帰省予定

7/18〜7/24の期間、沖縄本島の実家に帰っております。なんと4年ぶりの帰省。

沖縄でしたいこと

  1. 那覇空港からモノレールに乗る。モノレールのいい所と悪いところについて考える。
  2. 途中で公設市場に寄り、沖縄そばを食べる。
  3. 首里をふらふら歩いて夕陽に見とれる。それを写真におさめる。
  4. 池田原人を探し出して話しかける。「生きがい」「働くこと」などについて質問してみる。
  5. 家の近くに何人ユタが住んでいるのか調べる。突撃訪問し、いちゃもんをつける。中学時代および高校時代から、ユタの話題は私の周辺で尽きることがなかった。寮に幽霊が出れば、当たり前のようにユタが呼び出される。友人が不慮の事故で亡くなれば、その友人の母はユタのところへ通う。ユタは私の周りにいつもいた。しかし私は、沖縄で18年間をすごしておきながら、直接的にユタと関わったことがない。大学三年の夏に石垣島で何人かのユタにインタビュー調査を試みたことはある。しかし、自分の地元でユタと接触を持ったことはまったくない。私はどこかでユタを胡散臭いものとして捉えていたのかもしれない。沖縄では、霊の話は日常茶飯事であり、人々はこれらの存在を前提にしつつ生活しているように思える。「霊などいるはずがない。だがしかし…」というセリフで表現されるような曖昧な態度を、人々は示すことが少ないように思える。「霊はいるよ。」と人々は真顔で口にする*1。少なくともこのように述べる人が多いように私には思える。霊と言えば、中学時代の友人のことが思い出される。私はその現場を直接目撃したわけではないが、その友人は授業中に霊に憑依されてしまい、校舎から飛び降りようとした。あの時は学校中が騒然となった。霊に憑依された友人の教室は、野次馬であふれかえり、授業が完全に中断された。今思えば、あれは新手の学級崩壊現象であった。そしてなによりも、学校的秩序とは異質な秩序が明確に意識され、学校的秩序が数ある秩序のうちのひとつにすぎないことを、リアルに知らしめるような現象であった。しかし、あれは一体なんだったのか? 当時の私は霊については全く関心がなかった。対人恐怖症真っ只中の青白き優等生だった私にとって、霊やユタなどは徹頭徹尾どうでもよい存在であり、「他人の目」を意識するあまり陥ってしまう絶対的な恐怖と不安をいかにやりすごすかが重要な課題であった。もったいないことをしたと思う。すぐそばに別の現実が口をあけて待っていたのに、私はそこにアクセスすることができなかったのだ。非常にもったいない。今回の帰省の機会に、あの友人を訪ね、憑依霊騒ぎの顛末を聞いてみたいと思う。
  6. 祖母から沖縄方言を習う。
  7. 友人と会って近況を語り合う。
  8. 本土の人であるかのように演技し、国際通りにあるゲストハウスや民宿に泊まってみる。そして沖縄に憧れて沖縄を訪れた本土の人々とそこで語り合い、「彼らは沖縄や沖縄人に何を期待しているのか」「彼らは沖縄や沖縄人をどのようなものとして表象しているのか」について、さぐる。
  9. めっちゃ実家の近くに住んでいる玉那覇さんを探し出して、ユタの話を聞く。玉那覇さんの作品、でーじうけるー。
  10. 『生きられた家』のプレ読書会を、どこかの公民館で開催する。

『生きられた家』プレ読書会用レジュメ(未完成)
多木浩二 2001 『生きられた家─経験と象徴』 岩波書店    

■全体のまとめ

2つの論点

1、家を通してそこに住む人間を知ることができる。家は人間の世界観を形作る。

2、住むことと建てることの乖離を批判する → 近代批判

↑多木さんはいろいろ言っているけど、要するに言いたいことは上記の2点ではないか? そして本書の大部分は、1番目の点について記述されているように思われる。

1.生きられた家

ハイデガーの思考の核心

「家」を読むことが、人間を理解することに他ならない(p11)。

(住むことと建てることの)一致がわれわれに欠けており、その欠落(故郷喪失)こそ現代に生きているわれわれの本質であると考えることが必要だと、ハイデガーは述べている(p13)。

住むことと建てることの一致が欠けた現代で、このような人間が本質を実現する「場所」をあらかじめつくりだす意志にこそ建築家の存在意義を認めなければならない。だが、そのような「場所」とはなにか。そこから先に、さほど辻褄のあった建築論はまだ出現しない(p13)。

プログラム

昆虫において、プログラミングが最大限に遺伝的に予定されている。

しかし、人間においては遺伝的に未決定にみえる(p24)。byルロワ・グーラン

人間がもつにいたったプログラムの複合的で柔軟な性格が、かりにそのあらわれ方が未熟で粗末で単純にみえようと、最初から人間のすまいをとりまき、生き物の巣とはちがった次元に成立させていたのである(p24)。

最初の「家」があらわれるのと最初のリズムの再現(≒言語)があらわれるのは同時期(p24)。byルロワ・グーラン

もちろん、生物においてもすべてのプログラムが遺伝的なわけではない。実際に若い動物は、巣をつくることを学習することが認められている。だが動物の場合はあらゆる環境に適応するのではなく、その巣づくりの方法は自動化し、固定している(p25)。

