ダブルバインドとは何か?


この記事では、


ダブルバインドとは何か?」



という疑問に答えます。


答え:ダブルバインドとは人類学者グレゴリー・ベイトソンが提唱した統合失調症(精神分裂症)の説明理論であり、互いに矛盾したメッセージに晒されることです

ダブルバインドの正式な定義

ベイトソンが書いた『精神の生態学』でダブルバインドは、次の2つの要件が満たされたものとされています(ベイトソン 2000:294-295)

  1. 第一次の命令
  2. より抽象的なレベルで第一次命令と衝突する第二次の命令

ここでの命令とは、メッセージのことです。

なお、1は、次のような2つの形を取り得るとされています。

a─「これをすると、お前を罰する」
b─「これをしないと、お前を罰する」

上記が、非常に簡潔ですが、ベイトソンによるダブルバインドの定義です。

ダブルバインドの具体例

具体例を見てみましょう。

例えば、次の事例は、ベイトソンダブルバインドを説明する際に、『精神の生態学』から最も頻繁に引用されるものです。

分裂病患者の母親によるダブルバインド

分裂症の強度の発作からかなり回復した若者のところへ、母親が見舞いに来た。喜んだ若者が衝動的に母の肩を抱くと、母親は身体をこわばらせた。彼が手を引っ込めると、彼女は「もうわたしのことが好きじゃないの?」と尋ね、息子が顔を赤らめるのを見て「そんなにまごついちゃいけないわ。自分の気持ちを恐れることなんかないのよ」と言いきかせた。患者はその後ほんの数分しか母親と一緒にいることができず、彼女が帰ったあと病院の清掃夫に襲いかかり、ショック治療室に連れていかれたベイトソン 2000:306)

グレゴリー・ベイトソン 2000 「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学』 佐藤良明訳 改訂第2版 新思索社

ベイトソンは、この事例を、次のように分析しています。

分裂病者の母親は、少なくとも二つの等級にまたがったメッセージを発しつづけている、とわれわれは考える。議論を簡単にするため、ここでは等級を二つだけに限定しておこう。その二つとは、大まかに、次のようにまとめることができるものだ。

a──子供が彼女に近づくたびに生じる敵意に満ちた、あるいは子供から身を遠ざけるような行動。
b──彼女の敵意に満ちた、子供から身を引くような行動を、子供がそのまま受け止めたとき、自分が子供を避けていることを否定するためにとられる、愛の装い、あるいは子供へ近寄っていくそぶり。

(中略)

すなわちここで「愛」のメッセージは、「敵意」のメッセージについて言及するメタメッセージになっている。両者はメッセージの等級を異にする。と同時に、この高次のメッセージは、その言及対象である低次のメッセージ(敵対的に身を引く態度)の存在を否定するものである(べイトソン 2000:302)

グレゴリー・ベイトソン 2000 「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学』 佐藤良明訳 改訂第2版 新思索社

この分裂病患者の母親によるダブルバインドは、以下の図式で考えると、分かりやすいです。

1.第一次の命令 → 「身体をこわばらせること」による「こっちへ来るな」という命令
2.より抽象的なレベルで第一次命令と衝突する第二次の命令 → 「もうわたしのことが好きじゃないの?」という言葉による、「「第一次の命令」に従うことを禁止する命令」(=「こっちへ来るな」という命令に従うな)

この事例では、第一次の命令として、「身体をこわばらせること」があり、より抽象的なレベルで第一次命令と衝突する第二次の命令として、「もうわたしのことが好きじゃないの?」というメッセージがあります。

このような、相矛盾するメッセージに晒された人は、どうすることもできません。

どちらのメッセージにも従うことができないので、おかしくなるしかありません。

『精神の生態学』に掲載されている、別の事例も見てみましょう。

実験室で円と楕円を区別するよう訓練された犬。この犬は、円とも楕円とも言い難い図形を提示された時に、精神的混乱の症状を示したそうです。

ベイトソンはこの事例もダブルバインドだと述べています。

実験の順を追ってみよう。まず最初に、「これは識別のコンテクストだ」というメッセージが犬に伝えられる。そして問題の難度がアップしていくごとに、そのメッセージが強調されていく。ところが、”問題”が識別不能の段階に達したところで、コンテクストの構造は一変する。犬が状況判断のよるべとするコンテクスト・マーカー(ラボ特有の臭いや、実験中の拘束ベルト)が、自分を欺くためのものでしかなくなってしまう、そういう状況が現われるのだ。この実験シークェンス全体が、学習2のレベルでの誤りに、犬を巧妙に誘導する仕掛けになっているのである。

わたしはこれを、犬が典型的な「ダブルバインド」状況に置かれた、という言い方で捉えている。この状況は分裂症生成的である。(ベイトソン 2000:405)

グレゴリー・ベイトソン 2000 「学習とコミュニケーションの階型論」『精神の生態学』 佐藤良明訳 改訂第2版 新思索社

この「犬のダブルバインドも、以下の図式で考えると、分かりやすいです。

1.第一次の命令 → 「ラボ特有の臭いや実験中の拘束ベルト」による「目の前の図形が円か楕円であるか識別せよ」という命令
2.より抽象的なレベルで第一次命令と衝突する第二次の命令 → 「目の前の図形は円とも楕円とも区別し難い」という事実による、「「第一次の命令」に従うことを禁止する命令」(=「目の前の図形が円か楕円であるか識別せよ」という命令に従うな)

