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「ウチナーンチュ/ナイチャー」の構図

人類学 沖縄問題

多田氏が、沖縄出身の研究者に対する反論の文章を、ブログにアップしていた。

上記の文章を読み、私はギクリとした。多田氏は、上記の反論文を、次のような言い回しで結んでいる。

最重要点だけ繰り返そう。「琉球人/非琉球人」の構図を学者が信じて使うのは、カタルシスは得られても、複雑で多層的な現実の分析能力のなさを露呈するだけなので、やめた方がよい。

それは、私が常々、自分のことを「ウチナーンチュ」*1だと信じてやまない人間に、言いたくて言いたくて、だけれども言うのをはばかられるセリフと、よく似ていた。

すなわち、「お前はナイチャーか?」と、自称ウチナーンチュに問われたならば、私は、まっさきに次のように切り返したくなる。

「ナイチャーなるものが満たしているべき条件を、まず述べてください。私がその条件を満たしているのなら、私は「ナイチャー」ということになるのでしょう。そして、あなたが「ウチナーンチュ」といえる根拠を聞かせてください。どのような条件を満たしている人間が、「ウチナーンチュ」といえるのですか?」

社会科学系の大学院生なら、どこかで耳にしたことがあるような、非常にありふれた反論形式である。私は、上記のように問い詰めることにより、自称ウチナーンチュが、「厳密に突き詰めれば結局は無根拠的に、自分自身をウチナーンチュと呼称し、かつ、私をナイチャーとして断定していたこと」を明らかにし、「ウチナーンチュ/ナイチャー」の構図を破壊してやろうと目論んでいるのである。

しかし、実際には私は、上記のような不躾な質問を自称ウチナーンチュには行わない。なぜなら、次のような声も私の頭に響くからである。

「薩摩の琉球支配や明治になっての琉球処分、沖縄への差別と同化政策沖縄戦では「本土決戦」の時間稼ぎとして「捨て石」にされ、戦後は米軍の支配下に置かれた。天皇メッセージの問題もある。「日本復帰」後も基地の集中という現実は何も変わらないし、大多数の日本人には変えようという意思もない。」(目取真 2005:171)

これは、沖縄出身の作家である目取真俊による文章である。

つまり私には、

「目取真が簡潔に要約しているような、「恨みを抱かれてもおかしくない仕打ち」をされてきた(されている)ことを理由にし、自分たちを沖縄人として自覚するとともに、その沖縄人である自分たちを虐げる日本人なる存在を設定し、これを猛烈に批判する人間がいても、至極納得のいく話ではないか。そもそも、沖縄に住む人々に日本人になることを強制したのは、日本に住む人間ではないか。彼らが沖縄に住む人々に無理矢理押し付けて内面化させた「沖縄人/日本人」という違いを、沖縄に住む人々が用いて思考するのは、至極当然の話ではないか。」

という思いもあるのである。

もちろん、人類学や社会学といった学問に慣れ親しんできた私は、「沖縄人」や「日本人」といった概念の虚構性を知っている。距離を取り、相対化し、これらの言葉を自然に使用することに、警戒心を持つことができる。

しかし、このような操作は、大学院*2というあくまで特殊な環境にいた私だからこそ可能な行為といえる。それに、言葉だけの存在であり、厳密に考えればそのような実体はないのだとしても、いつのまにかこれらの言葉を己の語りに引用するにつれ、世界がこれらの言葉なしでは語れなくなり、やがてそのような状態から抜け出そうとさえ思わなくなるような、「言葉を使う人間という生き物」の性質についても、私はよく知っている。

したがって私は、

「ナイチャーという存在が確固として存在しており、そのナイチャーによってウチナーンチュである自分たちは虐げられている」と考えざるを得ない人間に、「「沖縄人/日本人」の粗雑で単純な構図で思考するのいい加減にやめない? それ、はっきり言って古いよ。何の役にも立たない。今時そんな枠組みで物事を捉えても、いたずらに摩擦や分断が起きるだけで、何のメリットもない。」

などとは、絶対に言えないのである。言いたくないのである*3

たとえ、目の前にいる人間が、いわゆる学者としてカテゴライズされるような人間であっても、である。なんらかの虚構を現実として生きてしまっているのは、学者とて例外ではない*4

しかしだからといって、「お前はナイチャーか?」と問いかけてくる自称ウチナーンチュは、やはり好きになれない。

自分のことをウチナーンチュだと信じて疑わない人間に、「あなたはウチナーンチュではない。なぜならウチナーンチュなど存在しないからだ。だから、そのような言葉を使用して思考するな。あくまで一人の人間として思考しろ」と言いたくはないが、自称ウチナーンチュにナイチャーとして扱われ、敵意を向けられたくもない。

参考引用文献

沖縄「戦後」ゼロ年 (生活人新書)

沖縄「戦後」ゼロ年 (生活人新書)

*1:いわゆる「沖縄人」「琉球人」。一方、「ナイチャー」とは「日本人」のことである。また、「日本人」は、「沖縄」において、「ヤマトンチュー」「内地の人」とも呼称される。

*2:特に、「常識を疑うこと」を研究手法の根幹に据えている学問を学ぶ大学院。たとえば、人類学や社会学や哲学といった分野を専門にする大学院。したがって、ここでの大学院とは、すべての大学院を指さない。徹底して物事を疑うことが奨励される人文科学・社会科学系の大学院に限られる。

*3:むしろ、ウチナーンチュに対してしたり顔でこのように述べるナイチャーがいたら、私はそいつをぶん殴りたい衝動に駆られるであろう。物事を疑う作業に従事してきたとはいえ、私にはウチナーンチュという自覚があるのである。厄介なことに。

*4:かの、懐疑的として名高いデカルトでさえ、「動物精気」なる虚構的な存在を、疑うことができなかったように。