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社員旅行でマレーシア

会社 沖縄問題 書評 気になる人


突然ですが、5日間ほどマレーシアに行っておりました。ボルネオと呼ばれる島の海岸部に滞在しておりました。いわゆるリゾートというやつです。

サラリーマン(≒イギリス人)のコスプレにあきて、ついついフラッと旅立ったのではありません。社員旅行という名目で行って参りました。うちの会社の社長は旅を愛する人なので、2年に一度は海外へ社員全員旅立つことになっているのです。

以下、マレーシアでの出来事やそこで考えたことを箇条書き。

1、日本をお昼頃に飛び立ち、ボルネオに降り立ったのが20:00頃。宿に到着したのが21:30。腹をすかしていた私はすぐさまレストランへ行き、とっとと一人で食事をしていた。怪しいインドネシア語を駆使してマレーシア人の店員さんたちと会話し、「お前。なんでマレー語をしゃべれるのだ?」と驚かれたりしていた。しばらくすると、会社の人たちがちらほらレストランに現れ始めた。その途端、一人で食事をしていることに私は罪悪感を覚え始めた。なにか、いけないことをしているような気分になった。この感覚はなんだろうと考えながら食事をしていると、4〜5人のグループを形成した会社の人々が、私を見つけ、「なにやってんの一人で?どうしたの?」と次々に声をかけてくる。「メシを食べてます」と答えると、「へー。変わった奴だなー」というような顔をして、会社の人たちは去っていく。やっぱり私はかなり異常なことをしているのだなとひしひしと感じた。社員旅行の際はグループを形成するべきなのだろう。でも、いまさらどこかのグループに行って「すいません。仲間に入れてください…」と頼むのも、なにか滑稽で卑屈に思えたので、そのまま食事を続けた。自分は悪いことをしているという謎の罪の意識を抱えながら。

2、「私はどうもグループというか集団が苦手なようだ。グループを形成すること自体に妙な恐怖もしくはえもいわれぬような違和感を感じる人間らしい。一人で行動したいと思ってしまう。これはいったい何故であろう?」 旅行中、私はこのようなことをずっと考えていた。仲間はずれになるのが怖いから、私はグループそれ自体と最初から距離を取ろうとしているのであろうか? それとも、集団だと単に動きにくいから、私は一人を好むのであろうか? あるいは、私は相変わらず対人恐怖症のため、人と一緒にいること自体に疎ましさや恐怖を感じてしまうから、人の集団を私は避けるのであろうか? というようなことを考えた。全部あたっているような気がする。

3、私は怪しいインドネシア語を駆使することにより、マレーシアの人たちとコミュニケーションした。意思疎通が可能だと分かった途端、マレーシア人たちの態度は変わる。とても親しげになる。それを見るのが楽しくて、私はかなりマレーシア人と会話した。どうも私は「人が怖い」というわけではないようだ。マレーシアの人たちには、むしろ過剰といえるほど、話しかけることができる。ではいったい、会社の人たちに感じるあのなんともいえない感覚はなんなのだろうか? 同期の人たちの多くは、街へ繰り出してそこで食事をしてきたという。そうか、同期単位で動いたらよかったのか。集団で動くことに格好わるさというか、「やっていはいけない感」というか、なんともいえない抵抗を感じる。「一人で食うのはよろしくない。お前もこっちへこい!」私の傍を通りかかった上司に言われ、上司のテーブルに移動する。面白おかしくお話し、盛り上がる人々。浮いている私。この浮遊感はいったいなんであろうとひたすら考えている。考えるのではなく、とにかくこの場に溶け込んで会社の人たちの輪に入らなければ、という「社会性」が発動しかけるが、「しかし本当にこれでいいのだろうか?」と踏みとどまり、微妙な顔をしたまま席に座り続ける私、別名青二才。そんな私を心配して会社の人たちは「大丈夫?お酒飲んでる?」と声をかけてくださる。おそらく私が間違っている。「ありがとうございます」と返答し、なんとなく笑顔を作り、「楽しむ人たち」の一員として頑張る。別に苦ではない。だからといって楽しいわけでもない。なんなのだろう。ただただ疑問ばかりが頭をめぐる。

4、二日目。同期や知り合いの多くは、オプショナルツアーなるものに参加している。川くだりや、スキューバや、ジャングル探検といった、ホテルが用意した企画に参加している。私は何も申し込んでいなかったので、同期のNさんと二人で、街へ繰り出した。「なぜ自分は一人になりたがるのだろう?」と考えながら。

