PA1030_教育の制度と経営_1単位目



1.日本における教育改革の動向と教育制度について、関心のある課題の要点をまとめ、見解を述べよ

 「生きる力」の育成を目指すのであれば、全国学力テストの実施を早急にやめるべきだと私は考える。なぜなら、全国学力テストを実施することで各都道府県の小中学生の学力が序列化されるため、各都道府県が全国学力テストの対策に力を入れてしまい、教員や児童生徒が時間を奪われ、結果的として「生きる力」の育成に不可欠な「ゆとり」が失われてしまうからである。

 1996(平成8)年、中教審は「生きる力」を、変化の激しい今後の社会で生き残るために必要なものとして位置付け、学校教育での「生きる力」の育成を重視する方針を明らかにした。「生きる力」とは、「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力。自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性。たくましく生きるための健康や体力」を指し、「問題解決能力」や、「読解力」「数学」「科学」に関するリテラシーを重視するPISA型学力に類似した概念である。

 この「生きる力」を育成するために、文部科学省によって、①学校週5日制。②教育内容の厳選と基礎・基本の徹底(学習内容の削減)。③問題解決的な学習や体験的な学習の一層の充実。④小学校3年以上、中・高校の全学年に「総合的な学習の時間」の新設等が実施された。これがいわゆる「ゆとり教育」である。

 しかし、全国学力テストの実施に伴い、その対策に時間と労力が割かれ、結果的に「ゆとり教育」が形骸化している現状がある。少なくとも沖縄ではそうである。そもそも、全国学力テストが再開されたのは、PISAで日本の順位が低下したことがきっかけであった。全国学力テストは、「生きる力」と類似したPISA型学力の向上に生かすために実施されたテストであったが、それがかえって「生きる力」やPISA型学力の育成に必要な「ゆとり教育」の障害になってしまっているといえる。

 「生きる力」やPISA型学力が、「従来の知識詰め込み型の教育」で育成できるものなのであれば、わざわざ「ゆとり教育」を導入する必要はない。日本の子どものPISAの成績については、知識や経験を関連付けて考えることが苦手という結果や、記述式設問での無回答率が多いことや、低学力層が多いことが指摘されている。全国学力テストの対策を行なうことで「ゆとり」が失われ、上記問題点が放置されてしまうのであれば、本末転倒である。

 したがって、「生きる力」を向上させるためにも、全国学力テストの実施は早急にやめるべきだと私は考える。

2.各国の教育制度の中から一つ取り上げ、公教育制度の発展について教育行政と関連して論述せよ

 公権力が一定の教育目標を達成するために教育を組織し運営していく作用を、教育行政という。教育行政のもとで設置・運営される学校は、国や地方公共団体や学校法人が主体のものであるが、現代の日本では、不登校やいじめ等の当事者である児童生徒やその保護者により、これら以外の代替的な学校が強く求められている。

 このような状況を踏まえて、今後の日本の教育行政のあり方として、現在よりも多種多様な場や組織を学校として認め、これらに積極的に経済的な支援を行い、上記のような人々にとっての選択肢を増やすことが必要であると私は考える。

 様々な学校が共存している状態が望ましいとはいえ、前例がなければ、何かと行政は動き辛いものである。また、多すぎる選択肢は混乱を招くという懸念もある。しかし実際にはそのような混乱は生じず、様々な学校が共存していけるということは、ドイツの公教育制度を見れば一目瞭然である。

 1990年に統一されたドイツでは、統一前の西ドイツに合わせて学校制度が再編された。統一前の西ドイツは、11の邦から成る連邦共和国であり、ボン基本法によって学校制度・教育行政に関する法規が邦ごとに定められたため、邦により学校制度が異なっていた。このような経緯により、ドイツでは、以下のような教育制度のもと、複数の学校が存在している。

①就学前教育(幼稚園は3歳以上を受け入れる。保育所は2歳以下を受け入れる。)

②9年の義務教育(一部の州では10年)

②-1、4年の初等教育(一部の州では6年)

②-2、中等教育初等教育後に、児童生徒の能力適正に応じて、5年のハウプトシューレ、6年の実科学校、9年のギムナジウムに、児童生徒が分岐)

③総合性学校(初等教育後に、生徒が分岐しない。)

 このように、複数の学校が混在するドイツは、代替的な学校に対する需要が高い日本の教育改革を進める上で、大いに参考になる。日本の教育行政は、ドイツを参考にしながら、現在よりも多種多様な場や組織を学校として認め、選択肢を増やしていくべきだと私は考える。

