発作的層別

  1. 細木数子の言うことを鵜呑みにし「私は霊合星人だからぁ」と語るOL。
  2. 僕の地球を守って』という漫画を読み、「前世で一緒に闘った仲間」を本気で探そうとする女子高生。
  3. 座禅姿でピョンと床から一瞬だけ浮いた教祖を見て「空中浮遊だ!」と感動する旧帝大出身の弟子達。
  4. 健康法に関するテレビ番組を見てスーパーに走り納豆を買いまくる中年女性。
  5. 「幽霊が見える」と真顔で述べるたこ焼き屋さん。
  6. UFOに連れ去られたことがあると語る青年。
  7. 「調査地で小人を見た」と論文に書く人類学者。
  8. 「空飛ぶトナカイに乗り子どもたちにプレゼントを配るサンタクロースという人物は実在する」と断言する女子中学生。
  9. 「娘が悪魔にとりつかれた」とエクソシストに助けを求める親。
  10. 「供養が足りないから先祖が怒ってあなたに災いを及ぼしている。私が先祖を供養してあげるから100万円払って下さい。」というユタの判じに、ただただ頷いて供養をお願いする中年女性。
  11. 本当はそんなものないと思っているくせに、「サクティというものを手のひらから出して治療致します」とか言って時折他人の病気を治している20代後半の胡散臭い男性にまんまと癒されて「治りました!ありがとうございます!サクティって本当にあるんですね!」と感謝する人。
  12. 「アイドルはおならをしない」と語るファン。
  13. 「水は人語を理解する」と生徒に語る学校教師。
  14. 「マダムフローラの妖術によって私は殺されるかもしれない。。この恐怖は否定できない。」と論文に記述する人類学者。

これらの事例は同じグループに含めることができるだろうか?

これらは全て似たような事例のように思えるが、同列に扱うことになんとなく抵抗がある。とりあえず便宜的にグループを2つ用意してみる。

  • ある特定の他者、あるいは、テレビ、本、新聞といった情報源と接した後で、超常的な発言*1を行うようになったグループ。
  • ある特定の他者、あるいは、テレビ、本、新聞といった情報源と接する以前から、超常的な発言を行っていたケーグループ。

この2つのカテゴリーに、冒頭の事例を振り分けてみると、どうなるか。ていうか全ての事例が上記のうちの1番目のカテゴリーに含まれることになる。それはそうか。他人と接触しない人間は存在しない。

うーん。なんか違う。こんなことがしたかったのではない。

では、次のようなグループの設定はどうだろう。

  • ある程度の学歴があり、他人の言うことに対して適切に懐疑を行い、しっかりと自分の頭で考えて、判断を下す人たちのグループ。
  • 学歴がなく、気が弱く、他人の言うことに左右されやすい人たちのグループ。

なんかいやだなこういう分け方は。

  • 男性のグループ。
  • 女性のグループ。

だからといって、こんな分け方はつまらない。

  • 権威が大好きな人。自分よりも強大な存在に支配されたい人。
  • 権威が好きでもないし嫌いでもないし、自分よりも強大な存在に支配されたいとも特に考えない人。
  • 権威が大嫌いな人。自分よりも強大な存在に支配されたくない人。

うーん。

  • 自分が嫌いな人。
  • 自分が嫌いでも好きでもない人。
  • 自分が好きな人。

うーん。

  • この世界が嫌いな人。自分にとっての現実を否定したくてたまらない人。ここじゃないどこかへ行きたい人。
  • この世界にそこそこ満足して生きている人。

これはなかなかいいかも。

  • 実際にその存在を知覚することができ、その存在の実在を確信しているグループ。
  • 知覚はしたことがないが、その存在の実在を確信しているグループ。

これは使える分け方だと思う。

  • 朝型の人。
  • 夜型の人。

  • 他人が好きな人。他人を信頼している人。お人よしな人。
  • 他人が嫌いな人。他人を簡単には信頼しない人。ずる賢い人。

うーん。

  • 友達がいない人。他人からの承認に飢えている人。他人からの注目を集めたい人。
  • そうではない人。

うーん。

  • 昔、親や近親の者から虐待されたり、学校などでいじめにあったことがあり、そのため、自らを脅かすものが溢れたものとして世界を捉えている人。
  • そうではない人。

うーん。

  • 「他人はどのような事柄を常識として考えているのか」ということに絶えず気を配り、自らの言動の在り方を、他人の反応とのかねあいで決定している「秩序から距離の取れた人たち」のグループ。
  • その逆。

その逆ってどんな人たちのグループだろう。書けそうで書けない。「ある特定の秩序にガチガチにはまっている人たち」のグループか? でも、こんな風に極端に人を区別できるわけない。ある時は、「秩序から距離の取れた人たち」でもあり、またある時は、「秩序にガチガチにはまっている人たち」でもあるのが、人の、一般的な傾向ではないだろうか?

どうやら本日の発作的層別は失敗の模様。

追記:頭が悪いくせに私は傲慢な人間である。

「健康法に関するテレビ番組を見てスーパーに走り納豆を買いまくる中年女性。」は、別に超常的な事柄に関わっているわけではない。テレビ番組の内容を鵜呑みにしているわけではあるが、決して超常的なものとは関与していない。

それではなぜ私は、このような事例をわざわざ記述してしまったのか?

