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おきなわ女性学事始

おきなわ女性学事始

おきなわ女性学事始

「おきなわ」と「女性」。この二つのキーワードを結び付けることにより、「日本」と区別されるところの民族カテゴリーである「おきなわ」と、「男性」ではない存在としての「女性」の両方を視野に入れた、抑圧と暴力に対する異議申し立てが可能となる。いくつもの多種多様な「おきなわ」の「女性」たちと、自らも「おきなわ」の「女性」である著者自身とが、これから語り始めるための、非排他的かつ非一枚岩的な、永遠に仮の立脚点がささやかに提示される。「おきなわ女性学」という「語るための枠組み」を、戦略的本質主義的に確保する試み。

現時点において私は、勝方=稲福先生の著書について、上記のような要約を行うことができると考えている。上野先生のジェンダーコロキアムに参加することにより、この私の認識がどのように変容するのか非常に楽しみである。

ジェンダーコロキアム参加報告書

私の認識に肉付けがなされていくような、内容の濃い発表であった。

2人のコメンテーターによる約10分間のコメント。その後、著者自身によるリプライが続き、最後に、会場の人々を含めたディスカッション。このような形式で発表は進められ、合間合間に上野先生のコメントが入った。

2人のコメンテーターは、勝方=稲福先生の『おきなわ女性学事始』が、「自分語りを誘発する装置」であることを指摘した。そしてこのことは彼らの発表内容自体において実証された。

『おきなわ女性学事始』について何事かを述べる役割を担う彼らは、「おきなわ女性」という言葉を思考に取り入れ、「おきなわ女性」と自らとの関連性に思いを馳せた。

米軍がらみの悲惨な事件が沖縄で発生し続けていること。このことを可能ならしめる素地を提供する日本国民の一員としての自分。

あるいは、沖縄出身でありながら、「おきなわ女性」というカテゴリーに疎外感を感じる自分。

「おきなわ女性」を巡って、深い内省に基づいた語りが展開された。まさに、「自分語り」が誘発されたのである。

2人のコメンテーターによる「自分語り」だけでなく、様々な人々の「自分語り」が誘発され、2時間がひどく短く感じられた。

帰り際、沖縄学習現地案内人と、御嶽の前方西に住んでいたことと何らかの関係のある人類学者と言葉を交わす。

明日の仕事のことを考えて、懇親会には参加せずに、8:40頃に私は、会場を後にした。