『シリーズ治験』:プラセボ効果のメカニズム(第2回)

プラセボ効果に関する3つの仮説

いよいよ今回から、「プラセボによる鎮静作用」に焦点を絞り、プラセボ効果に関する研究を概観していきます。

プラセボ効果に関するこれまでの研究は、以下の3つの仮説に基づいて行われてきたといえます。

  • 「意味付け仮説」
  • 「学習仮説」
  • 「期待仮説」

これらの3つの代表的な仮説のうち、今回は「意味付け仮説」の内容を詳しく見ていきます。

Beecher博士のアイディア

プラセボ効果に関する研究は、「痛み」の領域において開始されたと言っても過言ではないでしょう。

プラセボ効果に関する研究のパイオニアであり、プラセボ効果を研究することの重要性を世に訴えた画期的な論文「強力なプラセボ*1を著したハーバード大学医学部の麻酔科医Beecher博士こそが、「痛み」の軽減に関する現象に注目してきた人物でした。

おそらくBeecher博士は、麻酔科医という職業柄、「どうすれば患者の痛みを首尾よく緩和できるのか?」という関心を常に持ちながら臨床に携わっていたために、プラセボが「痛み」にもたらす効果を無視できなかったのかもしれません。

プラセボという用語は登場しないものの、Beecher博士が1946年に発表した論文「戦場における負傷兵の痛み」*2では、「戦場で負った重傷」と「痛み」の関係が考察されています。この論文においてBeecher博士は、「傷に対するポジティブな意味付けは傷の「痛み」を緩和するのではないか?」というアイディアを披露したのでした。

そしてこのアイディアは、今回概観する「意味付け仮説」の原形とも呼べるものでした。

戦場の負傷兵にとっての傷の意味

第2次世界大戦中に軍医として野戦病院に勤務していたBeecher博士は、病院に運ばれてきた重傷の負傷兵にインタビュー調査を行い、彼らの中に鎮痛剤を必要としない者がいることを発見しました。

インタビューに応じてくれた負傷兵達のすべてが、長骨の複雑骨折、強度の軟部組織損傷、胸部の穿通創、腹部の穿通創、大脳の穿通創等の重傷を負っていたにも関わらず、その4分の3が鎮痛剤を必要としないという事実に対し、博士は「負傷兵が彼らの傷に与えたポジティブな意味付け」にその原因を求めました。すなわち博士は、負傷兵にとって彼らが戦場で負った傷は「疲労と不快感と不安と恐怖と死の危険で溢れる危険な環境から彼を逃し、彼を病院という安全な場所に導いてくれるもの」と推測したのです*3

意味付け仮説とは何か

ここで「意味付け仮説」の定義を確認しておきたいと思います。

「意味付け仮説」とは、「治療者と出会うことでその人にとって病気という体験がもつ意味がポジティブな方向に変わるとき、その出会いがポジティブなプラシーボ反応を生みだす」*4という考え方です。

また、「意味付け仮説」においては、以下の3つの条件が満たされるときに、病気という体験がポジティブな意味を持ちやすいとされています*5

  • 病気についてよく理解できる説明を受け、それに耳をかたむけること。
  • 治療者や周囲の人々からの思いやりといたわりを感じること。
  • 病気やその症状を把握し、自分が主導権をもっているという気持ちが高まること。

Beecher博士は、負傷兵は戦場で受けた傷に対してポジティブな意味付けを行っていたと推測し、このことが傷の「痛み」を緩和したという仮説を立てました。1946年当時にこの仮説の検証は実施されなかったため、この仮説はあくまでも仮説として発表されるに留まりました。Beecher博士は、「戦場で重傷を負った兵士が、その重傷により死の危険から解放されたことによって興奮し、このことが兵士達の傷の『痛み』を実際に軽減させたのかどうかは分からない」と、論文「戦場における負傷兵の痛み」において正直に述べています。

Egbert博士による実験

Beecher博士が野戦病院で得たアイディアを検証するための実験ではないのですが、「意味付け仮説」が当てはまる事例として言及される実験があります。1964年にハーバード大学医学部のEgbert博士によって実施された実験がそれです。

舞台は野戦病院ではなく、腹部の手術を控えた患者が入院する病院。手術後の患者に対する麻酔科医の言葉による働きかけが、手術後の傷に起因した「痛み」を緩和するかどうかを検証する実験が実施されました。そしてその結果が論文「患者に対する励ましや指示による手術後の痛みの減少」*6において公表されました。

Egbert博士によって行われたこの実験では、モノとしてのプラセボが一切登場しません。その代わりに、麻酔科医と患者との間で交わされる言葉という「積極的なプラセボ的活動」*7によって「痛み」の軽減がはかられていました。この趣旨からこの実験は、「プラセボなきプラセボ効果」に関する実験として広く知られており、また、「意味付け仮説」の好例として引用されるものです。以下より、この実験の詳細を見ていきましょう。

