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私は小林氏を批判することはできないのではないか?

国家と戦争 沖縄問題


やはり小林氏は、自分の主張に都合のよい出来事は選択して、自分の主張に都合の悪い出来事は切り捨てているのであろうか? 同化政策など、あたかも行われなかったかのように、歴史を描くことによって、「沖縄人」は「今も昔も最初からずっと日本民族だ」という自らの主張を、正当化させようとしているのであろうか?

小林氏は、小熊氏の『日本人の境界』を参考文献として挙げている。『日本人の境界』においては、「「日本人」が「沖縄人」を「日本人」に同化していく過程」が詳述されている。小林氏は、参考文献としてこの本を挙げているのだから、同化政策についても、間違いなく知っているだろう。

しかし、同化政策について、あるいは、同化政策が過去に沖縄で行われたと主張する小熊氏について、小林氏は一切言及しない。

なぜだ? 故意に避けているのか?

私は、小林氏が、小熊氏と正面から対決することを望む。

ここまで書いておきながら、しかし私は、立ち止まらざるをえない。

小熊氏や冨山氏の著作と、私の祖母による語りに依拠したうえで、私は小林氏を批判している。「同化政策が行われたことを無視するな」と私は繰り返し述べている。

しかし、小熊氏や冨山氏、そして私の祖母から得た情報は、「過去に実際に起こったことに関する正しい情報」と果たしていえるのだろうか? このような疑問が私にはある。

小熊氏や冨山氏は、現存している様々な資料、例えば、明治政府の役人が残した布告や、戦場の兵士が家族に送った手紙などに基づいて、彼ら自身の論を展開している。この際、明治政府の役人が残した布告や、戦場の兵士が家族に送った手紙などは、彼らの主張を裏付ける強力な証拠として、利用されている。また、私の祖母による方言札の話は、孫である私によって、そのまま、「過去に実際に起こったことに関する正しい情報」として受け取られている。

しかし、小熊氏や冨山氏が依拠する資料は、果たして本当に、明治政府の役人が残した布告や、戦場の兵士が家族に送った手紙なのであろうか? 私はこのことを裏付ける証拠を持っていない。明治政府の役人が残した布告や、戦場の兵士が家族に送った手紙は、戦後になって誰かに捏造された「まがいもの」である可能性もあるのではないか? また、私の祖母による方言札の話も、それはそのまま、「過去に実際に起こったことに関する正しい情報」として、真に受けていいものであろうか? 祖母による語りが、「過去に実際に起こったことに関する正しい情報」といえる根拠を私は提示できない。

「文献資料」や「当事者による語り」を鵜呑みにすることはできない。どうすれば私は、「過去に実際に何が起きたのか」を知ることができるのだろうか? 「過去に実際に起こったことに関する正しい情報」を特定する手段が、私には欠けている。

「人間の経験は、近代合理主義的に定義できるものも、それをはみ出してしまうものもあるわけです。その両者は歴史経験という意味では地続きなんですが、具体的な政治闘争とか、裁判の場面では、そのうちの、「近代合理主義的」に「実証・検証可能」な「史実」をよりわける必要がどうしても出てきますね。必要なら、そういったよりわけをやりましょう。ただし、それをはみ出してしまう経験も、やはり重要な歴史経験として引き受けることが必要なのだと思います。まずは、ユートピア的にそう思います。とはいえ現実はというと、そうじゃないですからね。現実問題として、歴史修正主義みたいなものがでてきて、南京虐殺はなかったとか、アボリジニは虐殺されなかったとかいうことが論争になっているわけです。オーラル・ヒストリー(証言)は、全部でっち上げのウソだ、とかね。」(保苅 2004:31-32)

保苅氏は、『ラディカル・オーラル・ヒストリー』において、上記のように述べる。

私は、「近代合理主義的に定義できるもの」と「それをはみ出してしまうもの」というような二項対立を、やすやすと設定できること自体に違和感を覚える。私は、研究者が暗黙のうちに設定するこの二項対立─「オカルト的ではないもの」と「オカルト的なもの」─をまずなによりも疑いたい。そしてそのうえで、「過去に実際に起きたこと」を突き止めるための方法を見つけ出したいと考える。

「具体的な政治闘争とか、裁判の場面では、そのうちの、「近代合理主義的」に「実証・検証可能」な「史実」をよりわける必要がどうしても出てきますね。必要なら、そういったよりわけをやりましょう。」(ibid)

