3月25日から3月29日までの九州旅行の記録

今年も九州を旅行してきました。いつの頃からか、毎年3月頃に九州へ旅行することが習慣になっています。今回は、3/25(火)から3/29(土)までの4泊5日の旅となりました。期間としては短いですが、気持ちの切り替えには十分な期間です。おかげで心身ともにリフレッシュすることができました。一人になって飛行機や電車で自由に移動して、生活の場をしばし離れることは、健康にいいです。新規な状況に身を置くことで、脳が活発化し、前向きになれるように思います。下記より、今回の旅で記憶に残った出来事を記録として残しておきます。

3月25日(火)

14:30発の福岡行の便に乗る前に、大学院時代の同期と那覇空港天龍で食事。粟国島で医者をしている後輩を訪ねて、たまたま沖縄に遊びに来ていた同期から、「せっかくだから会おうよ」という連絡をもらったのは、出発前日のこと。天龍で沖縄料理を楽しんだあと、そのまま那覇空港の4階の、慶良間諸島の見える窓際で、お互いに近況を報告。年収100万未満の生活を送るうえで感じる焦りや不安、何らかの組織に正社員的な身分で所属しようかなという迷い、月収20万円稼ぐことを前提に己の生活を組み立てるのではなく、最低限の生活を行うのに月にいくら必要で、そのお金を稼ぐためにどうすればよいのかを思考することが重要なのではないかという気付き、1人の恋人や配偶者よりも、お互いに手を差し伸べあって緩やかに繋がって生きていける仲間が複数欲しいこと、親密になると他者に対して甘えが生じ、他者に理不尽な行為をしでかしてしまいがちなので、人間関係は一定の距離・間合いが大事。だいたいこのような話をして盛り上がって、同期と別れた。

「あと何回、このような気ままな旅ができるのだろうか」と考えながら、福岡空港に到着。雨が降っていた。地下鉄を乗り継いで博多駅へ。そこからソニックに乗って小倉駅へ向かう。事前に予約していたリコホテルという名の宿泊所は、ソープ街のど真ん中に聳え立っていた。「どうですか。お客様。一万でいいですよ。」「すいません。そこのホテルに用がありまして。」「そうですか。ムラムラしたらいつでもどうぞー」満面の笑みを浮かべながら客引きするおにいさんと言葉のやり取りをし、リコホテルへ。4泊11000円。フロントで宿泊料を前払いし、部屋の鍵を受け取る。荷物を部屋に置き、傘を200円で買って、魚町の質さんうどんへ。雨に濡れて体が冷えていたので、温かいうどんが無性に食べたかった。

うどんを食べてしっかりと熱を体に充填した後、Qooという名前の散髪屋へ行く。学生の頃、この散髪屋は北九大の傍にあった。いつか行こうと思っているうちに、一度も行くことのなかった散髪屋である。それが、大学付近から移転して、小倉駅の近くにあったのである。17年前の、私が18歳の頃、クラスの同期が強くこのお店を勧めていたのを思い出したので、入店の際のアンケート用紙に、「友人から聞いた」と記入した。店の人にその友人の名前を聞かれたので、正直に名を告げる。すると、店長が出てきて、「いやー。○○ちゃんのお友達ですか。彼女は岡山に帰ってしまったけど、今でも年賀状でのやり取りはあるんですよ。ようこそいらっしゃいました」と謎のVIP的歓待を受ける。友達からの紹介ということで料金も安くしてくれた。

髪型は、スピッツのマサムネ風をお願いしてみた。イメージが浮かぶように、「君が思い出になる前に」の動画をその場にあったIpadで検索してもらい、見てもらった。今回担当してくれた美容師さんは、かつて北九州予備校に通っていた人であった。沖縄にも北九州予備校が進出していることを話すと、北九州予備校の名物講師の話をしてくれた。予備校の講師は、お笑い芸人のような、人を楽しませる要素が必要なので、とある古文の講師は、最終的には着ぐるみ姿で、古文の講義を行っていたのだという。そこまでするのかと私は驚いた。私も塾講師なのだけれど、そこまではしていない。着ぐるみ姿になるかどうかはともかく、人を楽しませる講義というものができるように、工夫をすることは必要だろうと感じた。ミュージシャンが、持ち歌をひたすら披露し続けるのではなく、歌の合間に世間話をするように、息抜きのような、聞いていて楽しい語りを講義のそこかしこに意図的に挿入することは、塾講師として生き残っていくために、必要なことかもしれない。

