PA1030_教育の制度と経営_2単位目



1.学校経営もしくは学級経営についての近年の動向のうち、関心のある課題の要点をまとめ、見解を述べよ

 学級経営を構成する要素として、①子どもおよび学級集団構造の理解、②学級生活の設計と集団の形成・維持、③学習環境の整備、④コミュニケーションの促進、⑤トラブルの処理、⑥学級経営の評価、が挙げられる。このうち⑤は、子ども同士の暴力や器物破壊や対教師暴力によって、直接的かつ大規模な影響を学級に及ぼすため、最も重要な項目であると考えられる。⑤に対処できない状態とは学級崩壊そのものに他ならない。 

 では、教師はどのように具体的に、⑤に対処すればよいのであろうか。子ども同士の暴力や器物破壊や対教師暴力から共通して見て取れることは、荒れる子どもの存在である。何らかの欲望や抑圧感をため込んだ結果、それが爆発する形で、子どもは暴力に訴えている。そのため、教師がこのような子どもに対処する際には、次の3点に留意する必要がある。①教師という立場で接することの禁止:命令的な指示、叱咤激励、説教、説得を控える。②直感による子ども理解:立場・意図・態度を棚上げし、白紙状態で子どもの言動を捉える。③正答がないことの自覚:子どもの悩みは個々で異なるため、対処法に確実な正答はなく、思う通りにならないのが普通だと心得る。

 上記対応により、自分の話に耳を傾けてくれる教師に対し、子どもが心を開くようになり、教師と子どもの間に信頼関係が生まれたならば、荒れる子どもの暴力を教師は止めることができると考えられる。上記対応を行ったからといって、必ずトラブルを処理できる保証はないが、教師という立場から頭ごなしに子どもを叱ったり、説教したりすれば、状況は悪化するだけであろう。従って教師には、「囚われている自分の道徳観や社会通念に気づくこと」を心掛けて、「深い人間理解に到達するように学習し、成長して」いく義務があるといえる。

 ただし、注意すべきことがある。子どもが学校に通うことをあくまで前提にして教師が子どもと接する場合、このことが子どもに対して重圧として働く可能性がある。そのため教師には、「囚われている自分の道徳観や社会通念に気づくこと」を真剣に行うことが強く求められる。教育を受ける権利を行使して、子どもは学校に通っているのであり、学校に通うことは義務ではないということ。このことを教師は自覚して子どもと接するべきであると私は考える。

2.家庭教育と地域教育力の現状と問題点

 以下より、現代日本における家庭や地域の教育力に関する問題点について考察する。

 現代日本における家庭生活の現状として、次の6点が挙げられる。①核家族化。②少子化。③家庭という密室での保育。④夜型の生活リズム。⑤外での遊びの減少。⑥乳幼児虐待。

 上記から、現代の家庭教育が、親戚や地域から孤立し、希薄化した人間関係の中で、過度な不安とストレスに晒されながら行われていることが見て取れる。子を持つ親は、育児や教育に関する知識不足と協力者の不在に悩みつつ、子どもの成長に悪影響を及ぼすような環境での生活を余儀なくされていることが想像できる。

 家庭において親は、5つの「基本的な生活習慣(①食事。②排泄。③衣服の着脱。④清潔。⑤睡眠。)」を、子に躾ける必要がある。しかし、このような知識を欠き、身近に経験者や協力者のいない孤立した親は、「基本的な生活習慣」を子に躾けることができないと考えられる。

 また、「家庭教育の方法」に無知な親が多数いるために、子の自尊心や自己肯定感が育まれにくいことも予想される。「家庭教育の方法」とは次の7つである。①子の世話を細やかにすることで親子の信頼関係を築く。②自分の考えを先に言わずに、子どもの言動を認めて受容する。③子の言動に共感を示す。④子の言動の意味を洞察して理解する。⑤子を叱る時・怒る時は、子の逃げ場所を作る。⑥子が一生懸命に取り組んでいることを褒める。⑦子が出来ないことがあれば、ヒントを与えたり、代わりにやってみせたりして、具体的に援助・指導する。

 上記の知識は、かつてであれば、祖父母や親戚等の身近な人々から得られたと考えられるが、現代の日本においては、特に地方出身者同士の夫婦が住む都市部においては、このような知識の授受はほぼ不可能であろう。

 しかし、対策を講じることはできるはずである。例えば、育児や教育に悩む人々をつなぐ催しを自治体が企画することや、公民館等の公共施設を利用し、「基本的な生活習慣」や「家庭教育の方法」等の知識を専門家が親に伝える機会を設けることや、民生委員が子どものいる世帯を見回り、上記知識を伝えること等によって、現状を良い方向に変えていくことはできるはずである。

 国は、上記のような対策を率先して打ち出すことにより、現代日本における家庭や地域の教育力に関する問題に、本格的に取り組む必要があると私は考える。

参考・引用文献

青木秀雄・岡本富郎著 『現代社会における教育制度と経営』 明星大学出版部、2016年、p.101‐110、p.123‐136、p.180‐189

捕捉

このレポートは小論文型レポートです。

課題に「見解を述べよ」「考察せよ」とあるので、執筆者自身の考えを書く必要があります。

ということは分かっていたのですが、1単位目と同じく、何となく要約型レポートを書いてしまい、1回目提出のレポートは、不合格でした><。。

課題2は合格ですが、課題1については、「あなたの見解部分がありません」という講評です。

課題1は再提出です。

レポートには、朱書きで指摘がなされておりました。

修正方法は、1単位目と同じです。

「私は~と考える」という言い回しを、レポートに明記しなければなりません。

以下は再提出となった課題1のレポートです。

1.学校経営もしくは学級経営についての近年の動向

 学校経営とは、「それぞれの学校において、学校教育目標の効果的な達成をめざして(学校づくりのビジョンと戦略を設定し、)教育活動を編成し展開するなかで、必要な教育諸条件を計画(plan)‐実施(do)‐評価(see)のサイクルを踏まえて整備し、その組織運営に関わる諸活動を管理し、意思決定を図って実現するとともに、その教育活動の計画的で持続的な改善を求める創意的な機能」を指す。なお、ここでの教育諸条件とは、「4M(人、物、金、組織・運営)」を指す。