私は問いたい。「どのようにして?」

「近代合理主義的」に「実証・検証可能」な「史実」と、そうでない「史実」とを、どのようにして区別するのであろうか? 保苅氏は、「「近代合理主義的」に「実証・検証可能」な「史実」」を特定する方法を知っていたのであろうか? 特定できなければ、いわゆる「オカルトチックな史実」と、「「近代合理主義的」に「実証・検証可能」な「史実」」を区別することはできないであろう。

「修正主義については、いろいろと言いたいことがあるっちゃあるんですが、とはいえ正直言ってこんなアホみたいな話につきあいたくないんですよ。歴史学者として、もっとほかにやらなきゃいけないことがたくさんあるのに、修正主義の相手をせざるをえないがために、今一番必要とされているかもしれない歴史時空の多元性に向けた歴史研究が十分に展開できないでいるっていう、そんなものどかしさをすごく感じています。だから、非常に無責任な言いっぱなしをしてしまうんですけども、そういう歴史修正主義のようなアホみたいな話は、是非、論壇などで活躍されている権威ある緒先輩方にしっかり対応していただいて、もちろんその経緯を興味深く見守らせていただきますが、僕たち若手研究者は、たったと先に進ませてくださいっていうのが、無責任ながらも切実な僕の希望です。」(保苅 2004:32-33)

歴史修正主義は、「アホみたいな話」であろうか? 私はそうは思わない(注1)。むしろ、保苅氏が研究対象にしていたアボリジニの人々と同様に、修正主義者たちは、人類学者もしくは歴史学者が喜んで収集したくなるような「オカルトチックな語り」を存分に提供してくれているように私は思う。

例えば、修正主義者とされる人々の多くは、「日本人」や「日本民族」という存在について、あたかもそれが実体を伴った何かであるように、言及する。彼らにとって、「日本人」や「日本民族」といった存在は、自明なものなのである。しかし私にいわせれば、「日本人」や「日本民族」といった存在は、「近代合理主義的に定義できるもの」ではない。「「日本人」もしくは「日本民族」とは、「日本国籍保持者」のことを指す」という説明をされたならば、私は「日本人」と「日本民族」という言葉についてそれが意味するものを理解することができる。しかし、修正主義者たちが言及する「日本人」や「日本民族」は、「日本国籍保持者」のみを必ずしも意味しない。「日本人」や「日本民族」とは、「国籍」なるものが発明されるはるか以前に日本列島やその周辺(←ってどこや?)で生活していた人々をも含む概念なのである。「日本人」や「日本民族」といった存在は、私にとって、非常にオカルトチックな存在といえる。はっきりいって良く分からない。また、修正主義者とされる人々の多くがその存在意義を認める靖国神社には、英霊が祀られている。この英霊というものは、神(注2)とも呼ばれている。これも不思議な存在であり、「近代合理主義的に定義できるもの」とは言い難い。

ケネディ大統領がアボリジニの村に来たっていう歴史がありますよね。あるいは大蛇が洪水で牧場を流したっていう歴史がありますよね。通常の、と言うべきかどうかわかりませんが、素朴実証史学のなかでは、こんな歴史は、まあ排除されるわけです。なんで排除されるかっていうと、これは事実じゃないからですね。本当はここで、「事実とは何か」っていう問いをちゃんと考えなきゃいけないんでしょうが、それだけで話が先に進めなくなると嫌なので、とりあえず、こう言っておきます──史実性という呪縛から完全に解放された歴史学の方法をまじめに模索する必要があるのかもしれない。」(保苅 2004:22)

「事実とは何か」っていう問いについて私はちゃんと考えたい。私は、「「近代合理主義的」に「実証・検証可能」な「史実」」を特定する方法をとにかく知りたい。保苅氏は、この方法を手に入れることができていたのであろうか?