参考・引用文献

青木秀雄・岡本富郎著 『現代社会における教育の制度と経営』 明星大学出版会、2016年、p.35、p.50‐52、p.56‐62、p.84‐88

捕捉

このレポートは小論文型レポートです。

課題に「見解を述べよ」「論述せよ」とあるので、執筆者自身の考えを書く必要があります。

ということは分かっていたのですが、何となく要約型レポートを書いてしまい、1回目提出のレポートは、不合格でした><。。

「あなたの見解部分がありません」「あなたの論述部分がありません」という講評です。

レポートには、朱書きで指摘がなされておりました。

1回目に提出したレポートには、見事に「自分の考え」が抜けています。

この「自分の考え」の付け足し方についてですが、課題ごとに、「私は~と考える」という文章を、締め括りで使えばOKです。

不合格レポートの段落を合体させたり、改行を減らしたり、文章を削ったりしてスペースを作り、「私は~と考える」という文章を追加します。

以下は不合格レポートです。

1.日本における教育改革の動向と教育制度について

 1996(平成8)年、中教審は「生きる力」を、変化の激しい今後の社会で生き残るために必要なものとして位置付け、学校教育での「生きる力」の育成を重視する方針を明らかにした。

 「生きる力」とは、「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力。自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性。たくましく生きるための健康や体力。」を指す。この「生きる力」を育成する学校教育を実現するために、中教審が行った提言の一つが、「「ゆとり」のある教育環境で「ゆとり」のある教育活動をする。」であり、その後、文部科学省により、下記の4つの施策が展開された。①学校週5日制。②教育内容の厳選と基礎・基本の徹底(学習内容の削減)。③問題解決的な学習や体験的な学習の一層の充実。④小学校3年以上、中・高校の全学年に「総合的な学習の時間」の新設等を行い、子どもたちが自ら主体的、横断的、総合的に学びを展開していく場と時間、すなわち「ゆとり」を保証していく。

 上記が、いわゆる「ゆとり教育」である。しかし、「ゆとり教育」は、1999年頃から学力低下批判を受け、修正を余儀なくされる。2004年には、OECD経済協力開発機構)によるPISA(国際学力到達度調査)の結果が思わしくなかったことにより、「学力低下傾向認識すべきだ」という発言が当時の文科相からなされ、2007年には、教育再生会議により、「ゆとり教育」の見直しが提言された。そして、2008年には、主要教科授業時間が約1時間増加され、「総合的な学習の時間」は週1コマ程度減らされることになり、見直しが実際に行われ始めた。

 とはいえ、世界的な教育の流れにおいては、「ゆとり教育」の方向性は正しいといえる。なぜなら、「ゆとり教育」は、PISAの志向に沿ったものだからである。例えば、PISAで問われる思考力や応用力と親和性が高いのが、「ゆとり教育」における「総合的な学習の時間」で育まれる「課題解決力」である。

 PISAとは、21世紀の高度知識社会に対応した能力を測るものであり、ここでの能力とは、「問題解決能力」と、「読解力」、「数学」、「科学」に関するリテラシーを指す。リテラシーとは、「新しい知識を生み出し、知識に基づいて熟考し、比較し、判断し、仮定する能力」を意味し、PISAは、従来の知識詰め込み型の教育で培われる学力とは異なる学力を測るものである。日本の子どものPISAの成績については、知識や経験を関連付けて考えることが苦手という結果が出ており、記述式設問での無回答率が多いことや、低学力層が多いことが指摘されている。2011(平成23)年度以降は、小・中学校で新学習指導要領が実施され、学習内容が増加するため、「ゆとり教育」の形骸化が懸念されている。

2.各国の教育制度の中から一つ取り上げ、公教育制度の発展について教育行政と関連して論述せよ

 ドイツにおける公教育制度の発展について以下より述べる。1990年に統一されたドイツでは、統一前の西ドイツに合わせて学校制度が再編された。統一前の西ドイツは、11の邦から成る連邦共和国であり、ボン基本法によって学校制度・教育行政に関する法規が邦ごとに定められたため、邦により学校制度が異なっていた。このような、西ドイツの教育体制は、次のように整理できる。

①就学前教育(幼稚園は3歳以上を受け入れる。保育所は2歳以下を受け入れる。)

②9年の義務教育(一部の州では10年)

②-1、4年の初等教育(一部の州では6年)

 ②-2、中等教育初等教育後に、児童生徒の能力適正に応じて、5年のハウプトシューレ、6年の実科学校、9年のギムナジウムに、児童生徒が分岐)

③総合性学校(初等教育後に、生徒が分岐しない。)

 初等教育後の段階で児童生徒が分岐することや、複数の学校の存在が、西ドイツの教育制度の特徴であり、これは統一後のドイツでも存続している。ドイツ教育審議会や連邦各邦教育計画委員会は、上記の特徴を踏まえて、連邦教育全体の統一を目指しているが、未だ連邦全体の統一的制度は実現されてはいない。

 統一的制度の実現と併せて、現在のドイツは、PISAショックを経験したことを受け、次の3つを意図した教育改革を進めている。①ドイツの教育制度が階層再生産を強化する機能を果たしていたことに対する反省と改善策を提示し、社会的弱者に対し、従来よりも手厚い支援を行う施策として、就学前教育の強化、終日学校による授業の後の支援策等の推進。②知識・技能の習得のみならず、問題解決型の諸能力の獲得。③これらの施策の成果を測定するための共通テストの実施。