人間は環境との相互作用のもとでそのプログラムを組み換えうる(p25)。

生きられた家 = ふつうの言語とはちがって空間化され多元化された思考を結んだりあみかえたりする文字以前の文字(p26)。

家は明らかに個体─家族─社会の関係の変動と切りはなすことはできない。最近三十年間の日本の住宅を変えてきた最大の潜在的なファクターは、建築家の意匠以上に、人間の関係の変質、商品化のひろがりなど、社会性からの衝撃である(p27)。

家は、象徴と切りはなして考えられない(p28)。

2.空間の織り目

家とは、人の住みかた、世界への定着のさまを示すものであった(p36)。

家のかたちの差異はアモス・ラポポートが指摘するように自然的な条件以上に社会文化的な原因による(p37)。

3.住みつくかたち

ルロワ・グーラン → 家の成立と言語の成立はほとんど一致している(p64)。

ルロワ・グーランの論旨には神話・象徴体系と家との結びつきが含まれている。

→ 人間は象徴的な体系なしには人間化されなかったという(ルロワ・グーランの)認識のなかに、空間と言語の関係の様々な相が包含されているように思われる。それが言語であろうと、大地に描かれた痕跡であろうと、それらを象徴としてうみだすことが、人間が自ら生きるコスモスを創造することであり、そのときに「人間」が生まれていたのである(p66)。

集落を形成するにしても、家の内部を文節するにしても、明らかに民族や地方によって差異が生じる。空間の構造は決して普遍的なものではなく文化によって異なる(p67)。

人びとは生きるためになんらかの手段で自分の環境を分節するが、その分節には時代、民族、個人によってそれぞれ固有の図式が刻みこまれているように思える。社会あるいは個人は、現実をなんらかの表象を介してその図式に同化している。このような図式をかりに「空間図式」とよんでおこう。それはメルロ=ポンティのいう意味での身体にもとづく空間性を含んでいるが、同時により集合的であり民族的であり、結局、ある民族に属する人間が潜在的にもっている認知の図式でもあれば、なんらかの象徴を統辞的に形成する下地でもあり、さらに自らを主体として構成するための枠組みである(p67)。

↑現実と表象と空間図式の三者関係がよく分からない。空間図式そのものもよく分からない。

「空間図式」は決して直接は把握できるものではない。いくつかの実体化された要素の結合関係(統辞的関係)をとおして理解されることが多いし、その関係はタイポロジー(類型論)として分類される(p68)。

例、箱庭療法における箱庭 → 人びとが自分の世界をありあわせの象徴を介して空間化し、空間によって自己の展開を劇的に構成する能力をもっていることを前提にしている(p68)。

空間図式とは

図式という用語は、そもそも認知心理学からの借用である。知覚は予期図式にもとづき、現実を認識し、同時にこの図式を現実の経験によって修正する。単に知覚ではなく、それにもとづいて現実あるいは想像された現実を構成する図式を、表象の構成形式に限って考えたときに、「空間図式」を仮定することができる。その核に、身体あるいは身体の空間があり、しかもそれはすでに文化のなかに記載されることによって人間から人間に伝えられるから、文化のさまざまな要因に浸透され、個人的であると同時に集団的である(p71)。

重要なことは、人間が、記憶、潜在的な意識、文化などに織りあげられた空間図式を潜在的にもっているということだけではない。人間が象徴をつくりだすこと(道具であれ、建築であれ、都市であれ、あるいは地図や絵画であれ、ともなくなにかを生みだし、かつそれを利用して実際的、精神的生をいとなむこと)が、それに対応し、それは社会組織を壊滅させることがない限り、そう簡単には変えられるものではないということである(p71)。

例、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』におけるボロロ族の事例(p71)→ ボロロの集落の平面はほぼ円型をなし、中央に男の小屋があった。この円周は社会組織によって分割されていた。ある集落でサレジオ会の修道士がかれらを二列にならんだ小屋に住まわせたところ、つまり空間を変更させたところ、かれらの社会組織や慣習は壊滅してしまった(p71-72)。

レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』においては、ボロロ族が社会組織や慣習を失っていく過程が具体的に記述されていない(参考資料参照)。そのため、「住居の変化→社会組織や慣習の壊滅」という因果関係が成り立つという結論に私は賛成できない。住居の形態を変更させるほどの力が宣教師たちにあったのならば、社会組織やそれと密接に関連した慣習の遂行を、禁止することができたとも予想される。宣教師たちはこのようなことをやりかねない。

↑住居の変化という出来事のあとに、ボロロ族の人々が具体的に何を語ったのか、何をしようとしてそしてできなかったのか。この点に関する詳細な記述抜きに、「住居の変化→社会組織や慣習の壊滅」と結論してしまうのはいかがなものか。ボロロ族の社会組織と慣習が壊滅した原因を、住居の変化に帰する積極的な理由が見当たらない。また、ここでは空間図式は、いつのまにか「社会組織や慣習」と等値されているように思える。これらを等値することができる理由は?