自らが依拠する情報の真正性を、どのようにして立証すればいいのか知らないだけでなく、立証しようともしていない私が、小林氏を批判できるわけがない。

私にできることは、次のようなスタンスで、小林氏に臨むことだけであろう。

「あなたの経験を深く共有することはできないかもしれないけれども、それがあなたの真摯な経験であるということは分かります。だから、あなたの歴史経験と私の歴史経験とのあいだの接続可能性や共奏可能性について一緒に考えていきましょう」(保苅 2004:27)

小林氏は、「自分は「日本人」であり、「沖縄人」も同様に「日本人」である」と本気で考えているのではないだろうか? 小林氏は、自らを「日本人」だと経験しており、「沖縄人」を「日本人」として経験しているのだ。小林氏にとって、このような経験は、真摯な経験なのであろう。だから、小熊氏による「「沖縄人」は「日本人」に同化させられた」という主張は、小林氏の眼中にはないのだ。小林氏にとって「沖縄人」は「日本人」でしかないのだ。まさしくこのような仕方で、小林氏は世界をリアルに経験しているのだ。

だから、私は小林氏を批判することはできない。

出来ることは、彼の話に間近で耳を傾け、それをノートに書き留めることだけではないか。歴史時空の多元性に向けた歴史研究の一環として。

追記

私は、保苅氏のような優しい人間ではない。やっぱり私は、どのような人に対しても、批判的に臨もうと思う。「あなたが依拠している資料の正しさを保証するものは何ですか?」という問いを発していくことが、私にできることであるように思う。小林氏の主張だけでなく、小熊氏や冨山氏の主張に対しても批判的であろうと思う(しかしどこまで疑えばいいのか。疑いだせばきりがない。)。

しかし私は、祖母の語りに対しては批判的になりたくない。

といっても、私の祖母は、戦争がらみの話をあまり話してくれない。思えば、祖母が聞かせてくれた、「日本」と「沖縄」をめぐる政治的な話は、方言札の話ぐらいである。

戦争体験者である祖母に私は一度、戦争体験について話してくれるようお願いしたことがある。しかし祖母は何も話してくれない。「…話したくない」とだけ祖母は答える。当時、大学に入学したばかりで、社会学をかじりはじめた小生意気な学生だった私は、社会学者の橋爪大三郎氏による「国家は戦争をするものです」というセリフを祖母に話して聞かせた。祖母は「…そんなことを言う人は許さんよっ」といきなり怒鳴った。ただし押し殺すように。そしてうつむいた。祖母の唇は震えていた。私は二度と戦争については祖母に話すまいと思った。私は、戦争というものは残酷なものなのだということを肌で理解した。

ぶっちゃけ言えば、常日頃からとても温厚で、孫である私にはめちゃめちゃ甘い祖母が、感情を露にしていきなり怒鳴ったので、私はびびってしまったのだ。

注1

保苅氏は、修正主義者たちを次のような特徴をもつものとして説明する(保苅 2004:32)。

1、修正主義者たちは、「史実性」に基づいて、自分たちの主張を展開する。
2、修正主義者たちは、自分の歴史叙述を普遍化しようとする。どこの誰がいつ検証しても、「実際そうだった」といえそうな歴史の叙述をめざす。

つまり、保苅氏にとって、「実際そうだった」といえそうな、疑いようがない確固たる事実としての「本当の歴史」を想定している人々が、歴史修正主義者たちなのである。

保苅氏は、この歴史修正主義者たちと、「ケネディ大統領がグリンジ・カントリーを訪問した」と主張するアボリジニの長老を、明確に区別する。両者の違いは、「すでに定説になっている歴史理解を否定」する目的があるかどうかに求められる。すなわち、前者にはそれがあり、後者にはそれがないというのだ。(ibid)

保苅氏による上記のような区別に私は疑問を持つ。

「すでに定説になっている歴史理解を否定」するとは、いったいどのような行為のことを指すのであろうか? 「すでに定説になっている歴史理解」と異なることを述べることがすなわち、「すでに定説になっている歴史理解を否定」することではないだろうか? 私にとって、歴史修正主義者たちと、アボリジニの長老は、同じことを行っているように思える。私にとっては、どちらの語りもオカルトチックなものである。しかし、どちらも自らの真摯な経験について語っているのではないだろうか? そして「結果的に」、どちらも「すでに定説になっている歴史理解を否定」してしまっているのではないか?

