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桂枝雀という落語家

桂枝雀という名の落語家に関するドキュメンタリー番組を視聴する機会があった。その感想を簡単に記しておきたい。

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何よりも、笑いを理詰めで分析していたことに面白さを感じた。特に、笑いのタイプを13種類に区別していた点には驚いた。この分類表にはイメージ図まで記されており、笑いを極めんとした一落語家の、執念・真剣さ・切実さが感じられる。

「物事を突き詰めて考えすぎると病気になる」という考え方がある。これはまさしく、桂枝雀さんにあてはまる。横着、軽薄、浅薄、怠慢。これらの言葉で示されるような、ある種の「だらしなさ」が桂枝雀さんに備わっていれば、桂枝雀さんは自殺せずにすんだのかもしれない。

しかし、突き詰めて考えることなしには、桂枝雀という落語家も存在できなかったように思えて、切ない。

物事を突き詰めて考えすぎるという傾向。これが、脳内の何らかの化学物質量の変異に基づくものなのか、あるいは、個人に強い緊張を強いるような社会関係に身を置くことで引き出されたものなのか、もしくは、これら両方の要因に起因するものなのか、私には分からない。

また、私には鬱病を称揚するつもりは全くない。狂気と芸術をいたずらに結び付けて、「芸術家たるもの狂ってなんぼでしょう」などと、したり顔で述べたくはない。

私は、常に笑いを追求し、決して慢心することなく、己の芸を磨き続けて、最後は自殺した、桂枝雀という一人の芸術家に、哀しくも美しいものを感じただけである。

そして、桂枝雀という天才的な落語家であっても、鬱病や自殺という、自分自身に深く関わるテーマを笑いにすることができなかったことを、悔しくも思った。笑いが生じる機序を、「緊張」と「緩和」という言葉を駆使して説明することができていながら、当の本人の思考や行動は「緊張」に傾いてばかりなのである。桂枝雀さん自身には「緩和」がないのである。笑いを理詰めで分析して、自由自在に笑いを制御してみせたように*1、自分自身をも理詰めで分析し*2、笑いにして欲しかった。このような悔しさがある*3

*1:「自由自在に笑いを制御してみせた」という言い方は不適切かもしれない。なぜなら、笑わそうという意図のない桂枝雀さんの言動が、笑いを生じさせたと思える事例があるからである。この事例を次に引用する。『高座のマクラで「私、またうつ病になってしまったんです」と話したり、「色んなことを試みてるうちに、自分の落語が分からなくなってきた」と泣いたりすることもあったという。客は冗談だと思って笑うと、本人は涙を流しながら否定、それが客のさらなる笑いを誘う、という悪循環に陥った。』この事例における桂枝雀さんの言動は、「笑わそうという意図のない真剣な言動が、笑いを生じさせることもある」と見越したうえでの言動ではないように思える。

*2:もしも、脳内の化学物質量の多寡は二次的な現象にすぎず、桂枝雀さんの「物事を突き詰めて考えるという傾向」が「物事を完璧に制御しようという意思」に基づいていたものであったならば、桂枝雀さんは、AAのような自助グループに通うことで、危機を乗り切ることができたのではないだろうか。そこで、「物事を完璧に制御しようという構え自体が、自分というシステムにエラーを生じさせている」という気付きを得ることができれば、桂枝雀さんは死なずにすんだのではないだろうか。また、桂枝雀さんが、進学先の神戸大学で、人類学者からダブルバインド理論について学ぶ機会を持つことができていれば、何かが変わったのではないだろうか。ダブルバインド理論から得られる知見は「自分が今いる土俵から抜けることには価値があること」といえる。例えば、禅の師匠に「この棒が存在すると言うなら、この棒でお前を打つ。この棒が存在しないと言うなら、この棒でお前を打つ。何も言わないなら、この棒でお前を打つ」と言われて迫られたならば、「何か言わねば」や「棒が存在するかしないか」という思考から離れて、弟子は師匠から棒を奪えばいいのである。特定の前提に居続けることの危険性。これを知っていれば、「物事を完璧に制御しよう」という認識論的前提から、桂枝雀さんは距離を取ることができ、自殺せずにすんだかもしれない。

*3:「物事を完璧に制御せよ」という第一次命令は、「どのような作品にも欠点や改善点は発見可能」という事実による第二次命令と必ず衝突するので、「物事を完璧に制御せよ」という命令を遂行することは絶対に不可能である。このことが腑に落ちれば、命令を遂行できなかったことを深刻に受け取らなくてすむ。しかし、芸術家と呼ばれる者が、あえてこのダブルバインド状態に身を置き、己の芸を永遠に高め続ける者のことを指すのであれば、桂枝雀さんは芸術家として、ダブルバインドの苦しみを味わい続けるしかなかったのかもしれない。「物事を完璧に制御せよ」という第一次命令をお気軽に無視できる人間では、とうてい到達することのできないレベル。このレベルに辿り着くには、ダブルバインド状態に身を置くことが必要だったといえるのかもしれない。