今回のように、金を出して髪を他人に切ってもらうことは、実は約2年ぶりのことであった。沖縄に帰郷した2011年11月27日以降、私は髪を自分で切ってきた。しかし時折は、人に髪を切ってもらうのもいい。特に、新しい情報が手に入ることがいい。今後も1年に一度は髪をここで切ってもらうことにしようかと思う。

散髪の後、リコホテルへ戻る。途中、この場所で学生の頃、たちんぼの女性に、「にいちゃん。ホテルにいこう」と声をかけられたことを思い出す。この辺は風景が15年前と全く変わらない。書き割りのような、木造の屋根の下に、飲み屋やラーメン屋が所狭しと並ぶ。ストリップの看板。男同士が絡む怪しげな図像の描かれた映画館。昔のままの風景である。「お帰りですか。お客様。」客引きのおにいさんが、客引きのおじさんになっていた。客に放つセリフが異なることに年季を感じる。「はい。お疲れ様です。」とおじさんに返事し、リコホテルへ。疲れていたので、部屋に帰ってすぐに寝た。

3月26日(水)

旅に出ると、なぜか早起きしてしまう。なんと6時半に目が覚めた。風呂に入り、今日のスケジュールを確認。鍵を預けて外に出る。客引きのおにいさんが傘をさして立っている。昨日見た方々と異なり、丸坊主でメガネをかけている。何も会話することなく、ソープ街の外へ。朝食は、昨日と同じ質さんうどんで食べた。ざるそばを食べてみたが、あまり美味しくなかった。食事のあと、ネットカフェを探して、小倉駅周辺をさまよう。ラフォーレが、あるあるタウンという名前の建物に変わっていた。なんだか建物自体が秋葉原的オーラに包まれている。その1階のネットカフェで3時間ほど時間をつぶす。メールをチェックし、気になっていた漫画をとにかく読みまくる。以下、その簡単な感想。 

ドリフターズ → 織田信長那須与一などの、歴史上の有名人達が、竜だのエルフだのが住む世界に動員されて、同じくラスプーチンジャンヌダルクなどの歴史上の有名人達と戦うというストーリー。うしおととら+すごいよマサルさんベルセルク、というような画風とテンポの漫画。武将や戦士や日本軍兵士(戦闘機付き)ではなく、核兵器を搭載したエノラゲイや、原子力潜水艦や、空母あたりを召喚したほうが勝ちなのではないかと思ってしまうが、これだと現代の戦争と変わらないので面白くない。それに、こんなことをしてしまうと、各時代の有名人達をおとぎの国に送り込んでいる人物の「道具や技術の使い方に関する新しい発想(=差異)を持ち込む」という趣旨が達成できない。戦いに「差異」を持ち込みたいなら、戦士や兵士や軍人ではなく、これまでの戦争のやり方を知り尽くした、最も近未来の軍事評論家を、召喚してはどうだろうか。

ドリフターズ 1 (ヤングキングコミックス)

ドリフターズ 1 (ヤングキングコミックス)

 

 ・軍鶏 → この作品の著者は「修行して強くなる→敵を倒す→もっと強い敵が現れる→修行して強くなる→敵を倒す→もっと強い(以下略)」という画一的なループから逃れようとしている。ドラゴンボールに顕著な、パワーインフレ的な展開をどのように回避するのかが、格闘技や戦闘を主題にした今日の漫画の課題なのだろう。突如登場した、格闘技の素人同然の変な兄弟「どぶ組」。パワーインフレ的な展開にどのような新風を送り込むのか。今後が楽しみ。

軍鶏(31) (イブニングKC)

軍鶏(31) (イブニングKC)

 

