「翁長さんが裏切ったら、責任取ってリコールしろ!」という発言の無責任性と非合理性、そしてその論理構成について

「翁長さんが裏切ったら、責任取ってリコールしろ!」の無責任性と非合理性

翁長さんに投票した人に対して、「翁長さんが裏切ったら、責任取ってリコールしろ!」と述べる人がいる。

「リコールしたければ、自分から動けば良いのに。」と私は思ってしまう。何故他人任せにするのだろうか。リコール作業を押し付けることで、相手を困らせたいのだろうか。

誰が誰に投票して誰が当選しようと、社会の有り方や状態に対する有権者としての責任は、依然として全ての有権者にある。「自分には何の責任もありません」という態度で、翁長さんに投票した人にのみ、リコール作業を押し付けようとすることは、責任放棄的な行為であろう。

また、「責任取ってリコールしろ!」と述べて、自らを傍観者的な立場に置き、誰かを被害者面して責めるだけでは、肝心のリコールの達成は遠のくだけであろう。このような発言は、リコールを求めながらもリコールを遠ざける、非合理的な行為ともいえる。

投票とリコールの非対称性

リコールは、投票よりも各段に面倒な、手間と労力と時間のかかる作業である。投票は一人で最寄りの投票所に行き一瞬で行えるが、リコールは何十万もの署名を集めなければならず、一人で行うことはほぼ不可能だ。そのため、そもそも「責任取ってリコールしろ!」は、このような「投票とリコールの非対称性」を無視した、無茶な発言といえる。リコールは投票のように一人で簡単にできるものではない。

さらに、「責任取ってリコールしろ!」という発言を行う人には、「自分はリコールに関与しなくても良いもんね」とでも表現できるような、外野の見物席から眺めていてOKというような、お気軽な態度が指摘できる。リコールは一人の署名では成立しないのに、何故そのような傍観者的態度が取れるのだろうと不思議に思う。「あなたもリコールに積極的に関与しないと、投票で誰かを当選させることと違って、リコールの達成は難しいよ?自分以外の特定の人々に丸投げすれば達成できるような生易しいプロジェクトじゃないよ?それを分かっていて発言してますか?」と言いたくなる。

「責任取ってリコールしろ!」と述べる人は、「投票を棄権した人」や「投票に参加したが、お目当ての人が落選した人」のどちらかであろう。彼らは「自分は当選人の当選に関与していないので、その当選人が公約破りをした場合、その当選人を当選させた人々が当選人をリコールするべきだ。」と考えているに違いない。

その気持ちは理解できる。自分の希望が通らなかったことの悔しさや、自分の考えが周囲の人々に受け入れられなかったことの怒り。これらが相俟って、「ほら!言わんこっちゃない。翁長さんやっぱり裏切っただろう!俺知らないよ。俺散々警告してたのに、俺の話に全く耳を傾けなかったお前達が招き入れたことだ。自業自得だ。尻拭いは自分達でしてよね。俺は見物してるよ。じゃあね。」と、冷たく突き放したくなる気持ちは理解できる。

しかし、このような憎悪の感情で相手を非難し、傍観者的立場に自らを置くだけでは、リコールの達成は遠のき、何も変わらないだろう。なぜなら、繰り返しになるが、リコールは、皆で取り組まないと達成できない難事業だからだ。自分達を外野に置いて、リコールが達成できると考えているなら、あまりにも浅薄である。仕事の見積もりができていない。リコールには、その自治体の有権者数に応じた大量の署名が必要だ。このことが分かっていれば、リコール作業を他人に丸投げするような発言はできないはずだ。

翁長さんをリコールするために必要な署名数

たとえば、今回の沖縄県知事選で当選した翁長さんをリコールするのに必要な署名数は、以下の通りとなる。

沖縄県有権者数は、1098337人(2014年11月16日現在)

そのため、リコールに必要な署名数は、

298337/8+400000/6+400000/3
=37292.125+66666.666+133333.33≒237292人

により、237292人

 

計算方法の参照先:http://bit.ly/1wViAH1 

このように、リコールには何十万もの署名が必要になるのである。

今回、翁長さんは360820票を獲得して当選したため、この360820人が、沖縄の各地域で同時多発的に署名を行えば、リコールは容易に達成できるように思える。

しかし、この360820人全員が「翁長さんの裏切り」という認識を共有してくれるかどうかは未知数である。この360820人は、「翁長さんは裏切っていないと考える人」と「翁長さんは裏切っていると考える人」と「翁長さんが裏切っているかどうか判断できない人」に分かれるであろう。

翁長さんに投票した360820人のうち、「翁長さんの裏切り」を確信した人の数が、リコール成立に必要な237292人以上となる保証はない。この人数を確保するために、翁長さんに投票した360820人の認識を、「翁長さんは裏切っている」という一つの方向に持っていくことは、それはそれで難しいであろう。大部分の人は日々の仕事に追われ、翁長さんが裏切っていることを懇切丁寧に周囲に説明して回ることや、翁長さんが裏切っているかどうかについて沈思黙考する余裕はないと予想できるからである。新聞やテレビ等のメディアの力や、信用できる署名場所を提供してくれる行政の力を借りない限り、翁長さんに投票した360820人のみでリコールを達成することは難しいだろう。

