夏休み

世間では、今日が夏休みの最終日だという。

町内会の掲示板にはお祭りの知らせ。9月14日に神輿が出るらしい。

「祭りが行われるのは何故か?」と聞かれたら何と答えよう。

この時期は、既に夏ではなく、だからといって秋でもない、曖昧で、分類不可能な、危険な季節だと学んだ記憶がある。この境界状態の禍々しさを緩和するために祭りは行われる。このような説明の仕方を学んだ覚えがある。しかし本当だろうか。町内会のおじさんたちが、そんな大仰なことを念頭に入れているとは思えない。*1

あるいは、祭りは、夏を秋にしたいから行われるとも言えそうだ。夏と秋*2が存在することを幼い頃から教えられてきたからこそ夏を秋にする必要性が生じ、その必要性に敏感な人々が、手探りで編み出した「夏を秋にする仕方」が祭りである、とも言えそうだ*3

もしくは、町内会の有力者による権力誇示とかとも言えそうだ。あるいは単に、暇つぶしとも言えそうだ。もしかしたら、「若い男女が恋人を見つけるための出会いの場の提供事業」とも言えそうだ。

このように、祭りについては、多くの解釈を提示することができそうである。

ところで、私の夏休みは、9月下旬から始まる。

ひさびさに沖縄へ行く予定。渡嘉敷島に行ったり実家の近所を異邦人のようにふらふらと歩く予定。

また、沖縄から帰る途中に、ふらっと北九州に寄る予定。北九大周辺や市場に出現し、美味いものを食べる予定。特に、あんくるカレーとカサートのパスタと市場のトマトが食べたい。

さあそれまで仕事がんばろー。

*1:ただし、例の無意識という奴を持ち出すならば、このような説明は生きてくるのだろう…。

*2:あと春と冬も。

*3:いわゆる、「飲み会をしめる」必要がある際に、その「しめかた」として、「一本締め」なる謎の「かしわもどき」とも言えそうな手法が利用されることがある。「三本締め」でも問題はないらしい。誰かが演説をしてもよいらしい。つまり何をやっても「しめた」ことになるらしい。祭りもそれと同じか。