公園や河原で生活することはいかにして正当化可能か?

『東京0円ハウス』の坂口さんが、多摩川に小屋を立てて、自ら実際に0円生活を開始したと聞き、坂口さんのサイトを久しぶりに訪れた。

http://www.0yenhouse.com/travel/tamagawa.html

以前から多摩川で0円生活を実践していたロビンソンと呼ばれる人物の力を借りて、坂口さんの多摩川生活はスタートしたらしい。多摩川生活といっても、坂口さんは家を別の場所に確保しているので、真の0円生活とは言い難い。しかし、自ら実践してみるという坂口さんの実験精神には敬意を表する。

つらつらと坂口氏さんの日記を読んでいて、下記の文章が気になった。

多摩川での生活を続けてかなり時間が経ったが、ロビンソンとの取材がうまくいっているのかどうか分からない。今回は鈴木さんの時とは全く違うのである。それは、やはり、隅田川は一時撤去するという条件があったために、何らかの抑制があったのだが、多摩川は完全に治外法権のような状態になっていることに少し、自分が気になっていることも関係していると思う。しかし、ロビンソンの生活は、何か新しい生活の在り方を提示していることは確かなのだが、そこらへんで色々考え続けている。

from 2009年5月3日(日)多摩川生活日記第十八日目

治外法権という言葉に、私は反応した。

実は私はだいぶ以前から、次のような疑問を抱いている。

「それなりに財力のある人間が、公園や河原に家を建てたり畑を作ることは、いかにして許され得るのだろうか?」

私は、公園や河原の土地を半永久的に人が利用することは、以下のような場合には無条件に正当化できると考える。

  • 派遣切りやリストラにより貯金や住居を失った場合。

上記のようなケースならば、公園や河原に住むことは、なぜ無条件に正当化できるのだろうか? 理由は簡単である。貯金や住居を失った人は、公園や河原以外に、他に行く場所がないからである*1

しかし、上記の場合とは異なり、仕事を持つ人間や、財産のある人間までもが、公園や河原に家を建てたり、畑を作ることにより、「みんなのもの」である空間の一部を、半永久的に占拠することは、どのようにして正当化できるのだろうか?

治外法権という言葉が、もしも「なんでもありの無秩序状態」を指すのであれば、「いくらなんでもそれは問題ではないか?」と私は考える。

少数の人間が、広大な公園や河原の片隅で住居や畑を作り、慎ましく暮らしているのならば、何も問題はない。公園や河原のキャパシティーが十分に大きければ、何も問題はない。

しかし、もしも公園や河原の土地が半永久的に利用可能なものとして「すべての人間に公式に」開かれてしまい、多くの人々が公園や河原に欲望した場合には、次のような事態が発生するのではないだろうか?

  • 財力のある人間が、公園や河原の土地を徒に占拠し、所謂「ホームレス」の人々が公園や河原の土地を利用することができなくなる。

考えすぎだろうか? 

お金のある人間が、公園や河原の空間を半永久的に占拠したがると想像すること自体に無理があるのかもしれない。

しかし、現在様々な地域で行われている「派遣切りやリストラにあった人々による公園や河原の「一時的/半永久的な利用」を正当化する」運動が実を結び、行政により、公園や河原が「すべての人間」に開かれたものであることが正式に表明され、誰もがこれらの土地を好きなように利用できる状態がおおやけに認められた場合、上記のような事態は十分予想されることとはいえないだろうか?

公園や河原に家を建てたり、畑を作ることができる人を、生活保護基準のような指標に従って、的確に見定める必要はないだろうか?

また、「財力のある人間が、公園や河原の土地を半永久的に占拠することはどのようにして正当化されうるのか?」という疑問だけでなく、「雇用契約がそもそも嫌いだから公園や河原の空間を占拠して生活するという在り方は、果たしてどのように正当化されうるのか?」という疑問も私にはある*2

「そもそもこのようなケースまでも正当化してよいのだろうか?」という疑問がある*3

公園や河原が、語の正確な意味において「みんなのもの」となった際に、新たに生じてしまう問題があるのではないだろうか?

*1:利用できる場所として「緊急一時保護センター」や「自立支援施設センター」が存在する。しかしどちらも期限付きである。ある一定の期限が過ぎれば、外に追い出されてしまうため、根本的な解決策とは言い難い。生活保護を受給することができればアパートを借りることができるが、役所は生活保護申請に非協力的である。また、昨今の都市部では排除系オブジェが氾濫しており、路上で寝泊りすることも難しい。したがって、無一文になった人間は、公園や河原にしか活路を見出せない状況といえる。

*2:「それが○○先住民もしくは○○民族の文化だから」「個人が雇用関係を通して身を置くことになる現代日本社会の労働環境があまりにも劣悪であるため、それが改善されるまで避難するため」というロジックが思い当たるが、これらは他人を納得させるに足る説得的なロジックといえるだろうか?

*3:どうやら私には「労働することを拒否することはどこまで正当化できるのだろうか?」という疑問もあるようである。その前提として、「人は労働に従事すべきである。」という信仰が、私には根深く存在しているようである。しかしそのくせ、「何をすれば労働したことになるのか?それを決めるのは誰か?」という根本的な問いは全く掘り下げられていない。