おでんと麻酔とハチミツとクローバー

金曜の夜に柔軟体操をして寝たからであろう。目覚めが良かった。風呂に入り、洗濯物を干し、家を出る。天気がよかったので荒川の土手を歩く。目的地はたかはし。今日はおでん(大根)が付いてきた。いつかこの借りは必ず。

つくばエクスプレスに乗って浅草へ。歯医者に虫歯の治療をしてもらう。思っていたよりも重症だったので、神経を抜いた。麻酔という発明に心から感謝する。いくら頑張っても自力で鎮痛効果を引き起こすことはできなかった。4本ほど注射を打ってもらった。

次の診察の予約をし、お世話になりましたと歯医者に礼を述べたあと、浅草を徘徊。浅草は今日も観光客で賑わっていた。道路脇に日本テレビの放送車が止まっている。どうやら近々、マラソン大会が開催されるらしい。

ROXの近くで見つけた漫画喫茶の前で立ち止まる。自分の読みたい漫画が入っているかどうか分からないので、このような場所に足を踏み入れることは滅多にないのだが、最近『ルポ最底辺』という本を読み、別の意味で漫画喫茶が気になっている。読みたい漫画もあるにはあり、また、どのような人間がそこにいるのか知りたいということもあり、漫画喫茶に入ってみた。

地下2階にある漫画喫茶の料金は、3時間980円であった。広い店舗に、小さな個室がずらりと並んでいる。個室には扉が付いているのでどのような人間が中に入っているのかは外からは分からない。

前払いで3時間分の料金を払った後、自分の席へ。前から読みたいと思っていた『ハチミツとクローバー』を全巻持参する。以前近所のブックオフで読んだことはあったのだが、あの時は巻をとびとびでしか読むことができなかったので、全巻通してじっくり読んでみることにした。

3時間はあっという間に過ぎた。『すごいよマサルさん』と『スラムダンク』を足して、そこに「恋愛」という話題を色濃く織り交ぜたような印象を受けた。3時間では読み終えられなかったので、もう3時間延長する。

「なんやこら。客やで客ぅ。なんで出ていかなあかんのや」 どこからかドスの聞いた声が聞こえる。そしてその傍らから「ソウダヨ。ナンデ。ナンデ。」と、女性による片言の日本語が聞こえてきた。そこに、「すいません。ですから既に時間がすぎておりまして…」という店員の声が折り重なる。どうやら、料金システムを理解していない日本人男性とその恋人を、店員が説得しようとしているようである。

どうでもいい。竹本や森田さんやはぐの行く末が気になる。私は既に浜美大の世界の住人になってしまっていたので、残りの巻に意識を集中した。

楽しい学生生活と、社会の中に居場所を見つけることの難しさ、そして「恋愛」と呼ばれる現象につきものの依存*1が描かれている。登場人物一人ひとりの独白が真に迫っていて、引き込まれる。特に私は、竹本がクリスマスに対して覚える「お前の居場所はどこだ?」と執拗に問いかけられるような感覚、あるいは、「いつのまにか椅子取りゲームで負けてしまう恐怖」に共感した。

不安なのだ。そう。学生生活を一言で表すとすれば、それは不安である。なにか、急がねばならないけれども、何をどう急げばいいのか分からなくて、ひたすら不安な状態。『ハチミツとクローバー』においては、この不安とともに、「恋愛」が、美大における学生生活を舞台にして余すことなく描かれていると思う。「この先どうやって生きていこう?何をたよりにして生きればいいのだろう?誰か自分を導いてはくれまいか?どこからきてどこへいけばいいのかを明確に指し示す羅針盤になってくれる人はいないだろうか?」という、将来と今に対する不安、生きること自体に付随する不安との関係において、「恋愛」が描かれている。

登場人物が示す煩悶や独白は、読んでいて苦しくなるくらいリアルだ。つまり身に響く。私も昔のことをいろいろと想起した。思えば私の「恋愛」というものは、不安と性欲に根ざしたものばかりであった。今でもそうかもしれないが。

もちろん、「恋愛」だけが描かれているわけではない。笑いもちゃんととれている。例えば、かなりユーモラスな『すごいよマサルさん』的な場面も見所だ。「自分探し竹本」の青春くささに痺れるじいさんたち*2や、「マサルさん」を彷彿とさせるような森田さんの変態的行動は見ものである。また、第2巻の巻末に登場する犬、西園寺ミドリ(オス)によるあらすじ紹介は非常に面白かった。

そして、身を立てるためになんらかの技能を磨いていくことに関する『スラムダンク』的な熱さ・真剣さ。これも同時にしっかり描かれており、読者を奮い立たせる。世界を救うとか全人類を救うとかいった大きすぎる目的に対してではなく、等身大の、今後どうやって生活していくのかという現実的・具体的な目標に対して、真摯に取り組む気概を読者に与える。

ひさしぶりにいい漫画を読むことができたと思う。

しかし、まさか結末がああいう形になるとは思わなかった。

ハチミツとクローバー 10巻セット (クイーンズコミックス)

ハチミツとクローバー 10巻セット (クイーンズコミックス)

*1:この先どうなるのか分からない将来を一人で生きていくことに起因した不安。その不安に基づいた誰かをよすがとして頼りたくなる気持ち。

*2:彼らのセリフが面白い。「盗んだバイクが走り出しそうじゃ!」には受けた。また、「なにも持たない「今」だけを掴んで!」等、しれっと詩的で感動的な言い回しが散りばめられている。