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買いに行こう

「沖縄から」は本になりました

まだ池袋のジュンク堂4冊ほど余っているらしい。ジュンク堂へGO。

というわけで池袋のジュンク堂本店に本を買いに行った

御徒町駅の前で知らないお婆さんに、「今日は何曜日だ!」といきなり横から質問される。

「土曜日です」と答えると、お婆さんは「そうかあ。さっきカラオケに行ったら2000円で、いつもより高かったから変だと思った。」と笑いながら私に説明する。「ひとりでカラオケに行ったのですか?」と聞くと、「そう!」と大声で答える。「今日の夜もまた行くんだけど、土曜は平日と違って高くなるのを忘れていてねー。」と笑顔で話す。

なんとなく、このままずっと話に巻き込まれてしまうような雰囲気がしたので、笑顔を浮かべつつ「それでは」と言って足早に立ち去る。お婆さんはもう少し話したそうだったので、ちょっとだけ罪悪感を感じながら、山手線に飛び乗る。

池袋駅で降り、人をよけつつ駅沿いをまっすぐに歩く。そしてジュンク堂に到着。

いつのまにか5階に「沖縄関連」という本棚ができていた。前からあったのだろうか。なかなかの充実ぶりだった。お目当ての本をさっそく確保し、他の本を物色する。

ひめゆり忠臣蔵』という本にぱらっと目を通す。なんか文章がむかつく。しかし、まっとうなことを書いているような気もする。

』という藤原書店から出ている雑誌を手に取る。沖縄特集ということで、どこかで見たことのあるメンバーが執筆者として名を連ねていた。その中から、目取真俊氏の文章と、多田治氏の文章を読む。前者は、「ヤマトンチュー/ウチナーンチュ」の二項対立にしっかりと依拠した文章であり、後者は、「ヤマトンチュー/ウチナーンチュ」の二項対立に関する文章であった。
目取真の文章は、小説形式であった。沖縄の人たちに「自治の精神」を教え、彼らを啓蒙したがる、沖縄に移住してきた「ヤマトンチューA氏」という人物に関する物語。沖縄人たちを啓蒙することに一生懸命なヤマトンチューA氏の住居は、ウタキを破壊して作られたものであることが明らかになり、物語は終わる。目取真らしい非常に痛切な皮肉だ。自治の精神を奪っておきながら、自治の精神を持てと説教するヤマトンチューに対する強烈な怒りが感じられる。「沖縄を、現在のような沖縄にした当の張本人が、何を偉そうに。お前は沖縄人に「自治の精神を!」などと言えるような立場か?」という怒りの声が聞こえてくる。

一方、多田は、「ヤマトンチュー/ウチナーンチュ」の二項対立に基づいて思考することの危険性*1や生産性のなさを指摘。しかし指摘するだけでは問題は何も解決しないことに注意を促し、この二項対立は沖縄では依然としてリアルであることを確認する。

目取真と多田の文章は、対照的だといえる。そこには超えがたき溝がある。

私は、目取真の言いたいことも理解できるし、多田の言いたいことも理解できる。この二項対立に基づいて思考する人に対して、そんなことは不毛だからやめろなんて私は言いたくない。ナイチャーにしか見えない私は、このようなことを言ってはならない。しかし、この二項対立は混血風な私にとって邪魔なものでもある。消えてなくなってほしいものでもある。

などと、3時間ぐらいうんうん考えつつ立ち読み。

足が痛くなってきたので、17:00すぎに家に帰る。

今度は、北千住駅で知らないお姉さんに声をかけられる。「あのう。すいません。私、○○ラピスの××と申します。髪に関するアンケートに協力していただけないでしょうか」とアンジェラ・アキみたいなお姉さんに言われる。

アンケートと言いつつ、結局はこういうのは、商品販売に誘導していくので、私は最初から協力する気はない。「すいません。いそいでますので」と言って歩き続けたが、お姉さんも負けじと横についてくる。「すいません。ちょっとでいいので。お願いします。」とお姉さんは頭を下げるが、私も意地になって「いそぐのですいません。」と笑顔で言いつつ歩くスピードを上げる。