5、街についた。センターポイントと呼ばれる場所に私たちを乗せたバスは止まった。腹が減っていたので、近くのデパートの地下へ行ってみる。センターポイントというのは、このデパートの名前だった。地下の食堂街に足を踏み入れると、でっぷりと太ったやたら強気の女性が、「ベリィグー! ベリィグー!」と言いつつ、私の腕をひっぱってきた。されるがままにしておき、テーブルまで誘導してもらった私は、そこでむちゃくちゃ辛いヌードルを食べた。3.50リンギット。日本円で約110円。安い。Nさんは強気の女性店員に促されるままに、果物ジュースを飲んでいる。

◆センターポイント
http://samasama.chu.jp/mapsenter.htm

6、海外へ行くと必ず遭遇する、やたら強気で客と対等な態度で迫ってくる店員さん。今回我々をなかば無理矢理テーブルにつかせた女性店員の名はジェニーという。フィリピンのマニラからボルネオまで出稼ぎに来ているのだそうだ。ジェニーはおそらく、ウェイトレスと呼ばれるような立場にいるのであろう。しかし、ジェニーは日本におけるそれとはかなり外れた動きをする。大声で歌を歌う。食事している我々の隣のテーブルで。そして、なんだなんだと振り向いた我々に、まゆげを動かしながらめちゃくちゃ豊かな表情でニンマリと笑う。ありえねー。日本ではありえねー。こんな接客したら店長におこられるだろう。しかしもちろん、私はこのような「社会人」を好む。面白いから。楽しく働いているジェニーのその接客態度は、日本ではなかなか受け入れられないかもしれないが、卑屈さやちゃんとしなきゃという強迫感が全くなく、非常に好感がもてる。少なくとも私にとっては。一ヶ月の給料は700ドルぐらいなのだそうだ。フィリピンに家族がいて、毎年帰っているとのこと。

7、「ひぇーすごい店員に会ったよー日本じゃありえねーたまに沖縄とかにいるけどー」と言いながら、センターポイントを出る。とりあえず街中を歩き回った。コタキナバルの街は平和だ。とにかく平和。売っているものも日本で売っているものとほとんど変わらない。ただ、店員に緊張感がない。歌を歌いながら店内を歩いたり、おしゃべりしたり、居眠りしていたり、店員たちは好き勝手にくつろぎながらそこにいる。うらやましい。日本における接客業のあり方について考えさせられる。ここには妙な強迫感がない。のびのび自由に働いているように思える。

8、昔、バリにいる頃に食べていたサラという名の果物を探して、市場をさまよう。マレーシア人の市場にはなかったが、フィリピン人の市場にあった。疲れたので、海辺の喫茶店で一休みすることにする。店員と話しているうちに、「こいつマレー語喋れるぞ」と、わらわらと他の店員たちが我々の周りに集まってきた。マレーシア人はやたら人懐っこい。集まってきた店員たちの間で、いつのまにか「こいつはおかまだ」という、からかいあいが発生していた。ケニアでもあったなこういうの。そういえばバリでもあったような。なぜ若い男は「おかま」が好きなのだろう。油断するとすぐに「あいつはおかまだ」と人をからかい始める。謎だ。面白かったので、サラを皆にくばる。

◆最初にさまよった市場
http://samasama.chu.jp/newpage15.htm

◆サラの売られていたフィリピン人市場
http://samasama.chu.jp/mapphi.htm

9、おかま大合唱の喫茶店のオーナーは中国人だった。帰り際に「シェーシェー」と私に言ってきた。私も「シェーシェー」と返す。オーナーは私を中国人だと思ったそうだ。イタリア人と思われたことあったけど、中国人と思われたのはこれが始めて。

◆おかま大合唱喫茶店
http://samasama.chu.jp/shopwater.htm

10、マレーシア人の女性は美人が多いなあと思う。腰のくびれた美人が多い。

11、日本の漫画やテレビゲームが溢れていた。日本が自信を持って世界に輸出できるものはやはりこのようなコンテンツなのかもしれない。スラムダンクマレーシア語バージョンを読んで、気になった点がふたつ。ゴリはオランウータンと訳され、ルカワはロカワと表記されていた。ミヤギはミヤギなのに。何故だ。

