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グラン・トリノ、是非見てみたい

映画 労働問題

映画評論家の町山氏のブログにて、『グラン・トリノ』という映画を知る。

イーストウッドの『グラン・トリノ』はデトロイトへの挽歌

別の箇所で町山氏が語るところによれば、この映画は、自動車工場労働者の街として知られるデトロイトを舞台にしており、「今後確実に少数派となっていく「白人」から、それ以外のいわゆる「有色人種」に継承される「アメリカンスピリット」」に関する物語であるらしい。かつては心底日本人を憎み、日本車の打ち壊しを行ったこともあるデトロイトの自動車工場労働者達は、この映画に込められたイーストウッドのメッセージを素直に受け取り、「俺たちはそんな馬鹿なことはもうしない」と語るのだという。

公式サイトによると、日本での上映は4月下旬ということである。これは是非見てみたい。

関係ないが、『グラン・トリノ』の予告編を見て、私は自分の父親を思い出した。


私の実家の裏には公園がある。そこには夜な夜なヤンキーがたむろする。彼らの乱痴気騒ぎはしばしば明け方にまで及ぶ。

近所迷惑甚だしいのであるが、彼らに注意をする者は私の父親を除いて一人もいない。私の父親は、上記予告編のイーストウッドより怖い。まず第一に声が恐ろしい。やたら大音量なのである。次に目が怖い。殺意が篭っているのである。そして極めつけはその体躯。腕や背中が日々の筋トレで盛り上がった身長180cmの男。そのような存在から、上から睨み付けるようにしてすごまれたら、たいていの人間は震え上がる。

公園で私の父親は以前、ヤンキーだけでなく、大型犬にも挑んでいったことがある。確かあの犬はシベリアンハスキーだったと思う。白くてやたら大きな犬であった。その犬は公園にいた学生を襲っていたという理由により、私の父親に後ろから首を絞められることになった。その際、父親は犬に咬まれた。指に軽症を負った父親がしばらく包帯を巻いていたのを私は覚えている。

そのようなわけで私の母親は、父親がいつか大怪我をしやしないだろうかとハラハラしている。公園にたむろするヤンキーが、いつか父親を傷付けやしないかと心配している。

私は母親と逆の見解である。むしろ私は父親よりも、父親にすごまれたヤンキー達が、止せばいいのに下手に父親に抵抗し、その報復として圧倒的な暴力に晒され、大怪我してしまわないか心配している。私の父親は力の制御が下手である。一歩間違えば裁判沙汰になり、こちらが一方的に不利になりかねない。私はむしろこの問題を心配している。

しかし、そんな父親もそろそろ還暦である。空手の黒帯であり、毎朝筋トレをして体作りに励んでいる父親は、今でも体力的には私よりも上である。しかしその体力も、いつかは加齢により段々と衰えていくのだと思う。

「公園の秩序を勝手に守る」という私の父親が己に課していたミッションは、誰かに継承されていくのだろうか。

自らが敵とみなしたならば、集団だろうと、大型犬であろうと、果敢に立ち向かっていく私の父親。幼い頃からその姿を見続けてきた私としては、そのスピリットをちゃんと継承せねばと思う*1

*1:ただし私は、父親ほど逞しい人間ではない。なので、父親が採った方法とは別の方法を模索するつもりである。