parish 2000 ; Francis 2001 ; Masquelier 2000)。
たとえばFrancis(2001)の以下の言明には、昨今の妖術研究者のスタンスが簡潔に示されている。
「多くの最近の研究が、カメルーンやアフリカ各地における、富の蓄積の不思議な出所に関する妖術信仰の復活を、消費資本主義によって生成される貧困の世界化、不確定性、不安とともに説明してきた。妖術は資本主義の衝撃のみによっては説明することはできないが、我々は資本主義を無視することもできない。」(Francis 2001:46)
上述のFrancisと同様に、Comaroffは社会変化と妖術信仰の活発化とを結びつけている。Comaroffはアパルトヘイト撤廃後の南アフリカにおいて増大している、魔術的な思考のあらわれの一事例として、妖術師の疑いをかけられた年長者が若者に殺される事件に触れている。このような妖術師殺しは、Comaroffが依拠する資料(Ralushai report)によれば、1985年から1995年の間では300件であったにもかかわらず、翌年1996年の半年間だけで676件も生じているという(Comaroff 1999:285)。Comaroffはこのような状況の背景として、アパルトヘイト撤廃後に訪れるであろう世界に対する南アフリカの人々の楽観的な期待が裏切られたことを指摘する。
「(妖術師や儀礼殺人そしてゾンビであふれる南アフリカ)社会は、自由事業への楽観的な信念が初めて新自由主義的な経済の現実に直面した社会である。これらの社会が直面した現実とは、生産現場や労働者の需要の予測できない変化の現実であり、空間と時間と金の流れにたいする安定した統制を行使することに内在する困難の現実であり、国家の不確かな役割の現実であり、純粋利益を度外視する、新たな団結が実現するために参照する明確な方針をぬきにした、古い政治的団結の限界の現実であり、市民社会と近代的主体の本来的な性質を取り巻く不確定性の現実である。」(Comaroff 1999:294)
さらにAshforthは、南アフリカの一都市Sowetoにおける妖術言説と、それが与える恐怖について報告している。Sowetoの住人たちは、失業、貧困、治安の悪さ、アルコールの濫用がもたらす暴力、HIVなどの深刻な問題を抱えている。このような状況においては、「懐疑的とされる人々の間でさえも、いかに不幸に意味を見い出そうとする努力と、不幸を絶えうるものにしようとする努力が、容易に妖術の推測と結び付くのかが理解できる」とAshforthは述べる。そして、「もしもSowetoの人々が、お金や病気、そして早死に関する悩みから免れた生活をすることができれば、妖術を用いて彼等を苦しめることができるという他人に関して関心をなくすであろう」と語っている(Ashforth 2001:221)。
また、上記のように消費資本主義と貧困問題に焦点を定めた研究だけでなく、最近の妖術研究の中には、近代国家をも内包した研究も並存している。Geschiereは、妖術と妖術師の存在が国家的に認知され、地方の人々だけでなく、エリートや政治家たちまでもが妖術のイディオムを使用するカメルーンの状況について次のように述べている。
「人々は金持ちを疑わしく思い、彼等と妖術を結び付ける。しかし、金持ちもまた、彼等自身を嫉妬や親族の攻撃から守るために、その結び付きを推奨する。妖術概念が、不可解な近代的変化でさえも、なにもかもを説明することができる万能薬になることができているのは、その曖昧な性質ゆえである。(筆者略)あらゆる種類の解釈をすることを許すこの流動性こそが、これらの言説が近代的な文脈においても説得力を持つ理由である。」(Geschiere 1997:138-139)
以上の他にも、ガーナにおけるペンテコステ派教会が、妖術と資本主義的な商品を結び付けて考える人々を、独特の神学によって改宗していくプロセスを追ったMeyer(1988)の報告。ナイジェリアにおけるカニバリズムやゾンビの噂と、消費経済や貧富の差との関連を扱ったMasquelier(2000)の報告がある。このように妖術に関する研究は、90年代以降、にわかに人類学の領域において再び活発化してきているといえる。

第二章 災因論

これらの研究群の根底に共通して流れている主張をあえて抽出するならば、次のような主張をあげることができるだろう。
「近代化または資本主義経済化(グローバリゼーション)がもたらす経済的不平等、貧富の格差、そしてこれらの現象に関する不確定性を、アフリカの人々は妖術観念を用いることによって理解しようとしている。」
