「よく分からない者」や「ホームレス」を嫌悪し過剰に恐怖する社会

ナイキ不在の工事説明会と小澤課長の本音

3/24の小雨降る寒い中、「ナイキジャパン主催による宮下公園工事説明会」に参加すべく、渋谷勤労福祉会館を訪れた*1

しかし、会場には肝心のナイキが不在であった。渋谷区公園課の小澤課長らと、東急建設の社員達が椅子に腰掛けているのみであった。

当然のことながら会場からは「なぜナイキがいないのだ!」「主催者出て来い!」「話が違う!」という怒りの声があがる。小澤課長に対して小川てつオさんが「ナイキ主催による説明会が開催されると小澤さん言っていましたよね?」という趣旨の質問を冷静に行うが、小澤課長はその質問に正面から答えない。小澤課長は「今回の説明会は、計画に関する説明会ではなく、工事に関する説明会であり、工事を行うのは東急建設である。」と強調することに終始した。

この不誠実な態度に、説明会開始時点から早くも会場は不満で充満した。

質疑応答は続いた。渋谷区側の司会者が「質問は一問一答で。質問は工事に関するものに限らせていただきます。計画に関する質問はご遠慮願います」とアナウンスし、会場からの質問の内容を骨抜きにしようとするが、会場からは次のような質問が次々になされた。

「公園はみんなのものです。ナイキが宮下公園を占有するに至った経緯を説明してください。」

上記のような質問が行われるたびに、小澤課長は首をかしげる。そしてついに小澤課長はやや興奮しつつ次のようなことを堂々と述べた。

「宮下公園を不法占拠している人間を一掃したい。」

「はっきり言いやがったよ…。」

会場から驚きとも落胆ともつかない声があがる。

小澤課長を筆頭とする渋谷区側の人間が、宮下公園で生活している人々のことを疎ましく思っていることは、これまでの交渉の過程で薄々感じ取れていたことである。しかしこれ程までに明確に、宮下公園に住む人々を排除するという意志を小澤課長が公の場で示すことは、誰にも予想できていなかったようであった。

「現在の宮下公園は不法占拠者のために一般の方々が安心して利用することができない状態になっている。」という小澤課長による同様の主張に対して、「えー!そんなことないよ!」という声が会場からあがる。

しかし小澤課長は、「あくまでも自分は正しいことをしているのだ。不法占拠する輩を一掃して何が悪い。」と言わんばかりの態度を維持し続けた。

レンボガン島の中学校で見た光景

小澤課長を眺めながら、ある光景のことを私は思い出していた。それは私がインドネシアのレンボガン島でフィールドワークをしていた頃に見た光景であった。

2000年頃のことである。バリ島の南東に浮かぶレンボガン島という小さな島で呪術の調査を行っていた私は、地元の中学校の英語教師であるムダカ氏と路上で知り合った。

「英語を学ぶことで世界中の人と会話ができることを生徒に示したいので、私の英語の授業にゲストとして来てくれないか?」とムダカ氏に依頼された私は、英語辞書を片手に、彼の勤務する中学校を訪れた。

入口で出迎えてくれた校長や教頭と挨拶を交わした後、ムダカ氏の教室に移動し、英語辞書を繰りながら生徒からの質問に答えるというパフォーマンスを私は行った。突然現れた謎の東洋人に生徒達は喜んでいる様子。隣の教室からも生徒が押し寄せ、私は自分が芸能人になったかのような錯覚に襲われた。

ムダカ氏の計画は成功し、彼は私に非常に感謝してくれた。そのお礼として学内をムダカ氏が案内してくれた時に、私はその光景に遭遇したのであった。

生徒達が遊んでいる運動場の片隅に、どう考えても生徒には見えない謎の初老の男性が座っていた。ボサボサの長い髪と無精髭。色の大分落ちた茶褐色の粗末なサルーン(腰巻き用の布)。パッと見てインドの修行僧のような姿をした男性が、当たり前のように運動場の片隅に腰を下ろしていた。

不審に思った私がムダカ氏に「あの人はここの学校の職員か?」と質問する。ムダカ氏は笑顔で首を振る。「では、一体何なのだ?」とさらに聞くと、「うーん。よくは知らないのだけど…学校の職員でもないし、生徒の関係者でもない。多分彼は学校が好きなのだろう。だからここにいるんだろう。」と答えた。

一旅行者に過ぎない私を学内にすんなり入れてくれるバリ人の大らかさに感心していた私であるが、この場面に至っては大いに驚いた。日本ではとても考えられない現象である。正体不明のよく分からないお爺さんが普通に中学校の運動場で座っているのである。そしてそのことを教師も生徒もあまり気にしていない。

お爺さんはそこに存在していることを許されていた。いや。許すも何も、空を鳥が飛んでいるのを「あ。鳥だ。」とぼーっと眺めるかのごとく、周囲は、良い意味でお爺さんに何もせず、何も思わないのであった。通常の風景の構成要素であるかのようにしてお爺さんは、中学校の運動場の片隅に当然のように佇んでいたのであった。

問い

レンボガン島の中学校で見た光景から、現在の宮下公園で起きている現象を捉え返してみた場合、次のような問いが立てられるのではないだろうか?