 学校経営には維持機能と創造機能の2つが確認できる。前者は、学校を管理する機能であり、学校教育法等の法令に裏打ちされ、「公務分掌組織や学校運営組織として図示・表示」される内容のものと考えてよい。後者は、「特色ある学校づくり」や「子どもの主体性や個性を育てる教育」を実現するための工夫・実践といえる。
 より良い学校経営を達成するために、学校経営は改革され続けている。現在の学校経営改革は「第三の学校経営改革」と呼ばれており、1998(平成10)年の中教審による答申に基づいている。戦後期(1945~1955年)の「第一の学校経営改革」や、56年体制期(1956~1970年)の「第二の学校経営改革」と、次の4点において現在の学校経営改革は異なる。①教育委員会による規制が緩和され、学校経営の裁量性や学校の自主性・自律性が確保された。②学校経営の裁量性や、学校の自主性・自律性の保障を意図して、校長のリーダーシップ強化の方策(職員会議の補助機関化、企画委員会等の活用、学校評議員制度の導入、校長・教頭への適材の確保)が示された。③教育目標や教育計画の達成状況(結果)を評価し、保護者や住民に説明する体制が確立された。④地域住民の学校運営への参画が示された(学校評議員制度の導入)。

 学校経営改革における最も重要な課題は、「学校組織が社会的な刺激を受け、その刺激に向き合いながら自己の有り様を自ら省察し、その長短得失を見定めて、自らの判断と行動によって自己の組成を組み替えていくコミュニケーション・システムの構築」である。これは、「課題を見つけ、学校改善の取り組みによる学校再構築を果たすことが、学校経営改革として社会から要請されている」ことを踏まえたものである。公教育機関としての公立学校は、保護者や地域住民や子どもに対する説明責任を持つことを、強く求められているのである。

要約型レポートの文章を再利用して、小論文型レポートを書ければ効率的なのですが、今回は、新たに全てを書き直しました。

下記に、合格レポートを再掲します。

太字の部分が、再提出となった課題1のレポートと異なる箇所です。

1.学校経営もしくは学級経営についての近年の動向のうち、関心のある課題の要点をまとめ、見解を述べよ

 学級経営を構成する要素として、①子どもおよび学級集団構造の理解、②学級生活の設計と集団の形成・維持、③学習環境の整備、④コミュニケーションの促進、⑤トラブルの処理、⑥学級経営の評価、が挙げられる。このうち⑤は、子ども同士の暴力や器物破壊や対教師暴力によって、直接的かつ大規模な影響を学級に及ぼすため、最も重要な項目であると考えられる。⑤に対処できない状態とは学級崩壊そのものに他ならない。 

 では、教師はどのように具体的に、⑤に対処すればよいのであろうか。子ども同士の暴力や器物破壊や対教師暴力から共通して見て取れることは、荒れる子どもの存在である。何らかの欲望や抑圧感をため込んだ結果、それが爆発する形で、子どもは暴力に訴えている。そのため、教師がこのような子どもに対処する際には、次の3点に留意する必要がある。①教師という立場で接することの禁止:命令的な指示、叱咤激励、説教、説得を控える。②直感による子ども理解:立場・意図・態度を棚上げし、白紙状態で子どもの言動を捉える。③正答がないことの自覚:子どもの悩みは個々で異なるため、対処法に確実な正答はなく、思う通りにならないのが普通だと心得る。

 上記対応により、自分の話に耳を傾けてくれる教師に対し、子どもが心を開くようになり、教師と子どもの間に信頼関係が生まれたならば、荒れる子どもの暴力を教師は止めることができると考えられる。上記対応を行ったからといって、必ずトラブルを処理できる保証はないが、教師という立場から頭ごなしに子どもを叱ったり、説教したりすれば、状況は悪化するだけであろう。従って教師には、「囚われている自分の道徳観や社会通念に気づくこと」を心掛けて、「深い人間理解に到達するように学習し、成長して」いく義務があるといえる。

 ただし、注意すべきことがある。子どもが学校に通うことをあくまで前提にして教師が子どもと接する場合、このことが子どもに対して重圧として働く可能性がある。そのため教師には、「囚われている自分の道徳観や社会通念に気づくこと」を真剣に行うことが強く求められる。教育を受ける権利を行使して、子どもは学校に通っているのであり、学校に通うことは義務ではないということ。このことを教師は自覚して子どもと接するべきであると私は考える。

ほとんど全て、書き換えております。

「私は~と考える」という「自分の考え」を先に決めて、これの根拠や裏付けとなる情報をレポートに書いていくと、「自分の考え」とあまり関係のない箇所を削除したり、新たに情報を増やしたりする必要が生じます。

今回がそのケースでした。

できれば、不合格の要約型レポートの内容を再利用できると効率的なのですが、これができない時もあります。