求人雑誌から読み解ける世相

最近は求人雑誌を読むことが趣味になっている。コンビニなどで0円で手に入る求人雑誌は、様々な情報に溢れている。

まず第一に、沖縄ならではの求人が面白い。例えば、豚の飼育。だいたい糸満あたりで募集されている。次に、三線弾き。那覇の居酒屋が募集している。これらは、どちらも沖縄らしさを感じさせる。豚等の家畜のいるのどかな風景が目に浮かび、三線の音色と伸びやかな歌声が聞こえてくる、みたいな。

次に目をひくのは、米軍基地関連のお仕事の募集。美容師、事務、警備員、バーテンダー等、基地内には様々な仕事があるようだ。米軍基地は、米兵による犯罪や、戦闘機の墜落事故や、PCB等による土壌汚染等の、負の影響を、沖縄に確実に与えているが、一方で、沖縄の人々に雇用機会を提供していることも事実である。話には聞いていたことであるが、求人雑誌を読むと、このことがより実感できる。

とはいえ、米軍基地関連の募集は、それほど多くはない。多くて見開き2ページぐらいの量。これよりも、いわゆる「季節」と呼ばれる、県外の自動車工場の作業員募集のほうが、ページ数が多い。「沖縄出身者が多くいます!」というコピーとともに、掲載されている。これは昔からある求人であろう。以前、読谷高校出身の会社の同僚が、「高校卒業したらだいたい男子は季節に行く」と話していたのを、東京で働いている頃に聞いたことがある。「季節」も沖縄らしいといえば、沖縄らしい。スリムクラブのコント「沖縄ダークあるある」を思い出す。

「季節」の募集も目立つ募集であるが、沖縄の求人雑誌で最も目立つのは、コールセンターによるオペレーターの募集ではないだろうか。とにかくページ数が多いのである。そして、なんとなく華やか。だいたい髪の長い黒髪のオペレーターが、ヘッドセット的な装置を頭に装着して、楽しげに映っている。求人雑誌の前半部にあるのは、だいたいこれらの募集だ。

人件費が安いので、沖縄には、コールセンターが多数誘致されているという話を聞いたことがあるが、どうやらこれは本当のことらしい。

http://www.asahi.com/special/billiomedia/intro/TKY201212080687.html
http://www.nikkei.co.jp/rim/tiiki/tiikijyouhou/379call.htm

「仕事が増えて良かった」と考える人もいるかもしれないが、「沖縄では人件費が安い」ということ自体に私は問題があると強く思う。なんで同じことしているのに給料が違うのという素朴な違和感。そもそも私には「この国において最低賃金はどのような検討を経て決定されているのだろう」という疑問がある。

私は以前、東京で大学院生をしていた頃、ヤフーBB料金センターで苦情受付オペレーターをしていたことがあるのだが、その時の時給は確か1200円ぐらいであった。決して楽な仕事ではない。電話を受けるなり、「訴えるぞ!」といきなり怒鳴られたり、ヤフーBBのサービス以外のパソコンの基本操作に関する質問を延々とされたり、いくら丁寧に返答してもなかなか理解してくれない人に言い方を変えて何度も説明を試みたりと、非常に頭を使う仕事であった。

きっと、どこのコールセンターも似たような状況であろう。このような面倒くさい、同じような作業を、同じ時間だけしているのに、仕事をしている場所が異なるというだけで、その対価が異なるのは、どう考えても変である。このことに私は強い疑問を感じる。なんか変だぞ、騙されてはいやしないか、という違和感がある。

