沖縄(自分自身)について


これまで私は、沖縄とそこに住む沖縄人(ウチナーンチュ)について、突き詰めて考えたことがなかった。

先日、ある人物から、「沖縄混成系文化を考える」という趣旨のMLへ招待された。面白そうだったので、さっそく参加させていただくことにした。

初投稿の際に、私は次のような青臭い文章を、自己紹介文に添えた。

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【沖縄について】

沖縄について私は複雑な思いを抱いております。私は沖縄が好きでもあり、嫌いでもあります。そこで見ることのできる夕陽や、感じることのできる空気や、出会う風景は、とても好きなのですが、なんというか沖縄は、「ふるさと」とは呼べない場所なのです。このように私が思うのは、きっと私が、本土人(=ナイチャー)の父親と、沖縄人(=ウチナーンチュ)の母親から生まれたので、色が白く、まったくウチナーンチュぽくないからだと考えられます。私は方言もあまり分かりません。私は、沖縄人として自分は失格だと思っております。

しかし、もともと「真のウチナーンチュ」と呼べるような人はいなくて、誰でも自ら自分のことを「ウチナーンチュ」として提示できるのではないかと、思ったりもしております。

また私は同時に、自分が「日本人」だとも思いません。「日本人」と海外で言われると、むかつきます。「違う」とすぐさま思います。つまり私は「沖縄人」でも「日本人」でもないと、思います。

しかし、ある日ラジオから流れてきた、ビギンの歌を聴いて、ものすごくむかついたことがありました。歌の題名は忘れたのですが、確かビギンは次のようなことを歌っていました。

「おれたちもやっぱり日本人なんだね」

んだとコラー!!と私は怒りました。「お前はウチナーンチュではないのか?」と叫びたくなりました。

なぜむかついたのか? それはまだ分かりません。まだ言葉にできません。沖縄人のアイデンティティー研究で著名な冨山先生による一連の著作を読んだりしながら、この問題(自分自身の問題)について、これから考えていきたいと思います。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=books-jp&fie
ld-author=%E4%B8%80%E9%83%8E%2C%20%E5%86%A8%E5%B1%B1/250-1043605-6276249

などと、いきなり発作的に混乱した文章を書いてしまいましたが、私の趣味は「THE BOOM」の歌をカラオケで熱唱することと、「三線」を近所の荒川で弾いたりすることだったりします(←めちゃめちゃウチナーンチュっぽいですね 笑)。

皆様、こんな私ですが、どうぞ宜しくお願い致します。

重森誠仁

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青臭い。非常に青臭い。自意識過剰な青年が書きがちな感想だ。「わたしはひとりぼっちだ。どこにも帰るところがない」という言葉が、ついつい頭をめぐってしまうような、他者からの承認を過剰に求めるあまり、それを頑なに自らすすんで拒否しようとするねじれた心性の持ち主、であるからこそ、書いてしまえるような文章だ。

問題は、幼い頃からことあるごとに周囲の沖縄人から浴びせられ続けた「お前はどこからきた?」「お前はナイチャーか?」という呼びかけにあるのではない。私自身が、いま・ここを、信頼しようとしないことに問題がある。私はちっとも他人を信用しようとしない。けっして心を許そうとしない。どこかでいつも警戒している。都市でよく耳にするような話だ。非常にありふれている。

だから、沖縄に対する私の複雑な思いは、なにも、私が沖縄に生まれたからこそ持ってしまうものではない。人を怖れる引きこもりに観察できる、非常にありふれたものだ。

しかし、はたして上記のように断言できるのであろうか? 

疑問である。

このことについて、今更ながら考えてみたいと思う。

・関連文献

http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/03s3/report/ooga.html

http://www.logico-philosophicus.net/gpmap/books/FanonFrantz001.htm