ユンタク会


ある組織の会合が新宿駅の西口付近で行われた。

この組織に私が関わるようになったきっかけは、私のサイトを見たこの組織の主催者が、ある日突然私にメールでコンタクトを取ってきたことであった。

webサイトというのは面白いと思う。

自分の宣伝を載せておけば、それを面白がってくれる人とつながることができる。本当に面白い。

しかし昨日は、私のサイトのどこがどのように興味深いのか、お聞きするのを忘れてしまった。また、忌憚なきご意見ご批判を伺うのも忘れてしまった。

昨日の面子はつぎのような感じであった。皆、変わった人たちであった。

太鼓をたたく人(演奏うまそう)、チューバを吹く人(日本で5本の指に入るとか)、シーサー研究家(今度詳しくシーサーの起源について聞きたい)、シーサーを保存する人(格好いい)、祭祀空間研究家(落ち着いた感じの主催者)、ちんまー(存在自体がファンタスティック)、SE(大人なお方)、人類学者(とにかくいろんな意味でのろい)。

芸術・音楽関係の人が多かった。

ということで昨日の夜は、沖縄独特のあの優しく暖かく、知的(痴的?)で陽気な楽しいひとときを過ごした。

そして会合の場には、なんともいえない可笑しみもしっかりと漂っていた。存在自体が笑いを誘うといったらいいだろうか。同じような感覚を、インドネシアにいる頃に、現地の人から感じたことがある。見ているだけで、とにかく笑いがこみあげてくるのだ。

酒の席で、私はずっと笑わされていた。

思うに、やはりハビトゥスという考え方は的を射ている。なんと表現したらいいのだろうか。今回お会いした人々は、全員が沖縄出身者であり、やはり、「沖縄らしさ」というか「沖縄を感じさせるなにか」を醸し出していた。なんなんだろう。顔が皆、濃いからだろうか。皆、沖縄独特の話し方をするからだろうか。部分的とはいえ、沖縄方言を会話に混ぜて話すからであろうか。

最大の理由として、コミュニケーションの仕方に、「女性的」な要素が多く含まれていることが、あげられると思う。要するに優しいのだ。沖縄の人は、過剰に優しすぎる気がする。

「優しい」や「女性的」という言葉を、なよなよして卑屈で弱々しい、という意味で私は使っているのではない。「暖かい」や「大地」や「母」という言葉を使ったほうがより適切に言い当てることができるような、沖縄の人々が持つ「他者との関係の取り結び方のパターン」を、私は指し示したいのだ。

なんとなく、K田先生を思い出した。