何故かくも日本社会では、「よく分からない者」や「ホームレス」に対する嫌悪や過剰な恐怖が蔓延しているのであろうか?

日本の中学校の校庭に、レンボガン島で私が見たお爺さんのような人がもしも佇んでいたら、すぐさま排除されるであろう。「不審者」あるいは「浮浪者」あるいは「ホームレス」として、体育教師や警察によって力ずくで排除されてしまうであろう。

日本では、「みんなのもの」とされる公園においてでさえ、レンボガン島で私が見たお爺さんのような人は、排除されてしまうであろう。「よく分からない者」という理由で。お爺さんが公園で生活している「ホームレス」であればなおさら排除の対象となるであろう。「不法占拠している」という理由で。

中学校の運動場に、学校とは直接関係のないお爺さんが日中佇んでいられることは、とても稀有なことだと思われる。皆、お爺さんを怖れてなどいない。嫌悪もしていない。だからといって皆はお爺さんに対して特別に好意的というわけでもない。教師達も生徒達もお爺さんもただただ一緒にそこにいた。ただそれだけであった。

この光景は、「宮下公園を不法占拠している人間を一掃する。このままでは区民の方々が安心して公園を利用できない。」と堂々と述べる公園課長がいる日本社会に住む私にとっては、非常に羨ましい光景なのであった。

小澤課長に見られる「宮下公園で生活している人々に対する嫌悪」

宮下公園で生活をしている人々を何故小澤課長は公園から一掃したいのであろうか? 

ナイキとの契約があるからというよりも、「宮下公園で生活をしている人々をとにかく一掃したい。」という欲望が先に存在しているように思えてならない。「不法占拠」という理由は、「宮下公園で生活をしている人々をとにかく一掃したい。」という小澤課長の欲望を正当化するために、後付的に考案された理由にすぎないように思えてならない。

つまり、第一に「宮下公園で生活している人々に対する嫌悪」が存在しており、「ナイキとの契約」「不法占拠」等は彼らを公園から追い出すための単なる手段に思えるのである*2

小澤課長は宮下公園で生活している人々を怖れてはいないようである。小澤課長は彼らをただただ嫌悪しているようである。消えてなくなって欲しいと思っているようである。

この「宮下公園で生活している人々に対する嫌悪」がどのようにして生み出されているのかを明らかにしない限り、小澤課長に宮下公園ナイキパーク化計画をあきらめてもらうことは難しいように思える。

宮下公園で生活している人々を怖れる区民

小澤課長によれば、区民は宮下公園で生活している人々を怖れるあまり宮下公園を安心して利用することができないそうである。

一般市民の中に、公園で生活する人々を怖れる人間がいることは私も知っている。

なぜ人々は公園で生活する人々を怖れるのであろうか?

「よく分からない者」

ある人間に対して「よく分からない者」という呼称を与える時、私はその人間に関して無知であることを自ら示していることになる。宮下公園で生活する人々は、一般の人々にとって「よく分からない者」であるために、恐怖の対象になっている面があるのであろう。

そうであれば、知ればいいと思う。話をしてみればいいと思う。それができなければ詳しい人に話を聞いてみればいいと思う。単純にそう思う。情報を得ることにより、恐怖はいくらか低減されるのではないかと思われる。

とはいえ、「よく分からない者」のことをわざわざ自分から知ろうとする一般人は少ない。一般の人は、「よく分からない者」に対しては無視を決め込むか、怖い怖いと遠くから眺めることしかできないであろう。

その意味では絶望的な状況である。

「ホームレス」

宮下公園で生活する人々は、「よく分からない者」というよりも、「ホームレス」というカテゴリーに属するとみなされていると考えられる。そして「ホームレス」というカテゴリーには、「暴力的で、女性を襲ったりする者」という偏見が何者かによって積極的に付与されているために、人々にとって宮下公園で生活する人々は恐怖の対象となっていると推測される。この場合、宮下公園で生活する人々は、「よく分からない者」ではなく、「ホームレス」という既知の存在として捉えられているわけであるが、「暴力的で女性を襲ったりする者」としてイメージされてしまうがために、人々は宮下公園で生活する人々を怖れてしまうと思われる。

