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グローバルな人材

雑記

昨晩視聴したETV特集の感想を記す。

「グローバルな人材」を求める日本政府(文科省)の要請に従い、「グローバルな人材」を輩出すべく、各大学が様々に模索しているようである。

しかし、肝心の「グローバルな人材」が、どのような人材であり、どのような基準を満たしている者なのかが不明確であるため、その模索は困難を極めている様子であった。

「日本政府からの支援金が欲しい」

原発事故等の未曽有の危機に対応できる総合的な知を準備したい」

「良く分からないが周囲が大事だというのでその風潮に合わせたい」

様々な思惑のもと、 「グローバルな人材」の定義・モデルを曖昧にしたまま、多くの大学が「グローバルな人材」の育成に取り組み、教授は「グローバルな人材」を育てるべく、学生は「グローバルな人材」になるべく、とにかく手足をバタバタさせてもがいているようであった。

番組では京大にフォーカスがあてられていた。京大では、グローバルリーダーの育成を目標にして、バングラデシュに学生達を派遣し、課題を発見させるという試みが行われている。しかし、派遣先がバングラデシュであることの必然性が理解できなかった。隣の韓国や中国や台湾ではなく、なぜバングラデシュなのか。まずこのことが疑問に残った。

また、そもそも、何故海外に行く必要があるのかという疑問も生じた。今や、グローバル化により、身近な出来事で、海外と無関係なものを探すこと自体が難しい世の中である。服、食品、木材、電化製品、石油、外国人労働者、TPP、放射能による環境汚染、米軍基地等々。グローバルな出来事・現象・課題は私達のごく身近に存在している。にも関わらず、身近なグローバルな事象はスルーして、とにかく海外に行くという発想はいかがなものか。

さらに、どうしようもなく違和を感じてしまう場面もあった。番組では、京大の元総長が登場し、「いざという時に、いわゆる専門家が役に立たないことが、原発事故の時にはっきりした。細かいことにいくら詳しくても、原発事故には対応できなかった。だから、あのような危機に対応できる知を育てたい」という趣旨のことを述べていた。

であれば、原発事故とその影響の研究に、京大は大学全体で取り組んではどうだろうか。なぜそれをしないのだろうか。

原発事故はまだ終わっていない。危機はまだ去っていない。今でも放射性物質は環境に漏れ続け、大気や海洋や生物(食糧となる魚介類や野菜を含む)をグローバルに汚染し続けており、その影響は未知数である。とりわけ、低線量被曝による人体への悪影響については不明なことが多く、移住すべきか否かや、何に気を付けて食事をすればいいか等の判断で迷う人々が少なくない。また、原発事故の原因の究明と今後の対策や、長期にわたる仮設住宅での生活により疲弊している避難者の方々や、被災地を中心にして日本全国で確認できる「放射能に対する不安を口にすることができない閉塞状況」等、早急に分析して何らかの結論を示すべき課題が山積している。学生を海外に派遣して課題を見つけさせるなどという悠長なことをしている場合ではない。身近にあるグローバルな課題であり、かつ、現在も進行中である原発事故とその影響の研究に、京大はなぜ取り組まないのだろうか。

京大の元総長の言葉は、上辺だけの言葉に思えてならなかった。やる気あんのかと強く問いたい。原発事故に対応できるような総合的な知。これを本気で育てたいならば、バングラデシュではなく、原発被災地や霞が関等の、原発事故と深い関係のある場所に学生を派遣し、課題を見つけさせるべきであろう。

どうして京大は遠回りをしているのだろう。番組を見ていて私は非常にイライラしてしまった。隔靴掻痒とはまさにこのことを言うのだと思う。