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これからこの世界で生きていくあなたへ

あなたは、自分の欲望から目をそらすべきではない。貪欲にそれを達成したらよい。快は追求するべきだ。

殴られたら、殴り返せ。あるいは、自分が殴られる光景をなんとかしてビデオで撮って、法廷で証拠として提出し、相手を合法的に留置所へ送り込め。

あなたはもっと気持ちよくなってよい。もっと心穏やかでいてよい。

ただしこの願いをかなえるためには、あなたは今よりももっと、ずる賢くなる必要がある。

あなたは情報を集め、この世界の仕組みを、把握する必要がある。

食い物にされないよう、勉強する必要がある。

フリーター漂流

フリーター漂流

フリーター漂流 〜モノ作りの現場で〜

NHKスペシャル「フリーター漂流」

松宮健一『フリーター漂流』

イベントルポ : 「『フリーター漂流』を見る、聞く、議論する」

<6> 二極化 広がる格差 夢描けず

「偽装請負」の規制緩和を望む財界人

『偽装請負』   派遣社員過労自殺裁判 より


この世界は、確かに生きにくいかもしれない。

競争はいつも激しい。

しかし、この世界は、結構平和な世界かもしれない。

十分すぎるほど、平和で生きやすい世界といえるかもしれない。

いざとなったら、「自分の尊厳を踏みにじられた」と感じたときに、踏みにじった者の鼻を皆の前で思いきり、へし折ったらいい。あるいは、なにかモノを盗んだらいい。

そうすればあなたは、飯付き、寝床付き、本付きの、「最高の大学」に入学することができるだろう。つまり衣食住に困ることはない。

この世界では、あきらめないかぎり、生きのびる方法が、必ず見つかるはずだ。その方法を特定するために勉強をするのだ。地獄としか表現できない絶望的な状況は、そんなにお目にかかれない。この世界は、実は優しい世界だ。

あの頃とくらべたら、この世界は天国だ。

だから、あなたは臆することなく、自分の尊厳を踏みにじる者を、遠慮なくぶん殴るべきなのだ。爆弾や銃に曝されたあの頃の世界とくらべたら、あなたが今いるこの世界は、まったくもって安全な世界だ。そしてこの世界でお目にかかれるあなたの敵は、赤ん坊みたいなものだ。

恐れることなく、腕をひねってやれ。

もしかしたら、銃で撃たれそうになることもあるかもしれない。けれど、あの頃とくらべたら、まだまだ助かる見込みがある。

こんな安全な世界で、もしもびびってしまったら、笑われるぞ。

こんなに安全な世界で、殴られるがままにされてると、武器も持たず、食料もなく、上空から落ちてくる爆弾や、敵味方関係なく銃や刀を向ける馬鹿から、ただただ逃げ惑うことしかできなかった、しかし、必死で生きようとした、あなたの祖母や祖父に、笑われるぞ。

もちろん、あなたの祖母や祖父は、この世界で臆病なあなたを、笑ったりはしない。

あの人たちは、なぜだか分からないが、底抜けに優しい人たちなのだ。

ただ、つらくなったら、あの頃を思い出してほしいのだ。あの頃のリアリティに思いをはせてほしいのだ。目の前の敵や今置かれている状況が、そんなに脅威ではなくなるはずだ。

