「演技/素」「本音/建前」の「二項対立」図式に関する正しい説明の仕方

「演技/素」「本音/建前」の「二項対立」図式とは、「虚/実」の二項対立のことである

私は、「演技/素」「本音/建前」の「二項対立」図式という言葉を用いて、2年前の議論の際に、私の修士時代の指導教官が用いていた「虚/実」(の構図、の二項対立)を表現したかった。

しかし私は、「虚/実」の二項対立であるところの、「演技/素」「本音/建前」の「二項対立」図式を、ここ最近のエントリーにおいて、正確に説明できていなかった。

以下、「演技/素」「本音/建前」の「二項対立」図式を、「虚/実」の二項対立と言い換えたうえで、これを正しく説明し直したい。

「虚/実」の二項対立の誤った説明

これまで私は、「虚/実」の二項対立を、次のような二項対立として、説明してきた(=扱ってきた)。

「領域1/領域2」という二つの空間がある。我々が問題にすべきことは、領域1と領域2の内容の「一致/不一致」である。

例えば、タイ人ブローカーによる「呪術で殺すぞ」という言動に対して、上記の「領域1/領域2」の二項対立を適用するならば、それぞれの領域は、次のような内容によって占められることになる。

パターン1 「呪術で人は殺せる/呪術で人は殺せる」 ← 領域1と領域2の内容が一致*1
パターン2 「呪術で人は殺せる/呪術で人は殺せない」 ← 領域1と領域2の内容が不一致*2

つまり、想定できるパターンは二種類となる。

パターン1においては、「虚」の内容は「呪術で人は殺せる」となり、「実」の内容は「呪術で人は殺せる」となる。

一方、パターン2においては、「虚」の内容は「呪術で人は殺せる」となり、「実」の内容は「呪術で人は殺せない」となる。

そして、前回のエントリーでmiirakansuが行ってくれたのは次のような指摘であった。

「パターン1とパターン2のどちらか一方を、「虚/実」の二項対立の具体的な姿として、人が選び取るためには「何か別の原因」が必要ではないか?」*3

すなわちこういうことである。

重森は、パターン2のほうを当たり前のように選択し、「タイ人ブローカーは呪術を信じていない」と主張していた。しかし、パターン2のほうを当然のように選択しておきながら、自らがパターン2を選択した理由について、重森は何も説明できないでいた。そのため、miirakansuから、「シゲがパターン2を「虚/実」の二項対立の具体的な姿として積極的に選択するのは、「何か別の原因」があってこそではないか?」と指摘されることになった。

これは的確な指摘といえる。

パターン2を、「虚/実」の二項対立の具体的な姿*4として選び取った重森は、どうして自分がこのような選択を積極的に行い得たのか、その理由を説明することができなかった。結果、重森は、「パターン1ではなくパターン2を積極的に選択した理由の不備」をmiirakansuから指摘されることになったのである。

このように、miirakansuの指摘は的を射たものといえる。

しかし、私が上記に展開してきた「虚/実」の二項対立の説明は間違っている。私による上記の説明は、「虚/実」の二項対立に関する正しい説明ではない。

「虚/実」の二項対立の正しい説明

これまで私が行ってきた、「虚/実」の二項対立に関する説明は、誤った説明である。私は「虚/実」の二項対立を正しく説明し損ねていた。

以下より、「虚/実」の二項対立について、正確な説明を行いたい。

私は、「虚/実」の二項対立を、「領域1/領域2」とでも表記できるような二項対立として誤って提示してしまった。そのため、「領域1と領域2の内容が一致する/領域1と領域2の内容が一致しない」という別の「二項対立」*5に皆の注意を促してしまった。

領域1と領域2という、無味乾燥な空間を二つ用意し、それを単に対(つい)にしたものを、「虚/実」の二項対立として私は説明した。これは誤りである。このような説明の仕方は、「虚/実」の二項対立の説明として不適切である。

「虚/実」の二項対立は、正しくは次のようなものである。

「虚/実」という二つの空間がある。我々が問題にすべきことは、なにもない。なぜなら、「目の前に提示された他者の言動」は、自動的に「虚」となり、かつ、「目の前に提示された他者の言動」と正反対の内容が、自動的に「実」となるからである。ここには曖昧なものは何もない。このフレームに依拠したら最後、異常なほどに白黒のはっきりとした世界が立ち現れる。

「虚/実」の二項対立のフレームが無意識的に働くということは、次のような状態を指す。

「呪術で殺すぞ」という語りを、目の前にいるタイ人ブローカーが、提示してきたとする。

「呪術で殺すぞ」という語りは、すぐさま「虚」に分類される。一方、「実」には「呪術で殺すぞ」という語りと正反対の内容である「呪術で人は殺せない」という語りが充填される。

上記の処理は、問答無用に進行する。「何か別の原因」など全く必要とされず、自動的に、反射的に進行する。

なぜなら、「目の前に提示された」という至極単純極まりない理由により、「呪術で殺すぞ」という語りは、すぐさま「虚」に分類され、そして、「呪術で殺すぞ」という語りが「虚」に分類されたならば、いまだその内容を満たされていない「実」には、自動的に、「呪術で人は殺せない」という語りが満たされるからである。