 上記のドイツによる教育改革は、日本と多くの共通点を持つため、日本の教育改革を進める上で大いに参考になるであろう。

要約型レポートの文章を再利用して、小論文型レポートが書ける時があります。

1回目提出の不合格レポートと、2回目提出の合格レポートを比較すると、要約型レポートを小論文型レポートに修正する方法が、分かると思います。

下記に、合格レポートを再掲します。

太字の部分が、不合格レポートと異なる箇所です。

1.日本における教育改革の動向と教育制度について、関心のある課題の要点をまとめ、見解を述べよ

 「生きる力」の育成を目指すのであれば、全国学力テストの実施を早急にやめるべきだと私は考える。なぜなら、全国学力テストを実施することで各都道府県の小中学生の学力が序列化されるため、各都道府県が全国学力テストの対策に力を入れてしまい、教員や児童生徒が時間を奪われ、結果的として「生きる力」の育成に不可欠な「ゆとり」が失われてしまうからである。

 1996(平成8)年、中教審は「生きる力」を、変化の激しい今後の社会で生き残るために必要なものとして位置付け、学校教育での「生きる力」の育成を重視する方針を明らかにした。「生きる力」とは、「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力。自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性。たくましく生きるための健康や体力」を指し、「問題解決能力」や、「読解力」「数学」「科学」に関するリテラシーを重視するPISA型学力に類似した概念である。

 この「生きる力」を育成するために、文部科学省によって、①学校週5日制。②教育内容の厳選と基礎・基本の徹底(学習内容の削減)。③問題解決的な学習や体験的な学習の一層の充実。④小学校3年以上、中・高校の全学年に「総合的な学習の時間」の新設等が実施された。これがいわゆるゆとり教育である。

 しかし、全国学力テストの実施に伴い、その対策に時間と労力が割かれ、結果的にゆとり教育形骸化している現状がある。少なくとも沖縄ではそうである。そもそも、全国学力テストが再開されたのは、PISAで日本の順位が低下したことがきっかけであった。全国学力テストは、「生きる力」と類似したPISA型学力の向上に生かすために実施されたテストであったが、それがかえって「生きる力」やPISA型学力の育成に必要な「ゆとり教育」の障害になってしまっているといえる。

 「生きる力」やPISA型学力が、「従来の知識詰め込み型の教育」で育成できるものなのであれば、わざわざ「ゆとり教育」を導入する必要はない。日本の子どものPISAの成績については、知識や経験を関連付けて考えることが苦手という結果や、記述式設問での無回答率が多いことや、低学力層が多いことが指摘されている。国学力テストの対策を行なうことで「ゆとり」が失われ、上記問題点が放置されてしまうのであれば、本末転倒である。

 したがって、「生きる力」を向上させるためにも、全国学力テストの実施は早急にやめるべきだと私は考える。

2.各国の教育制度の中から一つ取り上げ、公教育制度の発展について教育行政と関連して論述せよ

 公権力が一定の教育目標を達成するために教育を組織し運営していく作用を、教育行政という。教育行政のもとで設置・運営される学校は、国や地方公共団体や学校法人が主体のものであるが、現代の日本では、不登校やいじめ等の当事者である児童生徒やその保護者により、これら以外の代替的な学校が強く求められている。

 このような状況を踏まえて、今後の日本の教育行政のあり方として、現在よりも多種多様な場や組織を学校として認め、これらに積極的に経済的な支援を行い、上記のような人々にとっての選択肢を増やすことが必要であると私は考える。

 様々な学校が共存している状態が望ましいとはいえ、前例がなければ、何かと行政は動き辛いものである。また、多すぎる選択肢は混乱を招くという懸念もある。しかし実際にはそのような混乱は生じず、様々な学校が共存していけるということは、ドイツの公教育制度を見れば一目瞭然である。

 1990年に統一されたドイツでは、統一前の西ドイツに合わせて学校制度が再編された。統一前の西ドイツは、11の邦から成る連邦共和国であり、ボン基本法によって学校制度・教育行政に関する法規が邦ごとに定められたため、邦により学校制度が異なっていた。このような経緯により、ドイツでは、以下のような教育制度のもと、複数の学校が存在している。

①就学前教育(幼稚園は3歳以上を受け入れる。保育所は2歳以下を受け入れる。)

②9年の義務教育(一部の州では10年)

②-1、4年の初等教育(一部の州では6年)

②-2、中等教育初等教育後に、児童生徒の能力適正に応じて、5年のハウプトシューレ、6年の実科学校、9年のギムナジウムに、児童生徒が分岐)

③総合性学校(初等教育後に、生徒が分岐しない。)

 このように、複数の学校が混在するドイツは、代替的な学校に対する需要が高い日本の教育改革を進める上で、大いに参考になる。日本の教育行政は、ドイツを参考にしながら、現在よりも多種多様な場や組織を学校として認め、選択肢を増やしていくべきだと私は考える。

太字以外の部分は、1回目提出の不合格レポートにも存在している文章です。

不合格レポートの文章が、かなり削られていますね。

「自分の考え」を決めて、「自分の考え」の根拠や裏付けとなる箇所だけを残しています。

要約型レポートや小論文型レポートの書き方については、下記も参考になります。