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劇に入り込む

イベント 人類学

演劇鑑賞(1回目)

学部時代の指導教官とそのゼミ生たちが、演劇を鑑賞するためだけに、わざわざ上京してきた。彼らに誘われて、私も演劇鑑賞に同行した。

率直な感想を言うと、私は全く感動できなかった。

物語が、過去から未来へではなく、未来から過去へと、時を逆行しながら進行していくことは理解できていた。そして、物語の大筋が、行方不明の恋人をヒロインが探し続けるというものであることも理解できていた。しかし私は、それらの情報を把握できていただけであった。劇中私は一度も心を動かされることがなかった。

舞台上の役者たちは、中空に長いセリフを解き放つ。顔の表情、声の調子、手振り身振りを駆使しつつ、彼らは何事かを訴える。もちろん聞き取り損ねたセリフも多くあった。しかしそれにしても私は、物語に入り込むことができていなかった。どこか、遠い世界の出来事のように、私は舞台上のやり取りを傍観していただけであった。

役者が声をあげて泣く。長いセリフを喋りながら。役者がいとおしそうな顔で観客を眺める。何事か喋りながら。曲が流れ、水や照明で舞台が彩られ、場面は次々に変化していく。変化は約3時間あまりに及んだ。劇団の人たちは、この3時間を実現するために、倍の時間と労力をかけてきたに違いない。台本を何度も読んでセリフを覚え、舞台上での立ち位置と移動の順番を覚え、リハーサルを繰り返し、この日に備えてきたのだろう。

しかし私は、彼らがいざなおうとした物語に、うまく入り込むことができなかった。

劇が終わり、ぞろぞろとテントからお客さんが出て行く。その列を眺めながら、「自分は鈍いのだろうか。あるいは私は、人格*1に欠陥のある冷たい人間なんだろうか…」という言葉が、いつものように私の頭をめぐった。

ただし1回目に限っては。

学部時代の指導教官は*2、この劇団の関係者であった。つまり劇団の人々にとって彼は、客というよりも身内なのである*3。そしてその元教え子である私も、なんとなく劇団の関係者ということになり、その日行われた関係者だけの打ち上げの場に居合わせることが許された。

劇が行われた野外テントのなかで、劇団の人たちと酒を飲み、交流すること約1時間。

私は、舞台監督と主役級の人物と話すことができた。

舞台監督との会話

舞台監督:「飲んでる?」(と話しかけながら私の前方に座り込む)
重森:「…あ。はい。」(と答えつつ、日本酒が注がれた紙コップを掲げる)
指導教官:「こちらにお酒あります。どうぞ」(舞台監督のコップにさっと酒を注ぎ、自分の席に戻っていく)
舞台監督:「ほら、先生みたいに気をきかせなきゃ。学生なんだから先生を見習ってもっと勉強しなさいよ〜。」(意地悪そうにしかし笑みを浮かべつつ)
重森:「…あ。すいません。勉強させていただきますっ」(ややあせったふりをして学生っぽくふるまう)
舞台監督:「どうだった?(劇の)意味分かった?」(コップに口をつけつつ)
重森:「う〜ん。ちょっと分かりませんでした。」(本当のことを言ったほうがいいだろうから本当のことを言おう)
舞台監督:「全部分からないってわけじゃないでしょ?だいたいは分かったでしょ?」(コップの酒を飲み干す)
重森:「たとえば、赤紙と戸籍の関係がよく分かりませんでした。」(劇の細部について気になったことを質問してみよう。本当に分からなかったし。)
舞台監督:「ああ。それは俺も分からない…」(うつむいて頭をかく)