このような認識は、とりたてて新しいものとはいえない。このような考え方は、エヴァンス・プリチャードをその先達とする人類学的な妖術研究において、古くから存在しているものである。
エヴァンス・プリチャード(1937)はアザンデ族の妖術に関する研究において、妖術を、なんらかの不幸な出来事に遭遇した人間がこれらの事象を説明するために動員するものとし、妖術研究を行う上で非常に有用となる視座を提供した。たとえば、この視点に沿う形で長島信弘は、人が彼/彼女を襲う災いにたいして行う説明を「災因論の体系」と名付け、西ケニアのテソ族がもつそれを明らかにしている(長島 1987:1)。
90年代以降頻繁に刊行されている妖術に関する研究群は、上記の視点を受け継いでいるといえる。そこでは妖術観念は、不可解な現象や不幸な出来事を理解可能なものにするための語彙としてとらえられており、さらにそれは最近の研究群においては特に、近代や資本主義、グローバリゼーションや国家といった項目と結び付けられて語られている。つまりここでは、エヴァンス・プリチャード以来の図式が、近代やグローバリゼーションという新たな用語とともに繰り返されているのである。出来事を理解可能にするために妖術信仰は持ち出される、という図式が繰り返し提示されているのである。

第三章 災因論から物語論

しかし、上記に述べてきたような災因論的アプローチを乗り越えるかたちで、人類学における妖術研究は新たな展開を見せている。浜本満は、物語*1という分析概念に依拠しつつ、エヴァンス・プリチャード以来の災困論の分析枠組みが見落としていた点に光をあてる。
浜本は、妖術観念は不幸な出来事を説明するだけでなく、むしろ、不幸な出来事を作り出すと主張する(浜本 1982)。妖術観念をその要素とする物語は、なんらかの理解不能な出来事に直面している当事者たちによって確かに動員される。しかし、理解不能なものを理解可能にするあかつきに、妖術の物語は、当事者たちに新たな世界の見え方(宇宙論的統覚 cosmological apperception)をも提供するのである(ibid:71)。
妖術観念は、目下問題となっているところの不幸な出来事の、その生起した理由を説明するだけでなく、人々の経験をも新しく組織するという浜本の見解について、以下詳細に見ていきたい。
観念と出来事の経緯の相互反照性
ケニア東海岸部における詳細な事例に基づいて、浜本は、妖術の物語をはじめとした「人を呪縛する物語の一般的な構造」の特徴を指摘している(浜本 1989b)。この特徴は(1)観念と出来事の経緯の相互反照性、(2)論理階梯の混同、(3)自己実現的性格、の3つに整理できると思われる。少々長くなるが、浜本が提示する具体的なドゥルマの事例を全文引用させていただく。以下は、ドゥルマ人男性の話した妖術の話を浜本が要約したものである。
セカンダリー・スクールに在学中、彼自身認めているように、彼はけして模範的な学生とは言えなかった。彼の関心は女性と関係をもつことにあり、その点にかけては他の若者たちより一歩抜きんでていた。この目的で彼は「惚れ薬」の使用すら辞さなかった。セカンダリー・スクールは終えたものの、彼の成績は彼に望ましい職を得させるには不充分なものであった。ちょうどその頃、近くの村の成人教育を担当する教師が募集になった。彼はその職を、自分と同じ村に住むセカンダリー・スクール当時の同級生と張りあうことになった。彼は見事競争に勝ってその職を手に入れることができた。その同級生の父親は、彼が何か不自然な手段を使ったに違いないと触れまわっていた(著者註:これは彼が妖術を使用したことをほのめかす中傷である)。
彼の病気が始まったのは、それからまもなくであった。彼はさまざまな身体的不調を訴えるようになり、病院へも行ったが、その結果はおもわしいものではなかった。治ったと思ってもまた発病の繰り返しだったのである。彼は病院へは行くことをやめた。彼の症状はしだいにひどくなり、誰もが彼はもう長くないと考えていたという。占いの結果、はじめはそれは憑依霊の仕業だとされた。ただちに治療儀礼が開かれた。しかしその結果、彼には確かに憑依霊がついてはいたが、その霊は彼の病気に直接責任がないことが判明した。別の占いを諮問した結果、それは妖術であるとわかった。占いは、それが占いの常であるように、誰が妖術使いであるかまでは明言を避けたが、彼とその家族のものには、その正体は明らかであった。例の同級生の父親に相違ないのだ。この男は、ここしばらく彼の屋敷を訪れず、彼が病気と聞いても見舞いにも来ていなかった。彼の父親は占いの結果に激怒し、家族の人々はその男の屋敷へは立ち寄るまいと話あった。
