沖縄学講座「沖縄の建築にみる記号と身体」の感想
沖縄の建築について、友人の建築家が講義を行うという。それを鑑賞する為に重森は、某W大学へ足を運んだ。
某W大学と言えば、修士論文製本の際にお世話になった文房具屋がその近所にあり、非常に忘れ難き場所である。重森にとって、研究するということは、ひとえに孤独と不安の中に身を置いて、どのような批判にさらされるのか全く予想できない作品を、ひたすら作り続ける辛い作業のことであった。*1重森の修士論文には、「好きなことを好きなように書いた」という側面が確かにあるが、そこまで開き直って執筆するまでには、長い紆余曲折があった。
そのような昔のことを思い出しながら、重森は某W大学の門をくぐった。
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学生の大群でごったがえす通りを抜けて、講義棟に辿り着いた時には既に、建築家は講師として壇上から周囲を見渡していた。様々な場所で講師を担当しているからであろう。余裕の表情である。
建築家の傍らにはカゴメトマトジュースのペットボトルが置かれていた。重森もよく飲む、塩味のほどよくきいた美味しい飲み物である。しかし、なぜにトマトジュースなのだろうか。
トマトジュースに対する重森の疑問をよそに、講義は始まった。
建築家は、主に写真資料を用いて、「沖縄的とされるもの」「沖縄のものとされるもの」「沖縄的なもの」の正体を暴き、その真正性を揺るがした。しかし最終的には、「沖縄的とされるもの」「沖縄のものとされるもの」という言い回しを再導入した。
例えば、初めに建築家は、竹富島の赤瓦(あかがわら)を紹介した。沖縄を象徴するもの。土着的な何か。その土地に根差した確固たる存在感を持つものとして建築家は、竹富島の赤瓦を「沖縄的なもの」として最初に示した。
次に建築家は、竹富島の赤瓦は、実は「福建省で焼かれているものであること」と、「家屋内部の熱を発散させる本来の赤瓦の機能は、家屋自体が木造からコンクリート造に置き換わってしまったことにより、今や完全に失われていること」を暴露した。赤瓦という「沖縄的なもの」は、「実は外来のもの」であり、さらに、「とってつけた記号のようなもの」であることを明かしたのである。
この時点で、「沖縄的とされるもの」は、必ずしも沖縄的とは言い難いということが、建築家によって暴かれてしまったといえる。沖縄において、沖縄を連想させてしかるべき、昔からそこにあり、これからもそうであるような、不変的で本質的な何か。「沖縄的とされるもの」が纏っていたこのような属性の虚構性に、建築家は注意を促したのである。
しかし、建築家は「沖縄的とされるもの」という言い回しに、再び命を吹き込む。
建築家は、世界中に流布しているル・コルビュジエによる「ドミノシステム*2」が、沖縄では独自の発展を遂げたことに言及する。沖縄に移植され、そこでカスタマイズを施された「ドミノシステム」は、「将来、二階建てにすることを見越してあらかじめ柱を余分に天井から突出させて作っておくもんね」形式とでも言える様な、フランスで産まれた近代的なコンクリート様式の建築スタイルから逸脱した姿のものである。
ここで建築家は「沖縄」を再び導入する。一度はその真正性を揺り動かした「沖縄」を再び持ち出したのである。建築家は、沖縄各地で確認することのできる「将来、二階建てにすることを見越してあらかじめ柱を余分に天井から突出させて作っておくもんね」形式の建物に、「ドミノシステム」に代わる「ツノダシ・ドミノシステム」という名称を与え、それを「沖縄的なもの」として提示した。
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「つまり、あなたは、一旦「沖縄」を葬り去っておきながら、再び「沖縄」を導入することにより、聴衆の「沖縄」に関する本質主義的な認識のあり方を変化させたのですね? 「沖縄」というカテゴリーに疑義を挟み、その硬直したあり方に揺さぶりをかけ、そのうえで今度は、「沖縄」というカテゴリーを柔軟に再定義してみせた。最初に言及した「沖縄」と、最後に導入した「沖縄」では、その意味合いが異なる。このような講義をあなたは意識して行っていたのですね?」
若干興奮しつつ、講義の感想を建築家に伝える重森。建築家はその問いを受けて、静かに頷く。重森はなおも追及する。
「さらに、あのトマトジュースには、「竹富島の赤瓦の赤のように、赤いものでありさえすれば、すべてのものが「沖縄」を象徴し得るものになる」というメッセージが込められていたのですね? つまり、あらゆるものが「沖縄」になりえるという幾分ラディカルな主張。「沖縄」という言葉が、ある特定の事物に対して独占的に使用されていることに対する異議申し立て。あるいは、「沖縄」という言葉が指し示す内容の際限なき拡張。あの赤いトマトジュースには、これらの思想が込められていたのですね? 今回の講義の主眼である「沖縄というカテゴリーの性質自体の改変」を、あのトマトジュースで体現させていたのですね?」
建築家は次のように答えた。
「いや。トマトジュースにそんな意味を込めたつもりはまったくない。トマトジュースは、好きなので講義棟近くの自販機で買っただけ。」
重森は、相変わらず妄想が激しい。
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楽しく意見交換した後、重森は建築家と別れた。
建築家は、翌日の講義で使う建築模型を、タリーズに忘れた。
今後も、沖縄学講座からは目が離せない。