12、いつかクアラルンプールの路上で食べたバクテー(骨肉茶)が食べたくて、人にそのありかを尋ねながら、街を歩き回る。ようやく中国人街で店を見つける。うまい。7リンギット。210円ぐらい。安い。夕食を食べたあと、21:00頃にウィズマムルデカデパートからホテルへバスに乗って帰った。

◆ウィズマムルデカデパート
http://samasama.chu.jp/mapwismu.htm

13、三日目。こりずに街へ繰り出す。博物館が近くにあったので、行ってみることにする。バス停には、大声で行き先を告げるバスのニーチャンたちがいた。「このバス博物館に行くのか?」と手当たり次第に聞きまくる。マレー語で話しかけているからだろうか。荒々しいけど、みな親切だ。笑顔がとても良い。人は笑っている顔が一番素敵だ。

14、今回は同期のNさんと先輩のIさんと私の3人で移動した。博物館では、ボルネオの歴史が展示されていた。やはりあった。日本軍による占領の歴史。ババマサオという名の司令官がいたらしい。で、日本軍はボルネオ島を左から右へ横断したらしい。ババマサオの顔は悪人ズラだった。この人はボルネオの人々に迷惑かけたんじゃないだろうなと挑むような顔をしてババマサオの顔写真を見つめる。日本軍の占領に対してはゲリラが抵抗したという。ゲリラのリーダーの顔は映画俳優のように格好良かった。でもこの歴史は事実なのかな事実だとしたらどのようにしてそれを実証できるのかなと思いながら、展示品を見ていく。博物館らしく、歴史が目の前で展開されていた。

15、博物館を後にした我々は、足裏マッサージ屋に向かった。50分25リンギット(約900円)。私の担当をしたのはドソン族の青年だった。「ドソン族の村に行ったらあなたはもてるよ」とその青年は言うので、ドソン族の村に行きたいと単純に思う。足裏マッサージは痛かった。しかし足が非常に軽くなった。これはいいものだと思う。

16、夕食は他の同期と待ち合わせて、屋外のビアガーデンっぽい食堂で食べた。魚も海老もサバ野菜もとてもおいしかった。マレーシアはいいな。タクシー代は、街から宿まで60〜80リンギットとのことだったが、50リンギットでいけるかどうか交渉してみる。残念なことに、60リンギットまでしか安くできなかった。タクシーの運転手は、話してみると、インドネシアスラウェシ島出身の人だった。インドネシア語で盛り上がる。イスラム教徒の運ちゃんは、妻3人子ども7人家族の大黒柱だった。宿に着いた頃、私と運ちゃんはかなり打ち解けていた。乗る前に決めた60リンギットからもう10リンギット安くしてくれそうな気配を感じたが、大家族のことが頭をよぎり、「もう少し安くして」と言えなかった。うーん優しい。私は非常に優しい。降りぎわに「ハティハティヤー(気をつけてね)」と声をかけると、運ちゃんは満面の笑みで答えてくれた。やっぱ笑顔がいい。こちらの人は皆素直で心から笑っているように思える。このように思えるのは、単に私の気のせいだろうか?

◆屋外のビアガーデンっぽい食堂(なかなか素敵)
http://samasama.chu.jp/shopseefood.htm

17、四日目。会社のイベントに参加した。浜辺でドッチボール大会や、泥棒と警察などを楽しむ。炎天下のもと肌をさらして動き回ったので、日焼けした。夕暮れ時に、同期や新人の人たちと浜辺でフットサルをする。すごく楽しかった。ちなみにボールはセンターポイントのスポーツショップで1500円で購入した。安い。日本でだと最低3000円はする。

◆泊まったリゾートと日焼けしてフットサルした浜辺
http://www.shangri-la.com/kotakinabalu/rasaria/ja/index.aspx

18、大運動会のあと、室内でゲームをする。軽音楽部の人たちによる演奏や、室内ゲームを楽しむ。社内でもっともアブノーマルな人を予想するアンケートで私が何度も言及される。やはり私はアブノーマルか。もちろん昔から十分そのことは自覚している。上司や同期の人たちと部屋に集まり酒を飲む。出発時間が深夜の 3:45だったので、寝ないで起きていた。飛行機はクアラルンプール経由成田行き。ひたすら飛行機の中で寝ていた。