彼に対してただちに治療が開始されたが、それはなかなか功を奏さなかった。治ったと思っても、またしばらくすると再び病気になった。彼の屋敷の人々はその男のさらなる攻撃を恐れた。彼の父と兄弟たちは、自分たちがその男の妖術の犠牲とならないように、呪医に高い料金を払ってクフィニュア・キルメと呼ばれる術を施してもらったほどである。これはあらゆる妖術使いの攻撃から身を守ることのできる術である。その後、呪医による治療のかいあって、彼は回復した。彼に攻撃をかけていたその男も病気になったと聞いたが、それはその男の術が自らに返ってきた結果であるに違いない。彼らはついに勝ったのである。しかし彼の屋敷の人々はまだこの一件では腹をたてており、今でもその男とは口もきかないし、道であっても挨拶もしない。(浜本 1989b:39-40)
浜本は、上記の事例において、「われわれなら互いに関係づけてとらえることを拒むであろうはずの諸事実が、独特の関係性の中で結びつけられていること」、「妖術は、その語りの中で結びつけられるもろもろの出来事と相並んで、それらとは別に登場する一つの出来事ではない」ことを指摘する(ibid:41)。そうしたうえで浜本は、「妖術」によって、出来事の間の関連性が説明されていながら、それと同時に、そうした出来事の関連性そのものが「妖術」の「唯一の証拠として」提示されてしまっていることを確認する。つまり、妖術の観念そのものが、諸事実を互いに結び付け、かつ、その結び付きを妖術観念自らが存在できる根拠にもしているのである。これが「観念と出来事の経緯の相互反照性」である。
「「私は職をめぐる競争で、ある男の妬みをかった」、そして「私は病気になった」。妖術の観念は、こうした形で呼応する二つの出来事のあいだの関係性に自らの根拠を負っている。それは物象化した関係性そのものである。しかし逆に、妖術の観念の存在が、こうした二つの出来事を関係づけている」(ibid:48)
また浜本は、妖術の話と同じ構造を持つものとして、妄想患者の青年が語る「スパイ」もしくは「陰謀」の物語に言及する。そして、「彼の所持品がしばしば紛失すること、不審な間違い電話が何度もかかってくること、同僚の意味ありげな冗談、彼が入室したとたんに中断されたひそひそ話」といった、「たしかに実際にあった事実」(ibid:42)ではあるものの、互いに関係づけられそうもない事実が妄想患者の語りにおいては互いに結び付けられていることを指摘する。そしてこのような青年の話が、「妖術」の語りにおいて確認したのと同種の機制─すなわち「観念と出来事の経緯の相互反照性」─をもつと述べる。
「彼は「陰謀」のせいで出来事がしかじかの経緯で起こったと語る。しかし同時に、出来事がしかじかの経緯で起こったからこそそこに「陰謀」があるに違いないのだとも語ってもいるのである。物語はこうして、救いようのない相互反照的な内部循環におちいってしまう。」(ibid:43)
論理階梯の混同
次に浜本は、「スパイ」の物語にかわって、「相性の悪さ」の物語を参照し、「論理階梯の混同」について説明する。
「相性の悪さ」の物語とは、些細な齟齬を経験していた夫婦が、自分たちの「相性の悪さ」に気付いてしまったばかりに、それまでばらばらに存在していた取るに足らない齟齬を、「相性の悪さ」という観念を結節点として互いに関係付け、自分たちの「相性の悪さ」が原因で齟齬が生じたと結論するに至るものである。ここでも「妖術」や「スパイ」の物語において確認した「観念と出来事の経緯の相互反照性」を見て取ることができる。人々は「「相性の悪さ」が原因でしかじかの齟齬が起こっていると語り、しかじかの齟齬の間の関係づけを「相性の悪さ」によって説明」することによって、「実際には同時に、しかじかの齟齬がある仕方で互いに関連づけられて経験されているという事実そのものを「相性の悪さ」の唯一の根拠として提出」してしまっている(ibid:45)。
「論理階梯の混同」は、出来事の経緯が示す表情であるところの「相性の悪さ」が、出来事の経緯とは異なる論理階梯に所属しているにもかかわらず、「当の出来事と相並んで存在し、それらの出来事をひき起こしたりする一つの実体として」登場していることに確認できる事実である(ibid:45)。「論理階梯の混同」は、「妖術」や「スパイ」の物語にも確認することができ、浜本はこの点について次のように述べている。
