路上エリートとは何か

私は「まつろわぬ人」が好きである。

「まつろわぬ人」という言い回しが分かりにくければ、「インディペンデントな人」もしくは「権力に迎合しない人」と言い換えたいと思う。生々しい具体例を示すならば、「皆が恐れる不良と堂々と一対一で喧嘩を売れるような人間」となる。己の自尊心を傷付ける者であるならば、相手が上司でもヤクザでも警官でも海兵隊員でも、「お前に文句がある。」と正面から睨み付けることのできる人。「まつろわぬ人」とはこのような人間のことを指す。

臆病な私は昔からそのような人間に憧れ、そのような人間になりたいと願ってきた。

もちろん、「まつろわぬ人」は、「単に喧嘩が好きな人」とは異なる。独自の価値観に基づいて考え行動し、臆することなく他者と交渉することにより、自らの欲望を実現させていこうとする人である。他者を、自らと同様の「独自の価値観に基づいて考え行動する人」として尊重し、丁寧かつ丹念な対話を心掛けるような人である。「まつろわぬ人」は「人と対立することがとにかく好きな人」ではない。

昔から私の周囲には、「まつろわぬ人」のモデルが存在した。

そのひとりは私の父である。父はどんなものにも立ち向かう。高校生の不良集団に堂々と一人で立ち向かう。人間以外の大型犬とも普通に格闘する。若干思い込みが激しい面も否定できないが、何も恐れないという点において父は、「まつろわぬ度」が非常に高い人物である。

しかし、父以上に「まつろわぬ度」が高い人物が身近にいた。

その人物を私は、彼の出現地域が池田という地名だった理由から、「池田原人」と呼んでいた。「池田原人」は、道路の真ん中をのしのし歩く。道路交通法など全く意に介さない。車がクラクションを鳴らしても、あまり気にせず歩き続ける。肌の色は真っ黒。服は黒くてボロボロ。筋骨隆々とした逞しい体。飛び出た眉毛。頑丈そうな顎。ホームレスという言葉は彼には似合わなさすぎた。「池田原人」は人間なのであろうが、人間を超えた何か、「精霊」や「仙人」や「妖怪」といったものに近い存在であった。

「池田原人」が、「どんな相手とも喧嘩ができる人」かどうかは分からない。もしかしたら道路の真ん中を歩いていたのは、道路脇の草むらに潜むハブを恐れてのことだったのかもしれない。しかし、とにかく私は昔から、正確に言うと4歳の頃から、「池田原人」を目にし、「うわあ。すげえ。。」と感嘆し、その後姿を畏敬の念を込めて眺めてきたのである。誰とでも喧嘩できるかどうか以前に、既存の秩序に喧嘩を売っているような存在。「池田原人」は、警官だのヤクザだのといったものが盲目的もしくは意識的に依拠している土俵自体と対峙しているような、喧嘩の仕方の次元が全く異なる超越的な存在であった。もはや、「不良に喧嘩を売れるかどうか」などという記述がアホらしく思えるほど、存在の仕方が強烈な人物であった。とにかく「のっぴきならない」のである。

「池田原人」を知っている人は、私や私の家族だけではなかった。誰もが「池田原人」という存在の凄まじさに言及し、その超越的な在り方に敬意を払っていた。「池田原人」を面白おかしく記述する人は見かけることはできるが、「池田原人」を馬鹿にしている人を私は、一度も見たことがない。

今でも私は沖縄に帰省した際には、「池田原人」の安否を気にし、池田付近に近づいたならば、周囲をキョロキョロと見渡す。ラッキーなことに、去年も「池田原人」の姿を私は確認することができた。「池田原人」はだいぶ年老いてきたが、相変わらず池田周辺を精力的に練り歩いているようであった。

私は「池田原人」と会話をしたことはないが、彼のことを少なくとも26年以上は気にしている。今では、「池田原人」の住処を私は知っている。道路に面したさとうきび畑の片隅に、鉄パイプとビニールで作られた小さな庵。そこに「池田原人」は住んでいる。さとうきび畑の持ち主と「池田原人」の関係はよく分からない。誰もが敬意を払う「池田原人」のことだから、さとうきび畑の主にも自然に受け入れられているのではないかと予想する。もしもこの予想が当たっているのであれば、私はさとうきび畑の持ち主の「池田原人」に対する包容力を素直に嬉しく思う*1

「池田原人」に対して勝手に様々な想像をし、彼を「まつろわぬ人」のモデルとして私が勝手に持ち上げていることは十分承知している。実際のところ、彼がどのような人間なのか私はよく知らない。その佇まいと存在の仕方に立ちすくみ、勝手に過剰に神聖視ないし美化していることは否定できない。

しかし、たとえそうだとしても、明らかに「池田原人」が既存の秩序や常識から自由な存在であることには変わりはない。だからこそ私は「池田原人」に興味を引かれ続けているのである。

「路上エリート」とは、いわゆる「定職」を持たず、通常保持していて当たり前とされる「持ち家」や、借りていて当たり前だとされる「アパート」や「賃貸物件」においてではなく、路上において「豊かに」暮らしている人を指す。路上でも、「逞しく楽しく元気に」生きることに成功している人のことを指す。「池田原人」はいつも一人で道路の真ん中を歩いているが、車のクラクションが鳴ると、いたずらっぽくにやっと笑ったりすることがある。まるでそのような状況を「池田原人」は楽しんでいるようであった。