↑いや。「社会組織や慣習」と「空間図式」はあくまでも異なるものなのか? 多木さんが持ち出す「空間図式」という概念自体がよく分からない。

↑男女別々に設置されていたトイレを一箇所にまとめ、男女兼用のトイレのみを設置したとたんに、人々の中で「男と女」という認識自体が消滅した、とでも言われたような、妙な印象を受けた。

思考は空間なしにはなりたたない。われわれが言語テキストを書くときにも、そこにトポロジカルな構造が見出される。ギリシア人たちは世界を文化(自分たちの世界)と非文化(インド人の世界)に分割したが、それは確かなものと不安なもの、価値と価値のないものなどを分節する思考が空間としてイメージされていたことを示す(p73)。

家をつくりだすと同時に人間は内/外という空間図式で世界に住みつくようになった。家がなければ人間は内部(したがって外部の世界)を発見することはなかったといってもよかろう。バシュラールが家がなければ人間は錯乱した存在になるといったのはこのことである(p87)。

↑「家をつくりだすと同時に人間は内/外という空間図式で世界に住みつくようになった」とあるが、証拠は? さらに、やはり「空間図式」という言葉に違和感を感じる。一体これは何なのだ。

まだ建造物がさまになっていない未開の社会でも、テリトリー(領域)の構成は確実にその宇宙論コスモロジー)を反映するように定められていた(p88)。

コスモロジーと家の関係

マルセル・グリオールの『水の神』におけるオゴテメリさんによる説明。

「家の内側の様々な部屋は、人間に住まわれるこの世の洞窟を示している。玄関は主人の部屋であり、夫婦の男の方を示している。この部屋の戸がかれの性器である。中央の大きな部屋は女の領域であり、その象徴である。両側の物置がその腕であり、入口の戸が性器である。中央の部屋と両側の物置とは、あおむけに寝て両腕を広げ、戸を開いて、交わる準備ができた女を示している。byオゴテメリ from『水の神』」(p-93)

ドゴンの家にはこのように死と生、性の交わり、農耕と種子の発芽とが結びついて織りこまれている。いいかえれば、身体を基盤にした象徴体系が、かれらの世界なのである(p92-93)。

↑単に、家の構成物と身体の部位が、似ているというだけの話ではないか? そのことが、世界観とやらに影響を及ぼすとは思えない。そもそも世界観というのがよく分からない存在だ。よく分からない存在であるところの世界観というものに、「ペニスやヴァギナとよく似た部分を持つ住居」が影響を与えると主張されても、「はあそうですか…」としか答えようがない。

↑例えば、新幹線がトンネルに差し掛かったときに、横でしたり顔で「うわー。エッチだねこれ。いやらしいねこの風景」とおっさんがつぶやいたとする。明らかにこのおっさんは、新幹線をペニスに、トンネルをヴァギナに見立てている。この見立て自体には問題はない。確かに新幹線はペニスに、トンネルはヴァギナに似ている。しかし、「新幹線とトンネル(つまりJR!)が我々の世界観を形作っているのだよ」とおっさんが言い出すと、ちょっともうついていけない。「はあそうですか…」としか答えようがない。このおっさんの言うことに私は納得できない。むしろ、「おっさんが新幹線とトンネルをそれぞれペニスとヴァギナにわざわざ見立ててみせる理由」が今度は気になってくる。

↑すべての尖っているものについて、「それはペニスを象徴している」と言えてしまえるように、オゴテメリさんは家の構成物を、身体の部位を象徴するものとして「自分の好きなように」語っているだけではないだろうか?

↑ここで発想の転換。その気になれば、「あらゆるものがあらゆるものを象徴している(=に似ている)」と言える。にもかかわらずなぜオゴテメリさんは、わざわざ家の構成物を身体を象徴するものとしてのみ語るのか? 尖っている部分は、杖を象徴していると述べてもいいではないか。住居の入り口や窓などを、わざわざ子宮と言ってみせる必要はなく、これらを単に穴と呼んでもよいではないか。このような語り方も不可能ではない。しかしなぜオゴテメリさんは、性とからめて住居を語りたがるのか? 問題は、「どうして特定のものが、女性の子宮などの身体を象徴するものとして言及されるのか?by浜本」という点ではないか? ← オゴテメリさんは単にスケベだからではないのか? 年がら年中エッチなことで頭がいっぱいなだけではないのか? オゴテメリさんが性欲爆発状態だからこそ、見るもの聞くものすべてのことが、性的な文脈で捉えられてしまうだけのことではないか?