<しばらく沈黙>

重森:「…あ、あの、劇団の方々は、本業が他にあるんですか?」(演劇の人と話をする機会はそうはないからいろいろ聞いておかなきゃ。)
舞台監督:「うん。みんなバイトしたりしてる。」(うなずく)
重森:「演劇だけでは生活するのはやっぱり難しいんですね…。何人客が入れば黒字になるんですか?」(いったいこの人たちはどうやって生活してるんだろう?)
舞台監督:「黒字になんてめったにならないよ〜。よくてとんとんだよ。だいたいいつも赤。儲けようなんて考えてないよ。」(頭をふりつつ)
重森:「ふーん。それじゃあ採算度外視でやってるんですね…」(しかしすごいな。演劇がしたいからこそ、わざとフリーターとか肉体労働に従事して、いつでも時間を確保できるようにしているんだろうな。たくましい。うらやましい。かっこいい。のめりこめるものがあるのはきっといいことだ)
舞台監督:「で、君はなにをしているの? 今何年生?」(こちらに興味津々の顔で)
重森:「あ。えっと。あの。実は私は、今は製薬関連の会社に勤めてまして、実は○○先生のゼミのOBなんです。」(とにかく本当のことを言っておこう。)
舞台監督:「えー。てっきり学生かと思ったよ〜。なんか薬ちょうだいよ。」(いわゆる驚きの表情をしつつ、軽く薬を要求。)
重森:「ははは(と笑いつつ、薬の要求をやんわりと受け流したつもり)。よく若く見られます。年齢不詳系です。」(自分のことよりも、この人にとって世界がどう見えるのかについて話がしたいな。どうやって話を戻そう…)
舞台監督:「……」(タバコに火をつけたついでに、なんとはなく周囲を見ている)
重森:「私は学部生の頃は、呪いの研究をしていたんです」(やべっ。興味が他に向きはじめているよ。何とかしてこっちに関心をもたせないと!えーいしょうがない。自分のことを話してしまえ!)
舞台監督:「え!?呪い?」(目をむいてこっちを見る。口は半開き)
重森:「はい。呪い。呪術です。」(やっぱみんな呪いとか呪術って聞くと興味示すよなー。呪いって言葉はなんでこんなに人をひきつけるのだろう。)
舞台監督:「で、呪いの研究ってどんなの?」(めっちゃ目を輝かせて)
重森:「インドネシアのレンボガン島って場所で、手かざしで病気を治す人たちと一緒に病気を治して、卒論書きました。」(うわー。すっごい食いつきだ。演劇やっている人って、もしかしたら通常の人たちより多くのものに興味関心をもつ人たちなのかも。)
舞台監督:「へ〜…」(感心したようなくちぶりで)
重森:「で、現在は、製薬関連の会社に勤めていて、自分的にはプラセボについて勝手に調べまくってます。」(全部話してしまえ。)
舞台監督:「プラセボ?」(って何?という顔つき)
重森:「偽の薬です。小麦粉とか砂糖とかを、本物の薬そっくりにして渡すんです。でも、偽物なのにある程度治療効果があるんです。その治療効果が生まれる条件を特定したいと考えて、勝手にいろいろ自分で調べているところです。ちょうど呪術の研究とも重なるので楽しいです。」(本当に楽しいです。)
舞台監督:「へぇ〜。偽物なのに効くんだ〜。」(と感心した顔で)


とここまで会話をしたところで、突如、主役級の人物が乱入してきた。

主役級の人物との会話

主役級の人物と私が呼ぶのは、この人物の存在感が、劇中でもしらふの状態でも、非常に強烈だったからである。この人物の印象としては、以下のPVにおけるビョークを想像していただきたい。こんなのがいきなり何の前触れもなく接近してきたらびっくりするしかない。

主役級の人物:「おつかれ!ぬん!」(ぬんっと怪しい声を出しつつ、地面に手をついて、舞台監督の方に自分の頭をまっすぐ向ける。その際右足が後ろにかわいくそる。)
舞台監督:「こちら、○○ゼミOBの重森さん。呪いの研究してたんだって!」(謎の挨拶に全くひるまず冷静にしかし弾んだ声で私を紹介)
主役級の人物:「この度はご来場いただきどうもありがとうございます。。」(急に居住まいをただし礼儀正しく挨拶)
重森:「あ。どうもお疲れ様です!」(こちらも丁寧にお辞儀。勝手な印象だが、演劇をやっている人は非常に礼儀正しいと思う。)
主役級の人物:「あ!○○○ちゃん!おひさしぶり!!」(私の隣に座っていた現役ゼミ生の女性を見つけ、満面の笑顔で彼女に近寄る。彼らは既に知り合いだったのだ)