しかし、なおもお姉さんは横にはりついてくるので、最後には全力で猛スピードで歩く。私の早歩きは本当に早い。おねえさんは私の足に着いてこれず、やっとあきらめてくれた。


結論。今日は、2人もの女性から声をかけられたので、たぶんいい日だ。

そしてHeaven's Hellの感想

「エンディングは、藤井パートとカノンパートというのが別々になって、全部で5パートがからんできます意味分かる人ー!!」

Cocco先輩が、教室で子ども達に向かって問いかける。

ゴミで汚れた沖縄の海に悲観し、来る日も来る日も海辺のゴミを一人で集めていたCocco先輩は、「歌でなんとかできないものか」と思いつく。そして日本中が平和を祈る日である8/15に、演奏会を開催することを決心。さっそくCocco先輩は沖縄県内の中学校や高校を回り協力者を募る*2。ゴミを海からなくすために、一緒に歌を歌ってくれる人を募集したのである。

「ゴミゼロ大作戦」と名付けられたこのイベントには、中学生や高校生だけでなく、アメラジアンスクールの生徒も参加。「沖縄は第三者を責めすぎる。自分の足元にあるゴミを拾ってから文句を言いましょう」という自論のもと、Cocco先輩は、ゴミを拾っていたときに歌っていた『Heaven's Hell』という自作の曲を子ども達に指南。

「ゴミを海からなくす」という目標の背後には、「基地との共存」や「沖縄における混血(ダブル)に対する差別の解消」といった、Cocco先輩が抱える問題群が控えている。歌を歌うために集まった子ども達や吹奏楽団の人達やその他の協力者達を、Cocco先輩は自分の問題関心にどんどんどんどんぐいぐいぐいぐいと引き込んでいく。自分の表現したいことを達成するために引き込んでいく。

ボランティアとして参加したはずの生徒たちは、「想像していたよりも迫力がない。もっと大きい声で!」などとダメ押しされ始め、Cocco先輩の燃えるような欲望に巻き込まれていく。やるならできるだけ良い作品を作りたいというプロ意識なのか。いずれにせよ、周囲はどんどんCoccoという軸を中心にして高速で回り始める。

アーティストは、やはりこれぐらいわがままなのがいいと思う。自分の思いや感情を他人に乗り移らせるぐらい、強引で熱い存在でいい。最後には絶対、周囲もそれなりの強度を得られるぐらいに、周囲を振り回して自分の世界に引き込むことができるのが、アーティストなのだろう。

『Heaven's Hell』の歌詞は悲しい。DVDで鑑賞できるCocco先輩の明るく楽しそうな雰囲気とは裏腹に、歌詞には絶望が刻印されている。

しかし曲は「すごく緩やかで美しいんだけども物凄く力強い」。

今やっと首に手を掛け
やさしい話手繰ろうと
そうあれは終末の鐘
鳴らせどうせ聞えない 

あなたがあきらめた海には
そっと星が降って
私が呼ぶ雨に濡れても
まだ歌っているよ

ああ会いたいな
ああ本当だよ
ああ届くかな
ああキスを込めて
 
立ち入るな風の住む丘
虹に架けた無理な乞い
この空にひしめく罪を
鳴らせ落とせ穴だらけ

例えばその手を振り招き
側に居て欲しいと
それでも大丈夫だなんて
繰り返すだけで

ああなぎ倒し
ああ踏みつけて
ああ楽園に
ああキスを込めて


「言葉で表現できないから歌にするのであって、歌詞の意味はあまり説明しないようにしている」とCocco先輩は言うが、私は歌詞の意味を次のような言葉で理解した。

アメラジアンであるあなたを否定し傷付けた沖縄。沖縄は、本当に矛盾だらけで、そして誰もそのことに関心さえもたない。それでも私は、沖縄が好きです。私にとって沖縄は大切な場所です。」


Heaven's hell (通常版) [DVD]

Heaven's hell (通常版) [DVD]

*1:混血の人間が差別される等。

*2:DVDのエンドロールで、ゴミゼロ大作戦に参加した学校名が表示されるのだが、そこには開邦高校の名前がない。なんで開邦生は全然いないわけ? また模試? それとも、Cocco先輩は開邦には回らなかったのか?