↑また、このような「身体を基盤にした象徴体系」は、家に住むことを通して、その成員に浸透していくものと、多木さんによって考えられているようであるが、このことを多木さんは証明できていないと思われる。しかし、だからといって、どうすれば証明できるのかどうか私は知らない。

↑沖縄には、亀甲墓と呼ばれる独特な造りの墓がある。本土の墓と比べ、それは格段に大きい。幼い頃から私は、この亀甲墓を「広い石の広場であり、時折宴会場として使用される」ものとして認識していた。高校の頃、とある研究者が「沖縄の墓は女性の体、特に子宮を象徴しているのです」と述べていたのを聞き、「へー。確かに子宮っぽいな」と感心した。それまで私は、一時も「亀甲墓は子宮だ」と考えたことがなかった。

↑しかし、もしも人類学者が、「「生と死が織り込まれた沖縄独自の世界観(コスモロジー)」は、沖縄で育った君に確実に浸透しているのだよ。」と私に主張するならば、私は即座にこれを否定する。「言うのは簡単です。証明してください」と言い返す。亀甲墓は確かに子宮に似ている。このことは認める。しかし、だからといって、このことが私の世界観を醸成しているとは思えない。そもそも世界観という言葉自体もよく分からないし、私の外部に存在する建築のその様式がこれに影響を及ぼすとする人類学者の説明には、明らかに根拠が欠けている。論理の飛躍を感じる。言いっぱなしなだけのように思えて仕方がない。「人類学者が何か言っているよ。証明できないことをまた言っているよ。」とこちらはあきれてしまう。人類学者の物言いは私に違和感しかもたらさない。

↑ただ、いたずらに「根拠の不在」や「証明」にこだわるのは、誰でもできる便利な条件反射的返答ともいえる。世界観とは何であるのか私は知らない。それが私に浸透していることをどのようにして証明することができるのかも私は知らない。しかし、「子宮を象徴する墓と共に生きる沖縄の人々には、「生と死が織り込まれた沖縄独自の世界観(コスモロジー)」が浸透している」という「語り」だけは確実に、私の頭に浸透していくといえる。私は、ついうっかりどこかで誰かに、この「語り」を伝えてしまうかもしれない。まるで伝言ゲームのように。いつしか私は、何の疑問もなくしゃあしゃあと、この「語り」を使いこなして、他者を感心させたり、納得させたり、説得したりするのかもしれない。まるで学会などで、「妖術告発の増加は、グローバリゼーションによる不確定性の増加によって引き起こされます」と、どこかの著名人が言い出したことを、そのままリピートしてみせる人類学者のように。この人類学者は、「本当に妖術告発は増加しているのか? どのような証拠を突き止めれば、私は「妖術告発は増加している」と述べることが許されるのか?」といった疑問を持たない。

↑しかしこのような在り方は、至極自然な在り方といえまいか? 我々は日常生活を送る上で、そうなんでもかんでも疑わないのではないか? 疑うことは稀な行為ではないか? 「他人の言うことを鵜呑みせずに立ち止まって考えてみる」という行為こそが、むしろその発動の理由を説明されてしかるべき行為ではないか?

4.欲動と記号

形而上学を受け入れることになる(p99)。

↑なぜ?

西洋の中世の城の分厚く窓のない壁も実際の敵に対する防衛だけからとは思えない。おそらく中世人の心には理由のわからない不安がひそんでいたのにちがいない(p104-105)。

ルート・メタファー = ある時代のルート・メタファーとは、その時代の人びとが概念的知(哲学的知)にとっては未知なものを語るのにもっともよく用いる比喩のことである。詩的思考とは実際にはこのようなメタファーなしでは成立していないのである。ある意味で私はここで、「家」をメタファーにする思考の例を列挙しているのだといえよう。さらに言い換えるなら、それはある程度、モデルと言い換えてよいものである。このメタファーによって新しい「知」の形式が編まれるのである(p114-115)。

5.象徴とパラドクス

まがいものの役割

私たちはさんざんほんものの芸術という思考に教育され、また自分もすすんでそれを探そうとしてきた傾向がある。実像と虚像の区別のなくなった時代であるとか、記号環境にとりまかれているとか、あるいは複製技術時代ということばを使いたがるとか、いちおうは真贋の識別の不可能さを理解しているようでいながら、依然として常識はどこかにほんものがあると思っている。だが現代の文化のパラドックスが動きだす始点はそのような思いこみにあるように思う。まがいものを無価値のものとして排除すること自体が、途方もなく見当ちがいなのである(p184)。

まがいものの例

・木目を印刷したプリント合板

・プラスチックを成型した床柱

・タイル貼りにみせかけたビニール製の壁材や床材

→これらのまがいものが生まれてくる理由は、経済的資源的な理由には帰せられない(p185)。

まがいものを作ること = 文化現象、もはやわれわれが手にしていない文化を所有したいという欲望と結びついた生活術(p185)。

ほんものという言葉は適切ではない。正確には真正さと言い換えるべきであろう。真正さとは、実物か否かにはかかわりなく象徴的機能をもつことである(p195)。

一般的にいってまがいものとはつねに潜在的に存在するほんものの概念と対になってあらわれている。この対がまがいものの機能する構造であろう。つまり、まがいものとほんものとは対立するだけでなく、まがいもの自体は、ほんものに対する人びとの信じ易さに支えられて機能している無であるといえるかもしれない(p195)。

まがいものとそれを配置する人間のいとなみ

ありあわせのもので、いやそれ以上に外見は積極的にエキゾティックなものを探してきているようでも、その実は異文化との遭遇期に自らの失った神話の再構成ではないだろうか(p196)。



6.時間と記憶

・問い → 生きられた家とは何か?