リコールは有権者全員の課題

しかし、翁長さんに投票した360820人のみでリコールに取り組むのではなく、沖縄全体の有権者1098337人でリコールに取り組むならば、話は違ってくる。母集団を大きくすれば、それに比例して、「翁長さんは裏切っていると考える人」の数も増えていき、リコールの達成可能性は高まっていくだろう。翁長さんに投票した360820人だけでリコール作業に取り組むよりも、沖縄全体の有権者1098337人という大きな母集団でリコールに取り組んだほうが、リコールはより成立しやすいだろう。

「責任取ってリコールしろ!」と述べる人は、悔しさと怒りで我を忘れて、上記のような合理的な考えができなくなり、政治を他人に投げてしまった無責任な人に堕している。有権者全員で取り組んだほうが、リコールは達成しやすい。にも関わらず、「責任取ってリコールしろ!」と述べて、リコール作業を特定の集団に丸投げする人は、リコール作業の難易度を高めてしまっている。「責任取ってリコールしろ!」という発言は、リコールによって裏切り者の政治家をこらしめろという表向きの意味合いとは異なり、リコールの成立を遠のかせ、結果的に、「当選させた責任」という言葉をちらつかせて相手に精神的な重荷を負わせるための悪口でしかなくなっている。

政治に参加する意思。「責任取ってリコールしろ!」と述べる人には、これが感じられない。社会の有り方と状態に対して徹底的に無責任な発言である。いつからあなたはお客さんになったのか。傍観者になったのか。外野の見物席に勝手に座るのではなく、あなたも政治に積極的に参加して下さい。と私は強く思う。

「翁長さんが裏切ったら、責任取ってリコールしろ!」の論理構成

後ろめたさを感じさせる出来事としての投票行為

「当選人が公約を破った場合、その当選人に投票した人間は、その当選人をリコールするという形で、その責任を取る必要がある」という内容の規定は、法律に存在しない。

そのため、法的には、翁長さんが裏切った際に、翁長さんに投票した有権者が、翁長さんをリコールする必要はない。何もしなくても、法的には何の問題もない。

しかし、「翁長さんが裏切ったら、責任を取ってリコールしろ!」という物言いには、翁長さんに実際に投票した私に、後ろめたさを感じさせるものがある。

この後ろめたさは、私の投票行為が、翁長さんを当選させ、翁長さんの裏切りを可能にしていることに起因しているのであろう。私が翁長さんに投票したという出来事が、翁長さんの裏切りという出来事を生じさせた要因の一つであることは間違いない。この点に私は、後ろめたさを感じているのだろう。

翁長さんの裏切りを生じさせた直接的な出来事と、翁長さんの裏切りの意図

しかし、である。翁長さんを当選させたのは、彼に投票した私を含む有権者達であるが、このことは、知事就任後の翁長さんの裏切りを直接生じさせた出来事とは断言できない。「私が翁長さんに投票したから、翁長さんは裏切った」とは必ずしもいえない。なぜなら、翁長さんが当選し、翁長さんが裏切るまでの間には、他の様々な出来事が確認でき、それらのうちの別の出来事が、翁長さんの裏切りの直接の引き金になっている可能性が考えられるからである。

しかし、「いや。それは詭弁だろ。お前が翁長さんに投票したことが、翁長さんの裏切りの直接の引き金かどうかはどうでもいいことだ。最初から翁長さんが裏切るつもりであったのに、そのことを見破れずに彼に投票したならば、その責任が生じるだろう?俺が言いたいのはこの点だ。お前の投票行為が、翁長さんの裏切りを直接引き起こしたかどうかは問題じゃない。翁長さんが最初から裏切るつもりであったことを見破れたかどうかが問題であり、お前はその点でミスを犯した。だから、お前は翁長さんをリコールする責任を負わなければならないのだ」と、述べる人がいるかもしれない。

確かに、最初から翁長さんが裏切るつもりであったならば、あまた存在する出来事の中から、翁長さんの裏切りを直接生じさせる出来事を特定する必要はなくなる。翁長さんの裏切りの意思を見破れずに、翁長さんに投票したこと。このことが、そのまま責められてしかるべきことになるだろう。

しかし、翁長さんが裏切った際に、最初から翁長さんが裏切るつもりだったかどうかは、確認することができないことである。超能力者でない限り、翁長さんの本心は分からない。本当のところは謎のままといえる。

それに、次のような可能性も考えられる。知事就任時の翁長さんは、公約を守る気満々だったが、その後に様々な出来事が生じ、それらのうちのどれかに直接影響を受けて次第に裏切りへと傾いていった。このような可能性も十分想定できる。もちろん、このことを確認する術もない。ここでも本当のところは謎のままといえる。