主役級の人物は、私の隣に座っていたゼミ生の手を握りつつ、今日来てくれた礼を丁寧に述べ始めた。私は、この人物と話してみたかったので、とにかく質問してみることにした。

重森:「劇中すごい大きな声でしたね。迫力があって圧倒されました。腹筋したりして鍛えてるんですか?」
主役級の人物:「ううん」(泣きそうな顔で頭を横に振る)
重森:「特に何もしていないんですか?」(ほんとかよ?)
主役級の人物:「うん。特に何もしてないけど、声は結構出るの…。でも、時折出なくなるときがあって、いつそうなるかビクビクしているの。今日は出て良かった〜。見た目とは裏腹に、婆(ばば)は繊細なの。」(泣きそうな顔で。自分のことを婆(ばば)と呼称。)
重森:「声が出なくなったことがあるんですか?」(聞いてみよう)
主役級の人物:「うん。練習しすぎて声が出なくなったから、病院に行ったら、医者に「これでは声が出なくて当たり前だ」って言われたことがあったの。本番の前の日に。でも、本番で声が出たの!」
重森:「へ〜。」(感心したように)
主役級の人物:「婆はね。いつも、感謝しているの。苦しいことも多いけど、きっと何かに助けられてやってこれてると思う。今日も、岬が降りてきてくれた。」
重森:「みさき?みさきって誰ですか?」(?)
ゼミ生:「ほら。今日の劇で婆が演じていた役だよ。」
主役級の人物:「うん。」(泣きそうな顔でうなづく)
重森:「…ああ」(がーん。一番強烈な登場人物の名前を俺は把握していなかった。ショック。俺はやっぱり鈍い。)
舞台監督:「重森さん。婆にいい薬あげてやってよ。胃が悪いんだって。」(沈黙して反省モードに入りつつあった私に、舞台監督心優しく横から製薬ネタをふる)
重森:「胃が悪いんですか?」(ありがとう舞台監督。あなたは良い台本を内面化していると思います!)
主役級の人物:「…うん。胃潰瘍なの。。」
重森:「胃潰瘍って精神的なものが大きいらしいですよ。なにが原因かはだいたい分かってるんじゃないですか?」(この人が抱えているものを知りたいので、少々無礼な質問の仕方をしてみよう。嫌われたらそこまで。)
主役級の人物:「…うん。」(思いつめたようにうなづく)
重森:「苦しい思いをしながら演劇をしているんですね…」(なんだろう。なんでこの人は胃潰瘍をわずらっているんだろう。ぱっとみた感じ、とてもエネルギッシュで強そうなのに。気になる。)
主役級の人物:「でも、演劇やるならむしろ苦しいほうがいいみたい…」(泣きそうな顔で)
重森:「それは、この演劇活動が癒しになっているってことですか?」(癒しって言葉は嫌いだが、すかっとするとか、気分が良くなるとか、楽しくなるとか、血湧き肉踊るって言葉と同義のつもりでこの言葉を使ってみた)
舞台監督:「うーん。むしろここ(演劇活動)がいろいろストレスがあるよね実際は…」(困ったような顔をして主役級の人物を見る。)
主役級の人物:「う〜ん」(泣きそうな顔で舞台監督を見ながらうなづく。)
重森:「う〜ん。いろいろあるんですね…」(目の前の二人を見つめる。私が計り知れないコンテクストがあって、それに私はアクセスを許されていない。当たり前だ。会ってまだ4,5分の相手にアクセスが許されるはずがない。うぬぼれんなタコ。)
ゼミ生:「今回の婆は、いつもの婆とは違って、優しかった。」(きらきらした目で)
主役級の人物:「岬を演じることができて、とても、幸せ。初めて台本読んだとき、「人の皮を被った海」っていう岬の人物紹介文を見たときね。これだ!これを演じるのは私しかない!って思ったの。」(目を輝かせつつ)
重森:「ふ〜ん」(相槌打たなきゃ)
ゼミ生:「…」(目をきらきらさせながら婆を静かに見つめる)
主役級の人物:「監督も、岬をやれるのはお前しかいないって電話で言ってくれて。嬉しかった…!」
重森:「とても役があってたと思いました。一番存在感があったと思います。」(いや。すごかったまじで。)
主役級の人物:「ありがとう。。若い女の子たちからも「かわいい!」って言われたりして、褒められると嬉しい。。」(泣きそうな顔で)
重森:「怖いだけでなく、とてもコミカルな面もあって愛嬌がありましたよ!」
主役級の人物:「…」(笑顔でこちらを見る)
重森:「ほんと、今回の役はあってますね。婆の役がマッチしていると思います。」(ぴったりだと思う。ほんと。)
主役級の人物:「昔から婆の役が多くて。君は少女か婆しか演じられないって言われたことがあるの。演劇し始めた19の頃から、婆(ばば)の役なの…。」(泣きそうな顔で)
重森:「19から婆やってたんですか!」(筋金入りの婆だ)
主役級の人物:「成長のピークは小2ぐらい。そのときが一番モテモテ。その後はずっと婆なの…。」(泣きそうな顔で)
重森:「…すごい早熟だったんですね!」(どんな小学生だ)