空間という次元だけでは語れないテキスト(p199)。

かつてある文化が共通のタイプの家をつくってきたことは、集団に自らを認識する手がかりをあたえ、個人が文化に加わるひとつの暗黙のきっかけであった(p199)。

言語をはじめとする表象体系を介して「時間・空間を占拠掌握」し、「家のなかと家を中心にして、制御できる空間と時間を創造」(ルロワ=グーラン)していたのである。さきにバリ島の例をあげて説明したように、人間の創造した時間と空間─すなわちコスモロジー─は、ひろい意味での言語と身体に依存していた。自然とちがった時間と空間の網目で、人間は自分自身とその文化を組織してきたのである(p204)。

未開の社会では、「家」や集落はたんに住む道具でなく、社会組織や慣習を空間に転換した記憶装置だったのである。いずれにしろ、記憶と空間のあいだにはまだ確実に論じえない深い関係が存在しているようである。私たちがなんとも思わないで使っている家が、私たちを知らず知らずに集団的記憶に近づけると述べたのもそのことをさしていた。私たちは記憶=歴史から無縁ではありえない(p212)

↑「未開の社会では、「家」や集落はたんに住む道具でなく、社会組織や慣習を空間に転換した記憶装置だった」ことを裏付ける証拠はあるのか?

↑おそらく上記においてはボロロ族のことが想定されていると思われる。既に述べたように、『悲しき熱帯』におけるこの箇所に関する記述には具体性がない。以下、当該の箇所に関するレヴィ=ストロースの記述を引用する。

「男の家の周りに小屋を環状に配置することは、社会生活や儀礼の慣行にとって、極めて重要な意味をもっているので、ダス・ガルサス河地方のサレジオ会の宣教師たちは、ボロロ族を改宗させるのに最も確かな遣り方は、彼らの集落を放棄させ、家が真直ぐ並行に並んでいるような別の集落にすることにある、ということを直ぐに理解した。原住民たちは、東西南北の方位についても感覚が混乱し、彼らの知識の拠りどころとなる村の形を奪われて、急速に仕来りの感覚を失っていった。それは、まるで、彼らの社会組織と宗教組織(この両者が分かちがたく結ばれていることは、後で述べる)があまり複雑なので、集落の配置によって顕在化されている図式なしには済ませられず、彼らの日々の行いが図式の輪郭を果てしなく擦っては蘇らせている、とでもいうようだ。」(レヴィ=ストロース 1996:42-43)


上記においては、「住居の造りの変化がすぐさま直接的にボロロ族の社会組織や慣習の喪失を招いた」という結論のみが書かれているようなものである。そのため容易には受け入れられない。

↑家の造りはそこに住む人にどのような影響を与えるのか?あるいは与えないのか? この問い自体は興味深い。ただ、どのようにして家の造りがその住人に影響を与えていると断言できるのだろうか? この方法をもっと洗練させるべきだと思う。ボロロ族にとって、彼らの家の造りが変化したことは、彼らの認識のあり方を変更させる大きな出来事だった可能性がある。しかし本当に、住居の造りの変化が、すぐさま直接的に、ボロロ族の社会組織や慣習の喪失を帰結するのであろうか? 「住居の造りの変化」と「社会組織や慣習の喪失」との間には、何かが省略されているような気がしてならない。また、社会組織や慣習が喪失したとしても、社会組織の一部や慣習のある特定の一部が、中央に小屋のない集落においてはもはや意味のないものになってしまった(=サッカー場が封鎖されたためにサッカーができなくなり、いつしかサッカーを人々は行わなくなったとでもいうような現象が生じた)ということではないだろうか? 例えば、明治政府が近代化の過程において、日本各地に存在した盆踊り(沖縄で言うところの毛遊び)を禁止し、そこで行われていた不特定多数の男女による性的交歓の慣習を根絶やしにしたという事例について考えてみよう。この例において、喪失すると予想されるのは「性的交歓の慣習」や、それに付随していた「キリスト教的な性的一途さと相反するような、本来セックスは気に入った人となら誰とでもやっていいという考え方」であって、「男/女の二項対立」といった考え方は一向に喪失しないと予想される。

↑なにを社会組織とするのか。なにを慣習とするのか。この点が重要であろう。多木さんやレヴィ=ストロース(さらに私)にとっては、それぞれが想定する社会組織や慣習の内実が異なっているのではないか? だから私は違和感を感じるのではないか?

↑とはいえ、レヴィ=ストロースによるボロロ族に関する報告は素直に面白い。集落の造りと、人々が持つ「世界とはどのようなものであるのか」という認識とが、どのような関係にあるのか。この問いには大いに興味がわく。レヴィ=ストロースによる記述に私は不十分さを感じるが、上記のような彼の視点はけっして等閑視できないと思う。

かつての家は、記憶つまり時間の象徴にみちていたのである。鏡はほとんど肖像画と同じような意味を空間化する仕掛けであり、時計も実際の時を刻む以上に時間の象徴さらには家父長制度の象徴としてあらわれた(p213)。例、背の高い時計=グランド・ファザー・クロック

ピグミーの事例

小屋の入口の向きが、交換や嫌悪をあらわす。ある家族に好意を抱くと、その人たちの方向に自分の小屋の入口をむけてつける(p229)。

小屋の築造技術が極めて原始的であるから、このようなことができる。

しかし、最も注目すべきことは、

かれら(ピグミー)のパフォーマンスはコスモロジーと結びついているのである(p231)。ということ。

ピグミーの事例は、「物質的な技術が進むにつれて、建造物が独立の性格をもってしまう以前に、家やその集合も本来は人間の活動性のなかに織りこまれて生じていたことを思い出させる。」(p230)

コスモロジーって何?