 ベルセルク → 最新刊がまだ出ていなかった。作者はどうしているのだろう。行き詰まっているような気がして心配である。きっと漫画を描くことは、論文を書くことと似ていて、漫画家は「今までにないクリエイティブな展開」をどうにかして思い付こうと、悶えながら漫画を描いているに違いない。普通の人間であるガッツが、よく分からない魑魅魍魎どもと、火薬や大剣を駆使して対等に戦うまでは、等身大感や現実感が感じられて、良かった。しかし、魔法や狂戦士の甲冑などの、現実離れした力が登場したあたりから、ガッツに親近感を感じることができなくなった。何でもありになってしまったことが原因だと思う。主人公が強くなるのは良い。しかし、その強さが、何かを装備したり、誰かと合体したりといった、非現実的かつ安易な手段で得られたものであるならば、読者は興ざめしてしまう。ははー。それをするととにかく強くなるんですねー。と読者は冷める。これは、制限が解除されて、何でもありの無秩序な状態では、登場人物の行動からスリルや知性が醸し出される機会が激減するからではないだろうか。何でもありなので、頭を使う必要がなくなる。全てが可能になりすぎると、不確実な状況で、手持ちの道具や能力を最大限に生かして、何とかして生き抜こうとする人間の、切実さや努力が発揮されるチャンスが減る。この状態を打破するには、『ジョジョの奇妙な冒険』のように、ルールに重点を置いた展開をすることが一つの解法なのであろうが、これもやりすぎると読者がルールを理解するのに困難を覚え、娯楽として楽しめなくなる。一定のルールのもとで、死力を尽くして知性をぶつけ合う戦いには大きな魅力があるが、むやみにルールを複雑にするのは良くない。非常に難しいところだ。

ベルセルク 37 (ジェッツコミックス)

ベルセルク 37 (ジェッツコミックス)

 

 3月のライオン → この漫画の作者による、勝負事に臨む人間の描き方には、鬼気迫るものがある。読みながら、ついつい背筋を伸ばしてしまう。この作者の漫画に対する態度も、鬼気迫るものなのだろうと推測する。将棋という、一定のルールに従って戦う人々を描いた漫画であるため、ルールがあれこれ出てきてその理解に困るというルールインフレや、強い奴を大きな力で倒してまた強い奴が出てきたらさらに大きな力で倒してというパワーインフレとも一線を画した漫画。おそらく、勝負において勝敗が決まるその寸前の時間帯を、登場人物の心情や葛藤や過去に重きを置いて、拡大して細かく描写して劇的に演出するという書き方が、ルールインフレやパワーインフレに陥らない、独特の緊迫感溢れる漫画を可能にしているのだと思う。戦いにおける登場人物の心中を細かく描くという意味では、この漫画は『月下の騎士』と似たものがある。実際の戦いよりも、戦う登場人物達の精神・心象風景がドラマチックに描かれている点が魅力。この漫画を読むと「ああ私も何かに切実に取り組まねば」という気分になる。

3月のライオン 8 (ジェッツコミックス)

3月のライオン 8 (ジェッツコミックス)

 

 進撃の巨人 → 巨人の生態に興味がある。どんな造りしているのだろう。消化器官や生殖器官はあるのだろうか。時間切れでじっくり読めなかった。 

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)

 

 

ネットカフェで漫画を読んだあと、リコホテルに戻り、しばし昼寝する。そして15時に小倉駅へ。そこで友人と落ち合い、モノレールに乗って北方駅へ移動。昔からお世話になっている某人物の家で鼎談。廣松渉や柳川細胞やマルクスの『ドイツイデオロギー』やカズオ・イシグロの小説や靖国神社の話題で話が弾む。今回の鼎談のハイライトは、「太平洋戦争で特攻隊という道を選んだ若い人々を、犬死という言葉で表現することには反対だ。彼らは彼らで家族や友人や日本のことを考えてそうしたからだ」という意見に対し、「当時の若者に、そのような選択肢しか許さなかった、戦争を引き起こした張本人が必ずいるはずです。彼らこそ責められるべき人間でしょう。」という返答が出た瞬間であったと思う。また、友人達はそれぞれ、82歳、62歳であり、35歳の私よりも年上だったこともあり、「重森君は若い。今ならなんでもできる。能力、体力ともに人生で最高の時期だ。」と彼らから言われ、「よっしゃ何かしてやろう!」と単純に奮い立ってしまったことも、面白い瞬間であった。そんなこんなで色々な話題で話をして、気が付けば20時過ぎ。友人を小倉駅まで送り、リコホテルへ向かう。「いかがですか?」と声をかけてきた客引きのおにいさんが、「あ。昨日の方ですね。すいません。」とすぐに気付いてくれたのが、なぜかちょっと嬉しかった。

