2009年7月4日のエノアール

「女性野宿生活者」についての交流学習会で、私はテント村の野宿生活自慢を遠慮なく話した。それは、私と小川さんで運営しているエノアールカフェ、絵を描く会について。また、月に一回女性のためのティーパーティーを開いていること。ゴミを拾ってきてほとんどの生活用品が揃うこと。助け合いがあること。一般社会生活から逸脱した野宿生活は結構楽しい。と。学習会終了後、会場が片づけられながら、ざっくばらんとそれぞれ個人的に交流されている時、ある支援者のひとりが、「聞いてもイイですか?」とやってきた。そして、こっそりと「社会生活に戻る気はないんですか?」。その質問の中で、私は社会生活者ではない事になっていた。少しとまどった後、「えーと。私は公園の中に住んでいるという社会問題の中にいるので、社会人のひとりです。それから、今の一般的な社会人像を目指す気はありませんし、そうなったことがないと思います」と、凛と答えてみた。(いちむら 2006:168)

浅草で歯医者に会ったあと、しびれる唇を気にしながら、銀座線で渋谷に。

移動中、『現代思想2006年8月号』を読む。いちむらさんと小川さんの文章が面白い*1。大学院生の頃、「家賃払うの面倒。寝に帰るだけの部屋に月2万円も払うのは嫌だ。いっそのこと、大学内の森もしくは東本館の中庭にテント張って暮らそうかな。。」と考えたものの、いわゆる一般常識に邪魔されて、結局実行に移せなかったことを思い出す*2

あの頃の私は、今もそうかもしれないが、学生は「社会人」ではなく、就職した者だけが「社会人」を名乗れるものと素朴に考えていた。

どこかで、「そんな馬鹿なことがあるか。この社会に生きている者はすべて「社会人」ではないのか? どうして就職した人間だけが「社会人」とされるのだろう? なぜ学生やホームレスや主婦やフリーターは「社会人」とみなされないのか? 意味が分からん。気持ち悪い。なにか邪悪な意図を感じる。」と反発を覚えていたのだけれども、「就職することを恐れる人間は未熟な存在である。就職して「社会人」になることを拒否する人間、あるいは、「社会人」になれない人間は、半人前である。」という常識に、私はすっかり囚われていた。そしてそのうえで私はいつも常に、就職して「社会人」になることを、強制されているように感じていた。

「社会人」になることを強制されているように感じていた私は、「社会」を恐れる自分、「社会人」になりたがらない自分についても同時に自覚していた。「社会に飛び込まない自分は社会から逃げているのではないか? 私は強くなるために、普通の人間になるために、就職して「社会人」にならなければならないのではないか? 社会から逃げて、大学院でよく分からない呪いの研究に逃げているのはよくないのではないか?」と悩んだ。そして、その他いろいろな要因が重なった結果として私は、「社会人」になることを選択したのであった*3

(中略) 多くの若い人が、家賃や光熱費、税金などを払うために、多大な時間をやりたくもない仕事で費やしている。それが、自立だ、自己実現だと、尻をたたかれても、今の社会に決められた自立や自己実現にすぎない。そんな状況で、引きこもり、や、ニートなど当たり前ではないか。家賃のための労働をしないことによって、多くの自由に使える時間を得る事ができる。ホームレスを選択する若い人たちが、ホームレス文化の担い手になる時がやってくると思う。(小川 2006:128)

ホームレス自立支援法をみれば分かるとおり、行政がいう自立とは、持ち家やアパートでの生活でありそのために賃労働をすることである。(中略) つまり、ホームレス生活は行政から見れば議論の余地もなく自立していないということになる。しかし、自分の住む家さえ自分で作ってしまう人たちをさして、自立していない、なんて言えるだろうか。むしろ、独立心が強すぎて、行政や他人の世話になるのを潔しとしない人が、それゆえにホームレスになる場合もあると思う。そもそも自立という言葉は、その内容を検証することなく使えば、今の社会に是認された生き方を強制する働きをするばかりで、その他の生き方や考え方をつぶしてしまう。(小川 2006:130)

エノアールには、先客が着ていた。全員、テント村の住人たちであった。お土産として食パンとソーセージを小川さんに渡す。小川さんはソーセージをテント村の人たちにその場で分けた。

大きな紙袋をもったおじさんが現れた。紙袋の中には、帽子、小さなラジカセ、財布、カメラ、ポシェット、バッチ、ネックレスが満載されていた。全て拾ったものらしい。その場にいた人々で、気に入ったものをもらっていく。「わー私英会話の勉強したいからこれ」といちむらさんが小さなラジカセを手に取る。皮っぽい格好いい財布をYさんがいただく。AさんがバッチをTシャツに付ける。「獲物の山分け」という言葉が似合うような状況。