近代批判?

しかし、いまや人類学的な時間が次第に均質化してきたことも否めない。人間自身がつくりだした時間が、商品の法則のように人間を拘束してもいる。あるいは「人間化されすぎた時間」が人間の「毎日の時間の細部まで規格化」するにいたっているというべきかもしれない。たとえば日常生活のなかにテレビが占める度合が大きくなると、テレビの時間のリズムが生活の枠組みだということも起こりかねない。あるいは余暇が生じても、この余暇を全く無駄に消費するか、パッケージ・ツアーなど制度的な枠のなかへもういちど逆もどりするかである(p204〜p205)。

このような時間の象徴(例、背の高い時計=グランド・ファザー・クロック)はきわめて装飾的であったから、近代デザインとともに完全に追放された。近代デザインは家族の歴史を追放したというより、むしろそのあらわし方、記憶の形態を払拭したのである。しかしもう一方で近代デザインは、人類学的時間の多元性を、過去を切りはなすことで一元化しようとした。現在が現在であるためには、過去の様式から解放されねばならない。既存の文脈を尊重し、その上に接木のように現在を構成するやり方が、実際には全体の新しい再構造化であることを認めずゼロから始めることを主張した。この両方によって家が記憶を保持し、その二重の時間性に人びとをあずからせることによって、住むことの意味をあたえることはなくなった。そのようにデザインされた住宅を、私はすべてモダニズムと考える(p214)。



エピローグ

・問い → 生きられた構造(=生きられた家 or 生きられる世界p239)とは何か?

A-Ph・ラゴプーロス(p236)

未開の集落の場合には、まず神話なりコスモロジーなり、コノテーションが先行していて、それが空間的な要素によって形成されるシニフィアンを決めていく。したがって神話が生きているかぎり、その形態は一定で不変である。もう一度、つくる場合でも同じ過程が繰り返されるのである。

近代の都市は脱聖化しているので、あらかじめ存在している神話やコスモロジーというシニフィエはないから、デノタティブなシーニュから出発し、主体と環境とのあいだの相互作用からなりたっていく。

多木(p236)

「生きられる経験」 = 環境と主体の相互作用 → これを扱ったものとして下記の研究がある。

ケヴィン・リンチの『都市のイメージ』

ロバート・ヴェンチューリの『ラスヴェガスに学ぶもの』

クリストファー・アレグザンダーの『都市はツリーではない』 など

↑これらの研究は、「知覚論的、意味論的な水準において、環境と主体の相互関係から生まれ、空間が構造化される」ことを問題にしている。

集合表象(p238)

今日、われわれは共同体を喪失し、個人個人が断片化され、コミュニケーションが絶たれていくことを認識しているが、同時にわれわれの日常生活にも集合表象があることも知っている。集合表象とは、社会についての理解の様式、分類の体系、思考や実践を生みだす知的な図式であり、集合によって共有される。つまりわれわれはまったく他人と異質な理解を社会にたいして持っているのではなく、またある社会のなかでは同じような思考や感情を抱くものでもある。この集合とはなにか。それはどうして共同体と異なるのであろうか。おそらくわれわれはそこにメディアという項目を入れて考えねばならないだろう。集合表象はむしろさまざまなメディアによって形成されているのである。だからかりにわれわれが集合表象をもつとしても、その集合表象はもはやかつてのコスモロジーと同じものではない。



本書に対する批判・疑問

多木さんは、家が何かを象徴しており、そのことが人間の世界観を規定すると述べる。ボロロ族の事例やドゴン族の事例を根拠にし、家の象徴性と人間の世界観の結びつきを彼は強調する。しかし、この主張は致命的な欠点を抱えているのではないだろうか?

1、世界観(コスモロジー、空間図式)とは何か? これ自体が非常に分かりにくい存在である。これらは、マジックワードあるいはブラックボックスとでも呼びうるような説明概念といえる。この存在の妥当性を証明することができないならば、これを分析に登場させることは控えたほうがいいのではないか? ← でも、日常会話においても、こういうよく分からない言葉ってあるよね。例えば、愛とか心とか。これらをいちいち定義して納得したうえで、我々はこれらを使用していない。これらを使うことにより会話が成り立つからこそ、これらの言葉を使用しているといえる。妥当性だとか、その存在証明について考えたりしない。あまり突っ込まない。あえて突っ込む研究者という生き物はやはり異常だ。