3月27日(木)

8時頃に起床。風呂に入り、三萩野駅へ。持ち家を購入した友人に会うために、9時頃に駅付近で待ち合わせ。歩道の木々をよく見ると、楕円形の小さな卵のようなものが、表面に無数に付着している。色は木肌と同じ色。何らかの生き物がここで孵化したのであろう。そうこうしているうちに友人が駅に到着。持ち家を見せてもらう。駐車場付の2階立ての新品の家であった。プログラマである友人には、頻繁に仕事の電話がかかってくる。ノマドワーカー的な働き方といえば聞こえは良いが、ずっと仕事に拘束されているともいえ、なかなかに大変そうであった。腹が減ったので、城野にあるイタリア料理屋ペペ・ロッソへ車で移動。ここは別の友人が経営している店で、パスタだけでなく、パンやお菓子の味も良い。4月から消費税がアップし、材料費が高くなるので、商品の値段をあげたほうが良いか、それとも値段はそのままにして商品の量を少し減らしたほうがいいだろうかなどと、3人で話し合う。話しているうちに、プログラマの友人が、発酵商品を作る仕事に従事したいという願望を口にした。すると、ペペ・ロッソの友人も、実は高校生の頃、発酵食品を作る仕事に興味があって、わざわざ雪印に電話し、発酵食品を作る仕事に就く方法(農学部に進学すればよい)を教えてもらったことがあると話し出した。友人の故郷である大分には、農学関係の学校がなく、さりとて九大の農学部に進学することは難しかったので、友人は地元の料理学校に進み、現在イタリア料理屋を営んでいるとのことであった。私の故郷である沖縄では、食べ物を作ったり獲ったりすることを学ぶ学校はどこか軽蔑されていて、○○農林や○○水産などの高校に進学したいと話そうものなら、親や教師に猛反対されるような空気が漂っていた。食べ物は誰かが必ず作る必要があり、誰かが必ず獲る必要がある。いくら金を貯めても、食べ物が手に入らなければ、意味がない。食料を海外から輸入すればよいという考え方もあるが、海外が輸入を拒否したらそれまでである。食べ物を作ったり、獲ったりすることを学ぶ学校が馬鹿にされるのは何故なのだろう。なんかこの世の中おかしいよね。などと私は話した。消費税アップにより、小麦や野菜などの原材料の値段が高くなることは、小麦や野菜などを栽培するために必要な肥料や農薬の値段が高くなることと連動しているのであろう。であれば、最も理想的なのは、肥料や農薬を極力使わずに、自分で材料を畑で生産して、それを使って料理を出すことかもしれない。3人の会話はこのような結論に行き着いたのだが、目下迫っているところの消費税アップへの現実的な対応策としては全く不適切な結論なのであった。

食事の後、プログラマの友人の家に車で戻り、その後、近所の米屋に向かう。この米屋は私が事前にネットで見つけてマークしていた米屋であった。九州中の米を取り扱っているらしいので、もしかしたらハッピーヒルの玄米があるかもしれないと私は考えたのであった。ハッピーヒルとは、自然農法の発案者である福岡さんが作り出した米であり、陸でも水田でも育つ、頑丈で多収穫の見込める米である。福岡を英訳すると、ハッピーヒルとなる。なんとかこれを手に入れて、沖縄で育てたいと思い、米屋に行ったのだが、あいにく、店の主人は留守であった。明日再びくることを伝えて、店を辞した。

旦過市場まで家から歩いていけるよとプログラマの友人が言うので、旦過市場まで歩く。塩トマトを探すが、まだ出回っていないようであった。その代わり、若松で栽培された「美味トマト」というトマトを見つける。8個で500円ぐらいであったので、試しに買ってみた。また、江里口という八百屋で、これは絶対うまいよと店主に勧められ、熊本産のトマトを購入。途中、友人が仕事の用事のために、市場の休憩所でノートPCを開いてノマドワーク。仕事の用事が済んだあと、友人の家に徒歩で戻った。歩道にはあちこちで桜が咲いている。春である。