「「妖術」であれ妄想における「スパイ」であれ、いずれもそうした出来事の経緯の中に見てとられている、出来事の経緯が示す表情、出来事の形づくる関係態に言及していたのだ。それらが「原因」として語られるとき、そこに生じているのは同じ論理階梯の混同である。」(ibid:46)
物語の自己実現的性格
最後に浜本は、このような物語がもつ「自己実現的性格」を指摘する。
「妄想患者の経験において、現実がけっして妄想を裏切らないことはよく知られている。なにが起ころうとそれは彼の確信を強めてしまうだけのことなのだ。妖術の語りにおいても、同様な事態が見られる。」(ibid:46)
直接的に妖術告発が行われないドゥルマにおいて、事例中の青年とその親族たちは、青年の同級生とその父親と一切言葉を交さなくなる。一方、同級生の父親は、このような青年らの態度にたいして当然のことながら敵意を抱くようになる。しかし、同級生の父親が示す敵意は、青年らにとっては、同級生の父親が紛れもなく自分たちを憎んでいることを立証してしまうものでしかなく、同級生の父親を妖術師としてみることをますます促すことになるのである。かくして「相手が自分たちに敵意をもっているかもしれないという互いの懸念が、現実に示された敵意によって次々に証明」されていき、「妖術の「物語」は、疑う余地のない「現実」になる」のである(ibid:46)
以上、浜本による妖術現象の分析を概観してきた。浜本は、妖術の観念は、不幸の出来事を説明するためだけのイディオムではなく、「自らを根拠づけるはずの現実を、じつは、自らの力で作り出して」おり(ibid:50)、「出来事相互のあいだに単に見てとられるのを、おとなしく待ってはおらず、出来事と相並んで存在する一つの実体として物象化し、いまだ関係づけられていない出来事の無秩序に自ら介入し、それらを関係づけ、逆にそのことによって自らの存在を示すような、関係づけの原理そのものとして機能する」(ibid:48)ことを明らかにしたのである。
そしてさらに浜本は「出来事の経緯が示す表情が物象化するメカニズム」の解明へと進む。
「関係性が実体としてとらえられる機制については、もっと徹底した議論が必要である。そしてどのようなケースにこうした実体化、物象化がおこるのかについても、数多くの事例を検討することによって明らかにせねばならない。」(浜本 1989a : )
このようにして浜本は、不幸の説明原理として妖術をとらえる災困論の見落としていた点─妖術観念は単なる不幸の説明ではなく、その観念が動員されることによって当事者たちに新たな世界の見え方(妖術と妖術師のリアリティ)を提供すること─に照明をあてているといえる。 7

第四章 命題的形式の物語へ

前章では、浜本による妖術現象の分析を詳細にみてきた。これまで概観してきたように浜本は、妖術を不幸の出来事にたいする説明としてだけではなく、その観念を用いて出来事を解釈する当事者たちに、新たなリアリティを感じさせることを明らかにした。浜本は「人を呪縛する物語の一般的な構造」の特徴として、(1)観念と出来事の経緯の相互反照性、(2)論理階梯の混同、(3)自己実現的性格、の3つを指摘し、災因論的アプローチが見落としてきた点を明らかにすることができているといえる。
浜本が解明した上記の3つの指摘のうち、私はとりわけ3番目の「物語の自己実現的性格」に注目したい。そして、物語をあらかじめ用意された「出来事と出来事の結びつき」と自分なりに定義し、この結びつきから人が離脱できるプロセスを明らかにしたいと考える。「出来事と出来事の結びつき」とは例えば、下記において浜本により示される、「白い靴下をはけば仕事が成功する」というような命題である。
「人間は物語に呪縛されやすい存在である。あるいは物語の形で自らを示す関係性は、いつなんどきでも人を呪縛しようと身がまえている。それは、ほんのちょっとしたきっかけをとらえて、人をその呪縛の網の目に引き込むのだ。例えば、一切の神秘的な思惟から遠ざかっていると信じている現代に生きる誰かが、あるとき、たまたま白い靴下を履いて出かけた日に限って、仕事が思いの外うまく運んでいたという事実に気付いたとしよう。単なる偶然の一致だとは思っていても、一たびこの事実に気をとめたあとでは、何か大切な仕事を前にした日の朝、白い靴下を履いて出ようという気にならない人は稀であろう。なにもわざわざ臍まがりに別の靴下を履いて出る必要もあるまい、という訳である。もちろん彼は、白い靴下と仕事の成功を結びつけるいかなる理論ももちあわせていないし、また、両者の関係を説明すること自体は彼の関心の外にある。にもかかわらず、彼はこの関係性そのものにとり憑かれて始めている。」(ibid:48)
