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議論の仕方を学ぶ機会・方法について

塾・教育関連

日々、議論の仕方について考えることが多い。

特に、ツイッターフェイスブックや国会におけるそれに触れる度に、「議論の仕方というものを学ぶ機会を我々は確保できていないのではないか。これは社会全体で見れば大きな損失ではないだろうか。誰もが小学校頃から、議論の仕方に関する教育を受けられるように、体制を整えるべきではないか」と考えてしまうことが多い。

あれは確か、私が修士一年の頃であった。

院のゼミの後で、いつものようにダラダラと共同研究室で同期らと談笑している際に、一人の同期が「世界は言語によって構築されている」と断言した。このような言明は社会科学系の大学院では、なかば常識として語られる類の言明であるが、その時私はふとその同期に対して、「なぜそう言えるのか。証拠はあるのか」と問うた。

同期は「え?」と言わんばかりの調子で一瞬沈黙した。そして、「じゃあ。世界が言語によって構築されていないことを証明してみてよ」と私に聞き返してきた。

これは悪魔の証明だ。すぐに私はこのことに気付いた。そこで、悪魔の証明とは何であるのかについての説明を詳しく行い、「世界が言語によって構築されていると述べたのはあなたなのだから、あなたが先に自分の主張の証明を行うべきだ」と同期に返答した。同期は、なにそれそんな話聞いたことない理解できない、という顔をした。

すると、私達のやり取りを傍らで見守っていた博士課程の先輩が、私の主張に同意を示し、「うん。重森君の主張は正しい。世界が言語によって構築されていることを、まずはあなたが証明する必要がある」とコメントした。同期は目を白黒させて、そのまま黙ってしまった。

不思議なのは、この同期は、某有名私立大卒であったことである。高偏差値大学出身であり、かつ、大学院に進学するほどの人であれば、悪魔の証明のことぐらい、一般常識として、当然知っているものだと私は思っていた。偏差値50前後の地方公立大学出身の私でさえ知っていることである。なぜ悪魔の証明のことを彼は知らないのだろう。私は不思議に思った。

同期は悪魔の証明のことをたまたま知らなかったのだろう。私はそのように考えた。有名大学卒の人間にも、色々な人がいる。私はそのような形でひとまず納得した。

しかし、院のゼミでも、似たようなやり取りを私は目撃することになった。またしても、悪魔の証明を他人にさせようとしたのは、高偏差値大学出身者であった。さらに、その方は、修士二年の先輩であった。指導教官に「それは君の主張なので、まずは君が根拠をあげて立証すべきだよ」と指摘されていた。「高偏差値大学出身者=議論の仕方に熟知」というわけではないのだなと、私はその時学習した。

議論という言葉から想像される定型的なイメージがある。それは、何でもいいから言葉を言い放って、相手を黙らせた方が勝ちという、粗雑なイメージである。確かに、議論にはそのような側面がある。しばしば議論の営みは、「攻撃」や「防御」や「援護」などの戦争の比喩で描写される。この描写は的確であり、議論の最中には、相手を「打ち負かしたい」という欲望にとらわれることが実際にある。また、議論ばかりしていると、殺伐とした気分になることがある。「自分の主張に根拠を付与すること」や「矛盾してしまうこと」などを一切気にせず、適当に思うがまま、言葉を口から出したくて仕方なくなる時がある。

しかし、何らかの作品を共に作り出すような営みとしての議論というものがあることも確かである。一人で彫刻作品を作るのではなく、二人あるいはそれ以上の人間で、協同して一つの彫刻作品を作るような議論がある。そしてそれには踏まえるべきルールが存在する。悪魔の証明の禁止はその一つだ。これはそれほど難解なルールではない。これは、根本的には、「自分の主張には、根拠を必ず自分で付与せよ」というルールの一つだといえる。

私の知る限り、このような議論の仕方を学ぶことのできる授業や科目は、小中高には存在しない。大学や大学院にも、そのものズバリの内容の講義はなかったように思う*1。残念ながら現時点においてこれらの知識は、大学院まで進学して初めて、教授達や先輩達を含めた議論の中で、学ぶことのできる知識なのであろう。

家族や地元の友人達と、議論めいた会話になる時がある。私が「それは悪魔の証明だからやめてよ」と話しても、相手に伝わらないことが多々ある。「何を言っている?」と言いたげな、怪訝な顔をされることが頻繁にある。悪魔の証明だけでなく、「主張には根拠を付与せよ」というルールさえも、あまり知られていないようである。しかし、これは仕方のないことだと思う。なぜなら議論の仕方について学ぶ機会は、大学院まで進学しないと得られないものだからだ。

このような私にとって、下記のような資料は大変有難い。

http://matome.naver.jp/odai/2136251918746186001

このような、「悪魔の証明」や「主張には根拠を付与すべきこと」や「藁人形論法」などのことが取り扱われた、落語や漫画などが多数発表されたら良いのになと思う。

ちなみに、私が悪魔の証明のことを学んだのは、ある漫画を通してであった。大学生の頃に読んだ小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』がそれである。漫画から学べることは意外に多いと私は思う。

*1:論理学の講義などで、もしかしたら取り扱われていた事柄なのかもしれないが