せっかくなので、友人の家でトマトの味くらべを行うことに。熊本産のトマトの味は、塩トマトにそっくりであった。最近友人が、若松の松尾商店で買った塩トマトをくれた。一個100円以上もするだけあって、非常に美味い。意外なことに、「美味トマト」もなかなか良かった。美味しいトマトに溢れている九州は、本当に良いところだと思う。

友人は14時頃から仕事ということだったので、車で通勤がてら、私を若松まで乗せて行ってくれた。若松の松尾商店で友人が買ったという塩トマトが美味しかったので、私もそれを買おうと目論んでいた。しかし、残念なことに、塩トマトは松尾商店になかった。あともう少しで入荷されるのだという。代わりに、若松で作られた濃縮トマトというものを勧められた。これも非常に美味しいものであった。迷わず、30個入り3800円を購入。沖縄の家族へのお土産である。

松尾商店を出て、船着き場まで歩く。若松の風景は、昭和という文字を想起させる。○○海運といった海関係の会社の建物が、海沿いに立っている。その建物の壁の色が、まさしく昭和であった。築何年なのだろうか。非常に渋い色をしている。船着き場で100円のチケットを購入。船に乗って戸畑へ。高校生や大学生と思しき若い人も何人か乗っている。彼らの原風景には、船と海が存在していて、それは死ぬまで記憶に残り続けていくのであろうと思うと、羨ましく思えてくる。私の前で、サラリーマン風の男2人が、「あの辺を買い取ったんですよ」「へー。あの白い建物?」という会話をしている。40代後半というところか。海関連の仕事をしているのだろうか。そんなことを考えているうちに、戸畑に着いた。下船して歩いて戸畑駅へ。再び小倉駅に向かう。

小倉駅からリコホテルへ。客引きのおにいさんに「どうすか」と明るく言われるが、笑顔でリコホテルを指さすと、「あ、リコホテルのお客様ですか。」と納得してくれた。いちいち客引きのおにいさんとやりとりするのはなかなか面倒なのであるが、おにいさんとのやり取りが今後どのように変化・洗練されていくかは楽しみでもある。部屋で、旦過市場で買った「美味トマト」と、松尾商店で買った「濃縮トマト」を冷蔵庫に保存。疲れたのでしばし昼寝。

17時頃に目覚めて、外出。客引きのおじさんから「お客様どうでしたか?気持ち良かったですか?」と聞かれ、咄嗟に「気持ち良かったです」と答えてしまう。「昼寝が気持ち良かった」という意味で「気持ち良かった」と言ったのであるが、ソープに行っていたわけではないとかなんとか説明するのが面倒なので、不本意ながらもそのままにしておく。小倉駅から北方駅へ移動し、大学近くのパスタ屋さん・カサートへ。そう言えばここもイタリア料理屋である。城野のイタリア料理屋ペペ・ロッソの友人との間で話題になった、原料生産者が料理屋を兼ねるという理想を話すと、カサートの主がその理想を部分的に実現していることが判明した。主は、実家から米やにんにくを送ってもらっており、さらに、城野付近の農家から直接野菜を仕入れているのだという。ここの料理の量は多い。特に野菜の量が半端ではない。すっかりお腹がパンパンになってしまった。

夕飯を食べたあと、北九大の図書館へ向かう。司書としてここで友人が働いているので、来たのであるが、受付にその姿はなかった。なんとなくそのまま受付で入館証を更新。仕方がないので、盆踊りに関する分析が掲載された本を探す。明治政府が率先して日本各地の盆踊りを破壊して回ったことが詳細に記述された本を、学生の頃にこの図書館で読んだのであるが、それがないかと書棚を物色。しかし見つからず。しばらくうろうろと本を物色して、図書館の入口へ。その付近で、ご自由にお取りくださいと書かれたコーナーを発見。AERAの11.3.28版があったので、それをいただく。「放射能がくる」というフレーズが刻印された、防護マスクの男性の姿が印象的な表紙のAERA原発事故がまるで過去の話のように語られがちな昨今、これを読んで3年前のあの当時の緊迫感を思い出してみるのもいい。