上記で提示されているような「出来事と出来事の結びつき」と呼びうる関係性は、他にも列挙することができる。例えば、「黒猫に前を横切られると不幸になる」という命題もそうである。また「厄年のせいで不幸な出来事に見舞われる」や「相性の悪さが二人の間に齟齬を引き起こす」などの命題もそうである。私は物語という言葉を用いて、以上のような命題のことを意味したいと思う。
前章で見てきたように浜本は、出来事の経緯が表情として見てとられると同時に、表情として見てとられるところの観念が出来事の生起した「原因」として出来事群と相並んで存在することができる理由について、さらなる思索を重ねようと宣言している。
しかし私は、あくまでも「出来事と出来事の結びつき」に注目し、それが人々のリアリティを形作る機序に注目したい。そして、このような「命題的な形式の物語」の呪縛力から人はいかにして逃れられるのかという課題を設定し、これに取り組みたい。

私は、妖術という対象に取り組む際に、以下のように考える。「妖術は不幸な出来事を生起させる」という物語が存在している。妖術なる観念がどのような経緯を辿ることによって、不幸な出来事を生じさせる「原因」として存在するようになったのかを知ることは困難である。しかし人々は不幸な出来事に出会うと、この物語を参照することによって現象を理解しようとする、と。
すなわち「妖術は不幸な出来事を生起させる」という物語が単に存在しており、人々はこのような用意されている物語に、彼等が遭遇した出来事をあてはめ、思考していると考えたい。私は、以下で厚東が行っている物語という考え方の簡潔な定義に沿う形で、物語論に依拠した妖術研究を行っていきたいと考える。
厚東は物語を「生きられた経験を組織化するためのきわめて安易な方法」(厚東 1991: 278)ととらえ、「私達の頭には、生まれてからこの方、繰り返し繰り返し物語を聞かされているうちに、伝統のなかに沈殿されている筋のストックが充満している」と述べる。そして、「物語るとは、ある面で、この習得された筋立てのパターンを現動化させる行為である」とする(ibid)。
また、彼は「「節」とは、人々の経験を意味づけするために社会的に用意された図式あるいはパターンである。それは、長い期間にわたり精選され練り上げられたものだけに、生きられた経験を整理するのにきわめて有効」と述べたあと、「「物語る」とは「創作」というよりは、既存の公式に「経験」をあてはめて通用可能な答えを見出す、「演算」に似た操作」なのであると結論する(ibid : 279)。
「妖術は不幸な出来事を生起させる」という物語が存在している。それは妖術の物語とでも名付けうるような物語である。それはなんらかの不幸な出来事に遭遇した人物をして彼等の経験をその節にあてはめさせる。私は妖術を物語という考え方を通して考察する際に、この分析概念を上記のように捉えたい。

第五章 今後の課題

これまでの研究において、妖術はさまざまな角度から分析されてきた。災困論的アプローチのさきがけであるエヴァンス・プリチャードは、妖術を不幸の原因を説明するためのイディオムとして捉えた。機能主義的なアプローチに基づいた研究群においては、妖術には共同体の維持と凝集力を高める機能があるとされた。また、象徴主義的なアプローチにより、妖術師は反秩序的な存在であることが確認されてきた。そして本稿で詳細に見てきたように、浜本は妖術を物語という観点から分析し、それが新たな現実を生成させることを明らかにしている。そこでは、妖術の物語が人々を呪縛し、それが示すところの現実を人々に実現させしめるプロセスが示されている。
私は浜本とは逆に、妖術の物語のその呪縛からいかにして人は逃れうるのかという問題に取り組み、その方法を明らかにしたいと考える。本章ではこの問いに取り組むにあたり、博士課程において行なう調査のおおまかなアウトラインについて述べたい。
浜本は『マジュトの噂:ドゥルマにおける反妖術運動』において、ドゥルマの人々が物語の欠乏に耐え切れずに、かつては彼等自身が進んで拒否した妖術の物語を復活させていくプロセスを丹念に追っている。
