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2009年11月20日の246キッチン

金曜は思ったよりも早く仕事が片付いたので定時に会社を出て渋谷へ。いちむらさんの246キッチンに今日も参加。大江戸線の地下鉄の売店で購入したトマトをお土産食材として提供する。

246キッチンに参加するのはこれで3度目になる。246の決行場所に到着する度に私は、私もよりも先に来ているいちむらさんを見る。集合時間は18:30なのだが、いちむらさんはもっと早めに到着し、国道246沿いの路上生活者達とのコミュニケーションを楽しんでいるようだ。

初めて246キッチンに参加した日も、私よりも先にいちむらさんが来ていて、近所の路上生活者の方々とお話をしていた。その際いちむらさんは私に気付くと、この場所の説明がてらに*1、いちむらさん自身が昔ダンボールハウスを建てて暮らしていた場所を教えてくれた。いちむらさんが昔住んでいた場所に面した壁には、大きめの封筒が張られていた。よく見ると「いちむら」という名前が書かれている。「それ、私の郵便受け。」といちむらさん。郵便局に出向いて「この住所のこの場所にこのような形の郵便受けを設置しているので、私宛の手紙はここに配達してください。」と、住所と名前を記した写真を手渡して説明しておけば、郵便局の人は指定した場所にちゃんと手紙を配達してくれるのだという。郵便局の人たちは「どんな場所にも必ず我々は郵便物をお届けする」という使命感もしくはプライドを持っているらしい。

246キッチンの準備の際にいちむらさんは、Wさんという高齢の路上生活者の方にまず話をする。246キッチンが行われる場所は、普段はWさんが住居として利用しているスペースなので、一時的に場所を貸してくれるよう交渉する必要があるのだ。今回はWさんは睡眠中であった。「Wさん、寝ているね。。」といちむらさんはやや躊躇しているようだったが、思い切ってWさんに「Wさん」と声をかけた。Wさんは目覚めてしばらくぼうっとこちらを見たが、すぐに事情を理解し、身支度をはじめた。

身支度というのは、地面に敷いていた布団を畳んだり、ズボンを履いたりという行為のことを指す。Wさんが布団を畳んで隣のスペースに積み上げている間、いちむらさんは箒と塵取りで地面を掃除する。私は所在無くぼーっとその風景を見ている*2

胡椒や醤油や油や包丁等の調理道具が収められた小さなタンスを中心にして、その前方にテーブルを2つ並べたら、いよいよ調理開始である。その頃になると、カリスマデパ地下店員のY口さんが登場する。

カリスマデパ地下店員のY口さんは246に着くやいなや、さっそく材料を切り始める。主婦歴何十年のY口さんはてきぱきと作業をこなす。だいたい私はY口さんの指示の従い、一緒に材料を切ることが多い。この頃ぐらいからちらほら人が集まり始める。

渋谷駅前の障害者用トイレで食材を洗い、まな板に乗せて切る。近くに住む路上生活者達もちらほら集まってくる。いちむらさんが彼らに声をかける。彼らは皆笑顔を返す。いちむらさんが彼らに信頼されていることがよく分かる。

今日は、北海道出身の路上生活者の方が、かす汁を作ってくれることになっていた。どこから現れたのか元板前のその方は、下ごしらえとして鮭をブロック状に切り始めた。「そのまま鍋に入れるんじゃなくて、フライパンで先に火を通すといいの。」と、その方は笑顔を見せながら私に説明した。前歯が3〜4本欠けている。

246には多くの食材が集まる。今回は、米、鮭、レタス、さつまいも、こんにゃく、味噌、葱、トマト、ドーナツが食卓に並んでいる。私が持ってきたトマトのように246当日に差し入れられた食材や、いちむらさんが様々な組織からいただいた食材等が並ぶ。それにしてもいちむらさんのネットワークはとても広い。前々回は「抵抗食の会」という組織や「三里塚闘争」関連団体といった組織から、大量の農作物が提供された。