図書館で働く友人に図書館の外で電話をかけてみる。世間話でもしないかと提案し、図書館内の休憩所でしばし話をする。お腹を壊していたので、レモンティーのホットを友人にごちそうしてもらう。友人は明日、幼馴染の結婚式に参加するために帰郷するのだという。結婚式に呼ばれるとお金を包まなければならないのは嫌だね。東京だと3万で、沖縄だと1万だよ。他人の結婚式に出席するばかりだと、お金が減る一方なので、悔しいから帳尻合わせるために結婚したくなる側面もあるのではないか。などと話し合った。その後モスバーガーに移動し、そこでジンジャーエールをさらにごちそうになる。11時頃に別れて、小倉駅へ戻った。

リコホテルを指差すと、客引きのおにいさんは、すぐに事情を理解してくれることが次第に分かってきた。さーっとホテルに辿り着き、部屋に帰る。AERAをしばらく読んで、しばらくして寝た。

3月28日(金)

傘を忘れていることに気付いた。北方の友人宅に忘れてしまったことを思い出した。取りにいかねばなるない。そうだそのついでに、あんくるカレーを食べよう。そんな段取りをベッドの中でしながら、10時頃に起床した。風呂に入り、資さんうどんに向かう。前回はざるそばで失敗したので、かしわうどんで挽回したかった。かしわうどんはひたすら温かく、昆布のだしがきいていて優しかった。食事のあと、時間が余っていたので、マンボーという名のネットカフェに行く。メールチェックと漫画が目的である。ここで読んだ漫画の感想を以下に記述する。

銃夢LastOrder → プラズマや量子といった概念を理解していたらよりよく楽しめるのだろうかと思いながら読む。宇宙を舞台にしたサイボーグ戦闘漫画だけあって、色々と技術的な説明文が付いているのだけど、説明文自体が難しいので、説明文になっていない。これも下手するとパワーインフレに陥りそうな漫画。量子収束観測機が2台とも(ユピタンとメルキゼデク)、ガリィのバックに付くという展開は面白い。莫大なエネルギーと情報量を持つ、未来を予測するコンピューターが2台も味方についているのであれば、全ての敵に勝ったも同然ではないか。話が複雑なので、何のために戦っているのかが実は分からない漫画でもある。ガリィが、「本当の自分」「アイデンティティ問題」で悩むことが、状況にそぐわないように感じられる。もう、主人公のガリィさんは神のような存在になっているのだから、人間かどうかとか、主体がどうのこうのとか、本当の自分はあるのかなんて、どうでもいいのではないかと思ってしまう。『攻殻機動隊』で扱われていた「人間と機械の違いに関する考察」「生命の定義は未だなされていないこと」を巡る問答を、作者は再現したいのであろうか。もしそうであれば、もっと徹底してやったほうがいいように思う。

銃夢 Last Order(17) (KCデラックス)

銃夢 Last Order(17) (KCデラックス)

 

 バカボンド → 畑を耕す武蔵。化学肥料や農薬の存在しない時代の土は、農業に最適だと思われるのであるが、武蔵の住み着いた村の畑は、ひたすら不毛の土地。突如農業漫画に変貌していて、農民志望の私には嬉しい展開。作者は農業について勉強したのであろうか。是非とも良い土を作る科学的合理的な方法を描いて、「へー」「なるほど」と頷かせて欲しい。

バガボンド(36) (モーニングKC)

バガボンド(36) (モーニングKC)

 

 ・ガンツ → なんでアメリカ人をあっさり倒した巨人と、クロノはいい勝負をすることができるのかー。説得力が感じられない。それに、こんなあっさりとした終わり方でいいのかー。

GANTZ 37 (ヤングジャンプコミックス)

GANTZ 37 (ヤングジャンプコミックス)

 

  