ふと時計を見ると、23時近くになっていた。

時計を見た私を見て、婆が私達に尋ねてきた。

主役級の人物:「布団ある?」
重森:「布団?」
主役級の人物:「布団は数に限りがあるから早くキープしておかないと。待ってて。婆が持ってくるから!」


そう言って婆は、どこかに姿を消した。そしてしばらくすると、布団を抱えて現れた。

主役級の人物:「はい布団。少ないからちゃんとキープしといて!」(どさっと私に託す)
重森:「ありがとうございます!」(ありがたく受け取る)
ゼミ生:「ありがとうございます!」(目をきらきら)
主役級の人物:「婆もそろそろ寝ます。また明日ね!」


婆から布団をもらい、見知らぬ人から優しくされたことによって胸にじんときていた何かを味わっていたのも束の間。指導教官が私に声をかけてきた。

「シゲもお腹すかない?これからラーメン食べに行かない?」

劇は19:00に始まり、22:30に終了した。そして打ち上げを経た現在、時刻は23:30。我々はまだ夕食を食べていなかった。というわけで、深夜の都内をラーメン屋を探してさまようことにした。

演劇が行われた場所は、東大の近くであった。学生が多い地域だからすぐにラーメン屋ぐらい見つかるだろうと予想していたものの、全然見つからない。「なんでラーメン屋がないのだ! 信じらんない! 学生はどこにいるんだ! これだから東京は駄目なんだよ〜。京都と全然違う〜。なにこれ東大の壁ってなんでこんなに高いの? 京大はもっと低いぞ! うがが。」と指導教官は横で文句を言っている。*4

その傍を私は、次のようなことを考えながら、歩いていた。

「婆は岬が降りてきたと言っていた。あれは比喩だろうか? 降りてきたというのは、「うまく演じることができた」ということの比喩なのだろうか? それとも「降りてくる」という言い回しでしか表現できない、何か特別な体験*5を彼女は経験していたのだろうか?」

結局我々は、本郷三丁目あたりの牛丼屋チェーン店にて、遅い夕食にありついた。

テントに帰り着くと、時刻は2:00過ぎであった。既に野外テントには寝息が聞こえていた。

私は、婆がくれた布団にくるまって、客席の畳で眠りについた。男も女もそこらで勝手に寝ている。その様子は、さながら旅の途中の野営のようであった。

演劇鑑賞(2回目)

朝。7時頃に目覚めた。テントに朝日が射している。今日もいい天気だ。

劇団の人たちと同じものを食べる。朝食は、いなりずしと味噌汁とパンとシチュー。

部外者気分のまま私は、昨日テントに泊まってしまったのだが、もはや布団も借りて食べ物も食べてしまったので、部外者ではない気分になっている。なにか恩返しをしなければ、それなりの役を引き受けなければ、という意識が湧いてきている。

指導教官は、劇団の主宰者と何やら話している。主宰者のヘルメットからは金髪がのぞいている。主宰者は、一見したところ、建設現場の労働者のようにみえる。

結局我々は、助っ人ということで、昨日の公演の片付けと、本日の公演のための準備を手伝うこになった。壁やら岩やら椅子やらテーブルなどの様々な小道具を、舞台の所定の場所へ再設置する。結構疲れる。なかなかの力仕事だ。

