読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちょっとした散歩のつもりが

日曜の今日は晴れていたので、近所を散歩してみることにした。以前から気になっていた町屋を歩こうと思い、町屋まで千代田線で移動。道端に時々現れる地図を見ながら、ふらふらとさまよう。

なんとなく、荒川線沿いを北上していると、首都大荒川キャンパスを発見。「こんなとこに首都大があったっけ?」と不思議に思い、首都大に侵入。正面玄関から堂々と侵入したからだろうか。警備のおじさんに後ろから「センセイ!すいません!」と呼び止められる。やべー見つかったよどうしようどうしようと内心あせりつつも、センセイのふりをしてその場から逃げおおせる。ふーラッキー。しかし、「センセイと呼びかけされてしまうほど私はふけて見えたのだろか(短歌)」とショックを受ける。

首都大から逃げるように去り、再び出発点の町屋まで戻り、いっきに南下する。あまり面白くない風景が続く。太陽の日差しがあつい。西日暮里駅に着く。そろそろ帰ろうかなと思ったが、「東大医学部で統計関係の本を読ましてもらおう」という前々からの勉強計画を思い出し、東大まで歩いてみることに決定。

道に迷い、ふらふらさまよっているうちに、東大農学部に着く。東大が医科歯科大の近所にあることを初めて知る。門を写生しているおじちゃんおばちゃん軍団に遭遇。芸術の秋だ。ここから町屋まで引き返すのは疲れるので、定期が使える末広町へ向かうことにする。

途中、秋葉原を通過する。秋葉原はちょっと好きになれない。街にあふれる看板やポスターの絵柄があからさまに性的であることが気に障るのではい。そこに集う男性が持つ雰囲気が気に障るのだ。鬱屈した何かを感じる。「女性に近づきたいけど怖くて近づくことができない男性の抑圧された性的エネルギー」がこの街には充満しているように思う。2次元の女性を生身の女性の代替物にしているような気がしてならない*1

しかし、ところどころに点在しカメラにポーズをとっているコスプレ少女たちを眺めつつ、「とはいえ抑圧されているからこそ、この抑圧されたエネルギーがこの街にコンテンツを流通させ、さらにコンテンツを作成するクリエイターを育て、億単位での経済効果を引き起こしているならば、抑圧されている人たちがいたほうが経済の活性化にとってはいいのだろうか?」などと考え込む。また、「コスプレ少女は生身の女性だ。つまり2次元ではない。ということは秋葉原に集う男性たちは生身の女性が嫌いというわけでもないのではないか?*2 それとも、生身でもなく2次元でもない存在として、秋葉原に集う男性によってコスプレ少女は位置づけられるのだろうか?」と考え込む。

目の前を、標的をさがすかのような目をして歩く、ブレードのようなカメラを装備した、やや肥満気味の中年おじさんが通った。相変わらずなんともいえない不健康な雰囲気を感じてしまう。この人たちの行動原理はいったいなんなのだろう? 何を考えて生きているのだろう?*3 

秋葉原に集う男性の多くは、「生身の女性に近づきたくても、生身の女性が怖いので近づくことができないから、2次元の女性に向かう」のだろうか?*4 それとも、「生身の女性にもともと関心がなく、本田さんのように、完璧(?)に2次元の女性にしか興味がもてない」のだろうか?*5 それとも、「生身の女性にも近づけるが、2次元の女性にも近づく」あるいは「生身とか2次元とかいった区別は彼らにはなく、「女的なもの」にただただ引き寄せられている」のであろうか?*6 
うーん分からない。単に好みの問題なのだろうか。あんなに目が大きなキャラクターに魅了される気持ちが分からない。

いやしかし、昔「ちびまるこちゃん」のアニメを見て妙に胸がドキドキしてしまった経験を持つ私は*7、彼らと同じ存在ではないだろうか? なのに私は、秋葉原に集う男性を異端視することによって、そのことを必死で隠蔽あるいは否定しようとしてはいまいか?

と段々思考が妖しくなってきたところで、末広町駅に着く。そこから北千住まで電車で帰った。「「生身/2次元」という二分法はやめたほうがいいんでないか。抑圧されているとか言わないほうがいいのではないか。不健康と勝手に決めないほうがいいのではないか(だったらどうあれば健康な状態といえるんだよ。仮にそれが明らかになったならば、それをお前は他人に押し付けるつもりか)。」などと自分に突っ込みを入れつつ。

結局12キロも散歩してしまった。

今日の重森の散歩ルート

追記

↓こういう本が出ていることを、ついさきほど知った。読んでみたい。秋葉原には異国から来た観光客が多い。外国から来た人によって秋葉原はどのように理解されているのだろう。

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ

↓斉藤さんが出しているこれらの本も関連ありそう。

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

博士の奇妙な思春期

博士の奇妙な思春期

萌えとフェチの違い

たけくまメモ

*1:別にこれは犯罪ではない。他人にとやかく言われる筋合いはない。しかしあまりにも2次元に入れ込んでいる人を見るとなぜか私は「…ちょっとヤバクない?」と思ってしまうのである。不健康だと思ってしまうのである。これは私の偏見だ。「人間は人間のみに恋愛感情を持つべきである。人間は人間のみに性的な欲望を抱くべきである。」という思い込みが私にはある。

*2:もしかすると、「コスプレ少女は2次元の女性の代替物」なのかもしれない。「2次元が一番いいんだけどしょうがない。生身の女性で我慢するか」という態度で秋葉原に集う男性たちは、コスプレ少女をカメラでバシバシとっているのかもしれない。

*3:このおじさんはコスプレ少女の写真を撮り、それをマニアに売る商売人である可能性もある。だから標的をさがすような目をしているのではないか?

*4:この読みはあやしい。生身の女性が怖いからといって、なぜよりによって2次元の女性に向かう必要があるのであろうか? 生身の女性を恐れる人は、2次元の女性ではなく、生身の女性が出演しているエロビデオに向かってもいいではないか。生身の女性を恐れる(と思われる)人を、すぐさま2次元の女性に向かわせようとする自分自身の思考が分からない。そもそも生身の女性を恐れるという読みもあやしい。生身の女性を恐れるというよりも、生身の女性と人間関係を作ることができないほど超自己中心的な男性が、生身の女性との交わりをあきらめ(ていうか生身の女性からそっぽをむかれ)、生身の女性を恨みながら、仕方なく2次元や人形などの「生身の女性の代替物」へ向かっているのではないか?

*5:2次元の女性には、生身の女性にはない「2次元の女性特有の魅力」があるのだろうか?

*6:生身の女性との交わりが、常に自分自身に「相手を道具のように利用している」という罪悪感を生じさせるものであり、かつ、それでも自らの性欲を処理したいと渇望せざるをえない「繊細でやさしい」男性にとって、生身の女性から2次元の女性へと自らの欲望のはけ口を移行させ、生身の女性に良く似た2次元の女性を、文字通り道具として利用することは、当然の判断とはいえまいか? この「繊細でやさしい」男性は、生身の女性を傷つけたくないのである。「生身の女性とただセックスしたいだけ」という自分の本音を自覚しているのだ。このような、「性欲の悲しさ」を知っている男性も、秋葉原にいるかもしれない。←いるのか?

*7:小学6年生ぐらいの頃だっただろうか? あのとき私は確かにちびまるこちゃんに妙な恋愛感情を抱いてしまっていたように思う。