これこそが、「虚/実」の二項対立の正確な仕様である。「虚」という領域の属性は、まさしく「虚」でなければならない。この領域の内容は、嘘、建前、演技、まがいものとして受け取られなければならない。一方、「実」という領域の属性は、「実」でなければならない。この領域の内容は、本当、本音、素、ほんものとして受け取られなければならない。このフレーム自体が、このような仕様になっているため、このフレームを通して見た世界は、白黒のはっきりした、単純な世界となる。なぜなら、目の前に実際に提示された他人の言動は、問答無用に「虚」となり、目の前に実際に提示された他人の言動と正反対の内容が、「実」となるのだから。

そして上記のように、問答無用に頭の中で、「目の前に実際に提示された他人の言動」が「虚/実」の二項対立のフレームに沿って整理されること自体が、「「虚/実」の二項対立に捕らわれること」といえる。

従って、「虚/実」の二項対立に捕らわれた」ら最後*6、人は次のように確信することを余儀なくされるのである。

「呪術で殺すぞ」と述べるタイ人ブローカーは、実は、呪術を信じていない。呪術で人を殺せるとは考えていない。

ここで注意すべきことは、「タイ人ブローカーは、実は、呪術を信じていない。呪術で人を殺せるとは考えていない。」という判断が導き出されるために、「何か別の原因」など全く必要とされないということである。この判断は、あらかじめ運命付けられているといってよい。「虚/実」の二項対立に沿って、世界を眺めたら最後、その後の判断は、あらかじめ決定されてしまうということである。

なぜなら、目の前に提示されたタイ人ブローカーによる「呪術で殺すぞ」という語りは、「虚/実」の二項対立のフレームを適用する限り、このフレームの性質上、なにがなんでも「虚」となり、かつ、「呪術で殺すぞ」という語りと正反対の内容である「呪術で人は殺さない。そもそも呪術で人は殺せない」という語りが、問答無用に「実」となるからである。

ここでは、「何か別の原因」は全く必要とされない。

このように、「虚/実」の二項対立というフレームは、私がこれまで誤って提示してきた「領域1/領域2」と呼びうるような「無害な二項対立」ではなく、実際に目の前にある言動を、即座に自動的に「虚」として規定し、その「目の前に示された言動」と正反対の内容を、即座に自動的に「実」として規定するという、「有害な二項対立」なのである。

このような「邪悪な二項対立」を通して、世界を眺めざるを得ない人間は、まさに不幸としかいいようがない。

これまで私は、「虚/実」の二項対立を、「何か別の原因」が存在して初めて「タイ人ブローカーは呪術を信じていない」と、その二項対立を通して世界を眺める人に判断させしめるものとして、誤って説明してしまった(=扱ってしまった)。

本来の「虚/実」の二項対立とは、「何か別の原因」など必要としない。本来の「虚/実」の二項対立は、そのフレームを通して世界を眺める人をして、問答無用に「タイ人ブローカーは呪術を信じていない。タイ人ブローカーはインドネシア人女性を騙したのだ。」と判断させしめる、「凶暴な二項対立」なのである。

このような「虚/実」の二項対立という用語の、道具としての有用性・適切性

私は、上記において説明してきたような「虚/実」の二項対立という用語を、「自分自身の世界の見え方」について説明する際に利用すべきかどうか、実は迷っている。

自分にとって世界がどのように見えるのか、どのように世界は自分によって感じられるのか。このことを説明するための道具として、「虚/実」の二項対立が有用・適切なのかどうか、よく分からない。

周知のように、「虚/実」の二項対立というモノは、私が外界の情報(=目の前に示された他人の言動)を処理し終えた後に、すなわち事後的に、設定されるものであり、このようなモノが実体をもって脳のどこかに存在しているというわけではない。「虚/実」の二項対立は、その存在が検証不可能であり、完全なフィクションといえる。少なくとも、科学的にその存在や働きを立証することはできない。

したがって、「重森が外界の情報(=目の前に示された他人の言動)を処理する際に、「虚/実」の二項対立が働いているならば、その根拠なり証拠なりを示してみろ」と言われたら困る。「虚/実」の二項対立は、その存在を科学的に立証できないものである。

「虚/実」の二項対立とは、外界の情報(=目の前に示された他人の言動)を重森という人間が解釈する仕方および過程を説明する際に、あえて便宜的に持ち出されている説明概念である*7

この概念を用いると、確かに、私という人間の仕様が明確になる。

しかし、その存在や働きを科学的に証明することはできないという点における、この「虚/実」の二項対立という概念のヘンテコさは、払拭できない。

*1:いわゆる「素の」状態。「本当のことを話している」状態。「本音を話している」状態。

*2:いわゆる「演技している」状態。「嘘をついている」状態。「建前を話している」状態。

*3:miirakansuの指摘を、私なりに要約するとこのようになる。

*4:具体的な内容を備えた「虚/実」の二項対立

*5:「パターン1/パターン2」という、より高次の二項対立

*6:「実」の内容として、「呪術で人は殺せない」という語りが、即座に自動的に、当てはめられたら最後

*7:指導教官が重森の為に作り出してくれた「重森説明用の図式」「対重森用比喩」「重森専用概念」と言ったほうがいいかもしれない。