さすが、劇団の人たちは、そのほとんどが日頃は建設現場で働いていることもあって、服装も動きも様になっている。てきぱきと力強い。聞けば、劇団員はそれぞれマイヘルメットを持っているらしい。

作業の最中、昨日の劇において、ヒロインが捜し求めていた恋人役を演じていた男性に声をかけられる。彼は皆に○○○○と呼ばれていた。

○○○○:「学生さん?」
重森:「いえ。働いてます。」
○○○○:「劇どうでした?」
重森:「ちょっと難解でした…。」
○○○○:「そうですか…」
重森:「劇は最終日が一番盛り上がるんですか?」
○○○○:「う〜ん。やっぱりそうですね。最終日となるとやっぱり違いますね。」
重森:「最終日はいつなんですか?」
○○○○:「月曜です。月曜もくるんすか?」
重森:「あー月曜は仕事なので…」
○○○○:「あ。そうですか…。」


○○○○と呼ばれていた俳優は、黒縁のメガネをかけ、さらにマスクをしていた。そしてゴホゴホと咳をしていた。首を見ると、赤くなっている。なにか皮膚に炎症が起きているようであった。

昨日の劇における彼の役は、特攻隊帰りの青年であった。その立ち居振る舞いは堂々としており、声も姿勢も現在の彼とは全く異なるものであった。今私の前にいる○○○○さんは、腰の低いやや病弱そうなぬぼーっとした青年であった。

この落差に私は感動していた。こんなにも、変わることが、演じることが、できるのかと。

片付けと準備が終わった。

野外テントが張られている敷地内の公園にブルーシートを広げ、そこで劇団主宰者を囲み、我々は車座になった。主宰者による、劇団と劇団員に関する話に、指導教官とそのゼミ生たちが耳を傾ける。

「○○○○。あいつはアレルギーと喘息持ちで体弱いのに、演劇に一番向かないのに演劇やってんだよ。それに、▲▲▲も自分を重ね合わせやすいから、遊女ののらを演じやすいのだろうよ。」

私は、劇自体の内容が理解できていなかったので、台本を見せてくれないかと主宰者に頼んでみた。その声を聞いた指導教官が、台本を私に貸してくれた。

台本のすべてを読みこなすことはできなかった。しかし私は以下の物語を台本に認めることができた*6

<1>
戦後の焼け跡に広がる闇市。そこで回転木馬を作る青年、森。特攻隊帰りの彼は、友人の浮浪児たちのために、メリーゴーランドを建設しようとしている。赤、青、黄色、色とりどりの木馬。子ども達に夢を見せたいと話す森は、闇市の住人たちから木馬の旦那と慕われている。
そこに、戦後行方不明になったままの許婚を探して、のらという名の女性が現れる。森はのらに、自分がその許婚だと述べる。半信半疑になりつつも森に惹かれるのら。その夜二人は結ばれる。
ある日、ペニシリンショックで浮浪児たちが死亡する。そのペニシリンは病気の子ども達のために、森が闇商人から買い付けたものであった。罪悪感に苛まれる森。その日から、森は街から姿を消した。

<2>
のらは森を探す。聞けば森は、森林調査官として海を渡り、どこかの島に移住したのだという。後を追うのら。
森は、奥深い山の中で、ひとり苛まれていた。彼は実は特攻帰りではない。戦場で倒れた仲間の靴を奪い、逃げ回っていただけの脱走兵であった。敗戦後、日本に戻ってきた森の嘘に、女達は次々に騙された。特攻帰りと言えば皆が一目置いてくれたのである。さらに森は、本来は戦争に行くことさえできない身分の人間であった。戸籍のない彼には赤紙さえ届かなかった。彼は別の人間に成りすまし、出兵したのである。
生き延びるために仕方なく嘘を付いた。誰もいない山奥で、彼はそう自分に弁解した。そして、街に残してきた恋人の名前を呼ぶ。のらぁと一人森は悲しく呼ぶ。

