2007年夏の収穫

2007年の夏季休暇を消化した。その間の活動内容および収穫を箇条書き。

  1. 『精霊たちのフロンティア』を読む。とりわけ「むこうにいけちゃった系」の人類学者の事例が得られて良かった。
  2. 親知らずの抜歯。三日目が腫れのピーク。その後しぼむ。一週間でだいたい治癒するようだ。今はほとんど痛み無し。ただし、まだまだ口は開きにくい。
  3. 攻殻機動隊』鑑賞。素子さんが女性に受ける理由がなんとなく分かる。物憂げな表情とクールな性格が素敵なのだろう。
  4. 3PLというシステムの概要。物流は奥が深い。
  5. 『統計解析法』の第三章までを理解した。まさか、標本集団の平均に対しても確率分布を想定しているとは思わなかった。そうすることによって検定が行われていることが分かり、統計学の手口がやっと掴めてきたように思う。
  6. 『オウム─なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』を読む。マハームドラーという言説空間は確かに危険だ。なんというか、自動的に犯罪が起きるようにあらかじめ種を蒔いておくような、情報的地雷のような印象を受けた。教祖が直接命令を出さずとも勝手に弟子達が「教祖の思惑」を察することによって大犯罪*1が起きる仕組みが今でも作動しているのは恐怖だ。まじでやばいと思う*2。また、中沢新一とオウムとのかなり密接な関係も知ることができ、非常に驚く。もしも著者の言うことが事実であるならば、中沢氏は麻原に匹敵するほど危険な人物ということになる。


で、さっき丸井の紀伊国屋で下記の本を3時間ぐらいかけて立ち読み。

  1. スピリチュアリズム』 『オーラの泉』に代表されるような昨今のテレビ番組による一般大衆への「スピリチュアリズム」的思想の注入に警鐘を鳴らす本かと思いきや、それだけでなく、かなり内容が濃かった。そして、ここでも中沢新一が批判されていた。苫米地氏ははっきりと書いている。中沢新一オウム信者石川公一チベット密教を教えたと。また、チベット密教の高僧はディベートの達人であり、彼らに太刀打ちできるのは、イエズス会の牧師*5ぐらいしか存在しないという記述もあり意表を突かれた。確かに、「世界」に関する議論に人生を捧げている人間に、東大理Ⅲの学生が挑んだとしても、すぐに負けてしまうような気がする。「宗教を甘くみないほうがよい」という苫米地氏の言葉が記憶に残った。
  2. バチカン・エクソシスト』 イタリアでは悪魔にとりつかれる人が後をたたない。今でも活躍しているエクソシストの事例が満載。ある信仰をインストールしてしまったからこそ生じた苦しみや悩みは、その信仰のエンジニアである専門家にメンテナンスしてもらったほうがいいのだろうか。それとも、悩みや苦しみは信仰とは関係していないけれど、人々はエクソシストに助けを求めているのだろうか。
  3. 松本の兄』 私は松本人志というお笑い芸人が好きである。彼のコントは勢いといいタイミングといい論理性といい非常に秀逸だ。よくできた芸術品を作っている人だと思う。不条理で怖いコントから、底抜けに笑えるコントまで、様々な作品が彼にはあるが、なかでも私が好きなのは「おかんとマー君」というシリーズである。今回この本を読んで、実際の「おかん」がこのコントのモデルとなっていることが分かり、非常に納得した。松本の兄が語るところによれば、高校生の頃、学校でタバコを吸っているところを教師達にばれてしまい、職員室で叱られていた兄を、おかんは逆切れして教師達から守ってくれたのだという。「タバコぐらいなんや!誰にも迷惑かけてないやないか!あんたも高校の頃すっとったんやろ!いい年した大人がよってたかってうちの子供を犯罪者扱いして恥ずかしくないんか!ほれタバコここで吸ったれ!(と怒鳴りつつ兄にタバコをその場ですすめる)」という具合に。すごいおかんだ。ただ単に感情的なのではなく、実は周到な計算に基づいて行動しているようなので、賞賛に値する。この、おかんに守られてきたという体験は、形を変えてしっかりと松本のコントで生かされている、と思う。

■万引きしたマー君を警察署へ送らせまいと画策するおかん。
http://jp.youtube.com/watch?v=Y9B0yXf6L2U


おまけ。以下のコントでもおかんの底なしの愛が炸裂。

■失恋したマー君をなぐさめたいおかん。
http://jp.youtube.com/watch?v=Q1iN7DKeHGs

■一触即発の状況からマー君を連れて帰るおかん。
http://jp.youtube.com/watch?v=Qwh5sLFA0qc

*1:その規模とその内容が常識とずれていればいるほど、弟子達が抵抗を感じる種類のものであるほど、チベット仏教的には功徳が得られる。「私の思惑を察せよ」というメッセージに忠実に従い続ければ、いつか教祖の思惑通りの行動を弟子達は取ることができる。このように予想されるかもしれない。しかし実際はそうではない。教祖の思惑は絶対に言葉にされないため、教祖が否定しさえすれば、弟子達による思惑の察しは、永久にはずれることになる。教祖は弟子達が大事件を起こした後で、事後的に好きなように自分の思惑を決めることができる。つまり弟子達だけが割を食う仕組み。

*2:何もしなければ弟子達は次のステージに上がれない。かといって教祖の思惑を勝手に察して大犯罪を犯せば逮捕され、その罪の責任を一方的に負わせられる。マハームドラーにかけられた弟子達はどっちみち苦しむ。

*3:人を殺しても、輪廻転生という考え方により、人はすぐに生まれ変わることになっている。なんというか、ある意味、テレビゲームにおける「リセットすればいいや」的な感覚に近いものがあるように思う。人殺しの敷居が低いというか。

*4:ただしチベット密教における「ポア」は高僧の超能力によって行われることになっている。この点がオウムと異なる。

*5:カテキズムのエキスパート。