卑怯者

【魚拓】「飛ばす車が減った」 若き米兵が見守る通学路 寒い朝はつらいけど…地域から感謝の声 沖縄 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス

生活を優先する沖縄タイムス

完全にマッチポンプだ。米兵が蒔いた種を米兵が刈り取っているだけなのに、なぜ沖縄タイムスは「米兵に対する地元住民の感謝の声」を報道するのか。米兵は何もいいことをしていない。マイナス1にプラス1をして、単にゼロにしているだけだ。

いや。マイナス100にプラス1をしてマイナス99にしているだけと言ったほうが正確か。米兵が戦後から沖縄に居座っているからこそ、Yナンバー関連の事件事故が多発しているのである。にも関わらず、米兵が交通整理してYナンバーの暴走を少々減らしたぐらいで、なぜ記事になるのか。

在日沖縄米軍に対する沖縄タイムスのスタンスが気になる。このようなニュースを報道するなとは言わないが、この記事を根拠にして「ほら見ろ!米兵は良い存在なのだ!」と喜ぶ対米従属の人が出現したり、「米兵は怖い人達だと思っていたけど、いい人達なんだね。同じ沖縄に住む隣人として、仲良くしなければね」と素朴に納得したりする無垢な人が出現する可能性について、どう考えているのか。

とはいえ、このような記事を載せた新聞のほうが、売れるのであろう(対米従属の人にも無垢な人にも「両論併記」の問題点に無知な人*1にも)。沖縄タイムスの人々は、在日米軍基地という存在の暴力性や問題性に無知であるはずがない。今回のような記事の「道理の合わなさ」にも当然気付いているはずだ。しかし、それを承知の上で、自分達の生活を優先し、売れる記事を書いているのであろう。

生活を優先する米兵

「生活を優先する」といえば、まさに米兵もそうである。

米兵による交通整理ボランティアは、たとえこれが若い米兵の良心に基づいてなされているものだとしても、これは私には占領地における宣撫工作にしか見えない。

しかし、米兵のほとんどは、米国本国で貧しい生活を送っていた人々である。一部の例外を除いて、裕福な米国人は米兵に志願したりはしない。文字通り生きるために彼等の多くは米兵になり、軍における絶対服従の命令を受けて沖縄に駐屯しているのである。

沖縄タイムスの人々と同じく、米兵も、自らの存在や言動が道理に合わないものであることをたとえ自覚していたとしても、どうにもできないのであろう。彼等はそれぞれの生活を優先するしかないのであろう。「道理に合わないまま」でいるしかないのであろう。

沖縄県知事選と私

「生活を優先する」といえば、次回の沖縄県知事選に関しても、思うところがある。

先の知事選で私は翁長さんに投票した。今でもベストな選択だったと思っているが、当然のように違和も感じている。

・知事当選後、取消しまでに異様に時間がかかり、その間に福岡高裁の裁判官が変更され、結局裁判で負けたこと。
・議事録を残さずに政府の人間と会合を行ったこと。
・未だに撤回を行わないこと。
・機動隊を本土から召喚している沖縄県公安委員を知事権限(警察法第41条)を用いて罷免しようとしないこと。

以上が、翁長知事に対して私が感じている違和である。翁長さんは、自民党の人間のように、あからさまに公約を破るわけではない。しかし、基地の辺野古移設反対を表明しつつも、辺野古移設反対に本気で取り組んでいるようには思えない中途半端さがある。そこに私は苛立ちを覚える。

2014年の時点で予測していたことであるが、「翁長さんは巧妙に沖縄県民を騙し続けている」ように見える。翁長さんが海外で辺野古移設反対の主張を行うことにはもちろん意義があるが、上に列挙した問題点もあり、私は手放しで翁長さんを称賛できない。

生活を優先する私

私以上に、「翁長さんは巧妙に沖縄県民を騙し続けている」と判断する人々がいる。苦しいことに、私はそのような方々から「翁長に投票した責任を取れ」と糾弾される立場にいる*2

「裏切り者の翁長に投票した人間はその責任を取れ」と私を追及してくる人の中には、私を卑怯者呼ばわりする人がいるようである。私が自分の生活を優先し、明らかに中途半端な翁長さんをリコールしようとしないからである。

しかし、私は言いたい。責任の取り方を勝手に決めるなと。私は、自分の生活を成り立たせることを常に優先している。翁長さんをリコールするための活動に時間や労力を充てることは現実的に不可能なのである。そのようなことをすれば、私の生活や人生設計が狂ってしまう。私は自分にできる範囲で責任を取りたい。

とはいえ、翁長さんに投票した責任を私が放棄していることに変わりはない。私は、ブログやツイッター等で翁長さんを批判する文章を書くのみであり、翁長さんに直接的かつ致命的なダメージを与えるようなことは一つもできていない。だから、卑怯者というレッテルをそのまま素直に受け入れるつもりである。