今私は「楽しんでいるようであった。」と書いた。これは勝手な私の思い込みである。彼が楽しんでいるのかどうかは本当は分からないからである。

そしてなおさら、既存の秩序から外れた生き方をしている彼に時折垣間見ることのできるそのような笑顔や、道路の真ん中を堂々と歩く勇ましい姿だけを根拠に、「池田原人」を、「定職」を持たずに路上で「豊かに」暮らしている人、路上でも「逞しく楽しく元気に」生きることに成功している人、つまり「路上エリート」として取り上げることには、どうしても無理があると言わざるを得ない。

なぜなら、既存の常識から外れて、路上で暮らすことには、たとえそこに笑顔が存在していようと、それなりの困難が必ず伴っているはずだからである。このことを無視して「池田原人」を「路上エリート」として祭り上げることには、私自身抵抗がある。

と、ここまで書いて重森さんは、近所の図書館に向かった。

「「定職」を持たずに路上で暮らすことにより引き受けざるを得ない困難」と、「「定職」に就き持ち家や賃貸物件で暮らすことにより引き受けざるを得ない困難」を、厳密に比較することはできないだろうか?」

というような問いを抱えて、『現代思想』2006年8月号と、『現代思想』2005年11月号を重森さんは借りに出掛けた。

図書館で本を借りこんだものの、重森さんの筆は遅々として進まない。

「まつろわぬ人」と「路上エリート」と「池田原人」と「「定職」を持たずに路上で暮らすことにより引き受けざるを得ない困難」と「「定職」に就き持ち家や賃貸物件で暮らすことにより引き受けざるを得ない困難」と「豊かに暮らすということ」といったキーワードの連関を、重森さんはいまだ有機的に納得のいく形で把握することができていないようである。

重森さんが書きたかったことの大まかな概要を示すなら、だいたい以下のようになる。

  1. 「定職」や「派遣業務」や「アルバイト業務」に就き、持ち家もしくは賃貸物件で暮らしていくことには、それなりの困難が伴う。パソコン画面の見すぎによる視力の低下から、上司のパワハラやセクハラや物理的な暴力に起因した鬱病、長時間労働による過労死など。会社や公務員として生きることには、それなりの困難が伴う。
  2. 「定職」に就かず、公園や河原にテントを張り暮らしていくことにも、それなりの困難が伴う。安全性が保障されない食物を摂らざるをえないこと。見知らぬ人間からの襲撃など。路上で暮らしていくことには、それなりの困難が伴う。
  3. もしも1の生活の仕方が、精神的身体的な死をもたらすものでしかないのであれば、2の生き方を積極的に選んでもよいのではないか?
  4. しかし、誰もが1のような仕方で「豊かに」生きられるとは限らないのではないか? 皆が「路上エリート」になれるわけではないのではないか? 「路上エリート」には、言葉や絵や文字で「表現する能力」が必須であり、人と人が織り成すネットワークにつながるための才能が必要。俗な言い方をすれば、頭がよくて面白い人。話がうまく、絵が書けたり、読ませる文章を書くことのできる人。「一緒にいたい。何かあげたい。」と多くの人が思わずにいられなくなるような、人を惹きつける能力を持つ人。このような人物しか「路上エリート」になれないのではないか? 路上で暮らす人々が皆、坂口恭平氏が『東京0円生活』で紹介する鈴木さんや、公園で物々交換カフェ・エノアールを営む小川さんやいちむらさんのように、路上で「豊かに」生きることはできないのではないか? 路上で暮らす人々の大半は、飯田基晴氏が出会う前の「あしがらさん」のように、都市の片隅で、他者とあまり交わることなく、一人ひっそりと、寂しく生きているのではないか?
  5. そうであるならば、たとえ過労死鬱病などのリスクがあったとしても、1の生活に踏みとどまるほうが、無難な選択ではないか? 路上で「豊かに」生きていく能力や才能はなくても、会社員や公務員として生きていくことはできるのではないか? 路上で生き抜くことのほうが、難しいのではないか?
  6. うーん。書きながら、1と2の生活のあり方が、だんだん似たようなものに思えてきた。どちらも死のリスクをはらんでいる。どっちが安全な生き方なのか判断しにくい。1の生き方をしたために、過労死した人、自殺した人、鬱病になった人を私は知っているし、日本全国そのような話題は枚挙に暇がない。一方、2の生き方をしたために、襲撃にあって殺された人、餓死した人、凍死した人がいることは、多くの書物*2や報道などで知られているところである。どっちがいいのか私は分からない。あえて言うなら、どっちも嫌だ。
  7. どっちも嫌なほど、1と2がそれほど変わらない状態であるならば、つまりどちらにも似たような困難が存在しているなら、どちらの生き方をしても、同じではないか? 1でも2でも、どちらの生き方においてでも、私たちは生きていけるし、率先して、もっと楽しくもっと快適に、すなわち「豊かに」、生きていこうとするしかないのではないか?

*1:今度帰省した時にでも、さとうきび畑の持ち主と話をしてみようと思う。「池田原人」は明らかに年老いてきており、いつまで生きていてくれるか分からないので、「池田原人」とも話をしてみたいと思う。

*2:たとえば、生田武志氏による『ルポ最底辺』など。