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プラセボ効果のメカニズム─最新仮説の検討と今後の研究の課題

隔月で開催される職場の全体集会の場において、『プラセボ効果のメカニズム─最新仮説の検討と今後の研究の課題』と題し、重森はプレゼンを行った。

200人あまりの社員の前で、プラセボ効果について熱く語ること40分。学部時代に実施したサクティに関する調査の話から、ミシガン大学医学部のZubieta氏による「脳画像診断法によるプラセボ効果発動時の脳内活動の研究」まで、いっきに話しまくる。

質疑応答の際、部長から次のような質問が投げかけられた。

プラセボに、これほど効果が期待できるとは正直思わなかった! いっそのこと、薬など売らずに、プラセボを売ったほうがいいのではないか?」

会場にどよめきが走る。

マイクを受け取り、壇上から応答する重森。

「確かに部長のおっしゃる通りですが、我々は製薬業界の人間ですので、薬が売れなくなったら商売あがったりです!*1 「薬よりもプラセボを売る」のではなく、薬の力もプラセボ効果の力も両方利用して、病に対処すればいいと思います! 日本では遅れていますが、既に欧米では、伝統医療や呪術師による治療行為の効果を調査し、そこから治療に有用な知見を見つけ出そうとする代替医療研究センターが行政主体で設けられており、プラセボ効果をよりよく治療に生かそうとする動きはすでにあります!」

発表後、重森は同僚や他の社員から次のような感想をいただいた。

「うわー!こんな人が同じ会社で働いているとは思いませんでしたー!感動ですー!」(男性 30代)

プラセボの話よりも、サクティがインパクト強すぎて、サクティのことしか覚えてへん。なんだか会場が宗教っぽい雰囲気だったで。」(女性 20代)

「遅れて集会に参加したのですが、ちょうど話が手かざしのところでしたので、「会場を間違えたか」と思い、かなりとまどいました。」(男性 40代)

様々な反応があったが、なにごとかの資料をまとめて、大勢の前でプレゼンすることは基本的に楽しい。

発表内容は非常に表面的であり、プラセボと薬の境界の曖昧さや、プラセボ効果を生じさせやすくする要因の「科学的な特定方法」の検討など、重要な問題を深く掘り下げて考察することはできなかったけれども、それなりに重森は満足だった模様。

ちなみに、今回の発表の結論は以下。

プラセボ効果のメカニズムは実はまだよく分かっていない。プラセボに対する反応には、個人差がありすぎるため、その個人差がどのようにして生じるのかを、正確に把握する必要がある。議論を「プラセボによる鎮痛効果」に限定するならば、脳画像診断法による研究により、プラセボ効果発動時の脳内におけるエンドルフィン経路(オピオイドオピオイド受容体の結合現象)の活発化は既に確認できているため、プラセボにより鎮痛効果が得られることは「科学的」に立証されている。しかし、プラセボ効果の生じやすい「オピオイド受容体の数が多い人」は、なぜそもそもオピオイド受容体の数が多いのかという謎は、依然として残されたままである。今後の研究に期待したい。

*1:プラセボを薬として販売すれば、偽装の罪に問われてしまう。なので、プラセボを薬として売ることは難しい。■それでは、プラセボを、プラセボであることを明示したうえで販売すればいいのだろうか。■しかし、このようにした場合、プラセボは、本来のプラセボ効果を、発揮できるのだろうか。■ある研究によれば、プラセボが自分に投与されることを被験者が事前に知っている場合であっても、プラセボ効果は確認できるという。そうであるならば、プラセボプラセボとして販売することには、何の問題もなさそうである。そのうち、「従来のプラセボよりも良く効くプラセボ」だとか、「○○社のプラセボよりも当社のプラセボのほうが効果絶大です。」という触れ込みとともに、プラセボ販売競争が激化するかもしれない。しかし、こうなってしまうと、プラセボはほとんど薬と変わらない代物になってしまい、もはやプラセボとは呼べなくなってしまうのではないか? そして、プラセボが市場に出回ってしまうと、薬の存在意義が失われてしまわないだろうか。■しかし、プラセボを販売することについて考えをめぐらす前に、我々は、「プラセボを実薬として投与されたグループ」と、「プラセボプラセボとして投与されたグループ」の比較試験を行う必要があると思われる。前者と後者では、少なからず効果に違いが出るのではないだろうか。そして、もしも、前者のほうのプラセボ効果が、後者のそれよりも優れているという結果になったならば、プラセボ効果が生じるためには、「どこかに本物の薬・治療法がある」という信仰があったほうがいいという結論が、導き出せることにならないだろうか。最初から「これは偽の薬です。」と言われて投与されるプラセボよりも、「これは本物の薬です。」と言われて投与されるプラセボのほうが、よりプラセボ効果を生じさせやすいということであれば、「どこかに本物の薬・治療法がある」という信仰は絶対に維持されなくてはならないといえる。「どこにも本物の薬・治療法などない」という冷めた信仰を人々が持ってしまったとき、プラセボプラセボ効果を発揮できなくなるのではないか。■とはいえ、被験者が、「プラセボ」や「偽薬」という言葉の響き自体に、ある種の「薬らしさ」を感じたり、「それでも効くのではないか」という期待を抱いたならば、「これは偽薬です。これはプラセボです。」とたとえ事前に明示されようと、プラセボは、プラセボ効果を発揮するようにも思える。誰か、この問題について、実験して確かめて欲しい。