暴力的で女性を襲ったりする人間が、「ホームレス」にどれほど含まれているのか私は知らない。おそらくそのような「ホームレス」もいるのもしれないが、私には「ホームレス」から暴力を振るわれた経験がなく、また、「ホームレス」による犯罪率に関するデータを目にしたこともないので、何とも言えない。

「ホームレス」による犯罪率に関する客観的なデータが存在するのであれば、是非とも見てみたいと思う*3

企業や大学や行政機関などの組織に勤める人間

「ホームレス」と呼ばれる人々に「暴力的で、女性を襲ったりする者」がどれほど含まれているのか私は知らない。

しかし、企業や大学や行政機関などの組織に「暴力的で、女性を襲ったりする者」がそれなりに存在していることを、私は経験的に知っている。部下にパワハラを振るったり、女性に性的な嫌がらせをしたりする人間を、私は直接見たことがある。

「ホームレス」の犯罪率を示すデータが手許にないのと同じく、企業や大学や行政機関に勤める人間の犯罪率を示すデータも私の手許にはない。そのため、企業や大学や行政機関に勤める人間に「暴力的で女性を襲ったりする者」がどれほどいるのか正確な数や割合は分からない。しかし、実際に暴力の現場に居合わせたことが何度もあるため、私はむしろ企業や大学や行政機関の人間に恐怖を感じる。私は、スーツ姿の人間を見たら「暴力的で、女性を襲う可能性がある。」と判断し、そのような人間が多くいる場所には近付かないようにしたほうがいいのではないかとさえ思う。

しかし世間では、企業や大学や行政機関に勤める人間を怖れる人間は、不思議なことに少ないようである*4

おそらく世間の人々も、企業や大学や行政機関に勤める人間の犯罪率を示すデータを参照したことはないと思われる。しかし、世間の人々は企業や大学や行政機関に勤める人間を何故か信用しきっている。

何らかの情報操作・印象操作がなされているのであろうか?「企業や大学や行政機関などの組織に勤める人間は信用できる。まっとうである。安全である。」という信仰が何によって維持されているのかを分析する必要があると思われる。

私は小澤課長を怖れる

「宮下公園で生活する人々を一掃したい」という趣旨の発言を堂々と行う小澤課長を私は怖れる。小澤課長は恐ろしい人間だと思う。可能であれば係わり合いを持ちたくない人間である。

宮下公園から駐輪場の傍に移動して生活することを小澤課長は公園生活者達に強制しているが、彼らがそこで寝泊りした場合、宮下公園で生活していた頃よりも彼らが暴力に晒される可能性は高くなると考えられる。 

宮下公園で生活する人から直接聞いた話では、「路上に近ければ近いほど、酔っ払いや若者から悪質な悪戯をされる。」ということだそうである。路上に近い場所で寝泊りしていると、石を投げ込まれたり、花火を打ち込まれたり、小屋に火を付けられたりといった暴力に晒されるのだという。

もしも、駐輪場の傍に強制的に小澤課長が移動させた公園生活者に、上記のような悪質な悪戯で大怪我をしたり命を落としたりする人間が現れたならば、小澤課長はそのことに対する責任を取ってくれるのであろうか?*5 

自らの決定が人の生死を左右するということを自覚していない小澤課長*6は、恐ろしい人間だと思う。

*1:宮下公園で起きている問題については、右記リンク先を参照のこと。http://www.vju.ne.jp/dtv/s001_miyasita_hq.html http://www.vju.ne.jp/dtv/news006_miyashita2_hq.html ←リンク先にてぽちっと再生ボタンを押してください☆

*2:このことを裏付ける証拠は残念ながら存在していない。説明会での小澤課長の話し方や態度から、このような可能性を私は想起した。

*3:その際には、「ホームレス」がどのような属性を備えた人間として定義されているのか厳密にチェックしたい。

*4:一部の敏感な人間は、企業や大学や行政機関などの、いわゆる「社会」と呼ばれる空間に溢れる暴力性を察知し、そこから完全に退避して自宅待機をしている。「ニート」や「引きこもり」と呼称される彼らの行動は、「危険を避ける」という点では、理に適っていると思われる。企業や大学や行政機関に所属し、暴力に晒され、心身ともに疲弊してしまった人間は実際に多い。そのような危険な場から逃げるのは当然の行為といえる。しかし避難場所がいつまでも確保できるとは限らない。いずれは「ニート」や「引きこもり」と呼ばれる人々も、安全な場所の継続的な確保のために、「社会」に参入する必要が出てくるのかもしれない。

*5:小澤課長は「路上で暴力を受けて大怪我したり命を落とすのはお前達が悪いからだ。」という態度で無視するつもりなのだろうか?

*6:もしかしたら小澤課長はこのことを十分に自覚しているのかもしれない。つまり、小澤課長は「宮下公園で生活している人々を殺そう」と考えているのかもしれない。