不登校支援はどのように行えばいいのでしょうか?
この記事では、
「不登校支援はどのように行えばいいのでしょうか?」
という疑問にお答えします。
不登校の子どもを支援する手順
かつて私は、不登校の中学生の家庭教師をしていました。
現在は、していません。
なぜなら、私が家庭教師をしていた子どもが、学校に通うようになったからです。
今でも、その子どもの家庭教師は継続しています。
どのように不登校の子どもに家庭教師として接したのか。
意図していなかったのですが、次のような順番で、物事は進んでいきました。
1.ひたすら将棋をしてお互いに慣れる。
2.一緒に何か作業をして儲けたものを山分けする。
3.学校に行きたいと希望したので受験対策を行う。
以下より、上記について詳しく解説していきます。
1.ひたすら将棋をしてお互いに慣れる。
不登校の子どもの家庭教師をすることになったのは、全くの偶然です。
行きつけのカフェで、教育関係の仕事をしている友人と不登校の話をしていたら、「うちの子、不登校なんです。力になってくれませんか?」と、その場にいた当事者からいきなり相談を持ち掛けられたのが切っ掛けでした。
漫画や映画みたいな展開ですが、ちょうどこの頃(2016年2月頃)の私は、教員免許を取るための勉強に集中したくて塾講師の仕事を辞めたところでしたので、時間がありました。
保護者に何度もお願いされ、とても困っているように見えたので、こんな私でよければと、不登校の子どもの家庭教師を引き受けたのでした。
といっても、初めてのことなので、どうしたらいいのか分かりません。
そこで、初めてその子どもと会ったときに、「今日から家庭教師をさせていただきます。しかし、どうしたらいのか分からない上に、私がまずはあなたに慣れたいので、将棋をしませんか」とおずおずと声を掛けて、将棋をすることを提案したのでした。
不登校の子どもの支援方法をまるで知らない私が、その子どもに慣れるために将棋をする日々が、2ヶ月ぐらい続きました。
その子は、ずっと部屋にこもっていたので、家族以外の人間とは接触がありませんでした。
初めて私と会った時は、私の顔を直視できず、何度も瞬きをして、緊張して怯えていました。
一方、支援者であるはずの私も「こんな対応でいいのかな、、」とびびりながら接しているので、お互いびくびくぎくしゃくしながらのスタートでした。
しかし、2ヶ月も将棋を続けていると、変化が表れ始めました。
その子の将棋の腕前がどんどん上がっていくのです。
保護者から話を聞くと、私に将棋で勝ちたくて、常に将棋の勉強をしている、ということでした。
私は真面目過ぎるというか、極端な人間なので、ハンデとしてこちらの駒をかなり落としていたものの、まったく手加減や忖度をせずに、いつもその子に将棋で勝っていました。
飛車角だけでなく、香車も桂馬も銀も落とした状態で勝負して、その子に勝ちまくっていました。
今が考えると、非常に大人げないですが、だんだんその子が強くなっていくたびに、落とした駒を盤上に戻し、最終的にはハンデなしで真っ向勝負できるほどに、その子の将棋の腕前は上達しました。
私と将棋をしている時のその子は、盤上にのみ神経を集中しており、いつの間にか瞬きはしなくなっておりました。
2.一緒に何か作業をして儲けたものを山分けする。
「うまい!」「良い手だ」「すごい。よくこんな攻め方見付けたね」とか言って、その子と将棋をする日々を送っていたある日、保護者から次のような要望を受けました。
家族以外の人と接することのなかったうちの子が、将棋を通して先生に接しているのを見て、とても嬉しく思っています。でもそろそろ、将棋以外のこともしてみるのはどうでしょう?
もっともなご要望だと思いました。
将棋ばかりしてアルバイド代を貰うのはさすがにまずいだろうな、、、何か他のことを一緒にやらないといけないだろうな、、。
ちょうどこのように思っていた時期だったので、私は保護者に次の提案をしました。
この子と私が一緒に作業をして報酬を貰ってそれを山分けする、ということをしたいので、お知り合いに軽作業を依頼してくれる人がいれば、紹介してくれませんか?
子どもの保護者は、地元に昔から住んでいる方だったので、近所に幼馴染や知り合いが大勢いました。
何でもいいので一緒にこの子と軽作業をして報酬を貰い、これを山分けすれば、単純に楽しいに違いない。
このように素朴に考えて、私は提案を行ったのでした。
すると、保護者は知り合いや友人から、次のような軽作業を受注してきてくれました。
- 20坪ぐらいの駐車場の草刈り(報酬:1万円)
- 居酒屋の床下で死んでいる鼠の回収(報酬:1万円)
- 畑作業(報酬:オクラやトマト等の作物)
これらの作業を、作業着を着て二人で行い、報酬は二等分する。
ということを、私はその子と1年ぐらい続けました。
3.学校に行きたいと希望したので受験対策を行う。
畑作業をしたことが影響したのだろうと思います。
いきなりその子は「農業をしたい」という意思表示をしました。
そこで、「授業で農業を体験でき、農家に就職できる学校」を探し、そこに入学するための受験対策を、その子のためにすることになりました。
算数に最も力を入れました。入試問題の過去問を取り寄せ、出題傾向を分析し、問題を解くために必要な知識のみを効率的に教える日々が続きました。
また、試験科目には体育の科目もあったので、近所の体育館で走り込みや腹筋などを行い、さながら、試合前のボクサーのトレーナーになったかのように、家庭教師活動が一変しました。
そして見事にその子は、志望校に合格しました。
まとめ
私が家庭教師をした子どもは、不登校状態を脱して、学校に通うようになったのですが、これはゴールではありません。
文科省も、最近は似たようなことを公式に発表しています。
「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく,児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて,社会的に自立することを目指す必要があること。
「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」令和元年10月25日
自立と社会参加が達成できるのであれば、学校は行っても行かなくてもいい場所だと私は考えています。
このことを私は、将棋をしている時から、その子に何度も伝えていたので、どうしてこの子が学校に行きたいと思うようになったのかは謎です。
学校は行っても行かなくてもいい、と言われると、人は学校に行きたくなるのでしょうか。
最近テレビで、たまたま世田谷区立桜丘中学校のことを知りました。
校則なし、スマホOK、髪形自由、制服はあるけど着るか着ないかは自由、テストも廃止という、「自分で自分の生き方を設計しないといけない学校」です。
この学校の校長である西郷孝彦さんは、「生きているだけでOK」という態度で子どもに接しています。
子どもは学校が好きで、コロナで休校の時でも、校長に会いに登校してきます。
何やってもいいよーと言われると、むしろ人間は何をしたらいいかを自分で考え始めて、自立と社会参加を達成しやすくなるのだろうか。
桜丘中学校のことと、自らの無計画な実践とを重ね合わせて、こんなことを私は考えました。
不登校支援の方法があるのかどうか分からないまま、手探りで、あくまで子どもの意思を尊重しながら接したことが、結果的に良かったのではないかと思います。