ひめゆり

風の強い日であった。私は渋谷のアップリンクという映画館に『ひめゆり』という映画を見に出かけた。最初からある程度は予想はしていた。きっと、言語を絶するような恐ろしい体験を、カメラの前の元学徒の方々は語ってくれるだろう。そして、私の中に、怒りを芽生えさせてくれるに違いないと。

日々、私は様々なものを恐れて生きている。最近駅内でやたら他人に職質している不審な警官。電車で偶然隣に居合わせたヤクザ風の男。派手な服を着た10〜20代の女性。私はいろいろなものを恐れて、毎日びくびくと生きている。

だから私はいつも怒りに身を震わせていたいと思う。私を恐れさせるものの目を直視し、そのまま睨み殺せるぐらいの気迫が欲しい。自分を恐れさせるものが、たいして恐れる必要のない「よわっちいもの」として感じられるような心境に私はいたい。このようなことを願ってしまうほど、私という人間は、本当に弱い人間なのである。

ひめゆり』を見ることにより、私は自らの「世界の見え方」を書き換えようと目論んだ*1。元学徒の方々による体験談は、私の「世界の見え方」に変化を与えてくれるのではないかと期待した。

怒りはわかなかった。ただただいたたまれなかった。申し訳ない気持ちになった。「もう話さなくてもいいです」と言いたかった。見ていて胸が痛かった。

特に、あたり一面に尖った岩が広がる新崎海岸で、鼻が折れ曲がってしまうような異臭を放つ、血や尿や泥が入り混じった水たまりに顔をうずめ、鼻をつまんで水を飲み干した経験を持つ元学徒の方は、当時のことを語りながら、途中で、泣き出してしまった。それを見て私も涙を流してしまった。

艦砲射撃と戦闘機からの機銃掃射により友人を次々と亡くし、命からがら辿り着いた海岸の、その海の向こうには米軍艦隊。周囲は死体の山。血と肉と異臭。

そんな光景を思い出させて、話をさせてもいいのだろうか。そして、それを鑑賞していいのだろうか。非常に申し訳ない気持ちになる。

自分の「世界の見え方」を変えるという利己的な動機から映画館を訪れていたからこそ私は、さらに申し訳ない気持ちになる。

映画を観ながら、私は祖母のことを思い出した。祖母は今年で85歳。元学徒の方々と同じぐらいの年齢である。

私の祖母は沖縄戦について絶対に語らない。当時のことについて何度かそれとなく質問したことがある。しかしそのたびに祖母はうつむいて、「…思い出したくない」とだけ言う。

何かあった。思い出したくないことが過去にあった。このことだけは伝わってくる。

元学徒の方々の語りは事実なのだろうか。おそらく事実なのだろう。私は「それは嘘だ。作り話だ。でたらめだ。」などとは全く思わない。彼らの証言は事実に関する語りなのだという、信仰にも似た確信が私にはある。しかし、もしも事実であったとしても、このことはどのようにして裏付けられるのだろうか。いつしか私は、このような視点から、映画を鑑賞しだした。

「ここで機関銃で撃たれて友人が亡くなりました」と元学徒の方が話す。カメラは、海岸の岩肌に残る銃弾の跡を映す。この銃弾の跡と、その奥に埋まっているであろう弾を示せば、ここで機関銃が使用されたことを「科学的」に証明することはできそうである。

では、元学徒の一人が語る、壕から学徒達を追い出す日本軍兵士の話は、どのようにして事実として裏付けることができるだろうか。米軍に包囲された状況下で、「ひめゆり部隊は解散だ!これからは自分の考えで行動せよ!お前たちは壕から出て行け!」と日本軍の兵士が命令したこと。どこにも行くあてのない少女達を壕から追い出す日本軍兵士がいたことを、どのようにして「科学的」に証明できるだろうか。この場合、さきほどの銃弾の跡と異なり、物的証拠として挙げられるものがない。証拠となるのは、元学徒の方の証言だけということになる。

しかしこの証言の内容は、どこまで証拠として認められるのだろうか。すべての証言が、過去に起きた出来事を正確に描写しているとは考えにくい。なぜなら、人間には記憶違いが起こりうるからである。また、故意に嘘を付く者がいることも考えられる。

しかし、元学徒の方々の語りは、確実にこの場所で何かがあったに違いないという思いを、十分に私に抱かせる。それも、証言の内容通りの恐ろしい出来事が実際にあったことを私に確信させる。

しかし私は、どのようして、過去に何があったのかを「科学的」に特定することができるのか、よく分からない。このことに私はいらだちを覚える。

当初の目的を忘れ、いつしか私は「どうすれば元学徒の方々の証言を事実として裏付けることができるのだろうか。誰かの証言をそのまま事実として受け入れるのはあまりにもナイーブすぎる。このようなナイーブな態度で、元学徒の方々の証言を事実として受け入れてしまうならば、いわゆる歴史修正主義者と呼ばれる方々が、彼らにとっての事実を真剣に心から何の政治的意図もなく証言したならば、私はこれも事実として受け入れなければならないだろう。素直な心はむしろ邪魔だ。証言者の真剣な態度や彼らの語りから伝わってくる切実さだけをたよりにして、何が事実かを判断してはいけない。過去に何があったのかを「科学的」に特定する方法を研ぎ澄まし、それを用いて検証するという冷めた態度こそが重要だ。」とひとり頷いていた。

たとえ、元学徒の方々の証言を聞いて涙が出ようと、「科学的」な態度を忘れてはいけないはずである。

映画館を出た後、強い風の中、渋谷駅に向かう。駅前に止まった街宣車から、日本を憂う声が聞こえた。

相変わらず私はいろいろなものを恐れているが、あくまでも「科学的」な態度で、乗り切りたいと思う。

*1:ケニアから帰ってきた当時は、蛇口をひねって水が出ることに感動できた。しかし私はすぐにそのような仕方で感動できなくなってしまうほど、何かに縛られがちな人間である。絶えず、異質な世界に身を置いて、「世界の見え方・感じ方」を更新したいと思う。幸せを感じられるかどうかは、この内容次第であろう。