敷金返還闘争の結末

前の家の鍵を返却するために、不動産屋へ行った。敷金のことが気になっていたので、敷金は全額返還されるのかどうか不動産屋に確認してみた。

すると不動産屋は笑いつつ、次のように答えた。

「ああ。あなた。解約書類にいろいろ書いていたわね。」

50代ぐらいだろうか。でっぷりと太ったその不動産屋の女主人は、私が以前に不動産屋へ郵送した解約書類をどこからか取り出した。

いくぶんむっとしながらも、冷静さを保ちつつ私は次のように答えた。

「あのぅ。既に大家さんからは了承を得ているのですが…。「敷金からクリーニング代をとらないように」と大家さんから連絡は来ませんでしたか?」

不動産屋は駄々っ子をいなすような口調で次のように答えた。

「ああ。連絡は来ましたよ。でも、私どもとしては、敷金を全額返還する必要はないと大家さんにお伝えしましたよ。」

なぜ?という表情をきっと私はしたのだろう。不動産屋は勝手に喋り続けた。

「条例は平成16年の10月に施行されたんです。あなたが今回の賃貸契約を結んだのは平成16年の2月だから、条例ができる前の契約です。だから敷金は全部返す必要はないと大家さんに伝えましたよ。」

要するに不動産屋は「東京都条例ができる以前にあなたは特約を結んでいる。だから敷金は全額返ってこない。」と言っている。つまり、「敷金はあきらめろ」と言っているのである。私が契約を結んだ時期が条例ができる以前であるから、というもっともらしい理由を付けて。

かなりむっとしながらも、冷静さを保ちつつ私は次のように繰り返した。

「あのぅ。私は既に大家さんから了承を得たので、敷金は全部返ってくると思っていたんですが…、敷金は全額戻ってこないのですか?」

「そうですね。それは大家さんが決めることですから、私どもの口からは何も言えません。敷金の清算方法については私どもは関係ありません。あなたは敷金からクリーニング代と鍵代を負担するという特約を結んでいるので、私どもとしてはその契約内容を大家さんに伝えることしかできません。そしてあなたの場合は条例ができる前の契約なので、敷金を全部返す必要はないと大家さんに伝えただけですよ。」

私の隣には、部屋を借りに来ている別の客が座っていた。不動産屋はそのお客の相手をしつつ、私に対応していた。お客はちょうど不動産屋と賃貸契約を結んでいるところだった。

明らかにこの不動産屋は、敷金からクリーニング代を取ることを、そのお客にも認めさせようとしていた。

なぜなら不動産屋は「お部屋は2階。バストイレ付き。駐車場もあります。更新料は家賃の一か月分…。」と、お客に向かって賃貸契約内容を読み上げているが、敷金からクリーニング代を負担するという特約については全く触れないからである。

特約の存在をあくまでも「取るに足りない当たり前のこと」として、あえて問題視しないように不動産屋は話している。特約のことを避けて、不動産屋は話を進めている。特約の存在は疑いようのない当たり前のこととして、努めて話題にしないようにしている。

今まさにこの不動産屋は私に対して、「条例のできる前の契約だから、敷金を全額返還する必要は大家にはない」と話した。つまりこれは「条例のできた後の契約ならば、敷金は全額返還しなければならない」ということを意味する。

にもかかわらず不動産屋は、特約のことも条例のことも敷金が全額返ってくることも、そのお客には話さないのである。

これは汚い。

不動産屋は「敷金からクリーニング代と鍵代を徴収すること」はあたかも常識であるかのように、すまそうとしている。お客は「そういうものなのかな」と思っているに違いない。不動産屋はお客の無知につけこんでいる。お客に暗黙の了解を強要している。不動産屋の常識に乗るようにお客を誘導している。

私はこれみよがしに大きな声で不動産屋に話しかけた。

「それでは、敷金からクリーニング代を取るという特約を無効にしてもらうよう、これから私が大家さんと直接交渉しますので、電話をかけてくださいませんか?」

誰が聞いても理解できるように、ゆっくりと明確に分かりやすく喋ってやった。お客は無言で契約書類を見つめている。不動産屋は無表情のまま、そのお客と向かい合って座っている。

「特約を無効にしてもいいという承諾を大家さんからもらえれば、敷金は全額返してもらえるということなんですよね? もう一度私が大家さんと交渉してみますので、今この場で電話を大家さんにかけてください。」

不動産屋は何も答えずに無言で受話器を取った。そして番号を回した。

「あんたがもってなさい。時間の無駄だから。」

不動産屋は私に受話器を渡した。呼び出し音が続くからといって、ぶしつけに受話器をこちらに渡すことはないだろうと一瞬むっとした。

不動産屋から受話器を受け取り耳に当てる。大家さんはいつまでたっても電話に出てこない。今は家を留守にしているようだ。

「大家さんは留守のようですね。それじゃあ、私の方で日を改めて大家さんと直接交渉してみます。敷金を私の口座に振り込むのは、大家さんの役目なんですよね? そうであるならば、もうこちらに足を運ぶ必要はないということでしょうか?」

