『14歳で"おっちゃん"と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」』の感想
本を読んで久々に感動した。
筆者の川口さんは、14歳の頃に、近所で日雇い労働者(おっちゃん)を見かけ、炊き出しに参加し、彼らが置かれた苦しい状況を知る。
それから約10年以上の年月をかけて、おっちゃん達が「住まい」と「貯金」と「仕事」を得られる仕組み(ホームドア)を作り上げる。
本書では、それまでの過程(紆余曲折・苦悩等)が描かれている。
家出・退職の理由としての人間関係
川口さんは次のように述べる。
人間関係に悩み、職場を去る人、家を出る人はとても多い。エン転職が行った2018年の調査では、退職理由の実に28%が人間関係によるものだ。(略)
人間関係で辞めるなんてその人にも責任がある、と言われるかもしれないが、数値としてこれほどの割合で辞める人がいるのであれば、自己責任だけで片づけるのは無理がある。(略)
家族も仕事も簡単に「変更」できない。仕事の場合、辞めてすぐに次の仕事が見つかればいいが、人間関係で悩んだあとに仕事を探そうにも、精神的にきつい状態にある人や、うつ病を患っている人にとっては難しい。また、転職した人に対して、社会は非常に冷たい。転職活動時には前社の退職理由は必ず聞かれるし、うつ病だと言うと簡単には採用してもらえない。
結局、非正規雇用しか見つからなかったり、しばらくの間、貯金や親族などに頼ったりするしかないが、それすらもできない人は貧困に陥ってしまうのだ。一度失敗すると、やり直しがきかない。ホームドアにやってくる相談者の話を聞くと、そんな社会の冷たさを感じる。(川口 2020:296)
私も、このような冷たさを、昔から感じていたものである。
東京で会社員をしていた頃、人間関係(特にハラスメント)が原因で、体調を崩す人が身近に多くいた。このことは、現在私が身を置く教職の現場でも同じである。
自分にとって有害でしかない労働環境であれば、すぐにそこから立ち去るか、闘って改善するべきだが、このような行動はなかなか取れない。
なぜなら、立ち去れば、給与が断たれ、困ってしまうからである。給与がなくなれば、家賃や生活費等が払えない。
また、闘うにしても、どうやって闘えばいいのか分からない。弁護士に頼るのは慣れていないので抵抗がある。そもそも反旗を翻すと、職場での孤立や解雇のリスクが付きまとう。したがって、多くの人は闘うことを躊躇せざるを得ない。
結果、我慢に我慢を重ねてその場に留まり、最悪の場合、うつ病になったり、過労死したり、自殺したりすることになる。
川口さんが作った仕組み(ホームドア)の最も魅力的な点
川口さんが作った仕組み(ホームドア)の最も魅力的な点が、「住まい」(冷房・ユニットバス付きの個室)を無料で提供することができることだ。
何らかの事情で「住まい」と「貯金」と「仕事」を失った人にとって、「住まい」の確保は急務である。このニーズを無料で満たすことができる仕組み(ホームドア)が、現在の日本、大阪に存在していることが非常に嬉しい。
このような場所があれば、職場が有害な場所でしかない場合、我慢せずに、すぐに立ち去ることができる。多くの人が有害な労働環境からすぐに逃げられるようになれば、やがてこのような職場や組織は淘汰されていくに違いない。
川口さんが作った仕組み(ホームドア)が、もっと日本中に増えていくことを、私は心から希望する。
川口さんの組織に見られるフラットな関係
川口さんの組織では、「支援者vs非支援者」という上下関係が薄く、そこに集う人々がともに力を合わせて生きていこうとしている点も魅力的だ。
このことを裏付ける事例として、次のようなものがある。
- おっちゃん達のニーズを聞き出すために、安価で軽食を提供するモーニング喫茶で働く川口さんの頭を整理する大学院卒のおっちゃん。
- デザインの専門学校中退の、製造業の会社が50歳の時に倒産して日雇いになったおっちゃん(石田さん)が、自分から進んでハブチャリ(シャア自転車業)の看板を作る話。
- 川口さんから貰った給料を川口さんへのプレゼント代に使うおっちゃん。
- ハブチャリ(シェア用自転車)の置き場所を長居公園にも作るように役所に勝手に直談判しようとするおちゃん。
- ハブチャリ(シェア用自転車)を置けそうなレストランを自主的に視察してくるおっちゃん。
1について、川口さんは次のように述べる。
そのおっちゃんは、難関国立大学の大学院を卒業したものの研究室での人間関係からうつ病になってしまい、研究室を飛び出し、釜ヶ崎にたとり着いたそうだ。私たちに対して、新しい研究対象が見つかったかのごとく、興味津々で何をしたいのかを掘り下げてくれ、当事者視点も交えつつ、論点整理を手伝ってくれた。(川口 2020:119)
2について、川口さんは次のように述べる。
石田さんなりにどうやったらお客さんを増やせるだろうか、ハブチャリを知ってもらえるだろうかと工夫してくれていた。そしていつの間にか私以上にハブチャリのことを考えてくれていることを知って、嬉しくて泣いていた。支援する・されるという関係を超えて、一緒に、ハブチャリを盛り上げていくパートナーとなれたように感じられた瞬間だった。(川口 2020:186)
3について、川口さんは次のように述べる。
おっちゃんらにはお給料を払って、自分はお金がなくなり、おっちゃんからの差し入れで生きている。なんとも不思議な構図となった。(川口 2020:214)
4について、川口さんは次のように述べる。
私はこの行動力に本当に驚いた。おっちゃんはおっちゃんなりに、ハブチャリがどうやったら使われるか、どうなればお客さんにとって便利かを考えてくれていたのだ。(川口 2020:225)
5について、川口さんは次のように述べる。
「な・・・・・なんでそこまでしてくれるんですか?」
そう聞くと、
「こういう場所、もっと増えたらいいなと思って・・・・・。もっと多くの人に、俺らのようになかなか仕事が見つからん人に、働いてもらえたらいいなって」
そんなふうにおっちゃんが思ってくれることが、ただただ嬉しかった。(川口 2020:226)
以上の事例から、川口さんは、おっちゃん達の雇用主なのであるが、おっちゃん達は自分の頭で考えて、事業を回していこうとしており、人間関係がフラットで良好であることが伺える。
本来、会社や学校や家庭等の組織の人間関係も、このようなフラットで良好なものであることが望ましいが、少なからずがそうなっていないことが、日本社会における悲しい事実である。