19、結局、旅の当初で抱いた疑問は放置。掘り下げられることのないまま今に持ち越されている。中島敦の『山月記』を思い出した。
2005年10月13日(木) No.116
重森 2005/10/15/21:48:23 No.117
「社員旅行の際はグループを形成するべきなのだろう。でも、いまさらどこかのグループに行って「すいません。仲間に入れてください…」と頼むのも、なにか滑稽で卑屈に思えた」

上記の文章から、重森は「集団に入りきれない自分」をはじめから前提していることが読み取れる。「集団から常に疎外されてしかるべき存在」として自分自身を捉えているからこそ、「すいません。仲間に入れてください…」というセリフが頭に浮かんでしまうのではないだろうか。

このような思い込みに捕らわれている原因について考えてみると、次のようなことが思い当たる。

1、沖縄で生まれ育ちながらも、重森はことあるごとに「日本人(本土人、ナイチャー)」として認識されることが多かった(したがって重森は「常に自分はのけものである」と感じるようになった)。

2、いわゆる「いじめ」にあった(したがって重森は「つねに自分を排除するもの」として「集団(それがどのような集団であれ)」そのものを恐れる。)

3、単に重森がヘタレ(やはり「人は男に生まれるのではなく、男になるべきなのかもー」)。

4、重森は人間が大好き(つまり、しばしば人は大好きな人の前で緊張してしまうように、重森は人間がとても大好きであるため、人間の前で緊張してしまうということ。あまりにも人間が好きであるため、人間との接触を避けようとする。「見ているだけで満足なの状態」|_・)チラ)。
重森 2005/10/23/00:37:22 No.118
3は、原因として提示するには問題含みの事柄だ。

「集団に溶け込めないこと」が、すなわち「ヘタレであること」そのものである。にもかかわらず私は、「「ヘタレであること」が原因で、私は「集団に溶け込めない」」と述べてしまっているのだ。これは、「「集団に溶け込めないこと」が原因で、私は「集団に溶け込めない」」と述べることに等しい。

なんだよー。「妖術」や「ヌグランビ」や「相性の悪さ」といった「関係態が物象化した概念」と、3の「ヘタレ」は同じじゃないか。

しかし、日常会話や普段の我々の思考においては、ことさら意識されることなく、むしろ当然のように、「関係態が物象化した概念」が使用されていることを考えるならば、私はことさら大きな間違いを犯したことにはならないような気がする。

それにしても、「関係態が物象化した概念」そのものに、私はとてつもない不思議となんともいえない魅力を感じる。「言葉」というのは本当に面白い。それに縛られる人間に対しても、興味は尽きることがない。

参考文献

浜本満 『不幸の出来事 : 不幸の語りにおける「原因」と「非・原因」』
http://anthropology.soc.hit-u.ac.jp/~hamamoto/research/published/hirakawa.html


重森 2005/10/24/22:35:42 No.119

私が今回の記事で書いた感覚は、集団とはあまり関係がない。「集団の中で己を殺さなければならない私」という話を、私は展開したかったのではない。

確かに、集団はその成員である個人にさまざまな圧力を強いる。違う。次のように言ったほうがいい。個人は集団に圧力を勝手に感じるときがある。「ほら。一緒に笑え」とか「場の雰囲気をくずすな」とか「中座するな。」と、ことこまかく命令するといったように、集団の成員ひとりひとりがお互いに「意図して」圧力をかけている場合もあるであろう。しかし、そうでない場合もあるであろう。私が言いたいのは、集団が明らかに個人へ圧力をかけているかどうかに関係なく、個人は集団に圧力を感じることがあるということである。この側面は否定できない。

しかし、今回の記事で私が注目したかったのは、集団が個人に強いているように思える圧力ではなく、私が身につけてしまっている「孤独癖(≒人の傍にいるときの恐怖)」のほうである。「ぽつんとした感覚」とでも言えようか。楽しく和気藹々としている人々のなかで、なんともいえない「いたたまれなさ」を感じる人間。「そこに私がいることに対する申し訳なさ」あるいは「排除の予感」で頭がいっぱいになってしまい、勝手に苦しんでいる人間。それが私である。集団の圧力よりも、私はこのことに、照明を当てたかった。

仲のよい集団の中にいる際に、その集団の成員に対して、私は「途方もない距離」を感じる。集団の成員ひとりひとりに対して、「彼らは自分とは別の世界に住む人間だ。彼らと私は分かり合うことは絶対にない」と私は最初から強く確信し、そして絶望している。

