水族館劇場と私

水族館劇場との出会い

水族館劇場による演劇を鑑賞するのは今年で3度目になります。ある日突然携帯にかかってきた、きのこからのお誘いの電話。これをきっかけにして私は、水族館劇場という場を知るようになりました。それが2007年5月、ちょうど今から2年前のことです。

2001年に北九州市立大学から関東の大学院に進学して以来、私は野研の活動に全く関与していなかったため、水族館劇場と、それと野研との関わりについてあまり良く知りませんでした。水族館劇場の北九州公演の際に、野研のメンバーがそれを手伝ったということを、風の噂で聞いていたのみです。

小倉の海辺に大きなテントを自力で立てて、水や馬を使った大規模な芝居を打ったという話に、「凄いなあ」と東京で素直に驚いていたのですが、2007年から、水族館劇場のテントに短い期間ながらも身を置くことができ、この組織の面白さと素晴らしさを実感することができました。

以下より、私が水族館劇場で感じた面白さと素晴らしさについて、詳述してみようと思います。

「自立」した集団としての水族館

水族館劇場について必ず言及されることとして、舞台セットを作成する美術スタッフの技能や、「水落とし」に代表される演出技術の高さがあると思います。

しかし、なんと言ってもやはり、水族館劇場においては芝居を行う場所そのものを自分達の手で作ってしまうという点が、何度も強調されてよい点といえるでしょう。

建物を借りたり、市販のテントを立てたりするのではなく、自分達の演劇に最もふさわしい空間を、自分達の力で作り出す。箱に自らを合わせるのではなく、自らに合わせて箱を作る。この姿勢から、「自分達のことは自分達で決める」という精神を窺い知ることができます。

私は建設・土木関係の知識を全く持たないので良く分からないのですが、水族館劇場には、住居を建てる際に必要となる技術と知識を持った人間が数多く存在しており、いざとなれば自分達の力で住処を作り出すことができるサバイバル技術が蓄積されていると思われます。

「自立」に過剰な価値が付与されている昨今、自分の住処を自分で作ることができる水族館劇場の団員達は、そのようなかりそめの「自立」を軽く粉砕するぐらいに、「自立」を達成している人々といえるのではないでしょうか。

創作の現場としての水族館

公演が終わる度に、その翌日の午前中に反省会がもたれます。そこでは、前回の公演において気になった点がすべて議題に挙げられ、細かく吟味されていきます。

監督を中心にして、台本に沿いながら、プロローグからエンディングまでにおける各役者の立ち回りと、幕の閉め方、音響の入れ方、照明操作のタイミング等が主にチェックされていきますが、反省会では公演にまつわるありとあらゆることが検討の対象とされます。

反省会の様子を分かりやすく説明するために、ある日の反省会における一場面をいくつか取り上げてみたいと思います。

(省略)

以上、いくつか事例を紹介してきましたが、反省会の様子はざっとこんな具合です。技術的な事柄についてのみでなく、仕事全般に関する基本的な姿勢までもが検討の対象になっていることが分かります。

水族館劇場の芝居は、この毎回行われる反省会により、洗練されていくといえます。ここには「いいものを作りたい」という「モノ作り」への強いこだわりが感じられます。

現実と切り結ぶ闘争の場としての水族館

水族館劇場は、反体制的な思想に溢れた場所ともいえます。世間では正しいとされている常識や行いに良くも悪くも懐疑的な人々が多く集う場所です。このことを如実に表している事例を下記に紹介します。

(省略)

監督の桃山さんが書く脚本は、国家の犠牲となった「弱きもの」達を慈しむ内容のものが多いのも、国家やそれと結びついた企業に対する疑問と怒りが、その思索活動の根底にあるからこそだと考えられます。

国家やそれと密接に関連する企業や組織をアプリオリに善と捉えず、その在り方に強い疑いを示す姿に、強い共感を示す人間もいれば、「そんな危険なことはしたくない。そんな意味の分からないことはしたくない。私は日々のささやかな生活が大事。」と距離を取る人間もおり、私はどちらの言い分も同じくらいに理解できます。

革命家はその強すぎる正義感で、人をむやみに困らせることもあれば、日々の生活を淡々と生きる一般人が、少数者の抑圧に結果的に加担していることもあり、どちらの在り方がより良いものといえるのか、判断に迷います。

しかし、実際に政治活動をするかどうかはさておいて、「既存の価値観に対して常に懐疑的であること」が、独創的な業績をあげる研究者に要求される能力であり、人々の意表をつく作品を創り出す芸術家に求められる資質であり、新しいビジネスを打ち出す会社員に期待される技能であるなら、水族館劇場には、そのような特質に溢れた人間が数多くいるため、水族館劇場に関与することにより、創造的な意味で良い刺激を得られることは間違いないといえるでしょう。