<3>
森は苛まれる。とりわけ意図せざるして自分が死に追いやってしまった闇市の子ども達の霊に苛まれる。それは人魂として森の目に映る。恐れおののく森。俺は悪くないと呻く森。
山奥に逃げていた森の居所をつきとめたのらは、ついに森と再会を果たす。しかし森は人魂に怯え、発狂寸前の状態であった。「仕方なかったんだ知らなかったんだ許してくれ…」と懇願し顔を覆って崩れ落ちる森に、「一体何があったの?」と強く問いかけるのら。のらは森が浮浪児たちをペニシリンショックで死に至らしめたことを知らない。「一体あの街で何があったというの?あなたが抱えているものを全て聞かせて」と森に追いすがるのら。ついに森は発狂し、日本刀で人魂を切りつけ始める。森には見える何かと森は格闘する。その様子を見てのらは「そこには何もいないわ!あなたは狂ってる!」と叫ぶ。
「狂っている」というのらの言葉に敏感に反応した森。森は突然、「俺は狂ってなんかいない!俺は神だ!」と絶叫し、恐ろしい顔つきでのらを睨み、そしてそのままのらを日本刀で切り殺してしまった。
我に返る森。のら?と声をかける。しかしのらは虫の息。そこへ「人の皮を被った海」が駆けつける。
「…遅かったか。人魂たちが騒ぐから、もしやと思い駆けつけてみたが…間に合わなかったか。のら。」
死神なのか、黄泉の国の使者なのか。「人の皮を被った海」は、ばさばさの着物を羽織った婆の姿をしており、その顔は鬼のようである。泣き崩れる森の前で、婆はのらを胸に抱える。その様子を見ていた登場人物の一人が、「お前達はどこかで出会ったことがあるのか?」と問いかける。婆は「ああ。今から何十年後もあとの、都会の片隅の公園で、蝶として漂うのらに出会ったことがある。」と答える。

<4>
のらは、何十年後も後の都会の公園に、まだら蝶として舞っていた。公園の隅に朽ち果てていた青い木馬を、まだら蝶は見つける。のらの化身であるまだら蝶は、ここにも見つけたよ、とはしゃぐ。至るところに、まだあの頃の思い出、あるいは傷跡が転がっていることに、注意を促すかのように。
そこへ「人の皮を被った海」が恐ろしい形相で現れた。公園には瀕死のホームレスたちがいた。彼らを死にいざなうために現れた彼女は、公園に舞うのらの存在にふと気付く──。

台本に記された出来事を、通常の時系列通りに配置し直したならば、上記のように記述できる。

実際の劇は、現代の都会のとある公園で、死にゆくホームレスたちを婆が迎えに来る場面からスタートする。上記に記した番号で言えば、4の場面から劇ははじまる。この場面は、演劇の最初の場面であるが、物語においてはエンディングに位置しているのだ。

今回の劇は、4のエンディングの場面から始まり、3そして2そして1という順番で、場面が推移していく。つまり、次第に時を遡ることによって進行していくのである。「人の皮を被った海」は、様々な時代に同時に存在しており、物語の狂言回し的な存在なのである。

このように、いきなりエンディングから始まるこの演劇は、予備知識も全くない私にとって、理解が困難なものであった。セリフを聞き取ることができたとしても、そのセリフに登場する名前や事柄が、何の伏線になっているのか、容易には想像できない。おそらくこの劇を最初から最後まで通して鑑賞したのちに、さらにもう1回鑑賞したときに初めて、すべてのつながりが納得の行く形で了解できるのだろう。

主宰者を囲む会がお開きとなった後、11時頃から反省会が始まった。

反省会は、まさに反省会であった。昨日の劇でのミスを主宰者が劇団員にひとつひとつ指摘していくのである。拡声器を口にあてた主宰者の前に、皆は台本を持ってばらばらと座る。私も劇団員に紛れて、なんとなくノートとペンを片手に座り込んだ。