こういうふうにできてしまっているのだからしょうがない。このなんともいえない嫌な感覚を、もっと言葉にしてみよう。和気藹々とお互いに好き合っている人々の間にいる際にそれは発動する。「自分はここにはいてはいけない」という確信。「早くここから去りたい」という強い思い。これらに私の脳は占拠されるのである。あらがいようもなく。

これは小学生の頃から感じている感覚だ。これは誰もが感じる感覚なのだろうか? そうであれば嬉しい。皆も多少は似たような感覚に日々陥っているのならば、私は異常ではないことになるからだ。中島みゆきが歌っているように、皆も私と同様に「かるくかるく傷ついている」のであれば、なにも問題はない。

しかし、もしもこの感覚があくまで私に特有の感覚であるならば、私は不満だ。そして、もしもこの感覚が私独自が陥るプライベートな地獄であり、他の人々はあまり体験しない種類の経験であるならば、私が立てるべき問いは、「このような悪しき感覚に振り回されずに、現実を自分の見たいような現実にするために、私はいかに工夫をすべきか?」というものになる。

私は、私にとってのリアリティのデフォルトが「絶望」や「恐怖」であることに、怒りを覚える。「ぽつんとした感覚」が邪魔だ。これを私は自分から切り離したい。この感覚にまんまと呑み込まれてたまるかと思う。周囲に集団があろうとなかろうと関係ない。集団はあくまできっかけにすぎない。私の敵は集団ではない。敵は私の脳である。戦いは私の脳と私の脳の戦いなのである。まきこまれてたまるか。私の脳に染み付いたあの悪しき感覚に。

今は負け続けているけれど、いつか必ず克服してやろうと思う。私は、私が否応なく生きてしまっている現実を壊して、もっと幸せになりたい。もっと気持ちよくなりたい。気分をよくしたい。穏やかに微笑みつつ、集団の中にいられるようになりたい。

そのために私は、人類学をしたり、本を読んだり、ナンパをしたり、就職したり、旅に出たり、薬をためしたり、三線を弾いたり、歌を歌ったり、ジョギングをしたり、サッカーボールを延々とリフティングしたり、肩が痛くなるまでプールで泳ぎ続けたり、晴れた日にただただひたすら街を歩き回ったりするのであろう。

格闘技を始めてみるのもいいかもしれない。太極拳とか。ヨガもいいかもしれない。

もしも「ぽつんとした感覚」に、私はこれからもずっと飲み込まれ続けるしかない運命にあるのならば、せめてこれだけは達成したいという目標がある。

目標とは、穂村弘氏のように、「ぽつんとした感覚」を飼いならせるようになることである。穂村氏は自分自身を「世界に入れない」人間(=世界音痴)として表現する(穂村 2002:32)。どこか常識からはずれており、いわゆる「普通さ」や「自然さ」を喪失しており、とにかく浮いている人間として、穂村氏は自分自身を捉えている。しかし穂村氏は自分のそのような状況をただただ悲しむのではない。そのような自分自身を突き放して、ユーモラスに描き、「笑い」にしているように思える(少なくとも私は穂村氏の文章にユーモアを感じた)。

私も氏にならって、「ぽつんとした感覚」に襲われている自分自身を、面白おかしく記述して笑い話にできるぐらいに、常に上から自分自身を観察できるようになりたいと思う(もちろん、自分を上から観察している自分は、観察されている自分と同じ人物である。しかし、単なる「思い込み」なのではあるが、自分を観察しているほうの自分のほうが、観察されている自分よりも、賢く落ち着いており心穏やかであるように思われる)。

これが、もしも私が「世界に入れない運命」の人間、ずっと「ぽつんとした感覚に永遠に苛まれるしかない運命」の人間であった場合の目標である(注1)。せめてこの夢だけは実現させたい。

道は遠いのだろうか。

参考文献

穂村弘 2002 『世界音痴』 小学館
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093873739/249-1952579-2665936 

注1

世界に入るとか入れないとかいった比喩を使用している時点で私は負けを宣告されているような気もする。肩の力が入りすぎ。世界がどうのこうのと考えるのではなく、脱力してそこにいるだけで本当はいいのであろう。それができないのがつらいのではあるが。

人がいる。傍に寄る。酒を飲む。わーい楽しいな。という、ごくごく普通の感覚に私は陥りたい。

いろいろやってきたけれど、6年前と私はあまり変わっていない。似たようなことを『逆相談室』に私は書いている。やっぱ穂村路線でいくしかないか。