生活を犠牲にして責任を取る

私を卑怯者呼ばわりする方々は、生活を犠牲にして己の言動の責任を取ることを厭わない、素晴らしい方々なのだと想像する。

在日米軍基地だけでなく、我々が生きる現在には、地球温暖化という問題もある。責任を取ることを厭わない方々は、この問題に対しても、自分の生活を犠牲にし、先進国の人間として潔く責任を取っているのであろう。例えば、彼等は間違いなく、温暖化の原因となるCO2等の排気ガスを出す車や飛行機の使用をやめ、常に徒歩で移動するという仕方で責任を取っているに違いない*3

そうでもしないと、温暖化の原因を作ったという責任を取ることは不可能だ。自らの生活を犠牲にしてまで責任を取ろうとする彼等に私は脱帽である。このような尊い方々に卑怯者と呼ばれたら、私は何も言い返せない。私は彼等の批判を受け入れるしかない。

在日米軍基地や地球温暖化等の問題を、次世代の人々のために解決しなければならない。このように私は常々考えてはいるが、自分の生活を優先することによって、これらの責任を放棄している卑怯者である。卑怯者と呼ばれたら、堂々と「その通り」と答えるつもりだ。

私は卑怯者である

長くなったが、要するに私も、沖縄タイムスの人々や米兵と同じく、自分の生活を優先する卑怯者なのである。己の行為の責任を取ろうとしない卑怯者である。「生活があるから、、」と述べることにより、罪を犯し続け、それを贖おうとしない残虐非道な卑怯者である。

「翁長をリコールしろ」と言いつつ、責任の取り方を一方的に押し付けてくる人々は正直鬱陶しい存在であるが、彼等は自分達の行いの責任を生活を犠牲にしてまで常日頃から取っているであろうから、心から尊敬したいと思う*4

私には到底、できないことだ。私にとっては、自分の生活が最も大事である。翁長さんをリコールする時間と労力は私にはない*5

次回の沖縄県知事選では、私は投票を控えるつもりだ。投票したことの責任を取る自信も覚悟も自分には全くないからである。もちろん、投票を棄権することにも責任が伴うものであるが、私は極悪非道な卑怯者なので、平気でその責任も放棄するつもりである。

生活を犠牲にできる自信と覚悟。これらを持つ人だけが知事選で投票を行えばよいと考える。

*1:「日本と米国は戦争したか否か」や「広島に原爆は投下されたか否か」や「東電原発事故は起きたか否か」や「基本的人権は必要か否か」や「強姦や痴漢に問題はあるか否か」や「差別はしても良いか否か」等の見出しを自称中立・客観的立場から掲載する新聞まで歓迎しかねない非常識人。このような無責任な新聞は、通常では許容されない論外の非現実的で荒唐無稽な見方や考え方にも、議論の俎上に載せてしかるべきものというお墨付きを与え、それらに一定の正当性・妥当性・存在価値を備えさせてしまう。

*2:彼等は一体誰に投票したのであろうか。そして、彼等が一票を入れた人物が沖縄県知事になれば、果たして基地の辺野古移設を止めることはできたのであろうか。彼等は、「我こそは正解に該当する人物に投票した人間なり」と確信しているのかのように私を糾弾するが、そのように確信できる根拠を私は一度も聞かせてもらったことがない。

*3:もちろん、このような責任の取り方では不十分である。温暖化は人類に深刻な悪影響をもたらす。このことは既に研究で明らかにされており、今後も様々なリスクが予見されている。そのため、徒歩による生活を実行して今更CO2の削減に取り組んでも、マイナス100にプラス1をしてマイナス99にすることにしかならない。先進国に住む人間として地球温暖化の責任を本気で取りたいならば、徒歩で生活することに加えて、温暖化に起因した洪水等の災難に見舞われた国々や、次世代エネルギーの研究施設に、全財産を寄付するべきだ。「自分にできる範囲で責任を取りたい」等という、私が示すような生温い態度では、温暖化に加担してきた罪を贖うことは到底不可能であろう。

*4:彼等にいつか、直接お会いしてみたいものである。彼等は先進国の人間全てが取るべき、地球温暖化の責任を取るために、常に徒歩で移動しているはずであるから、いつかどこかの路上でお会いできるはずである。しかしもしも彼等が車や飛行機等を利用していたら、私はどうすればいいのだろう。「卑怯者!」と一喝すべきなのだろうか。それとも、「生活があるから、、」という彼等の弁明を快く受け入れるべきなのだろうか。

*5:同様に、私は今後も目先の自分の生活を優先して、車や飛行機を利用していく。これらが地球温暖化の原因の一つだとしてもお構いなしである。なぜなら私は卑怯者なのであるから。