「妖術の観念が不幸な死に、それに相応しい物語を提供するというその機能を首尾よく果せば果すほど、憎むべき妖術使いの存在は人々の心にますます重たくのしかかり、人々はできるなら妖術を自分たちの世界から一掃してしまいたいと願うだろう。しかしもしこの願いが実現するようなことがあったとしよう。それはまさに物語生成装置としての自らの破壊に他ならない。もし人々の願いが実現し、現実に妖術使いが一掃されたと人々が確信した時、人々は別の問題に直面することになる。こうした確信の後も、異様な突然の死そのものは相変らず人々を襲い続けるだろう。そして人々は、「物語」の空白に直面することになるのである。」(浜本 1991 : )
私は浜本とは逆に、既存の「解釈の鋳型」の呪縛力─妖術の物語─から逃れようとする人々の実践に注目したい。すなわちAshforthのインフォーマントであるマドゥモが行なうような実践に肉薄し、妖術の物語から逃れる方法を明らかにしたい。
Ashforthのインフォーマントであるマドゥモは、自らのリアリティを呪縛しようとする妖術の物語に抵抗する。マドゥモはアスフォースに「ほとんどの時間、私は自分の心を西洋化しようと努め、そして妖術について考えないようにしている。」(Ashforth 2000 : 246)と述べる。
マドゥモは己を呪縛せんとする妖術の物語という「解釈の鋳型」から逃れようとしているといえる。しかし、彼にとって妖術の物語は完全に否定できるものではない。だからこそ、呪縛されまい引きずられまいという意図的な努力が必要なのである。
なんらかの現象を理解可能にする必要につき動かされるようにして、我々は、説明の枠組みを求める。説明の枠組みの不備、つまり物語の欠乏に、人は絶えられない。浜本が『マジュトの噂』で明らかにしたのは、たとえそれが苦痛を与えるものであっても、憎き妖術の物語を、現象を理解可能にするために渇望しかつ蘇らせる人々の姿であった。精神科医中井久夫の以下の文章はこのような人間の性質を言い当てている。
「轟音とともに大地が震動する時、人びとを捉える恐慌について考えてみよう。石油運搬車の爆発か、近くの市の石油基地の爆発、地震、あるいは熱核戦争の勃発であろうか? このような事態が説明を与えられずに、ほんの数時間を経過しただけでも、人びとがいかにありそうもない説明にも耳をかすか、そしてそのことによっていかに精神的恐慌から救われるかは、周知の事柄である。そこには意味づけられた世界から不意に放り出された人間の説明飢餓がある。」(中井 1984 : 2)
あるいは、レヴィストロースが引用しているズニ族の少年の話にも、このような人間の性質を確認することができる。少年は、彼に手を握られた少女がその直後に引きつけを起こして倒れたことに関し、場当たり的に物語を創作し続けた。人々は少年が呪術を使用したと訝しがる。ズニ族の社会において、呪術の使用は死刑に値する罪である。しかし少年は自ら呪術を使用したことを周囲に認め、人々にどのようにして自分が「呪術の羽」なるアイテムを用いて驚くべき力を得ているのか話して聞かせる。もちろんこの「呪術の羽」の話も少年によるとっさの思いつきの産物である。ここで注目するべき点は「呪術を(使用したことを)追求され、そのため死刑にされかねなかった被告が、釈明しても放免してもらえず、無実の罪を引きうけることによって放免された」ということと、「呪術の羽」は架空の存在であったにもかかわらず、壁の中から発見される過程において、少年の呪術の使用を追求する人々は「罪の歴然たる証拠があらわれるのを見て勝ち誇った」わけではなかったことである。手を握ることによって少女が倒れたということ。人々はそのこと「を可能にした体系の実在性の証示を(適切な情緒的表現により、その客観的根拠に有効性を付与させることによって)求めて」いたのである。まさしく少年には、彼に科せられるかもしれなかった「刑の執行があたえたであろう正義の満足よりは、無限に稠密で豊かな真理の満足を集団にもたらす」ことが期待されていたのである(レヴィストロース 1972 : 188-192)。
中井が指摘するように、そしてレヴィストロースが紹介するズニ族の少年の話が示唆するように、人は物語を求めてやまない。しかし物語は、轟音が震動したり、少女が急に痙攣を起こして倒れたりといった特異な出来事に遭遇した際に一方的に渇望されるものではなく、むしろ人を呪縛し続け、けしてその引力から逃れさせてくれないのである。マドゥモの実践は、物語が人間にとって必要不可欠であることではなく、物語が人間を苦しめ、容易にその感染力から離脱することを許さないことを示している。
上述のマドゥモだけでなく、他のSowetoの人々もまた、妖術の物語に身を任してしまいそうになりながらも、かろうじてその呪縛力から身をそらすという実践を行なっている。
