地震
図書館で岩田慶治の『創造人類学』を読んでいると、突然床が揺れだした。
地震だ。
しばらくしたらおさまるだろう、と思った。
しかしなかなか揺れは止まらない。段々不安になってくる。
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私がいるのは図書館の3階。揺れる室内の中、ソファに座って私は本に目を落としている。実はこの時点で既に私は冷静ではなくなっていた。頭の中は不安でいっぱいだった。
まず第一に、次のことを心配した。
1、天井が落ちてきたらどうしよう。
そして次のようなことを心配した。
2、地震によって東京中の都市が壊滅した場合、治安が悪くなるのではないか? おそらく食料や衛生品を求めて、ショッピングセンターが荒らされるのではないか? 一時的にせよ、自暴自棄になった人々による、他者への暴力が頻発するのではないか?
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関東大震災。私の念頭にあったのはこの大地震のことである。関東大震災の直後、多くの「朝鮮人」が虐殺された。他者に対する恐怖が他者を殺すことを正当化させる状況。それが地震ではないだろうか。
地震そのものに対してだけでなく、私は、地震が引き金となって引き起こされる秩序の混乱(=人災)をも怖れている。
http://www.cgs.c.u-tokyo.ac.jp/ws/sympo_040905.htm
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/earthquake_demagogie.htm
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大地震が東京を襲う。このことが数年前から予測されている。それは知っている。しかし私は、地震に対して何の対策もしていない。
地震に対して私はどんな準備をすればいいのだろうか。
とりあえず私は、他者に対する恐怖からなくしたい。私の住む足立区は、オウム真理教の信者お断りの町である。あからさまに他者怖れまくりの町である。『A2』ぐらい見ろと言いたい。
しかし当の私自身が、他者を怖れまくる人間である。私が怖れるのは、いわゆる「外国人」と呼ばれる人々や、「ガテン系」と呼ばれる人々や、「ヤンキー」や「ギャル」と呼ばれる人々である。私はかなり弱っちい人間なのである。基本的に私は、自分に自信がない(注1)。
日頃から、自らとは異質な他者に対する免疫をつけておかなければ、と思う。他者の悪意や攻撃の意図を、先回りして勝手に読み込み、その思い込みに基づいて私は、防衛という名の先制攻撃を他者にしかけてしまいそうだ。臆病だから(注2)。
地震そのものが持つ物理的脅威だけでなく、地震が引き金となって引き起こされる人災─他者への暴力の発動─に対しても備えなければならない。
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地震そのものに対して立てることのできる対策には何があるだろうか。
実現不可能な対策法だとは思うが、私は、地下鉄に乗るのをできれば避けたいと思う。
地震はいつ起きるか分からない。毎日日比谷線と銀座線で通勤している私は、不安でしょうがない。地下鉄は怖い。予想される災害として、脱線事故や地盤沈下による生き埋めが挙げられる。そして生き埋め状態が生み出す、他者から他者への暴力の発動がやはり怖い(←あんたよっぽど人が怖いんだね)。
地下鉄に乗りたくない。
でも、会社員なので、乗るしかない。
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注1
オウム信者に対しては、不思議と恐怖を感じない。何故だろうか。実際に元オウム信者の人と話したりしたことがあるからであろう。
注2
自らに無害な他者を、自らに危害を加える他者として、殺さないでほしい。たとえ白黒判別付け難い曖昧で不確定な状況に自分が立たされたとしても、殺さないでほしい。難しいかもしれないけれど、不確定性を飼い慣らしてほしい。