以下、主宰者による指摘をいくつか列挙する。

  1. 人魂の青い火が、照明の青い光線により、打ち消され、小さな赤い玉にしか見えなくっているので、黒子は人魂を照明の光から遠ざけて動かして。あくまでも人魂と森の関係が分かるように動かせばいいから。
  2. セリフを言うとき、あまり気持ちを込めるな。普通でいい。あなたは普通の状態でおかしいところが持ち味なんだから、普通におかしいままでよい。努力しないで。
  3. 暗転が一回多めだったんじゃない?
  4. 牛乳瓶はないだろう。もっと別のものを渡すように。
  5. 「この人は」ではなくて「この英霊が」というふうにセリフを変更して。

指摘を受けた箇所に関して、役者たちが各自で個別に演技をはじめる。その姿は、自分のフォームを確認しながら行われる、野球選手による素振りを連想させた。真剣に、同じ言動を何度も繰り返すのである。

反省会終了後、我々は昼食をとりにぞろぞろと出かけた。劇団の人たちはこれからリハーサルに入るという。今日も開演は19:00だそうだ。今回もただで見てもいいと主宰者に言われたので、私は今日も劇を鑑賞することにした。

入場受付は17:00開始である。それまで我々は上野やら北千住やらで時間を潰していた。18:00頃に劇場テントに戻ると、既に客は200人を超えていた。

劇のプロローグは、野外テントの外の公園で行われる。公園には客がひしめいていた。19:00。婆もとい岬が、恐ろしい形相でどこからともなく姿を現した。ホームレス役の3人が、岬の恐ろしさにがたがたと震えつつ、地面を這いずる。その上空から、赤い破片がひらひらと舞う。

劇のはじまりである。

時軸を遡る旅のはじまりを岬が告げ、役者達が一斉に姿を現し、ひとしきり歌を歌った。そしてテントの中に消えた。劇場のスタッフの指示のもと、ぞろぞろと客も、テントに向かう。

テントの入り口は長蛇の列。狭い入り口から一人ひとり入っていく。テントに全てのお客が入りきったのを見計らって、舞台監督が大声で我々に呼びかけた。

舞台監督:「よーし!見たい奴はみんな入っていいぞー♪」

その声を合図にして、ゼミ生とゼミ生もどきが「わーい!」と声をあげ、野外テントに入っていった。

そして2回目の演劇鑑賞。

理解できる。1回目よりも。

すべてのセリフの連関が見える。セリフがどこにつながっているのかが分かる。何に言及しているのかが分かる。

なぜこの人は泣いているのか。何が悲しいのか。すべてが1回目よりも把握できる。役者のセリフと挙動が確固たる必然性を伴って見える。やった私は入り込めた。

涙を流そうと思えば流せる状態にいる自分に、私は気付くことができた。

今やっと、のらがまだら蝶になって、都会の公園を飛んでいたことの、はかなさというか、哀しさというか、その悲しくも清々しい感触に、触れることができた。

あるいは、山奥で森が、街に残してきたのらを一人夜空に想う場面。または、森が人魂に苛まれる場面。そしてそのせいで発狂した森に、のらが無残にも切り殺される場面。もしくは、森に切り殺されたのらを岬が不憫に思う場面。

これらの場面に際して私は、涙を流そうと思えば流せる状態になれた。

なぜ私は劇に入り込めるようになったのか?

舞台監督や主役級の人物と仲良くなり、もはや赤の他人でなくなったからであろうか? 

それとも、続けて2回鑑賞したために、物語の筋を明確に抑えることができたからであろうか?

それとも、短い時間とはいえ、台本に目を通すことができたからであろうか?

それとも、アレルギーと喘息持ちであるにもかかわらず、舞台で必死に演技する○○○○さんの姿にかっこよさを感じたからであろうか? 

月並みな言い方だが、これらすべての要因が絡んで、私を泣ける状態に導いたのだろう。

しかし、感動できればいいというものではない。

役者の演技と、物語自体の出来栄えに感動したならともかく、役を演じる役者自身の人となりや生き方と台本に、触れて初めて感動できるようでは、やはり鈍感の謗りを免れない。

もっと、情報を把握する能力を、磨かなければ。取得した情報を、いったん網の目状にマッピングし、かつ記憶しておき、しかるべきときにそれらの情報(=出来事)を、時系列的に過去から未来へと再配置して、物語にする能力を、高めなければ。