Ashforthによると、Sowetoの人々は、妖術と妖術師の存在を信じつつも、それを信じまいとしているという。その際に彼等は、科学を妖術の物語に抗うためのよりどころにする。Ashforthは、このようなSowetoの人々の実践について、具体的に3つの事例を報告している。
ひとつは、咳である。人々は咳を様々な読みに開かれた現象とみなしている。それは怒れる先祖からのメッセージ、妖術師の仕業、または単なる病気でもありうる。
「咳によって特色付けられた病気は、先祖が立腹させられたサインであるかもしれない。もしくはそれは毒の形態で働いている妖術のサインかもしれない。それはまた妖術師によって送り付けられたHIVという名の目に見えないウイルスによってもたらされた結核かもしれない。一方、それは誰にも責任のない、医者が和らげてくれるであろう、たちの悪い風邪が引き起こした気管支炎の結果かもしれない。このように、サインの解釈作業は不確定性によって悩まされる。」(Ashforth 2001 : 218)
同様にして、「床にまかれた粉」も様々な読みに開かれている。しかし人々はそれを出来るだけ妖術と関連させないように努力している。その努力は化学(chemistry)の知識を拠り所にすることによってなされる。
「化学への信仰は、私の友人であるMC(家屋の所有をめぐり叔母と係争中)が怪しげな仕方で台所の床にまかれた粉を見つけたときのような、活動中の邪術のサインを認知することからくる不安を緩和するのに役立つことができる。彼は状況は危険であると認識したけれども、彼自身にこのような馬鹿げたことに反応を示すなと言い聞かせ、勇気を強めるために少々飲酒したあと、粉の上で踊ることによって彼の友人たちに印象付けたのだった。」(ibid : 220)
また、「壁に塗られた泥」といった出来事についても、それが妖術である可能性を人々は意図的に除外し、極力それをとるにたらないこととして解釈しようとする。
「時折、妖術師を「信じる」ことへの故意な反抗が、活動中の神秘的な力のサインを探す者を待つ心理的な罠を避けるという実践的な方法として見られる。我々が一度、Sowetoにある家の正面の壁に塗られた、泥に類似する物質を見つけたとき、皆は、それがmuthi(薬草)を含んでいると考えたくなる誘惑に抵抗するよう意識的に決心し、その行為を妖術よりもむしろ破壊行為としてみなすことを選んだ。しかしながら、もし泥の発見が家の深刻な災難を伴っていたならば、神秘的な攻撃の可能性を度外視することは簡単ではなかっただろう。」(ibid)
Ashforthは、もしSowetoの人々が、貧困や病苦に関する悩みから解放されたならば、妖術にたいする関心は、精神障害のカテゴリーに組み入れられるだろうと述べる(Ashforth 2000 : 221)。つまり社会的経済的な問題が解決されれば、妖術の物語は人々を呪縛する力をなくすということであろう。しかし、果たしてそうであろうか? 妖術の物語を動員する人の絶対数が減少したとしても、相変わらず妖術と妖術師の存在にリアリティを感じる人々は存続し続けるのではないだろうか。それに、そのような人々に精神障害者というレッテルが貼られるようになったからといって、問題は残されたままである。すなわち、人は物語の呪縛からいかにして離脱することができるのかという謎が残っている。したがって、私はこの精神障害と形容されるような現象にこそ注目したい。そしてなによりもそこから離脱できる方法を、妖術の物語の当事者たちに焦点を合わせることによって明らかにしたいと考える。
このような問題意識に基づいたうえで、私はケニアにおいて現地調査を実施し、妖術の物語にたいして人々がどのように対処しているのか調べてみたい。この調査に適したインフォーマントとして、私はチョーニ族のチーフに注目している。
チョーニ族はケニア東海岸の内陸部に居住している。チョーニ族のチーフは首都ナイロビで23年間にわたる教師生活を経たあと、軍隊に所属し、チョーニ族のチーフとして就任した人物である。彼女は女性解放論者であり、幼児婚などの慣行を女性の人権を無視したものと捉え、それを廃止すべく運動を展開している。そのため地域の男性たちから反感を買うことも多く、護身用のためにとライフルをオフィスに所持している。