批判の根拠

浜本満『妻を引き抜く方法:儀礼をめぐる問題系の配置(補充版)』より

ケニア東海岸地域における、家屋をめぐるタブーのなかに、「夫は家の台所に置かれている水甕を移動させてはならない」というものがある。

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象徴論的なアプローチは、こうした問題に際して水甕や炉石の象徴性を問題にするところから始めるであろう。そして簡単な解決が待っている。水甕は女性、あるいは妻の象徴なのである。水甕を動かすこと、つまりそれを「引き抜く」ことは、妻を引き抜くことを象徴している。まさにこの理由でその行為は禁止されているのだということになる。これほど粗雑な形をとらないにせよ、これが人類学でかなり常套的な語り口であったことに気付くだろう。関連する他の様々な慣行が証拠として動員できれば、ますます説得力を増す。実際、さまざまな慣行のなかに炉石や土器の壺を女性に等置する同じ象徴的図式が容易に見てとれる。

象徴論的解決の問題点

にもかかわらずこうした象徴論的解決には根本的な誤りがある。そもそもこの種の象徴論的分析は幾つかの理論上の問題を抱えている。第一に「象徴的等置図式」の存在論的な 地位が問題である。慣行を図式の産物として捉えることは、そうした図式をあたかも諸々の慣行とは独立に自存している何かであると見なすことである。諸慣行 の「背後」や「深層」にある図式といった言い方に特徴的に見られるように、そこには奇妙な錯覚が含まれている。もともとこうした等置の図式はドゥルマの諸々の慣行を互いにつき合わせてみたとき、そこにパターンとして見て取られたのであった。したがって、もし図式がどこかに存在すると言えるとすれば、まさに これら一連の慣行どうしの現実の関係のなかにであって、けっしてそれらとは別のところ、例えばそれらの背後や裏側といった、現実にはどこでもないような架 空の場所などにではない。しかしこの空間の比喩が含む分断が、図式をそれを具現している当の諸慣行から切り離し、おまけにそれらの諸慣行に論理的に先行するという、本来もっていない怪しげな独立した地位を与えてしまう。こうした図式を体現している個々の慣行がひとつひとつ消えていき、すべて消え去った後に それらを生み出していた図式だけがどこかに残っているなどということがありえるだろうか。ばかばかしい話である。しかしこれこそ象徴論的解決が理論的に行き着いてしまうところなのである。

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↑つまり、多木さんが使用する「空間図式」とは、上記において浜本が疑義をはさむ図式と同様のものではないだろうか?

↑しかし、あえて多木さんの主張を擁護するならば、いかにしてこれは可能であろうか? 下條信輔氏の『サブリミナル・マインド』に依拠し、「映像などの何らかのメッセージが人に与える影響の大きさ」を根拠にして、多木さんの仮説を「科学的・実証的」に裏付けることはできないだろうか?

↑「諸慣行 の「背後」や「深層」にある図式といった言い方に特徴的に見られるように、そこには奇妙な錯覚が含まれている。もともとこうした等置の図式はドゥルマの諸々の慣行を互いにつき合わせてみたとき、そこにパターンとして見て取られたのであった。したがって、もし図式がどこかに存在すると言えるとすれば、まさに これら一連の慣行どうしの現実の関係のなかにであって、けっしてそれらとは別のところ、例えばそれらの背後や裏側といった、現実にはどこでもないような架 空の場所などにではない。しかしこの空間の比喩が含む分断が、図式をそれを具現している当の諸慣行から切り離し、おまけにそれらの諸慣行に論理的に先行するという、本来もっていない怪しげな独立した地位を与えてしまう。」

という、象徴主義的な人類学者に対する浜本の指摘は、象徴主義的な人類学者の「語り」に見られる「物象化現象」を、指摘しているもののように思える。「事物の諸関係」に見て取られたパターンが、いつのまにか、当の「事物の諸関係」を引き起こした張本人であるかのように言及されるという、ベイトソンによるングランビ論を引きつつ浜本が展開した妖術論が、ここでも確認できるように思える。

↑「人間が何事かを納得する・理解するその仕方に、物象化した概念は欠かせない」という事実が「象徴主義的な人類学者」において、確認されているように思える。論理あるいは「人が何かを理解・経験・納得するという現象」に対する、浜本による「諸関係に見られたパターンの物象化」の指摘には、いつも唸らされる。しかし、物象化された概念の存在を指摘することの有効性・妥当性について私は考えざるをえない。なぜなら、もしも我々人間にとって、物事に対する理解が成り立つことが、物象化された概念を介してはじめて生じるものであるならば、つまり物象化した概念への盲目的依拠が人間が何事かを理解する際に必須とされる出来事であるならば、このことをわざわざ指摘することに価値があるのだろうか?と最近疑問に思うからである。