このような場面に遭遇するとつくづく思う。確かにいちむらさんは路上生活者ではあるのだけれど、やはり他の路上生活者とは異なるのではないかと。ほとんどの路上生活者はこのようなネットワークには恵まれていない。いちむらさんは、外部のネットワークにつながった、やや特殊な路上生活者に見える。またいちむらさん自体が、ばらばらに存在していた個人をネットワーク化していく技能に長けているように思える。ソーシャルワーカーが路上生活をしているようなイメージ。あるいは「歩くネットワーク」。いちむらさんを結節点として、それまで交流もなくバラバラに点在していた路上生活者達が、つながりを持つようになった面もあるのではないだろうか。

食材を鍋で煮込み、一段落していると、小川さんが現れた。今日は黒い厚めのジャンパーを着ている。いちむらさんもそうなのだが、小川さんの服装はいつもこざっぱりしている。全然路上生活者に見えない。やっぱり二人はいわゆる「路上生活者」とは異なる。だからといって、いわゆる「社会人」でもない。「路上生活者」や「社会人」を超越している。彼らに最もあてはまるカテゴリーはやはり「アーティスト」なのであろう。

今日の小川さんは初老の女性を連れていた。なんと母親なのだという。小川さんについて「一向に家に帰ってこない。」と母親がこぼしたので、「家に帰ってきて欲しいんですか?」と私が尋ねると、笑いながら「もう、あきらめています。」と答えた。非常に高貴な雰囲気を漂わせた方である。

ボールに入った大量のトマトを見て小川さんは「何これ?」と驚いた。「すいません。買いすぎました。」と返答する。トマト好きな私は、ついつい大量にトマトを買ってしまうのだ。下のレタスが見えないほどの大量のトマトがボールに盛られている。小川さんはさっそくつまみぐいをしようとボールに手を出した。その時いちむらさんが「お皿によそってあげて」と小川さんに言った。小川さんは手を止め、素直にお皿にトマトとレタスを盛り、母親に手渡した。

その時「ううぅ」と唸るような声が聞こえた。振り向くと長靴を履いた舞踏家みたいなおじさんが我々の後方に立っていた。

その方は、宮下公園から住処を追われて渋谷の246沿いに最近住み始めたOさんであった。片言の日本語を喋るが、呂律が回っていない。何か話しかけてくるのだが、言わんとしていることが分からない。どのようにコミュニケーションしたらいいか迷っていると、いちむらさんが「よく来たねー!どこで246のこと聞いたの?」とOさんに笑顔で話しかけた。

Oさんはいちむらさんの問い掛けに答えず、小川さんが促すまま食卓に付いた。その隣に私。目で何か言いたげなので私もOさんの目を見据える。Oさんは何事か断片的な日本語を話すが聞き取れない。だからせめて「真剣にあなたの話を聞こうとしています」という意思のみを目で伝えるしかない。「お腹。ペコ。」という単語が聞き取れた気がしたので、「うん。私もお腹すいている。」と言ってみたが、Oさんは怪訝そうな顔をして私を見ている。あれ。違ったのかな。

コミュニケーションが取れなくて困っている私とは対照的に、いちむらさんは笑顔でOさんに話し掛け続ける。「246にOさんが来てくれてほんと嬉しいよー!」といちむらさん。Oさんはそれに対して何かあうあう答える。

Oさんはトマトとレタスの入ったボールを指差した。いちむらさんが「え。これ欲しいの?」とお皿にトマトとレタスをよそおうとすると、小川さんが「自分でやらせなさい。」とその行動を止め、Oさんに「自分でよそいなさい。」と言った。Oさんは、小川さんといちむらさんを交互に見て何か言いたげだ。なんだかこの時の「いちむらさんと小川さんとOさん」の配置は、「母と父と子ども」のような配置に一瞬見えた。小川さんは「自立心」が強いのだなと私は思った。

なんだかいろんな人が来るなーと思っていたら、また新たな登場人物が現れた。

その男は迷彩のチョッキを着て、サングラスをかけていた。そして指にはいくつもの金属製の指輪が嵌っており、首には黄金のネックレスがかかっていた。見るからにあやしいその男に私は不吉なものを感じた。