オカルト的、あるいは、超常的と称されるような事物・対象。もしくはそのようなものに依拠した活動を行う人々。このような人々を見つけると、人類学者は研究対象にする気になる。研究してもいいかなと思う。そして、「彼らは虚構としか思えないような現実をどのようにして生きているのか?」と問いを立てたりする。たとえば、妖術を心底恐れている人たちに遭遇すると、人類学者は「研究対象にしてみようかな?」という気になる。

しかし、「健康法に関するテレビ番組を見てスーパーに走り納豆を買いまくる中年女性。」を見ても、人類学者の食指はあまり動かないと思われる。なぜならそこには、他者に対する新鮮な驚きがないからである。

「納豆は健康になんら寄与しない」という信仰を持つ人類学者のみが、このような人々を「納豆と健康を結びつけて考える超常的な思考をする人たち」と形容し、彼らを驚きとともに研究対象にできるのだろう。

私はこのような人類学者ではない。「確かに納豆は健康にいいかもしれないけれど、なんなんだその影響のされ易さは。恥ずかしい。他人の言うなりになりやがって。自分の頭で考えろよ。考えてから動けよ。他人の言うことをもっと疑えよ。」という憤りを感じさせるような事例だったからこそ、私はこの事例を記述したのであろう。

そこには異質な他者を見たときに感じる健康的な驚きは少ない。どことなく、相手を見下したような態度だけがある。なんというか。ものを疑わない人、自分の頭で考えない人に対する怒りあるいは蔑みのようなものが私にはある。

私は、某キリスト教系の宗教団体に関わっていたことがある。そこには東大の大学院生や、芸能人がいた。芸能人はともかく、東大の院生達はなるほど非常に賢かった。私はショックを受けた。オウムの信者である京大医学部の学生と会ったときもそうだったが、頭がいいはずの人間が、絶対に筋道立てて立証されることのない「神」や、気を彷彿とさせるような胡散臭い「力」の存在を鵜呑みにしていることが、とてもショックだった。私は教団への彼らの埋没ぶりを目にするたびに、「頭がいいのに一体どうしたんだお前らは」と彼らの体を揺すりたかった。

キリスト教系の宗教に入っている東大生のひとりは、物理学専攻であった。彼は私にニュートン力学量子力学について語ってくれた。量子力学が登場する以前は、世界はニュートン力学ですべて説明することができた。しかし、絶対零度に近い空間を人工的に実現できるほど科学が進んだとき、ニュートン力学では説明できない事象が報告されるようになった。絶対零度の状態において物体は、ニュートン力学では説明できない動きをする。人々は慌てた。しかし、量子力学ならこの状態を説明することができた。もちろん、ニュートン力学が間違っていたというわけではない。ニュートン力学で説明可能な領域と、説明不能な領域があるということである*2

というような話を、教会を訪問した帰りに、中華料理屋で聞かせてもらった。料理を食べた後、素直で感じのいい彼らはおもむろに祈りだした。「今日は重森君に出会えたことに感謝します…。アーメン。」 祈りのポーズをとり、目をつぶって何物かに感謝している彼らを見て、私は複雑な思いにかられた。「なんでそんなに鵜呑みにしてしまってんだよお前ら!東大生だろ!頭いいんじゃないのかよ!神なんているわけねーだろ馬鹿野郎!」という言葉が頭をよぎる。

そのキリスト教系の宗教団体の評判は良くなかった。表向きはホスピタリティーに溢れているが、脱退者を仲間内でさげすむ発言を平気で行うのである。「あいつは地獄に行く。神の裁きを受ける。」と平気で言うのである。なんでこんなキモイ集団に入るんだよと私は悲しかった。教団を利用してなにかしてやろうと腹黒く考えて潜入しているのなら分かる。しかしそうではなく、神とか神秘的な力に引き寄せられて彼らは、この教団に入信していたようであった。

私がサクティの話をすると、彼らは私に尊敬の眼差しを向けた。「…シャクティパットだっ!」と二人の東大生のうちの一人が、明らかに興奮した顔でもう一人の東大生に向かってつぶやく。私はそれを見て悲しく思った。「なんで疑わないんだよ。なんでそんなにスポンジのように素直なんだよ。」と泣きたかった。これでは頭の悪い私にさえサクティで騙せてしまえるように思えた。

ここまで書いてきて気付いたが、私は、素直な人が、腹黒い人に騙されてしまうことが、許せないのだと思う*3。騙される人たちのその無能なまでの素直さが嫌いなのではなく。うーん本当か。どっちも嫌いなのではないか。よく分からない。

*1:どのような発言を超常的な発言というのか? 以下の3つのケースが想定できる。観察者の常識だけによって判断される場合がひとつ。次に、観察者の常識ではなく、現地の人々がどのような発言を超常的な発言として捉えているのかにより、そのことを踏まえたうえで、なんらかの発言が超常的かどうかが「観察者によって」判断される場合。そして最後に、観察者の常識と、現地の大多数の人々の常識を両方動員したうえで、「観察者によって」決定される場合。

*2:実際の話は、もっと細かくて、非常に分かりやすく面白かった。物理学専攻の東大生の話は非常に整理されていた。

*3:だから、平気で二股かけるナンパ師や、偽霊能者とかが私は大嫌いなのだろう。一夫一婦制主義者のふりをして、かげで不倫をしまくる一夫多妻主義者が嫌いなのだろう。