↑例えば、「人は言語を介して物事を理解する。言語を通じて他人と意思を伝え合う」という、我々が日常的に行っている些細な行為について、「人は言語を介して物事を理解する。言語を通じて他人と意思を伝え合う」と、あらためてわざわざ指摘する必要はない。なぜなら当たり前すぎるからである。これと同じように、「しばしば我々は物事を理解する際に物象化現象の助けを借りている」という指摘は、もしかしたら余計な指摘なのではないか? 問題はむしろ、物象化現象を指摘しその奇妙さを強調することではなく、「ある種の物象化した概念を受け入れる人ができる人とできない人が生じる理由」の探求ではないだろうか? 浜本は「象徴的等置図式が慣行を作り出す」という象徴主義的な人類学者による「語り」を受け入れることができない。しかし、「象徴的等置図式が慣行を作り出す」という「語り」を受け入れる人も一方では確実に存在する(例、80年代に活躍した人類学者たちのほとんど)。この差はどのようにして生じるのか? 物象化を指摘するだけでなく、我々はこの問題に焦点をあてるべきではないだろうか? 私も浜本にならい、他人の語りに含まれる物象化した妙な概念の存在を指摘することがある。非研究者同士の日常会話や研究者同士の議論の際に、物象化された概念が使用されていることに気付くと、そのことを思わず指摘したくなることがある。しかし、「物象化した概念を伴った納得・理解という現象」は、指摘する価値があるのだろうかと疑問に思う。指摘しても何のメリットもないように思える。なぜなら、このような現象は、人間にほぼ普遍的に見られる現象だと思われるからである。例えば、なんらかの既知の比喩を通して、新規の物事を学習するという出来事が、我々にとって普遍的といえる「物事に対する理解のあり方」であるにもかかわらず、電気の性質についてこれを川の流れの比喩に基づいて学習させようとする学校の先生を、「電気と川は異なる。これらを同一視して話を進めるのはいかがなものか?」と批判することは、どこか的外れな行為ではないだろうか? 物象化が生じていることをわざわざ指摘する価値はあるのだろうかと疑問に思ってしまう。指摘はできるにしても、そのことを戒めることはできないように思われる。人間はそのようにできている。そのようにして物事を理解するという端的な事実があるだけではないだろうか?

*1:■もちろん、霊やユタに懐疑的な人間も沖縄には存在する。高校時代の友人は、「霊が見えたら首をかしげてみればよい。霊もまるごと傾いていくならば、その霊は自分の脳が作り出したものに他ならない(よって霊などいない。それはまやかしだ。嘘だ。)」と述べた。霊を脳が作り出したものとする彼の考え方に、当時の私は唸った。面白い考え方だと思った。■しかし今考えてみると、この友人の主張は欠陥を孕んでいるといえる。霊がたとえ脳が作り出したまやかしだったとしても、霊を見てしまっている人間にとって、その体験はリアルであり、けっして否定することができない。そのため「実際に」霊が見えてしまっている人間に対して、友人の「脳還元主義的」な説明は、何の影響も与えないのではないか? むしろ、友人の主張は、霊がリアルな存在であることを、裏付けてしまうのではないか? つまり友人は、霊の存在を否定できているようで、実は霊のリアルさ(当たり前さ)についてはこれを全面的に認めてしまっており、霊が見えて困っている人に対しては何の助けにもならないことを述べてしまっていることになる。■ここで唐突に私は「霊が見えて困っている人」という言い方をしている。なぜ私はこのように述べる必要があるのか? 実は私は、このような人々こそがユタではないかと考えている。見たくもないのに見えてしまう。聞きたくもないのに聞こえてしまう。このような悩みを抱えた人に、周囲の人々はユタになることを勧める。このような「幽霊が見えてしまう人」は、幽霊が見えてしまうという障害(?)の他にも、妙な心身症を併発していることが多い。ある男性ユタは常に右目に激痛が走るという原因不明の病に陥り、ある女性ユタは水しか摂取できないという原因不明の病に陥っていた。面白いことに、ユタになることを選ぶと、これらの症状は改善されるのである。周囲の勧めに逆らい、ユタになることを拒否したことのある人々が、ユタには少なからず存在する。このようなユタに私は実際に会ったことがある(←ユタの話を鵜呑みにしてもいいのかな)。そのため私は唐突に、「霊が見えて困っている人」という言い方をしたのである。■この「(実際に)見えすぎちゃって困るの」現象については更なる熟考が必要だろう。本物のユタには脳レベルで確かに何かが見えており、確かに何かの声が聞こえている可能性が高い。■さらに、これは単なる思い付きにすぎないが、沖縄社会全体がユタの誕生を待ち望んでいるように私には思える。周囲の人々がユタを積極的に作り出しているように思えてならないのだ。ユタを買う人間の大部分は中年女性であり、ユタの需要は常にある。沖縄の中年女性達は、自らの悩みを聞いてくれる存在を必要としているような気がする。■基本的に、私はユタなるものを胡散臭く思っている。しかし、単純にユタを詐欺師やインチキ霊能者として片付けることはできないとも私は考える。とはいえ、確実に詐欺師やインチキ霊能者もいるはずだ(←本当か?)。■本物のユタと偽者のユタの区別ができるようになりたいと、「虚/実」(の構図)に囚われた青二才な私は、時折考えたりしてしまう。「自分のリアル」と相反することをしゃあしゃあと述べることにより、人をいたずらに怯えさせ、高額な料金を要求するユタに私はけっして容赦はしない。徹底的に叩き潰す。しかし、本物のユタと偽者のユタを区別する方法が分からない…。うーむ。このこと自体を問題にすれば、ひとつ論文が書けそうな気がする。タイトルは「呪術師の見分け方─「本物/偽者」の二項対立的思考の問題点(仮)」