「すでにみてきたように、グリンジ・カントリーに暮らす人々は、異口同音にオーストラリア植民地化の最初期の段階でキャプテン・クック(あるいは彼の部下)がグリンジのカントリーに現われ、アボリジニの人々をライフルで撃ち殺したと証言したのである。あらかじめはっきりさせておきたいのは、学術的歴史学にとって、キャプテン・クック(ジェームズ・クック船長)がエンデバー号に乗って一七七〇年に「発見」したのは、オーストラリア東海岸であり、グリンジのカントリーが位置するノーザン・テリトリー内陸部へ出かけていったという「史実」は存在しない。
 キャプテン・クックについて、ジミー・マンガヤリは次のように語ったことがある。
 「キャプテン・クック、あいつがやってきた。彼はこのカントリーにやってきて白人をあちこちにおいていった。我々はけっしてそんなことはしない。それはよくないことだ。…… なぁ、キャプテン・クックは悪いことをした。奴はアボリジニの人々を撃ち殺し、女を盗んだ。我々はけっしてそんなことはしない。そんなことをするのは白人だけだ。……あいつらはここにやってきて間違ったことをした。だが我々はイングランドに出かけていったりはしなかった。」」(保苅 2004:213)

注2

・「Q:神さまのことをもっとたくさん教えてください。」『靖国神社公式ページ』より
http://www.yasukuni.or.jp/annai/qanda.html


重森 2005/08/14/23:51:56 No.92

いくら、小林氏やアボリジニの長老が、自らの真摯な経験について語ったとしても、その内容が自分にとって納得のいかない話ならば、「納得いかない」とちゃんと批判するべきではないか? 

時折、文化相対主義の考え方に基づいて、「現地の人々」の言動について批判的なコメントを一切行わない研究者が見受けられる。このような研究者は終わっていると思う。

文化相対主義は、思考停止の別名ではないはずだ。お互いの差異を正確に把握するために、研究者は「現地の人々」と果敢にぶつからなくてはならない。この営みを辞めた研究者は、研究者としておしまいではないか?

とはいえ、差異を捉えることができれば万事OKというわけでもないだろう。その先が問題だ。

「「沖縄人」は今も昔もずっと「日本人(=「日本民族」)」だ」と小林氏が述べ続けること。私はこれが気に入らない。無理矢理「日本人」にさせられた私の祖母やその友人たちは、小林氏の主張を耳にして、悲しくならないだろうか? 

などと勇ましく書きつつも、私は、小熊氏や冨山氏の著書や、私の祖母から聞いた話をそのまま鵜呑みにした上で、小林氏に上記のような怒りの文章を書いている。

過去に何が起こったのか。これを正確に把握する方法を知りたい。

そしてもうひとつ。意図あるいは解釈に関する哲学的な議論についてもおさえておきたい。アンスコムによる意図に関する議論を理解したい。実はちゃんと読んだことがないので。

ある特定の人物の行為は、さまざまな記述のもとで眺めることができる。例えば、右手をあげている人物がいたとする。この人物について、観察者は様々な記述を行うことができる。観察者はこの人物について「彼はタクシーを止めている」と書くこともできる。また「彼は右手をあげている」と書くこともできる。あるいは「彼は友人に合図を送っている」と書くこともできる。さらに「彼は総統に忠誠を誓っている」と書くこともできる。

私が危惧するのは、「「日本人」は「沖縄人」に日本語の使用を強制した」という記述が小林氏によって否定され、「「日本人」は、「沖縄人」の識字率を高めた」という記述で置き換えられてしまうことである。

確かに、小林氏の記述は、行為の記述として、間違った記述とはいえない。十分ありえそうな記述である。実際に、当時の沖縄の学校教師らは、自らの行為を「我々「日本人」は、同胞である「沖縄人」の識字率を高めている」という記述のもとで眺めていたかもしれない。

ある時、ある場所における、ある人物の意図を特定することができなければ、私は、その人物に対して批判を行うことができないような気がする。

小林氏に対して私が「よくも「沖縄人」に日本語使用を強制してくれたな」と批判を行ったとしよう。小林氏は「当然のことであろう。同胞である「沖縄人」の識字率を上げてやったのだ。「沖縄口」を喋った生徒には方言札をかけさせたりして、少々手荒な教え方だったかもしれないが、「沖縄人」の日本語運用能力は格段に上がった。まったく、当時から「日本人」ってのはなんていい奴らなんだろう。」と返事してきたらどうするか。

「そっかー☆ 「日本語」も読めないし書けない状態だと可愛そうだから、「日本人」は「沖縄人」に一生懸命「日本語」を教えてくれたんだね☆ ありがとう! やっぱ「日本人」ってすっごーい。」

などと、私は答えたくない。


重森 2005/08/15/14:24:03 No.93

なぜ私は、小林氏による「「沖縄人」は今も昔もずっと変わらず「日本人(=日本民族)」だ」という主張に、過剰に反応しているのであろうか? 

