農作業17日目

今日も夕方頃に畑へ。正確には17:00頃に家を出発して、18:00頃まで畑におりました。

デジカメを忘れてしまったため、今日は写真は無しです!充電するためにいつもとは異なる場所にデジカメを置いていたので、デジカメを家に忘れてきてしまいました。本日の作業は、水遣りと畑の観察だけだったので、特筆すべきことがないのが救いです。

それにしても、写真をアップしないでいいのは楽です。

記録を付けていれば、種を蒔いた日の検索や、作物の変化に敏感になれると考えて、コツコツ農作業の日記を書いているのですが、これはなかなか面倒くさい作業です。特に、写真をアップして、その写真にコメントを付けるのに頭を使います。さらに私は、何らかのストーリーを設定して写真を配置しようとしてしまうため、余計に頭を使います。実は畑にいるときから、ストーリーについてあれこれ考えながら写真を撮っている状態におり、なんだかんだ言って疲れます。

誰に指示されることもなく勝手に自分で開始した作業なので、簡単にやめられそうですが、一度始めてしまうとやめがたくなるのがこの私の性質ゆえ、「めんどうだー」と呻きつつも、これまで日記を書いてきました。

あ。いや。日記を書き終わった時にはそれなりの達成感があり、また、書き溜めた日記は畑に関する情報データベースとして実際に役に立つので、ちゃんと報われてはいるのです。それに、ストーリーを作ってそのストーリーに応じて写真と文章を配置する作業自体からも面白さを感じることはできるので、単に面倒というわけでは決してないのであります。

要するに何なんだよと突っ込まれそうですが、「面倒だけどそれなりに快楽と実益をもたらしてくれる作業」が、デジカメを忘れたことによって今日はストップされ、何ともいえない「得した感」を味わっているのでございます。平日だと思っていた明日が実は祝日だったことに気付き、「ラッキー!明日会社行かなくていいんだー!」と嬉しくなって、祝日の前日に会社で思わずガッツポーズを取るのに似ています。

ところで、「面倒だけどそれなりに快楽と実益をもたらしてくれる」という性質は、いわゆる「労働」とか「働く」という行為にも確認できる性質といえるのではないでしょうか。私がいくら日記を書いても、誰からもお金はもらえませんし、儲かることはありません。しかし、面倒くさがりながらもそれなりに楽しみつつ実益も得ている私は、かつて会社にいた頃に従事していた「労働」や「働く」という行為に酷似した行為に、従事している感があります。

すなわち、「面倒だけどそれなりに快楽と実益をもたらしてくれる作業」に従事しているという点で、私は今でも「社会人」だし、これからも「社会人」ではないか、と感じた次第です。

「社会人」という言葉自体、問題含みの怪しい概念ですが、悪い印象を与える言葉ではないので、勝手にその意味内容を拡張させていただきました。

ちなみに、今日も沖縄は晴れ。陽射しの暖かい良い天気でした。もう春です。ちょっと気が早いですが、とっとと夏になってくれと願っています。沖縄は、夏の夕陽が最高なのです。