『シリーズ治験』:プラセボ効果のメカニズム(第3回)

古典的条件付けに基づいた学習仮説

プラセボ効果のメカニズムを説明するための3つの仮説のうち、前回は「意味付け仮説」を概観しました。

今回は「学習仮説」という考え方を見ていきたいと思います。この考え方は、「パブロフの犬」で有名な「古典的条件づけ理論」に多くを負っています。そのため始めに、「古典的条件づけ理論」の内容を簡単に説明させていただきます。

古典的条件付け理論とは

極めて大雑把に要約するならば、「古典的条件づけ理論」は下記のように説明することができます。

  • メトロノームの音を聞かせた後に餌を呈示することを犬に繰り返すと、次第に犬はメトロノームの音に対しても唾液を垂らすようになる*1

専門用語を用いた場合、「古典的条件づけ理論」は次のように箇条書きで示すことができます。

  1. 無条件刺激(Unconditioned Stimulus) = 餌
  2. 無条件反応(Unconditioned Response) = 犬が唾液を垂らすこと
  3. 条件刺激(Conditioned Stimulus) = メトロノームの音
  4. 条件反応(Conditioned Response) = 犬が唾液を垂らすこと

メトロノームの音を聞かせた後に餌を呈示すること(3.と1.をセットで呈示すること)」の繰り返しにより、もともと成立していた「1. と2 .のつながり」とは別に、「3.と4.のつながり」を新たに作り出すことができる。

1920年代にロシアの生理学者Pavlovが発見したこの事実は「古典的条件づけ理論」として広く知られています。

メトロノームの音」を聞いて「唾液」を垂らすようになった犬は、「『メトロノームの音』に対して『唾液』を垂らすように条件づけされた」と表現されます。

学習仮説とは

「古典的条件づけ理論」をプラセボ効果のメカニズムの説明に援用したものが「学習仮説」です。結論から述べるならば、「学習仮説」は次のような仕方でプラセボ効果のメカニズムを説明します。

  • 「治療行為によって症状が軽減された」という過去の経験が、プラセボ効果を引き起こす。

「古典的条件づけ理論」の説明時に登場した専門用語を用いて上記内容を言い換えるならば、次のようになります。

  1. 無条件刺激(Unconditioned Stimulus) =本物の薬剤(活性物質の含まれた、長経10mm、短径8mm、厚さ4mmの白い錠剤)
  2. 無条件反応(Unconditioned Response) = 治療効果
  3. 条件刺激(Conditioned Stimulus) = プラセボ(活性物質の含まれない、長経10mm、短径8mm、厚さ4mmの白い錠剤)
  4. 条件反応(Conditioned Response) = 治療効果

パブロフの犬」の例では、「メトロノームの音」と「餌」をセットで呈示することにより、「餌」と「唾液」のつながりとは別に、「メトロノームの音」と「唾液」のつながりが新たに形成されました。

これと同じような原理で、「学習仮説」においては、「プラセボ(活性物質の含まれない、長経10mm、短径8mm、厚さ4mmの白い錠剤)」と「活性物質」をセットで呈示することにより、「活性物質」と「治療効果」のつながりとは別に、「プラセボ(活性物質の含まれない、長経10mm、短径8mm、厚さ4mmの白い錠剤)」と「治療効果」のつながりが新たに形成されるのです。

ここで重要なのは、「本物の薬剤」を投与すること自体が、「『プラセボ(活性物質の含まれない、長経10mm、短径8mm、厚さ4mmの白い錠剤)』と『活性物質』とをセットで呈示すること」と捉えられている点です。「治療効果」を実際にもたらすものは「本物の薬剤」に含まれた「活性物質」です。「学習仮説」では、「本物の薬剤」が、「プラセボ(活性物質の含まれない、長経10mm、短径8mm、厚さ4mmの白い錠剤)」と「活性物質」に一旦分解されて把握され、「本物の薬剤」を投与することが、「『プラセボ(活性物質の含まれない、長経10mm、短径8mm、厚さ4mmの白い錠剤)』と『活性物質』とのセットでの呈示」として理解されているのです。

