クリシュナ→エポペ→共同研究室


昨日は、マレーシアでフィールドワークをしていた友人の帰国歓迎会を、歌舞伎町で行った。歓迎会は中近東風の店で行われた。花園神社の近くの、ごみごみした路地にあるその店の名は、クリシュナという。

http://krishuna.banbi.net/

クリシュナは分かりにくい場所にあるので、道に迷った。たどり着くまでが大変だった。

風俗のお店だったのだろうか。道に迷っている私に、知らないおばさんがいきなり話しかけてきた。「そこ、そこ」と、おばさんはしきりに、赤い光がもれる部屋を指差す。状況を理解していない私は、「?」を頭に浮かべ、おばさんの目を見た。

「怖いの?」

おばさんは、静かな微笑みをたたえつつ、つぶやいた。私はそんなおばさんを、その場において歩き去った。

もうちょっと会話するべきだっただろうか。

と少し反省しながら、相変わらず道に迷っていたら、今度はピンク色が目に飛び込んできた。

光は、CREMASTERというバーから発せられていた。

http://cremaster.vis.ne.jp/

精神科医がマスターを勤める「精神分析的実験バー」なのだという。

へー。面白そうな場所だな。かなり気になる。さっそく乗り込んで議論を吹っかけさせていただこう。と思ったが、クリシュナに行くことが現在の目的だったことに気付き、泣く泣くその場を去る。

クリシュナには今夜のゲストが来ていた。

職場のビルで開催されていた有機栽培フェアで突発的に購入したドイツ産白ワインをゲストに贈呈。おいしくいただいてくれたら嬉しい。

宴には、ある話題について議論を交わしたままご無沙汰になっていたT氏もいた。2年前に行った議論は、まだ決着が着いていない。2次会の飲み屋は、エポペという名の不思議なバーだった。なんでもこの店のマスターはカトリックであり、日本における仏教の現状を、教皇に報告するのが仕事なのだそうだ。なんだかよく分からないけれど、たぶん凄い人に違いない。

http://www.epopee.co.jp/index.html

そんなエポペで、私は2年前の議論の続きを、T氏に求めた。

2年前、T氏は私に次のように問いかけた。

「その昔、人類学者は植民地主義的な政策に力を貸したことがある。人類学者の重森君は、その責任をどう取る?」

2年前、私は上記の質問に答えられなかった。

そして今も上記の質問に答えられないでいる。

そこでT氏に私は、以前から聞いてみたかったことをぶつけてみた。下記の3つの問いのうち、質問2と質問3をぶつけてみた。

質問1:昔、人類学者は植民地主義的な政策に本当に加担したのか? そもそもどうして「加担した」と言うことができるのか?
質問2:加担していたならば、現代の人類学者はその責任を取る必要があるのか?
質問3:責任を取る必要があるのならば、それはどのようにして可能なのか?

さらに私は、「人類学者」というカテゴリーを用いて思考すること自体にも疑問を持っていた。そこで、そのことを含めてT氏に意見を求めた。カテゴリーに捕らわれるあまり、問題の本質が見えなくなっているように思えてならないのである。言葉に踊らされているように思えてならないのである(所詮、人は言葉に踊らされるしかないとも実は思っているのだが)。

そして私は、似たような現象として、次のような現象を思い描き、T氏が2年前に私へ発した問いを、よりよく理解しようと試みた。

1、「日本」と「中国」というカテゴリー

「日本」と呼ばれる地域に生まれてしまったために、「日本」に以前生きていた人間が「中国」と呼ばれる地域に住む人々に対して行った行為の責任を、取らされること。

2、「沖縄(=琉球)」と「鹿児島(=薩摩藩)」というカテゴリー

「鹿児島」と呼ばれる地域に生まれてしまったために、「鹿児島」に以前生きていた人間が「沖縄」と呼ばれる地域に住む人々に対して行った行為の責任を、取らされること。

3、「アメリカ」というカテゴリー

「アメリカ」と呼ばれる地域に生まれてしまったために、「アメリカ」に以前生きていた人間が「先住民」と呼ばれる人々に対して行った行為の責任を、取らされること。

4、「家族(あるいは家庭)」というカテゴリー

「家族」と呼ばれる集団に所属しているために、その「家族」の成員である少年が犯した幼児殺しの責任を、取らされること。

5、「人類学」というカテゴリー

「人類学」の学科に所属してしまったために、昔の「人類学者」が「植民地主義の政策」に加担した責任を取らされること。

明らかに混乱している。

話を整理できていないまま、私はT氏に議論をお願いした。

T氏は、「答えは分からない」と私に答えた。お互いが依拠する物語を理解しあおうとすることからしか、何も始まらないとも答えてくれた。

「責任を誰がどのようにしてとるべきなのか問題」と「カテゴリーに捕らわれてしか思考することのできない人間」という二つのテーマについて、ちゃんともっと煮詰めて考えてみたいと思う。

結局、終電がなくなったので、新宿から国立へ向かう。

共同研究室の寝袋にくるまって寝たのは、午前2時ごろだった。

国立の桜がはらはらと散っていた。