Egbert博士による実験の概要

Egbert博士による実験は、次のような手順で実施されました。

  1. 腹部の手術を控えた97人の患者を、特別ケア群(46人)と対照群(51人)に無作為に分ける。
  2. 手術前夜、特別ケア群にのみ、手術後の「痛み」に関して、麻酔科医から以下の情報が伝達される。
    • 「痛み」が生じる部位。
    • 「痛み」の度合い。
    • 「痛み」が続く期間。
    • 手術後の「痛み」は異常ではなく普通の現象であること。
    • 「痛み」は傷口の下の筋肉の痙攣によって生じること。
    • 「痛み」のほとんどは筋肉をリラックスさせることで取り除けること。
    • ゆっくりとした深呼吸や、意識的に腹壁を弛緩させることにより、リラックスができること。
    • ベッドに備え付けられているtrapeze*8の使用方法。
    • 腹部の筋肉をリラックスさせたまま、両腕と両足を用いて体の片側を横向きに寝かせる方法。
    • リラックスすることが難しく、快適さが得られないならば、いつでも鎮痛剤を要求してよいこと。
  3. 手術後の午後、特別ケア群にのみ、麻酔科医から再び2の情報が伝達される。
  4. 手術の翌日、特別ケア群には、麻酔科医から2の情報が早朝に伝達される。2の情報は、特別ケア群の患者達が鎮痛剤を必要としなくなるまで、1日に1〜2回、特別ケア群にのみ伝達される。
  5. 特別ケア群と対照群が手術後に必要とした鎮痛剤の量と、退院までにかけた日数をt検定により比較する。

実験の結果、次のことが明らかになりました。

  • 手術前後に「痛み」に関する情報を与えられた特別ケア群の患者達は、対照群の患者達よりも鎮痛剤を使用せず(P値<0.01)、さらに2.7日早く退院する(P値<0.01)。

Egbert博士は、この結果から、「患者達との話し合いが、患者達にとっての手術後の状況の意味を変化させた」とし、「積極的なプラセボ的活動の利用により、手術後の痛みを減少させることができた」と結論付けました。

Egbert博士による実験の検討

もともとEgbert博士による実験は、Beecher博士のアイディアや「意味付け仮説」を検証することを目的にして実施されたものではありません。そのため、当然と言えば当然なのですが、Egbert博士の実験には、Beecher博士のアイディアや「意味付け仮説」の定義とそぐわない部分があります。

Beecher博士や「意味付け仮説」の定義は、「傷(もしくは病気)に対するポジティブな意味付け」を問題にしていました。しかしEgbert博士は傷ではなく、傷に起因した「痛み」を問題にし、「痛み」に対して「異常ではなく普通の現象」や「筋肉のリラックスによって取り除ける制御可能なもの」といった意味付けを積極的に行っています。

もしもEgbert博士による実験において、傷に対してポジティブな意味付けを行うのであれば、「手術によって傷を負うことが、患者達の人生もしくは将来においてどのように有利に働くか」ということに関する情報を、麻酔科医は患者達に提供することになると思われます。

また、Egbert博士による「積極的なプラセボ的活動の利用により、手術後の痛みを減少させることができた」という解釈にもやや問題があると考えられます。なぜなら麻酔科医によって特別ケア群に伝えられた情報には、「痛み」を実際に和らげる方法や、「痛み」が生じる状況自体を存在させない方法等の、「プラセボ的」とは言い難い非常に実用的な情報が含まれていたからです。そのため、特別ケア群の患者達は、鎮痛剤を使う必要がそもそもなかったという可能性が考えられます。

特別ケア群の患者達と対照群の患者達は、どちらも似たような傷を負っています。しかし、前者は深呼吸により「痛み」を実際に緩和し、もしくは、患部の筋肉を使用しないで体を動かす方法等を駆使して「痛み」を感じる機会を減らし、後者よりも鎮痛剤を必要としなかった可能性が指摘できるのです。

未検証の意味付け仮説

残念ながらEgbert博士の実験は、「患者達にとっての手術後の状況の意味の変化」が「痛み」を和らげるかどうかを確かめる実験とは言い難いものでした。「傷の『痛み』を鎮痛剤以外の方法で和らげる方法」と「『痛み』そのものを生じさせない方法」を伝えられた患者達は、鎮痛剤の量と入院日数が少なくてすむかどうか。このことを確かめる実験になってしまっていた側面が否定できない思われます。

しかし、Egbert博士の実験は、手術後の患者に麻酔科医が懇切丁寧に「痛み」に関する情報を提供することで、患者達が使用する鎮痛剤の量が減り、患者達の入院期間が短くなるということを明らかにしたという点では、臨床に関わる人間にとって非常に興味深い実験だったといえます。

「傷(もしくは病気)に対するポジティブな意味付け」により、傷や病気に起因した「痛み」が緩和される。Beecher博士が野戦病院で得たこのアイディア、すなわち「意味付け仮説」は、まだ十分には実験で検証されていないということが結論としていえそうです。

*1:Henry K. Beecher “THE POWERFUL PLACEBO” Journal of the American Medical Association, Dec 1955;159:1602-1606

*2:Henry K. Beecher “Pain in Men Wounded in Battle” Annals of Surgery, 1946; 123:96-105

*3:ibid

*4:ハワード・ブローディ 『プラシーボの治癒力』 日本教文社 2004

*5:ibid

*6:Lawrence D. Egbert, George E.Battit, Claude E. Welch, and Marshall K. Bartlett, “Reduction of Post-Operative Pain by Encouragement and Instruction of Patients” New England Journal of Medicine, 1964; 270:825-827

*7:ibid

*8:ベッドの上に備え付けられた吊り革のような器具。これを用いれば患者は体を起こす際に腕の力を利用することができる。