Voudourisのプラセボクリーム実験

プラセボ効果に対する「学習仮説」の当てはまりの良さを立証する実験はいくつか存在しています。ここではオーストラリアのラトローブ大学の心理学者Voudourisによる、プラセボクリーム*2を用いた鎮痛作用の実験*3を取り上げ、「学習仮説」について引き続き考えていくことにしましょう。

これまで確認してきたように、「学習仮説」は、「治療行為によって症状が軽減された」という過去の経験を、プラセボ効果を引き起こす要因と捉えます。Voudourisは、被験者に与える電気刺激の強さ(ミリアンペア)を次のようにコントロールし、「治療行為によって症状が軽減された」という経験を被験者に持たせることに成功しました。

  • 「与える電気刺激の強さは常に一定です。」と被験者達に伝えておきながら、被験者に与える電気刺激の強さを、被験者がプラセボクリームを腕に塗った時にのみ故意に低下させる。

Voudourisの実験は3日間に渡って行われました。実験1日目では「何もしない状態で生じるプラセボ効果の度合い」が測定されます。次に実験2日目に、上記のような電気刺激の意図的なコントロールが行われ、「この薬は効く!」という条件づけがなされます。そして実験3日目に、「実験2日目の条件づけによって強化されたプラセボ効果の度合い」が測定されます。下記より実験の内容を詳しく見ていきましょう。

プラセボクリーム実験の詳細

<実験1日目>

実験は大学生32人を4つの群に無作為に分けて行われました(1つの群につき被験者は8人)。電気刺激によって与えられる「痛みのレベル」は群ごとに異なります。例えば以下の表に示すように、第1群の被験者達は、実験1日目には、プラセボクリームを腕に塗っていない時にレベル5の痛みを電気刺激で与えられ、プラセボクリームを腕に塗っている時には、レベル5の痛みを電気刺激で与えられました。どちらの場合においても、被験者達は電気刺激を受けた際に感じた「痛みのレベル」を口頭で実験者に報告します。

このような「電気刺激とそれに対する報告」の作業を被験者達は合計で20回繰り返しました(プラセボクリーム無しで10回、プラセボクリーム有りで10回の計20回)。


<実験2日目>

実験2日目では、電気刺激のコントロールにより、条件づけがなされます。上記の表を見れば一目瞭然ですが、例えば第2群の被験者達は、プラセボクリームを腕に塗っていない時は、レベル8の痛みを電気刺激で与えられました。しかし、プラセボクリームを腕に塗っている時は、レベル5の痛みを電気刺激で与えられました。

実験2日目も実験1日目と同様に、被験者達は電気刺激を受けた際に感じた「痛みのレベル」を口頭で報告します。このような「電気刺激とそれに対する報告」の作業を被験者達は合計で70回繰り返しました(プラセボクリーム無しで35回、プラセボクリーム有りで35回の計70回)。

<実験3日目>

実験3日目は実験1日目と同じ手順で実験が実施されました。各群の被験者達に与えられる電気刺激の強さは実験1日目の時と全く同じ値に設定され、被験者達は電気刺激を受けた際に感じた「痛みのレベル」を口頭で報告しました。このような「電気刺激とそれに対する報告」の作業を被験者達は合計で20回繰り返しました(プラセボクリーム無しで10回、プラセボクリーム有りで10回の計20回)。

このようにしてVoudourisの実験では、電気刺激を与えられた被験者達の報告する「痛みのレベル」に関するデータが3日間に渡って収集されました。

プラセボクリーム実験の結論

実験で得られたデータを加工し、グラフで示すと次のようになります*4

プラセボクリームを塗っていない時に与えられた電気刺激に対して8人の被験者達がそれぞれ10回報告した「痛みのレベル」を合計し、これを80(8人×10回)で割ることにより、ある1つの群における「プラセボクリーム無しの時の『痛みのレベル』の平均値」が算出されます。この平均値は4つの群ごとに算出されます。