マンボーで3時間ほど漫画を読んだあと、プログラマの友人の家へ徒歩で移動。例の米屋を一緒に訪ねる。すぐさまハッピーヒルの玄米の有無について質問してみるが、店の主は残念そうに、ハッピーヒルは流通していないと答えた。もしも情報が入ったら連絡しますと約束してくれた。ハッピーヒルに拘る私をなだめるように、米屋の主は「想いが食べ物の成分を変える」と述べた。「え?成分が変わるとはどういうことですか?」と聞くと、主は机の上から「不幸」と書かれたカードと、「幸せ」と書かれたカードをおもむろに取り出し、私に木刀を握るようなポーズをさせた。そして、「私は不幸です」と私に音読させたあとに、友人に私の左右の拳を、上下に分離するように促した。次に、「幸せ」と書かれたカードを示し、「私は幸せです」と私に音読させ、友人に再び私の左右の拳を、上下に分離するよう促した。「なんだなんだ。何が起こっているのだ」と私も友人もあたふたしながら、米屋の主の指示に従って、もさもさ動く。「つまり、「幸せ」という想いを抱いている時は、拳を上下に分離しにくくなり、「不幸」という想いを抱いている時は、拳を上下に分離しやすくなる、ということでしょうか」と私が主に話すと、主は、その通りと言わんばかりに、静かに頷いた。そして、「波動がこのような変化を及ぼすのですよ」と説明した。デジャビュである。この状況は、いつかどこかの南の島で見たことのあるような風景である。確かその島の人々は、サクティというものが手から出るという現実を生きていた。こんなところで、しかも米屋で、このような出来事に遭遇するとは思っていなかった。どうやら私はこのような話題から逃れられない運命のようである。今後も連絡を取り合おうという流れになったので、のちほど、こちらからメールを差し上げる約束をし、私達は米屋を辞した。

その後、友人と別れて、私はモノレールで北方駅へ向かった。傘を置き忘れた友人宅を、アポなしで訪れてみた。幸い、友人は在宅しており、お茶でも飲まんかと誘ってくれたので、遠慮なく家に上がり込む。ヘーゲルの話題になり、観念と物質的基盤について話し込む。酒も入り、途中でベーコン丼をごちそうになる。ここで私は知識や食料をもらってばかりである。このようなことをいつか私も他人にできるような、余裕と機会を持つことができたらいいなと思う。

結局、夜遅くまで北方の友人宅に長居してしまった。モノレールで小倉駅に戻り、リコホテルへ帰り、テレビをつけてみる。成長ホルモンの過多により、成長しすぎた人と、成長がとまった人に関するドキュメンタリーを目にする。成長ホルモンというものも、物質的基盤と呼べるのであろうか。何かずれているような気が強くする。番組を見終わったあと、眠りについた。

3月29日(土)

九州滞在最後の日。天気は雨。チェックアウトは10時だったので、風呂に入ってすぐに部屋を出る。京町あたりで、丸亀製麺の店を見つける。かけうどんを注文。ここのうどんは腰があって、汁が美味しい。つくづく、うどんで体を温めてばかりの九州滞在旅行である。少し早かったが、小倉駅からソニックに乗って、博多駅へ。そして地下鉄を乗り継ぎ、天神へ。天神から七隈線に乗り換えて、渡辺通駅で下車する。この駅の傍に、私がいつも塩トマトを購入する百旬館というスーパーがある。去年、博多駅近くのラーメン屋で、そこにいたお客さんや店の主から教えてもらったお店である。思った通り、箱に入った熊本不知火産の塩トマトが積まれていた。一箱約3000円で30個入り。これを2箱買う。これも沖縄の家族へのお土産。塩トマトを手に入れたらすぐに、渡辺通駅へ。土曜日だからか、人が多い。九州で初めて満員電車を経験した。福岡空港に早めに到着し、そこで600円の蕎麦を食べた。自然薯と卵の付いた蕎麦。沖縄ではあまり蕎麦を食べる機会がない。食べられる時に食べておくに限る。余裕を持って手続きをし、16:30発の飛行機で那覇空港に戻った。時刻は19:00頃になっていた。行きつけのカフェであるチェロで、買ってきたばかりの濃縮トマトや美味トマトを、その場に居合わせた人に勧めた。皆、「これはっ!」と目を丸くした。