「目の前の図形は円とも楕円とも区別し難い」という事実を命令と捉えているという点が、分裂病患者の母親によるダブルバインドの事例と大きく異なっています。

しかし、分裂病患者の母親によるダブルバインドの事例と同じ構造をしているので、ベイトソンダブルバインドの定義を十分に満たしています。

「目の前の図形は円とも楕円とも区別し難い」という事実を、命令(メッセージ)として眺めている点が、非常に独特(ユニーク)です。

禅の公案ダブルバインド

ベイトソンは『精神の生態学』で、下記のような禅の公案も、ダブルバイトの事例として挙げています。

「禅の修業において、師は弟子を悟りに導くために、さまざまな手口を使う。そのなかの一つに、こういうのがある。師が弟子の頭上に棒をかざし、厳しい口調でこう言うのだ。「この棒が現実にここにあると言うのなら、これでお前を打つ。この棒が実在しないと言うのなら、お前をこれで打つ。何も言わなければ、これでお前を打つ。」」(ベイトソン 2000:296)

グレゴリー・ベイトソン 2000 「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学』 佐藤良明訳 改訂第2版 新思索社

そしてベイトソンは、「分裂症者の人間はたえずこの弟子と同じ状況に身を置いているという感触をわれわれは抱いている。」と述べています(ベイトソン 2000:296)。

この禅の公案ダブルバインドも、以下の図式で考えると、分かりやすいです。

1.第一次の命令 → 「何も言わなければ、これでお前を打つ。」という言葉による「棒の有無について答えよ」という命令
2.より抽象的なレベルで第一次命令と衝突する第二次の命令 → 「「ある」と答えれば打たれ、「ない」と答えても打たれるため、「ある」とも「なし」とも答えることができない。」という事実による、「「第一次の命令」に従うことを禁止する命令」(=「棒の有無について答えよ」という命令に従うな)

ダブルバインドへの対処法

禅の公案ダブルバインドでは、「棒があるかないか」という二者択一に陥って思考する限りダブルバインドから逃れることはできません。

この場合弟子は、「棒があるかないか」という問いにこだわってはいけません

さきほど紹介した分裂病患者の母親によるダブルバインドでは、若者は母親の発する相矛盾したメッセージのどちらにも従うことができず、錯乱してしまいました。犬のダブルバインドの事例では、犬は円と楕円の区別ができなくて錯乱してしまいました。

若者は、母親の命令を聞くことにとらわれ、犬は円と楕円を区別することにとらわれていたことが原因です。

『精神の生態学』では、禅の公安のダブルバインドの苦しい状況から脱出する方法が示唆されています。

それは、棒を師から取り上げる、というものです(ベイトソン 2000:296)。

師は、この棒を取り上げてはならないとは言っていません。なので、棒を取り上げても何の問題もないというわけです。

しかし、もしも弟子から師に「棒を取り上げたら師は怒るだろうな。。そして自分を破門するだろうな。。」という忖度が働くと、弟子は何もできなくなります。

忖度をせずに、自らに論理性と行動性を取り戻すには、生殺与奪の権を他人に与えないようにするしかありませんが、これはとても難しいことです。

そのため、他人に生殺与奪の権を握られながらも、どれだけ自分本位にインディペンデントに開き直れるか(いつ死んでもいい。私は今この瞬間を生きるという覚悟を持てるか)が鍵になってくると考えられます。

もしも、師が地位や名声や面子などどうでも良いと考える人で、ただ一心に弟子を悟りに導こうとしているのであれば、弟子が棒を師から取り上げたとしても、罰を与えることなどせずに、「よくやった!」と褒めるでしょう。

しかし、世の中、このような徳の高い師ばかりではありません。

なので、ダブルバインドにかけられたら、「とらわれ」に気付いてダブルバインドを無視し、その場から立ち去ることが可能であれば立ち去るのが最も良い対処法といえそうです(幼児が親からダブルバインドをかけられている場合は、どこにも逃げられないので最悪です。家出可能な年齢であれば助かる見込みがありますが、幼児だとほぼゼロです。いかに周囲の大人がダブルバインドに気付いて介入できるかが勝負です)。

ダブルバインドしないという配慮

ダブルバインドは、家庭・学校・会社など、権力関係がある場で発生します。

親から子どもへのダブルバインド、夫から妻へのダブルバインド、教師から子どもへのダブルバインド、先輩から後輩へのダブルバインド、上司・管理職から部下へのダブルバインド、、、。

上下関係がある場では、上の立場から下の立場にダブルバインドが行われる機会が多々あります。

円と楕円を区別できずに狂ってしまった犬になってしまわないように、ダブルバインドに気付いて、自分の身を守れるようにしましょう。

また、自分が権力を持った場合は、下の立場にダブルバインドを行わないように、言動に注意しましょう。

ダブルバインドを極力取り除いたコミュニケーションの仕方として、オープンダイアローグというものがあります。

これについても、いつか紹介記事を書いてみたいと思います。