同様にして、プラセボクリームを塗っている時に与えられた電気刺激に対して8人の被験者達がそれぞれ10回報告した「痛みのレベル」を合計し、これを80(8 人×10回)で割ることにより、ある1つの群における「プラセボクリーム有りの時の『痛みのレベル』の平均値」が算出されます。この平均値も4つの群ごとに算出されます。

グラフの縦軸は、「プラセボクリーム無しの時の『痛みのレベル』の平均値」から、「プラセボクリーム有りの時の『痛みのレベル』の平均値」を引いた値を示しています。この値を4つの群ごとに算出し、実験1日目と実験2日目におけるこれらを比較しやすいように並べて表示したものが上記のグラフです。

プラセボクリーム無しの時の『痛みのレベル』の平均値」と「プラセボクリーム有りの時の『痛みのレベル』の平均値」の差は、プラセボ効果の度合いを示しています。この差の値が大きければ大きいほど、プラセボ効果の度合いが大きいことになります。

グラフから、実験1日目において、全ての群でプラセボ効果が生じていることが分かります。これらのプラセボ効果は、実験3日目では群ごとに著しく変化しています。実験1日目と比較して最も変化が目立つのは第2群と第4群です。第2群ではプラセボ効果が増大しており、第4群ではプラセボ効果が減少しています。この増大と減少の2つの変化は、実験2日目の条件づけによってもたらされたものといえます。

プラセボクリーム実験の検討

Voudourisの実験は、「学習仮説」によってプラセボ効果を説明できることを立証した点で、非常に価値のある実験でした。

実験2日目において、第2群の被験者に与えられる電気刺激のレベルは、プラセボクリーム無しの時には8であり、プラセボクリーム有りの時には5でした。この操作により第2群の被験者達には、「この薬は効く!」という条件づけが強固に成立したと考えられます。

一方、実験2日目において、第4群の被験者に与えられる電気刺激のレベルは、プラセボクリーム無しの時には5であり、プラセボクリーム有りの時には8でした。この操作により第4群の被験者達にはプラセボ効果が実験1日目よりも生じにくくなったと考えられます(しかしある程度はプラセボ効果は生じています)。

学習仮説の検討

以上、「古典的条件づけ理論」を援用してプラセボ効果のメカニズムを説明する「学習仮説」の内容を概観してきました。

Voudourisの実験は、「学習仮説」の適切さを示す証拠を提供しています。「この薬は効く!」という経験を持たせた群の被験者達には、より実際にプラセボ効果が生じるようになりました。

しかし、「学習仮説」には実は重大な欠点があります。「学習仮説」は、「被験者が初めて経験する治療行為によって生じるプラセボ効果」のメカニズムを説明することができません。「学習仮説」は定義上、「『治療行為によって症状が軽減された』という過去の経験」を必須の条件としているため、上記の経験を持たない人間に生じたプラセボ効果については何も言うことができないのです。

「学習仮説」はかなり説得力のある仮説ですが、プラセボ効果のメカニズムを完璧に説明することは難しいといえます。

*1:Ivan P. Pavlov (Translated by G. V. Anrep) 1927 “CONDITIONED REFLEXES: AN INVESTIGATION OF THE PHYSIOLOGICAL ACTIVITY OF THE CEREBRAL CORTEX” An internet resource developed by Christopher D. Green York University, Toronto, Ontario http://psychclassics.yorku.ca/Pavlov/lecture2.htm

*2:コールドクリームにリナロールを混ぜたもの。リナロールはスズランの香りのする香料。

*3:Nicholas J. Voudouris,Connie L.Peck, and Grahame Coleman 1985 “Conditioned Placebo Responses” Journal of Personality and Social Psychology Vol.48,No.1,47-53

*4:広瀬弘忠 『心の潜在力プラシーボ効果』 2001 朝日新聞社