「60年安保闘争の記録と記憶」以前に気になったこと

東大の安田講堂で開催されたシンポジウム「60年安保闘争の記録と記憶」に参加した。

パネリストの一人は小熊英二さんであった。

開演後まもなくして、私の視界に女性が映った。安田講堂の入口から小柄な女性が一人、てくてくと歩いてくる。

その女性が目の前を通ったとき、私はその人が田中美津さんであることにやっと気付いた。田中さんは、「どっか座れるとこないかしら」というような素振りをして、壇上にほど近い前方の席に座った。

その後しばらくして、壇上の小熊さんが次のようなことを述べた。

「証言は信用できない。私は記録に重きを置く。他の著書に対しては「小熊さんは証言を何故取らないのか?」という質問はなされないのに、『1968』に対してはこのような質問がなされるので不思議に思っている。」

私は胸のざわつきを覚えた。

記録に依拠して小熊さんが著した『1968』の内容に対し、「事実と違う」と指摘をしたのは、『1968』において記述の対象とされた田中美津さんであった*1

その田中さんが会場にいるにも関わらず、小熊さんは「証言は信用ならない。記録が信用できる。」と発言したのである。

証言も記録も、現在における過去の描写であり、回顧することによって作り出されるものであるから、事実を伝えてくれるとは限らない。

しかし小熊さんは証言よりも記録を信用すると述べた。

そもそも私はこのことに真っ先に違和感を感じた。

しかしこの違和感よりも、自らの著書に「事実と違う」と証言した当事者の前で「証言などあてにならない」と小熊さんが断言したことに、「いいのかよそんなこと言って?」とかなり驚いた。

私の違和感をよそに、シンポジウムにおいて小熊さんは、非常に良い発言を多く行った。

例えば、「安保闘争は何故あれほどまでに盛り上がったのか?」という問いに対して、小熊さんは、「民主主義という青空の記憶」という詩的なフレーズを用いて、おおよそ次のように答えた。

「終戦とは、隣人の密告に怯え疑心暗鬼になったり、班長等の権力者が物資を横領したりと、弱い者が徹底的に理不尽な目にあうような陰惨な戦時中の状況からの解放、だったのであります。戦争が終わり、民主主義の時代を迎えた多くの人々が、「あの時、青空が澄み渡って見えた」と語ったのは、「やっとあの忌まわしい戦争から解放される」と、心から安堵したからだったのであります。安保闘争に多くの人々が参加したのは、「二度と戦争はしたくない」という思いが広く共有されていたからなのであります。「民主主義という青空の記憶」。これが多くの人々に共有されていたからこそ、安保闘争はあれだけの大きな運動となったのであります。」

「民主主義という青空の記憶」。なんて素敵な言い回しであろうか。

また、小熊さんが熱く語った「安保闘争を記録することの意義」は、素直に肯定できる内容のものであった。

「安保の記憶は沖縄に凝縮されており、今回の普天間基地移設問題から鳩山政権転覆へとつながっている。つまり安保や戦争の問題を振り返らなければ、沖縄に刺さったトゲを抜くことはできない」*2

会場で小熊さんによる「証言は信用ならない。記録が信用できる。」という発言を聞いていた田中さんは何を思ったのだろうか?

田中さんによる指摘が的を射ており、より事実に近いことを彼女が語っていたのであれば、小熊さんは田中さんに謝罪すべきであろう。

小熊さんはこの検証作業を既に終えたのであろうか? 田中さんの指摘が誤りであることを論証したうえで、「証言は信用ならない。記録が信用できる。」と発言しているのであれば、私は何も文句は言わない。

しかし、その検証作業をまだ終えていないのに、「証言は信用ならない。記録が信用できる。」と述べたのであれば問題だと思う。

シンポジウムにて小熊さんが良い発言を多くしたからこそ、余計に上記のことが気になった。検証作業を抜きにして「証言は信用ならない。記録が信用できる。」と述べていたならば、とても残念だ。

「誰かこのことを突っ込まないのかな?」とずっと思いながら、私は座っていた。

安保闘争に関するシンポジウムだからといって、会の趣旨と異なることを発言してはならないというわけではないだろう。矛盾や理不尽さが感じられたならば、それに異議申し立てをしてもよいはずである。それが安保闘争の精神ではないのか?

しかし、「会場からの質問タイム」はもともと設定されていなかったので、シンポジウムはつつがなく進行し、無事終了した。

皆がぞろぞろと退場していく。

田中さんは一人、てくてく歩いて去っていった。

*1:田中さんの反論は[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4788511649/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4788511630&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=0BFFKXFJPJ3VP381Q8F5:title=amazonレビュー]に記載されている

*2:http://www.cinematoday.jp/page/N0024992より引用