受話器を置きつつ、私は不動産屋に問い掛けた。不動産屋は憮然とした表情のまま、次のようにぶっきらぼうに答えた。

「いや。どういう結果になったかは報告しにきてください。」

「敷金を返すかどうかを決めるのは大家さんであって不動産屋は関係ない。不動産屋はあくまで契約内容を大家に伝えるだけ」とかさっきは言っていたくせに、なんで敷金の清算方法が結局どうなったのかを不動産屋に知らせなきゃいけんのだという疑問が沸く。

しかし私は笑顔を作って次のように答えた。

「分かりました。大家さんと交渉した結果をお伝えしに来ますね。あと、大家さんがもしも敷金全額返還を拒否した場合には、私は裁判を起こすつもりです。その際には、またこちらにもいろいろとご協力していただくこともあると思いますので、そのときはどうぞ宜しくお願いします。」

他のお客と向かい合っていた不動産屋は、「裁判!」と言うと、驚きの表情を見せた。しかし妙な笑いを浮かべている。「冗談でしょう?」あるいは「またこの世間知らずが裁判だなんてテレビの見すぎじゃない?まったく笑わせるわ」とでも言いたげな表情をしていた。そして不動産屋は次のようにつぶやいた。

小額訴訟?」

私は次のように答える。

「はい。簡易裁判です。手間もかからず簡単に起こせますよ。」

不動産屋は私に言う。

「…裁判起こしたからって判例は状況によって変わりますよ? あなたの契約は条例のできる前になされたものなので、裁判で勝てるとは限らないですよ?」

「条例ができる以前にも敷金をめぐる裁判は起こされています。敷金が全額戻ってきた判例も実際にあります。私はいろいろと調べました。とにかく、最悪の場合は裁判を起こしますので、ご協力お願い致します。」

そんなこと言うとは思ってなかったとでも言いたげな表情をして、不動産屋は私を見つめている。この不動産屋は終始冷静だ。全然取り乱さない。この不動産屋は他者(≠敵)としてあっぱれだと私は思った。そこで興味本位から次のような質問をしてみた。

「あのぅ。参考程度にお聞きしたいのですが、敷金からクリーニング代を取ることについて、あなたはどうお考えですか?」

「私どもとしては特約は違法ではないという認識があります。敷金からクリーニング代を徴収することは通例のことなので、それで私どもは今までやってきましたから。法律違反ではないと思っています。」

「そうですか。私は法律違反だと思っています。ここがお互いの認識の違いですね。法律違反かどうかを決めるのは司法の仕事なので、最悪の場合は裁判で決着をつけましょう。」

上記のように答えると、私はこの不動産屋を後にした。

不動産屋を出て、駅へ続く大通りを歩きつつ私はいろいろと考えた。

「東京都条例の前と後というロジックを持ち出してくるとは思ってなかった。やっぱ不動産屋って怖いなあ。あいつら口がうまいよな。あーあ。それにしてもめんどうだなあ。また大家のとこに行かないといけんのか。大家が頑なに私の要求を拒否したら、今度はいよいよ裁判起こさんといけんし。面倒そうだな。でも、20数年生きてきてまだ一度も裁判を起こしたことがないからいい機会かも。一度は裁判を経験してみようじゃないか。でも裁判とか法の力を利用するのはやっぱ抵抗があるな。法律で決まっているからああしろこうしろと他人に指図するのは、いかがなものか。法律とは別のルール、例えば仁義とか倫理とかいった別の価値体系のレベルで、できれば話をつけたいのだが。法律に頼ると、何が重要なものを見落としてしまうような気がする…。」と思いながら、駅に向かって歩く。

駅ビルのCDショップでCocco先輩の『音速パンチ』を見かける。視聴できるのでずっと聞いていた。すると携帯が鳴った。

「重森さん? 大家の○○ですけど。今、○○商事さんのお店にいるんですが、敷金は来月に全額振り込みます。」

電話をかけてきたのは大家さんだった。声にあせりが感じられる。

不動産屋でどういういきさつがあったか知らないが、敷金を全額返してくれるそうだ。

嬉しいような悲しいような。

裁判という言葉には力がありすぎる。この言葉の力に依存してしまっていいものか?

できれば私は「裁判」以外の言葉と、それらを組み合わせたロジックを駆使して、敷金を取り戻したかった。裁判という言葉に頼っていると、頭が悪くなるような気がする。大家さんは裁判というフレーズにびびったのだろう。だから敷金を私に全額返してくれるのだろう。嬉しいけれど、やはり何か気に入らない。

「裁判起こしますよ」という語りを持ち出すのは、あくまでも最後の手段にしておいて、出来る限り持ち前の、生活の匂いのする生きた言葉で、私は他人と対峙したいのである。「法律で決まっているから」という理由で、なんらかの要求を受け入れざるを得なくなるのは、よくよく考えてみると、非常に恐ろしいことではないか?