彼女は、ケニアに生きる自分たちが取り組むべき課題は3つあると述べる。ひとつは教育の充実である。彼女は、全ての児童が学校教育を受ける機会を保証されれば、自分自身と将来について主体的に思考できる人間が育つと考えている。「教育によって、女性は自らのことについて自ら決定し、強いられた結婚を否定することができるようになる(発言日時 2002年3月8日)」 ふたつめは貧困問題であり、みっつめは医療問題である。彼女はこれらの課題のうち、特に第一の課題─教育の充実─に自ら率先して取り組んでいる。
以上に述べてきたことから分かるように、彼女はいわゆる伝統的な習俗や風習の一部を積極的に改変もしくは撤廃しようとしている活動家である。彼女の父親は、イギリスから来た宣教師と初めて接触し、彼らの助手を務めたチョーニ族の青年であり、彼女は父親を通して、キリスト教の思想に深く影響を受けて育ったといえる。なによりも彼女自身がキリスト教徒である。「バイブルで読んだ信仰に関する文章、それを学んでからマトゥミア*2がただの迷信であることが分かった」と彼女は言う(発言日時 2002年3月13日)。
彼女は村において日常茶飯事に行われている憑依儀礼に対しては非常に懐疑的である。憑依についてどう思うかと質問した筆者にたいし、「彼らは演技しているにすぎない」「だまされないように」と述べる。また最近では、幼児婚を行い13歳の少女を嫁にした男性を起訴し、その男性を刑務所へ送っている。さらに、彼女は兄弟婚にも否定的である。「慣習カスタムの中にはいいものもあれば悪いものもある」(発言日時 2002年3月14日)
そんな彼女は妖術に関しては半信半疑の態度を見せる。「妖術は怖くないか?」と尋ねる筆者にたいし、彼女は「私はチーフだ。チーフが妖術を恐れてどうする?」と答える(2002年3月8日)。しかし彼女はこのように述べつつも、妖術と妖術師の存在に恐れを抱いているように思われる。上記のように述べるとともに彼女は「夜の2時ごろだった。牛小屋の前に2人の男が立っているのを見た。彼らは妖術をかけていたに違いない。」「火の玉が飛んでいくのを見たことがある。嘘ではない。」(発言日時 2002年3月8日)と筆者に語っている。
博士課程において実施するケニア東海岸部での調査では、私はチョーニ族のチーフに注目し、彼女がどのようにして妖術の物語に対処し、それと距離を取っているのか明らかにしたいと考えている。

参考文献

A・C・ダント 1989 『物語としての歴史』 河本英夫訳 国文社
Ashforth, Adam.
2000 Madumo: A Man Bewitched, Univ of Chicago Pr
2001 “On living in a world with witches : everyday epistemology and spiritual insecurity in a modern African city (Soweto)”, in Henrietta L. Moore and Todd Sanders (ed) Magical Interpretations, Material Realities : Modernity, Witchcraft and the Occult in Postcolonial Africa, Routledge
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1982 「妖術現象理解の新展開についての試論」 『東京大学教養学部人文科学科紀要・第七十六号・文化人類学研究報告3』55-93
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1989a 「不幸の出来事:不幸の語りにおける「原因」と「非原因」」吉田禎吾編 『異文化の解読』 55-92 平河出版
1989b 「フィールドにおいて「わからない」ということ」『季刊人類学』Vol.20(3) 34-51
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*1:A・C・ダントが提唱する「物語文(narrative sentence)」と同義。「時間的に離れた少なくともふたつの出来事を指示する」ような文章(ダント 1989 : 174)。野家は「物語文」の一事例として下記の文章を提示する。「私が提案した奇襲作戦は味方の部隊を勝利に導いた」(野家 1990: 58) ここにおいて、「奇襲作戦」と「味方の勝利」という二つの出来事が関連づけられている。

*2:マトゥミア(matumia)。無言で手を使わずに手早く一回きりおこなう特殊な性交。畑からの収穫物、新生児、家畜など、屋敷に新しく何かが加わる際に行われる。詳細については(浜本 1997)を参照。