読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

農作業28日目

今日は快晴。青空に飛行機雲。風。太陽。言うことなしの良い天気でした。

センター試験現代文2000年度追試験(小説)を解き、TOEICの勉強をし、風呂に入って昼寝をした後、17:30頃に畑に向かいました。

今日の作業

  • 両親の畑
    • ゴーヤーの移植(by父)
    • 水遣り(by母)
  • 原野の畑
    • みやまこかぶの青虫取り(by私と母)
    • 溜池Eの作成(by父)

「不思議なことは何もない」について

そういえば昨日、日記に「不思議なことは何もない」と書き、「不思議な現象を解明したい」というような文章をこの文章の後に続けて書いたのですが、「不思議なことは何もない」というセリフの解釈を私は完璧に誤っておりました。

「不思議なことは何もない」というセリフは、京極夏彦という作家の小説に登場する京極堂というキャラクターのセリフです。私はこのセリフを、「何でも解明してスッキリさせてやるぜ」という意味で解釈し、昨日の日記に引用しているのですが、気になって調べてみたところ、私のこの解釈は間違っていたことが分かりました。

京極夏彦水木しげるとの対談で、次のように述べておりました。

僕の小説に「世の中に不思議なことは何もない」というセリフが必ず出てくるんです。それは、よく読んでもらうとわかるんですが、近代合理主義的発言じゃないんです。世の中というのは、もともと全部不思議なものなんだから、全部不思議なんだと思えば、不思議なものなんかないという意味なんです(京極夏彦 1998:26)。

畑で不思議に出会って「不思議なことは何もない」というセリフを想起する私には、「目の前の不思議以外のことは既に理解完了済み」と言わんばかりの傲慢さがあるといえます。よく考えれば周囲は不思議なことだらけなのに、あたかも目の前にあるものだけが不思議なことであるかのような態度といえます。そして同時にこのような私は、京極堂のセリフを明らかに誤読して引用している人なのでした。

芽が発芽する仕組みや、バクテリアが植物の根とどのように関わるのかとか、虫同士の関係とか、数えればきりがないほど畑には不思議なことが溢れているのに。誠にお恥ずかしい限り。

参考引用文献