テント村の住人のひとりであるAさんと将棋をする。めちゃめちゃ強い。ある程度将棋には自信があったものの、すぐに2回も負けてしまった。Aさんは、どの局面でどのように打てばよかったのか、楽しそうに解説してくれた。そして「なんとかワクチン」とか「なんとかシステム」といった定石も教えてくれた。Aさんはテント暮らし約10年の経歴を持つ。たまに日雇いの力仕事に行きつつ、常に将棋のことを考えて生活しているとのこと。毎日少なくとも一回は将棋をしているようだ。

さきほどから、腕や手首をくねくねとさせている丸坊主のおじさんがいることに気付く。「Nさんはヒーラーなんだよ」と小川さん。Nさんによれば、突然体が何かにひっぱられて、どこかに行かざるを得なくなったりするのだそうだ。私が以前、ある島限定で手かざしによる病気治療をしていたことを話すと、「では、俺を治して!」とNさん。「どこか悪いところはありますか?悪いところがないと治せません。」と言うと、Nさんは「財布の中身」と答えた。

ホームレスに同情的な方から、批判的な方、意見に幅があるが、先入観を捨ててその生活に触れる方は少ないようだ。ホームレスは悲惨であるという前提は同じではないだろうか。自分の生活について根本的に考え直すのは面倒くさいし、怖いことだ。他を見て、自分の現在に安心したいという気持ちはだれにもある。なぜ、高い家賃を払わないといけないのか、そもそも土地に値段がついているのはなぜなのか、なぜこんなに働かないといけないのか、生活が楽しくないのはどうしてか。むしろ考え直すべきは一般的な生活の方ではないのか。ホームレス生活が豊かだとすると、そんな難問たちがやってきてしまうのである。(中略) 誰も語らないから、ホームレス生活の豊かさなんてないものになっている。そんなことを語ってもだれの利益にもならなかったからだ。ホームレスが、悲惨であれば、全ては丸くおさまるのだ。でも、うそ。明らかにうそじゃん。もう言ってもいいと思う。ホームレスには、(慎太郎の想像もできない)優れた文化があり、それは胸をはって誇れることだ。(小川 2006:130-131)

小川さんは地面にシートを引いて、謎のチベット体操*4をしている。そのあいだ私は「野宿生活することの危険性」について、いちむらさんと話していた。いちむらさんはいろいろな場面で怪我をしている。それでもこの暮らしをやめないのは、この暮らしから得られるものが大きな魅力にあふれているからなのであろう。

公園のテント村は様々な人が入り混じり、その人がなるべくその人のままでいようとし、共同生活を実践していた。共同生活するには社会的立場、人種、年齢、個性、思考など等しくなる必要はなく、その人の発言と行動が集団の中に顕示されていれば、ある程度の信頼関係が生じる。つまりパブリックに向かって、なるべく自由にふるまうことが、充実した共同生活の実践だと思う。公園にたくさんの人が集まり野宿生活することは、人が社会の中でもっとも自由にいられる形ではないだろうか。
私は多くの人にこの生活を知ってもらうため「お泊りプロジェクト」を実施している。今まで、お泊りした人達は様々だ。外国人や旅行者、記念日のイベントとしてお泊りする人、などである。ほとんどの人はここを楽しんで帰っていった。しかしとっても開かれた場所なので、安全は保障できない。ただリラックスできることも確かだ。その両極の感覚があるこの村の雰囲気を味わってもらいたいと思っている。(いちむら 2006:175)

「いつか私もテントに泊まらせてくれませんか?」といちむらさんに聞くと、「いいですよ♪」と返事をしてくれた。

帰り際、小川さんから、イベントのちらしをもらう。宮下公園ナイキ化計画について考えるシンポジウムが来週上智大学で開催されるらしい。

さすが「社会人」だ。社会における問題に真剣に取り組んでいる。私も見習わなければ。

*1:立岩さんのとぼけた感じの文章も面白い。

*2:しかし、国立から北千住に引っ越すまでの2週間のあいだに東本館の屋上入口前の踊り場で寝泊りしたことはあった。何のトラブルも起きなかった。共同研究室での研究や飲み会の後、「じゃーねー」と言って階段を登り、屋上手前の踊り場に敷いた布団に寝ることが、なんとなく愉快だった。最初から屋上手前を住処にすれば良かった。

*3:しかし、私は「社会」に挑戦したのではなく、辛くて苦しい研究生活から逃げただけともいえる。

*4:ヨガの一種なのだろうか?