その男は大きな声で、「よ!ひさしぶり。」と小川さんの背中を軽く叩いた。小川さんは軽く挨拶するもそれ以上男とは会話をしなかった。なんとなく周りの路上生活者達もこの男に対してよそよそしい態度を取っているような印象を私は受けた。

実は、今日早めに246の決行場所に着いた時に、いちむらさんと路上生活者のKさんの間で、あるチンピラのことが話題になっていた*3。そのチンピラは北関東方面の施設で生活保護を受けているが、わざわざ渋谷駅で路上生活をしていて、さらに、付近の路上生活者達を手なずけて自らの支配下に置き、手下のように使っているという話だった。「そんな困った奴もいるのか」と私はその話を聞きながら、先ほどコンビニでもらってきたダンボールを、座布団の代わりに黙々と地面に敷いていた。

このチンピラというのが、いきなり現れたこの貴金属サングラス男なのだろうか?

真偽はよく分からない。その場でいちむらさんや小川さんに、この男の素性を堂々と聞くのがはばかられたので、すぐ隣にいた路上生活者のKさんに「あの男はなにか信用ならない。不吉なものを感じます。」と率直な感想を小声で述べてみる。するとKさんは「そりゃそうだよ。サングラスかけている時点で十分妖しいよ。」と忌々しそうに答えた。

何事もなかったかのようにいちむらさんが、「重森さん。申し訳ないけど、料理をあの足の不自由なおじさんに届けてもらえる?」と言ってきたので、料理を持って足の不自由なおじさんのところに向かう。すると、あの男がちょうど足の不自由なおじさんにからんでいるところだった。

前回246でカレーを作った時、私の隣でカレーを食べていたこのおじさんは、その頃から既に歩くのがつらそうであった。指も2本欠けており、箸を持つのも大変そうな人である。施設に入ったほうがいいのではないかと思われるような状態なのだが、おじさんは何度も施設を抜け出して渋谷駅に戻ってきてしまうのだという。施設ではお酒が飲めないので、施設に入ってもお酒を求めてすぐに外に出てきてしまうのだそうだ。

そのおじさんのスペースに、今日の料理を皿に入れて私が近付いていくと、サングラス男が話しかけてきた。

「それ今日の料理? おじさんにあげてやって。あとサラダとドーナツもあげてやって。俺はいいから。おじさんにあげてやって。ね、お願い。」

なんとも言えない恩着せがましさをサングラス男の口調から感じ取った私は、「おじさんにサラダとドーナツも必要か聞いてみますね。」と作り笑顔でサングラス男に答える。再び同じことを繰り返し言ってくる男を無視して、「おじさん。あと、サラダとドーナツがあるけど、全部いる?」と私がおじさんに直接質問すると、おじさんは「サラダちょうだい…。ドーナツはいい…。」と仰向けの姿勢のまま答えた。

サングラス男は、仰向けになっているおじさんを気遣うような素振りを先ほどから見せているが、なんというか、そのコミュニケーションの仕方が、「相手に借りを作らせて、負債の感覚を持たせること」を目的にしているかのような、いやらしくてお節介で薄気味悪いものだった。

私はこの状況に対してすぐに、修士の頃にゼミで読んだ人類学者タウシグの『Shamanism,Colonialism,and the Wild Man』の一節を想起した。南米に侵入した植民者達が、無理やり贈り物を先住民達に押し付けて「借り」を作らせる場面。この場面をサングラス男とおじさんのやりとりを見て思い出した。

「気持ち悪い奴だ」という印象をさらに強めた私は、おじさんの要望通りにサラダだけを持って再びおじさんのスペースに足を運ぶ。サングラス男はその様子を見つめている。「何が目的なんだこの男は? 取り入るスキを周到に伺っている。油断ならない。」と思いつつ、私はサングラス男と目を合わさないようにして食卓に戻った。