「自分には「沖縄人」としての自覚はない」と私は断言しておきながら、「「沖縄人」でありたい」と私は願っている。私は「沖縄人」になりたがっている。「「沖縄人」として認められたい」と思っている。正直に白状するならば、私には「自分は「沖縄人」だ」という自覚がある。

だから、小林氏による「「沖縄人」は今も昔もずっと変わらず「日本人(=日本民族)」だ」という主張に、私は激しく反発しているのだろう。「ちげーよ。「沖縄人」である俺は、「日本人」じゃねーよ。」と、私は単純に反発しているのだ。「「沖縄人」は「日本人(=日本民族)」ではない。「日本語」を強制し、「沖縄口」を禁止し、カタカシラやハジチを卑下した「日本人」と一緒にするな。ふざけるな。」という意識が私にはある。

まるで私は、「沖縄ナショナリスト」もしくは「沖縄本質主義者」のようである。

しかし、いくら私が「自分は「沖縄人」だ」と思っていたとしても、絶えず他の「沖縄人」からは「ちがうだろ。お前は「沖縄人」ではない。勘違いするな。この「ナイチャー(=大和人、日本人)」め。」という突っこみが入る。

たとえ実際に突っこまれなくても、沖縄において私は、このような突っこみがなされる可能性にいつもおびえている。

よくある話だ。故郷にいながらにして、異人状態まっしぐらというやつである(なんか格好いいような気もする)。

いつばれてしまうだろうか。このことをいつも怖れながら、沖縄において私は「沖縄人」らしく振舞おうとする。正体を隠しつつこそこそと私は「沖縄人」のふりをしている。沖縄にいると私は、演技をしているような気分に陥る。周囲の人々を騙しているような嫌な気分に陥る。

で、ある日突然頭にきて、「ある人間が「沖縄人」として認められるために有しているべき条件とは何か?」と「沖縄人」に質問すると、途端に「沖縄人」は口ごもる。「色が黒くて、毛深くて、酒に強くて、沖縄口が理解できて、両親が「沖縄人」である人は、「沖縄人」だ」と明確に答える「沖縄人」に私は会ったことがない(必ずしも明確とは言えないが…)。「沖縄人」は、他人を「沖縄人」かそうでないか易々と判別することができるくせに、なぜ判別できるのかその理由を説明することができない。そしてさらに、自分自身を「沖縄人」として名乗ることがなぜできるのかについて、十分な説明をすることができない。

おそらく、いい加減なのだろう。とりあえず、色の白い人間は、「沖縄人」とみなされにくいのだ。そして自分自身については、無根拠的に「自分は沖縄人である」と思い込んでいるのであろう。ただそれだけのような気がする。

あーうぜー。うざいうざい。仲間に入りたいと思う自分が情けない。

「沖縄人」とか「日本人」とかいう胡散臭くて排他的なカテゴリーを使って、物事を考えるのはやめてくれといいたい。

しかしなによりも、「沖縄人」とか「日本人」とかいう胡散臭くて排他的なカテゴリーに、実はまんまとからめとられている自分が情けない。

宮台氏によると、サイード氏は次のように述べているそうです。

「故郷がある者はよい、どこでも故郷だと思える者はさらによい、どこも故郷だと思えない者が最高によい」

「どこも故郷だと思えない者」。うん。確かによいと思う。

心から本気でそう思えるなら、文句なくこのような心境はよいと思う。とてもラクチンそうだ。「爽やかなあきらめ」あるいは「真に自立した個人」の姿がここには確認できる。

ただ、本当は故郷が欲しくて欲しくてたまらないくせに、あるいは、特定の場所に自分にとっての故郷があることを薄々知っているくせに、やせ我慢して、かつ、弱い自分を奮い立たせるため、「どこも故郷だと思えない自分」を率先して演出している人、率先してそのような自分であろうと努めている人は、悲しい。

参考文献

宮台真司 宮崎 哲弥 2003 『ニッポン問題。』 インフォバーン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4901873040/249-7664845-1149901