それには、もっと浴びるように本を読み、様々な物語、すなわち、経験を構築する際に参照できる「解釈の雛形」を、事前に頭にストックしておかなければ。おそらく、我々は、既に知っている物語しか、経験できない。既知の物語しか、受信することができない。自分が既に内面化している物語しかつむげない。慣れ親しんだ物語に基づいてしか、外部の情報を処理できない。物語のフィルターを通してしか、外部の情報を取り入れられない。その結果、抜け落ちていく情報(=出来事)、無視された情報が必ず存在する。

ストックできている物語の、その種類の少なさにより、目の前で、出来事が、掬い取られることなく、そのまま無きものとして消滅していくのは、もったいない。

獲得できたにもかかわらず、獲得し損ねた経験の数は、できるだけ最小限に抑えたい。

*1:って何だろうねまったく。

*2:私に人類学なるものを初めて教えてくれた人物。人類学の師匠と呼べる人物のひとり。

*3:その証拠に、チケット代を払う必要はなく、常にビップ扱いであった。

*4:ひさびさに再会した指導教官は、相変わらず言いたい放題であった。とにもかくにも人類学者は比較好きである。フィールドワークと比較こそが人類学のメソッドだから、指導教官はこれを忠実に実践しているのだろう。

*5:すなわち研究者によって憑依と呼称される現象。以下、単なる思いつき。もしかしたら、研究者なるものが、「何かが降りてくる」という言い回しに過剰に敏感になりすぎるあまり、このような物言いをする人間にあたかも実際に字義通りに「何か」が降りてきたのだろうかという問いを立てているだけのような気がしないでもない。ただ単に、そういう語りがあり、この語りを使用する人もいるというただそれだけのこととして理解すればいいのではないだろうか? 「何か」について、それが物理的な存在かどうかを問題にしたり、あるいは、主体や人格といった、近代的な個人一人につき必ず一つのそれが対応しているという図式を持ち出し、その図式とのズレを問題にしたりするのは、考えすぎと言われかねないのではないか? 当事者はただそう語っているだけで、実際には何もその人物には降りてきてなどいないだろう。それに、主体とか人格は一つしかないとかいう設定をわざわざしたうえで、その設定と相反する現象として今回の婆のような発言をことさら取り上げることにも、最初の設定自体がよく分からない設定なので、意義を感じることができない。さらに言うならば、「演技がうまくいった。」「うまく役を演じることができた」という意味で「岬が降りてきた」という発言を理解するのも間違っていることに思える。「演技がうまくいった。」「うまく役を演じることができた」という意味ではなく、「岬が降りてきた」という意味のままで、「岬が降りてきた」という語りを、私は理解すべきではないだろうか? 「岬が降りてきた」という言葉をそのままそういうものとして受け取らずにいることは、ちょうど私が何でもかんでも「虚/実」の構図に沿って眺めていたことのように、不健康な行為に思える。そのままそういうものとして受け取ればいい話ではないか? 「何かが降りてきた」と述べる人物とその周囲にいる人たちが集っている状況に遭遇した際に、すなわち、演技であることを忘れられた演技を前にしたときに、それが演技であることをことさら暴いてみせることは、どこか間違っている、滑稽かつ不健康な行為に思える。演劇は、演劇として鑑賞すると、嘘くさくてかえって入り込めない気がする。演劇を楽しむには、それが演劇であることを忘却する必要があるのではないか? 劇を鑑賞するときには、演技や芝居といった言葉を頭から追い出す必要があるのではないか?←ほんとかよ? 舞台や照明や幕といったコンテクストマーカーをしっかり認識できているからこそ、劇中で殺人が行われても、客は警察を呼ぼうとしないことを考慮すると、劇を楽しむためには、演技や芝居といった言葉を忘れる必要は全くないことになる。忘れると、いちいち客は殺人の場面で警察に通報しようとするだろう。観客は、舞台で行われる役者の振る舞いを演技と知りつつも、同時にそれを真に受けてもいるという非常に器用なことをしているはずである。

*6:実際の劇の内容はここで私が記述したような単純なものではない。劇には、様々な要素が含みこまれており、私が台本に認めることができたのは、そのほんの一部である。