自己責任のススメ

「自己責任」と言いさえすれば、個人に降りかかる全ての災難を、当の個人のみの責任に帰すことができ、その災難について他人は一切責任を問われなくてすむのならば、自己責任という言葉は、とても便利な言葉である。

上記のような意味におけるこの言葉の使用は、既に日本国内において、広く認められているようだから、私もどんどん使っていきたい。

例えば、いじめに関して、「いじめられる側にも、いじめを誘発する原因がある。自己責任だ。」と述べる人を見かけたら、即座にそいつの顔面を殴り、出血する鼻を両手で押さえながら膝から崩れ落ちるその人を上から見下ろしつつ、次のように言おう。

「お前は顔を鍛えていない。だから鼻血が出るのだ。お前の反射神経は鈍い。だから俺の突きをよけきれないのだ。自己責任だ。俺はまったく悪くない。日頃から体を鍛えていないお前が悪い。日頃から反射神経を鍛えていないお前が悪い。」

野宿者について、「あいつらは怠けているからああなったのだ。自己責任だ。」と述べる人がいたら、即座に(以下省略)。

過労死した会社員について、「自己管理能力がないからだ。自己責任だ。」と述べる人がいたら、即座に(以下省略)。

テロリストに拉致されて殺された同胞について、「自己責任だ。」と述べる人がいたら、即座に(以下省略)。

追記:責任という言葉について

責任という概念自体が、非常に胡散臭い。原因義務といった言葉と親和性があるのはなんとなく分かるが、私はこの言葉を曖昧にしか理解できていないと思う。

理解という言葉もよく分からない言葉だが、私の定義によれば、「ある言葉を理解する」とは、次のような状態を指す。すなわち、他人が違和感を持たない限りにおいて、なんらかの言い回しを利用できるようになること。このことが達成できれば、私は自分が使用した言い回しについて理解できているといえる。

はたして私は今回の記事において「自己責任」という言葉をちゃんと使いこなせているだろうか? 自信がない。 他人がよく使う「自己責任」という言葉の意味もよく分からないが、私が今回の記事で示したような「自己責任」という言葉の使い方も、他人に違和感を与えるものかもしれない。

「〜は〜のせいだ。」「〜は〜の責任だ。」「〜が悪い。」「〜の原因は〜だ。」 他人がよく使うこれらの言い回しに、私はいつも違和感を感じる。

まず第一に、「どうしてそのように断言できるのか? そのような断言を行うことを保証しているものは何か? 問題となっている出来事に関係のある全ての出来事を洗い出し*1、問題となっている出来事の生起に、それらのうちの一つ一つがどの程度関与しているのかを、お前はどうやって把握できたのかちゃんと説明できるのか?」と思ってしまう。

そして第二に、「「原因」がいわゆる「科学的客観的」な領域についての物言いであるのに対して、「責任」が「取り決め。契約。」という形で「他者から恣意的に貼り付けられる役割」であるように思えるにも関わらず、「原因」と「責任」はしばしば混同されて語られがちである。しかしそもそもこのように混同することは許されるのだろうか?」という疑問がある。

*1:これもどのようにして行われているのかよく分からない。話し手によってその方法が示されることは少ない。