作品自体の奥深さ

では、実際に水族館劇場がこれまで作り出してきた物語は、どのようなものなのでしょうか。

残念ながら、台本やDVDは私の手許にはないため、3年前と2年前の公演鑑賞後に、私が簡単に書きとめた日記から、水族館劇場の作品に間接的に触れていただけたらと思います。

・2007年『FLOWERS OF ROMANCE 「花綵の島嶼へ」』
http://d.hatena.ne.jp/Z99/20070614

・2008年『「Noir 永遠の夜の彼方に」』
http://d.hatena.ne.jp/Z99/20080608

個人のブログにおける覚え書き程度の文章であるため、読みづらい部分もあるかと思いますが、水族館劇場の芝居が醸し出すインパクトの片鱗を感じることができると思います。

垣根の低さ

舞台装置の秀逸さ、「モノ作り」への徹底したこだわり、そして、周到な計算に基づいて書かれた「弱きもの」に対する思いに溢れた脚本。水族館劇場は、あまた存在する劇団の中でも、非常に特異な存在であり、そのクオリティの高さから、賞賛されてしかるべき劇団といえるでしょう。

しかし、そのような高い評価にもかかわらず、水族館劇場へ私達は比較的容易につながることができます。

野研のメンバーが、長い年月をかけて培ってきた信頼。これが、水族館劇場と我々の距離を極端に短いものにしているのでしょう。

実際、野研のメンバーとして活動していない私でも、水族館劇場では野研のメンバーとして認知されてしまうために、公演後の打ち上げや、軽い作業などへの参加を容認されます。先日、久しぶりに再会した舞台監督は私に次のように話しました。

「いやー。去年はいろいろ働かせてしまってごめん。野研のメンバーだと思っていたから、お客さんとして扱ったら悪いと思っちゃって。仕事してもらったほうがいいかなと判断して仕事をいろいろ頼んだんだよ。」

つまり、現在、野研のメンバーは、水族館劇場へのアクセスが約束された特権的な存在といえます。

また、私は毎年、水族館劇場の公演を観劇し、その後打ち上げに参加して、ついでにそのままテントで布団で眠り、まるで関係者のような顔をして反省会に参加して、そして再び公演を観劇をするという生活を、2日ぐらい体験するだけのフリーライダーな人間ですが、先日今度は監督の桃山さんに「仕事していないなら、水族館に入りなよ。」と軽くお誘いを受けました。

こんなにも外部に対して水族館がオープンなのは、野研のメンバーが信用されているからに他なりません。

水族館に集う人々

役者の方々の経歴はきっと、いわゆる普通の経歴ではないでしょう。彼らの生き方を知ることだけでも、価値があると思います。

また、役者だけでなく、観客として水族館を訪れる人々も、普通の人々ではないように思います。打ち上げの際に、ちょうど私の隣にいたお客さんは、10年来の水族館劇場のファンで、劇団の人々からも慕われていました。

話を聞くと、この方は、現在横浜で野宿生活者を支援する団体を運営している方でした。区役所での生活保護申請の付き添い等を行っているそうです。

今は東京で会社員として働いている私ですが、リストラされる可能性は絶対に否定できません。私が野宿生活者になってしまう確率はゼロではありません。水族館劇場には、私の勝手な印象ですが、人と人が容易に連帯できる風土があるように思います。水族館劇場に行けば、いざという時に力を貸してくれるような人間に、出会えるように思います。

実際、水族館劇場で私は、横浜で野宿者支援活動をしている方と知り合いになることができました。困ったことがあれば、この方に助けを求めよう。ずる賢くしたたかに、私はこんなことを考えています。

おわりに

以上、長々と、水族館劇場の面白さと素晴らしさについて記述して参りました。

演劇関係者であればわざわざ驚くこともない当たり前の出来事を、もっぱら演劇鑑賞者としてこれまで生活してきた私が、ことさら大げさに面白がって記述しているような箇所も見受けられるかもしれません。

また、水族館劇場に漂う反体制的な雰囲気に、若干引いてしまった方もいるかもしれません。

しかし、なんらかの目的を達成するために複数の人間が協同して作業をするという、どのような場所でも必ずや確認できるであろう営みについて日々思考することの多い人間にとっては、水族館劇場の内部で私が見聞きしたことは、少なからずのヒントを与えてくれるものと思われます。水族館劇場について様々なことを書いてきましたが、水族館劇場に関して最も私が強調したいのは、「モノ作り」に対する朴訥なまでの真面目さです。

この真面目さを感じることができる反省会の臨場感を、そのまま減じることなく伝えることができないことに歯がゆさを感じます。是非、自らの足で水族館劇場を訪れ、「モノ作り」の空気を肌で体感してみることをお勧め致します。