あなたはこの世界で十分に戦える。この世界でしぶとく生きてゆける。もっとわがままに、生き生きと、生きてゆける。

ラミス 喜納さんは、終戦直後に生まれた世代ですね。
喜納  一九四八年生まれです。沖縄は戦争被害が大きかったから、戦後復興期というまだまだ貧しい時代でした。「おじさん」に出会ったのは、私が四、五歳くらいだったから、一九五〇年代の初めごろのことではないかと思います。
ラミス ハイサイおじさんには、モデルになった方がいるのですね。
喜納 実在します。小さいころ、隣に住んでいたんです。こちらが後から越してきて、それからつきあいが始まったのだけどね。私と年の近い子どももその家にいて、親しくしていました。初めのころはおじさんもまともだったし、家族も健全だったから普通につきあえました。でも、酒の量が日に日に増え、だんだん元気を失っていった。酒のせいで、明るいおじさんが正気でなくなっていったんです。
ラミス 何かつらいことが、あったのでしょうか。
喜納 戦争が終わって復興が進むんですが、やっぱり戦前の沖縄には戻れないんです。多くの住民は共同体を失い、生活はアメリカ化するし、ヤマトの文化も入ってくる。心の穴を埋められないうちに環境が激変してしまったものだから、おじさんみたいな不器用な人はついていけなかったのだろうと思います。
ラミス そんな人、きっとたくさんいたんでしょうね。
喜納 当時は家を失った人たちがたくさん路上で生活していました。今でいうホームレスですね。そのおじさんが、家庭もあるのに、ホームレスの女の人を家に連れてくるようになったんです。そのころの沖縄には、男女の関係なく、身寄りも住む場所もないなんて人が、まだまだたくさんいました。よく、報道番組で難民の映像とかが出てくるでしょう。あんな感じですよ。
ラミス 面倒を見てあげよう、という気持ちなのでしょうか?
喜納 おじさんは、私に「戦前、自分は校長先生をやっていた」と言っていたんですね。そのころは信じていたけど、後で知ったらぜんぜん違っていた。実は私たち子どもの関心を引きたいがためにウソをついていたらしくて。学校の先生になるにはそれなりの教養がいるから、校長先生といえばそれだけで一目置かれたわけです。本当は、那覇遊郭へ人を運ぶ馬車引きだったらしいんです。しかし戦争によって、遊郭も馬車引きの仕事もなくなってしまった。おじさんもきっと、喪失感が大きかったのではないでしょうか。帰るところがない女の人に、同情というか、自分の姿を重ねてしまって、放っておけなくなったのではないかと思います。
ラミス それで、女の人を家に連れて帰った。
喜納 次第に、もめごとが絶えなくなって、家族が荒れていくんです。そんなふうになってから、しばらく経ったあの日、私は事件の予兆というか、不吉なものを見てしまった。
ラミス 不吉なもの……。
喜納 ある日の明け方、私は家の畑で用を足していたんです。小雨が降っていたけど、ちょっとの間なので気にせずしていたら、暗がりの奥に、女の人が立っている。髪をだらりと垂らし、ずぶ濡れになりながら……。幽霊だ、とその瞬間は思ったけど、よく見ると、隣のお母さん、つまりおじさんの奥さんだとわかった。おじさんの家族がかなりの瀬戸際に来ているということを、それをきっかけに感じるようになりました。それから何ヶ月も経たないうちに、事件が起きるんです。
ラミス 事件?
喜納 学校の帰りに、おじさんの家で何か大変なことが起きたらしい、という話を聞いて、おじさんの家に寄ったんです。そして、窓の外から覗いてみたら、玄関の脇に毛布にくるまれた小さな塊がある……。警察も来ていてね、だんだんそれが子どもの死体だとわかってきた。
ラミス そこの家の子どもですか? 奥さんが殺したということ?
喜納 その毛布にくるまれた死体には、首がありませんでした。というのも、奥さんは自分の子どもをまな板に置いて、鎌で首を切り落としたそうなんです。
ラミス (絶句)
喜納 沖縄にはシンメーナという大鍋があります。土間の台所で、薪をくべてその大鍋で、奥さんはその中に子どもの頭を入れて、そのまま煮てしまった──。
ラミス ああ……。
喜納 そのときの彼女の言葉が強烈だった──「自分の子どもなんだから、食べてもいいでしょう!」と。最初に死体を発見した向かいのおばさんは、その一年後くらいかな、亡くなってしまいました。あの事件のショックが大きすぎて……、という噂でしたね。 この事件を通して、沖縄戦で生き残った人たちが、さらに自分たちの内に残っている戦争の狂気を改めて認識したのではないかと感じました。実際、戦中、死ぬ恐怖、孤独になる恐怖に曝され、いっそのこと死んだほうがましだ、と思っていた人がいっぱいいたわけです。連綿と続く恐怖から解放されたいと。破滅を目の当たりにする恐怖に耐え切れない気持ちが狂気となり、戦争が終っても残ってしまっていることに、多くの人が気づいたのではないかと思います。
 その後、この奥さんも精神病院に入れられましたが、退院した後、自分のやったことの恐ろしさに耐えられなくなって自殺した、と風の噂で聞きました。戦争の惨さというものは、たとえば今のイラク戦争の死者が何名とか発表されますが、そういった表の数字だけで読めるものではないということです。この悲劇からわかるように、そのトラウマから見ていく必要があるということです。
ラミス 事件の後、喜納さんのお宅はどうされたのですか。
喜納 その後、そう遠くないところに引っ越したんですね。そこに、一人生き残ったおじさんが訪ねてくるようになりました。
ラミス その後のおじさんは、どうなってしまったのですか。
喜納 なにせ狭い社会ですからね。もう、嫌われ者、村八分ですよ。ただでさえ酒飲んで迷惑をかけているうえに、あんな事件もあったから。それに、大人たちが露骨に排除するから、近所の子どもたちまでがおじさんを追いかけて石を投げたりしてからかうようになりました。
 当時、私の家には、泡盛の一合瓶がたくさんあったんです。父が民謡を歌う仕事をしていましたので、謝礼として頂いてくるんです。それを目当てにおじさんは来るようになって、最初のうちはよかったんだけど、あんまり頻繁なものだから、最終的にはうちの家族からも拒絶されるんですね。
ラミス (うなずく)
喜納 親は追い返すんだけど、でも、私はなぜか帰れとは言えなかった。そんなわけで、おじさんは私を訪ねてくるようになるんです。おじさんは、訪ねてきたことを知らせるために、『ナークニー』という民謡を歌いながら通りを歩いてくるんですね。それが聞こえてくると、私は親がいないのを見計らって、おじさんに一合瓶を一、二本いつも渡していたわけ。
ラミス おじさんを嫌いにならなかったのですか。
喜納 おじさんは、いつも子どもたちに石を投げられていたんだけどね、あるときめずらしく怒って、反撃に出る場面に遭遇したんです。おじさんが石を投げ返すと、子どもたちはワーッと逃げた。でも実は、その石は頭上に投げていて、そのまま落ちてきた石が自分の頭にカコーン、と(笑)。その瞬間、おじさんと私の目が合ったの。滑稽さがなんともいえなくてね、それをきっかけに、おじさんと自分が深いところでつながってしまった感があるんです。
 不器用で、世間にうまくなじめなくて、立ち直れない部分は誰にでもある。心のネガティブな部分ですね。子どもながらに、それを否定して向こう側に追いやって自分は違うんだと安心するのは違うのではないか、と思ったのでしょうね。誰もがなかったことにしたい地獄を、おじさんが一人で背負っている。一人で傷を引き受けている。おじさんは自分であるかもしれないのに、と。
 でも、おじさんは非常に生命力のある人だった。石を投げられても、あれだけの十字架を背負うことになっても、酒を飲んで笑い続けていた。道端で寝ているところを車にひかれて、顔半分大けがをしたこともあったけど、ぜんぜん平気でね。たとえそこが地獄でも、おじさんは生きていかなければならなかったんでしょう。だから『ハイサイおじさん』は、生命力を後押しするような曲になったのではないかと思うんです。

from 喜納昌吉 C・ダグラス・ラミス反戦平和の手帖』 集英社新書 p39 - p44