サングラス男はその後何度も246の食卓に来ては、「自分のとこはいつも鍋。昨日はカレーだった。それを皆に分けてやった。」「お菓子もらう?」「飴もらう?」「いちむらさん。ゴミは俺が捨てるから置いていって。」としきりに接触を試みてきた。しかし、いちむらさんや小川さんや周りの路上生活者達もことさら男の相手をするでもなく、かといってあからさまに無視するわけでもなく、そのまま普通にご飯を食べている。ただ私だけが、その光景を見て、「やはりこの男が例のチンピラなのだろう」という思いを強くしていた。

サングラス男が例のチンピラなのかどうかは結局分からない。

しかし、サングラス男の行動は相手を自分の支配下に置くための前準備のように見える。めちゃめちゃ恩着せがましい。

とはいえ、このサングラス男は、「他人を支配したい」という意図を全く持っておらず、また、実際に人を支配することのない人物である可能性もある。単に、このような形でしか人と関われないという可能性もある。

しかしながらそれでもサングラス男の行動様式は不愉快である。恩着せがましいのは嫌だ。

私は直情的なので、いつかこのサングラス男に自分から敵意を剥き出しにしてしまう可能性がある。いちむらさんや小川さんに倣って、相手にしつつも相手にしないコミュニケーション技術を、私は身に付けた方がいいかもしれない。

サングラス男を警戒*4しつつも246キッチンは今日も概ね和気藹々と営まれた。

小川さんは途中で「先に失礼します」と言って帰った。残ったメンバーで食器を渋谷駅の障害者用トイレで洗い、後片付けをする。

その頃私はYさんという名の元出版社勤務の方と労働組合について話していた。「京品ホテル」と書かれた緑色の旗を持参してきたYさんは私に、東京ユニオンをお勧めの労働組合として紹介した。

また私は隣にいたベジタリアンの方とも名刺交換を行った。その方はベジタリアンの中でもとりわけフルーツしか食べないフルータリアンというタイプらしい。この分野についてはよく知らないので勉強になる。

246キッチンは、いちむらさんや小川さんが路上生活者の方々を一方的に支援するための会ではなく、「肩書きに関係なく誰もが対等に一緒に食や会話を楽しむサロン」と言ったほうが適切だと思う。そこから個々の生活にポジティブな効果をもたらすネットワークが生まれてくるような集まり。

次回はいつ開催されるのだろうか。

*1:246における問題や246キッチンの詳細については下記を参照のこと。http://kaigi246.exblog.jp/i3/ http://homelessho.exblog.jp/9038460/ http://www.youtube.com/watch?v=f4U1A1YgwIM

*2:そうして「使えない自分」を堂々とアピールする。無理に機転を利かして仕事を探してそれに従事することにより、「自分は使えない人間であること」を一生懸命否定して、他人に認められようとするよりも、「使えない自分」を勇気を持ってあえて前面に押し出して、「ありのままの自分」でどんと存在することも時には必要ではないかと思う。「今・ここ」を自分にとって居心地の良い場所にするには、他人に気に入られるような行動ばかりを心掛けるのではなく、傍から見たら「わがまま」であるような在り方を小出しに示し、他人の要求と自分の要求の間に折り合いをつける必要がある。他人の要求、自分の要求。どちらに極端に振れても不健康である。バランスをいつも念頭において、お互いが納得できる均衡点を面倒くさがらずに探るのである。もっとも、他人だけでなく自分にとっても利益をもたらすような未着手の作業に自分から気付いたり、そのような作業に従事するよう直接指示を受けた場合は、迷うことなく私はその作業に従事する。要するに私は「強迫的に仕事を探してそれに従事することによって安心を得るような汲々とした精神状態」に陥ることを回避したいのである。私はこのような精神状態に陥りがちなので、努めてこのような精神状態に陥らないように注意する必要がある。

*3:他にも、前の246キッチンでカレーを作ってくれた元シェフの路上生活者の方が救急車で病院に緊急搬送され現在入院中という話も挙がった。

*4:私だけが警戒していたのかもしれないが。