求人雑誌を読む私に、違和感を覚えさせるものとして、「省令3号のイ」というものもある。これも曲者臭をプンプンさせている。何か匂う。

「省令3号のイ」とは「長期勤続によるキャリア形成を図る観点から」という理由で、採用対象を「ある一定の年齢(例えば、35歳)」までに限定するという記述である。はっきりいってこれは、下記サイトに明示されている「募集・採用における年齢制限の禁止」という原則を結局のところ無意味にしているように思える。

http://www.mhlw.go.jp/topics/2007/08/tp0831-1.html

「年齢制限だめよ」と言いつつ、「年齢制限していいよ」と言うような矛盾。厚生労働省が定めたこの例外事由は、年齢制限を実質的に容認しているとしか思えない。

そもそも、どうしてある一定の年齢を超えた人を採用対象者から除外するのだろう。非常に不思議である。仕事をこなすうえで重要なのは、その仕事をする上で必要な能力・体力(特定分野の知識や学習能力や運動能力)を備えているかどうかであろう。年齢ではないはずである。

例えば、35歳までの人のみを採用対象とした場合、35歳を超える人の就業機会を奪うことで、社会全体で大きな損失が生じている可能性はないのだろうか。35歳以上の人、極端にいえば、60歳前後の人でも、能力の高い人はいる。なぜ企業は能力を重視しないのであろう。日本は競争社会ではないということなのであろうか。それとも、年齢制限を設定することで、採用面接にかかるコストを減らしたいということなのであろうか。いずれによせ、能力のある人材の取りこぼしが発生してしまうと思うのだが、どうだろうか。

とある保険労務士のサイトによると、「省令3号のイ」は「労働者が長期にわたり同一の企業で雇用される」という「我が国の雇用慣行」に基づいているという。

http://www.furuya-syarou.com/article/13693936.html

明らかに、「我が国の雇用慣行」は、時代遅れではないだろうか。いつまで昭和を引きずっているのだろうと思う。能力の高い人は己の能力に見合った職場に転職するという昨今の働き方と大きくずれているように思える。

このように、「省令3号のイ」は、内容に違和感を覚えさせるものであるが、その利用のされ方にも、違和感を覚えさせるものがある。

例えば、求人雑誌に掲載されている企業の中には、「省令3号のイ」を掲げて、35歳頃までを採用対象としていながら、採用後1年間は契約社員の身分で働いてもらうという条件を労働者に課す企業がある。これは、「労働者が長期にわたり同一の企業で雇用される」という「我が国の雇用慣行」を掲げておきながら、会社の都合で労働者との契約を簡単に切れるようにしていることにならないか。

「労働者が長期にわたり同一の企業で雇用される」という「我が国の雇用慣行」を標榜するなら、責任を持って、長期にわたって正式に社員を雇用するべきであろう。会社の都合で契約更新を簡単に断ることができるようにしておきながら、「労働者が長期にわたり同一の企業で雇用される」という「我が国の雇用慣行」に基づいた「省令3号のイ」を掲げることに、私は「企業のご都合主義」を感じる。

「長い期間働いてもらいたいから、35歳を超える人は雇いません」と言いながら、「35歳未満であって、採用されたとしても、期間に限りのある契約社員としてしばらく働いてもらいます」と言うのは、矛盾ではないか。余りに自己中心的である。だったら最初から「省令3号のイ」を掲げるなと言いたい。

どうせ、本音は、「雇用した社員が仕事できない奴だったら困るでしょ。そういう奴を簡単に切れるように、1年目は契約社員として雇ってんだよ」ということなのだろう。しかし、「我が国の雇用慣行」という昭和の古き良き慣行には、「どんな駄目社員でも、雇ったからには会社が責任持って教育して働けるようにするという」という良い側面があったはずである。現在の世相においては、この側面は企業によって都合良く無視され、昭和の古き良き慣行は、単に悪用されているだけのようだ。

かつて、民俗学者柳田國男は、新聞から世相を読み解いたが、求人雑誌からも世相を読み解くことは、ある程度可能であるように思える。そして、もしも私がそれを本格的に行ったならば、上記のような、会社や国の政策に対する違和感ばかりが浮かび上がってくるように予感する。

しかし、それは今も昔も同じことなのだろう。ぼーっとしていたら、騙されて利用されるだけなのは、おそらく今も昔も変わらない事実なんだろう。

いついかなる時も用心が必要だ。