裏切りの意図と、裏切りを生じさせた出来事の、特定不可能性から導かれる結論

最初から裏切るつもりであったのか、あるいは、有権者の投票による当選以降に生じた様々な出来事のどれかによって、裏切りが直接的に引き起こされたのか。翁長さんの裏切りが、これらのうちのどちらの過程に沿って生じたのかを、特定することは不可能である。また、これらそれぞれの答え*1を出すことも同様に不可能である。

したがって、現時点の私は、翁長さんが裏切った際に、翁長さんに投票した人が責任を取って、翁長さんをリコールする必要はないと考える。

確かに、新知事である翁長さんの裏切りは、翁長さんを新知事として当選させた人の投票行為抜きには発生しない。しかし、有権者が翁長さんに投票して翁長さんが新知事になったことと、翁長さんの裏切りとの間には、他にも無数の出来事が存在しており、これらのうちの何らかの出来事が翁長さんの裏切りを直接的に引き起こしている可能性は否定できず、かつ、この真偽を確かめることは難しい。それゆえ、「翁長さんが裏切った際に、翁長さんに投票した人が責任を取って、翁長さんをリコールすべき」とは断言できないと私は考えるのである。

「あのさー。なんかあんたはさっきから、「翁長さんの裏切りを直接的に生じさせる出来事」とやらに拘っているようだけど、翁長さんの裏切りを可能にした、翁長さんの裏切りの前に生じた全ての出来事が、翁長さんの裏切りに関わっていると考えれば、翁長さんに投票した有権者は必然的に、翁長さんの裏切りに責任を持つことになるんじゃね?直接的かどうかに拘る必要ないんじゃないの?」という突っ込みはよしてもらいたい。このような考えを認めれば、翁長さんの立候補の届出を受理した選挙管理委員会や、翁長さんの人格や言動に影響を与えたと考えられる全ての人々*2が、翁長さんの裏切りの責任を取る必要が生じてしまう。また、裏切りの責任は、翁長さんに投票した人に「翁長さんが裏切ったら、責任取ってリコールしろ!」と述べる、「投票を棄権した人」や「投票に参加したが、お目当ての人が落選した人」にも確実に及ぶであろう。なぜなら、「投票を棄権した人」は、投票を棄権したからこそ、翁長さん以外の候補者の票を増やすことができず、翁長さんの当選を許してしまったと考えることができ、「投票に参加したが、お目当ての人が落選した人」は、自分のお目当ての立候補者に投票してくれる有権者を増やす努力を怠ったからこそ、翁長さんの当選を許してしまったと考えることができるからである。しかし、このように考えることは不毛であろう。きりがないからである。翁長さんの裏切りの前に確認できる全ての出来事を、翁長さんの裏切りに関係付けることは、現実的ではない。このような不毛を避けたいがために、翁長さんの裏切りを直接的に引き起こした出来事に私は拘っているのである*3

リコールしたい人がリコールすれば良い

リコールは、リコールせねばと心から思った人が、自発的に取り組めば良いと私は考える。翁長さんが裏切った際の責任の取り方は、彼に投票した有権者ひとりひとりが、そのそれぞれの生活との兼ね合い・折り合いのなかで自発的に決めていけばよい。責任の取り方を、謎の外野席に自分を置いている他人が独善的に決定し、それを強要してきても、「あんた一体何様?他人にリコール作業を丸投げして、沖縄の将来に関して無責任な奴だな。翁長さんの裏切りを許せないなら、お前もリコール作業に協力しろよ。」と呆れられるだけである。

「翁長さんが裏切ったら、責任取ってリコールしろ!」と述べて、その理由として、「なぜなら、あなたは翁長さんに投票した人であるから。」としか述べられない人は、さらにこの根拠を示して欲しい。なぜ、翁長さんに投票した人には、翁長さんをリコールする責任があるといえるのか。この理由を提示して欲しい。「リコール作業に協力して下さい。沖縄の将来のために、裏切り者の翁長知事を一緒にリコールしましょう」ということなら、まだ話は分かる。なぜ、翁長さんに投票した人のみがリコール作業を担わなければならないのか。なぜ、翁長さんに投票した人のその責任の取り方を、リコール作業に限定できるのか。また、「翁長さん以外の立候補者に投票した人は、翁長さんの裏切りに関して何もしなくても良いのか」や「そもそも、投票自体を放棄した人は、翁長さんの裏切りに関して何もしなくて良いのか」という疑問もある。「翁長さんが裏切ったら、責任取ってリコールしろ!」と述べる人は、この台詞を謎の外野席からひたすら垂れ流すのではなく、上記の私の問いかけに対する答えを示して欲しい。このように私は考える。

*1:最初から裏切るつもりであったか否かの真偽と、どの出来事が裏切りの直接的な引き金なのかの特定

*2:翁長さんを育てた両親や、政治家である翁長さんの兄、翁長さんが通った学校の教師など。

*3:繰り返しになるが、この「翁長さんの裏切りを直接的に引き起こした出来事」を特定することは至難の技なのである。翁長さんに投票した人に「翁長さんが裏切ったら、責任取ってリコールしろ!」と述べる人が、「翁長さんの裏切りを直接的に引き起こした出来事」が、有権者による翁長さんへの投票行為であることを、確実に立証できるなら話は別であるが。