疑い続けることについて─結局翁長さんに投票しましたが─

沖縄県知事選が終わりました。悩みに悩んだ末、私は翁長さんに投票しました。

①他の立候補者よりも、消去法的にましだと思えたこと。

②翁長さんに投票する人の数は多いと見積もれたことから、辺野古の新基地建設を阻止すると表明している翁長さんを圧倒的多数で当選させることで、日本政府に対する沖縄の意思表示が可能になると考えることができたこと。

③ここまで大々的に辺野古の新基地建設の阻止を表明しているのであれば、たとえ翁長さんに沖縄県民を裏切るつもりがあったとしても、そう簡単には裏切れないだろうと思えたこと。仮に、裏切る気配が少しでも見えたら、批判してプレッシャーをかければいいだけだと思えたこと。

以上の3つの理由から、悩みに悩んだ末、私は翁長さんに票を投じました。
予想通り、他の立候補者を大きく引き離す形で、翁長さんが当選しました。これからは、翁長さんを監視し、もしも怪しい言動を見せたならば、遠慮なく批判していこうと私は考えています。

「翁長さんを監視だと?お前は何を生意気なこと言ってるんだ。翁長さんを悪く言う奴は許さないぞ!」という具合に、私の監視宣言を胡散臭く思っている方がいらっしゃるかもしれません。なぜ私は翁長さんを疑うのか。私が翁長さんを疑うようになった経緯を以下に記述します。

私が翁長さんを疑うようになった経緯

3年前に沖縄へ帰郷した当初、私は翁長さんを全面的に評価していました。基地反対を明確に表明する那覇市長の翁長さんが、もしも沖縄県知事選に立候補したならば、迷わず彼に投票しようと私は考えていました。

しかし、今から1年ほど前に、久茂地小学校統廃合問題のことを知り、翁長さんに疑問を持つようになりました。

例えば、下記の記事において翁長さんは、久茂地小学校統廃合への反対意見に対し、「反対意見があったら駄目では、那覇市のまちづくりは絶対にできない」と述べています。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-196757-storytopic-7.html

この物言いは、問題ありではないでしょうか。なぜなら、住民からの反対意見がある限り、翁長さんには、住民が納得するまで説明をする責任があるからです。十分に納得のゆく説明を行えていないからこそ、那覇市民達は久茂地小学校統廃合に反対しているのであり、それを、「反対意見があったら駄目では、那覇市のまちづくりは絶対にできない」と述べて押し切ってしまう行為は、住民からの同意を取り付けずに事を進めるという点で、辺野古に新基地建設を強引に進める日本政府のそれと全く同じではないでしょうか。

「反対意見があったら駄目では、那覇市のまちづくりは絶対にできない」という翁長さんの言葉からは、「那覇市のまちづくりは誰のためか」という視点の欠如が感じられます。まちに住む少なからずの人間が計画に反対しているのであれば、事を進めてはいけません。住民の反対意見を尊重し、統廃合計画を白紙に戻すべきでしょう。しかし、最終的に翁長さんは、住民の反対を押し切り、久茂地小学校の統廃合を決定しました。

このように私は、久茂地小学校統廃合問題に関する情報に触れることで、翁長さんには問題があると考えるようになりました。

疑うことの難儀さ

もちろん私は、翁長さんを疑いつつも、「翁長さんは怪しいという自分の確信」をも疑っておりました。私は自分の見たいものしか見ていないのではないか。私はこのように自分の認識を疑っておりました。

やがて、この葛藤状態は、知事選が本格化すると激しくなりました。「翁長さんが信頼に足る人間であることを納得させてくれる人に会いたい」という欲望が生じることも頻繁にありました。なぜなら、翁長さんの表面的な言動は、他の立候補者と比べて、確かに素晴らしい内容のものだったからです。3年前の、素直に翁長さんを支持していた自分に戻れたら、いっそ精神的に楽なのにと、何度も私は思いました。

翁長さんが掲げる公約や、様々な事柄に関する彼の考えを読むと、翁長さんに投票したくなります。しかし、久茂地小学校統廃合問題での翁長さんの住民無視の態度は許容できません。これらをどう折り合わせるべきか。メディアを通して得られる「素晴らしい翁長さん像」と、久茂地小学校統廃合問題で確認できる「傲慢な翁長さん像」の食い違いに、私は戸惑い続けました。

久茂地小学校統廃合に反対していた那覇市民達のほうにこそ、人の話に耳を傾けることができない頑固な人間がおり、翁長さんがそれに振り回された結果として、仕方なく「反対意見があったら駄目では、那覇市のまちづくりは絶対にできない」と述べていたならば、私は安心して翁長さんに投票できるのですが、その真偽は実際のところよく分かりません。「素晴らしい翁長さん像」と「傲慢な翁長さん像」の、どちらの像も正しく感じられる点が、私を苦しめました。

深まる疑念

また、久茂地小学校統廃合問題から一旦離れて、翁長さんの経歴や言動について情報収集することによっても、翁長さんに対する疑念は深まっていきました。

翁長さんは信用に値する人物なのだろうか。公約破りの得意な自民党の元党員の言葉を簡単に信用してはならないのではないか。翁長さんは、他人が喜ぶような言葉を己の目的に合わせて自由自在に提示できる能力が高く外面は良いが、その本質は人の話に耳を傾けない傲慢な人間であり、「いくら基地建設に反対しても、日本政府に力で押し切られて負けてしまうこと」を見越して、有権者から支持を集められる勇ましい公約を掲げることで沖縄県知事という地位を得たいだけの権力欲の塊のような人なのではないか。

翁長さんの過去の発言と現在の発言にはブレがある。したがって翁長さんは、言うことをコロコロ変える一貫性のない人といえるのではないか。また、他人の質問をはぐらかす面も確認できるので、翁長さんは不誠実な人といえるのではないか。

このような特徴を持った翁長さんは、当選後に沖縄県民を、裏切りとは気付かれない形で巧妙に裏切るのではないか。

もしも、私がそれでも翁長さんに投票し、そして新知事になった翁長さんが公約を守り、新基地の建設を実際に阻止できたとしても、彼が事あるごとに、傲慢な態度を周囲の沖縄県民に対して示すのならば、私は彼に投票したことを後悔するのではないか。いやしかし、新基地建設が阻止できるのであれば、翁長さんの問題行動を、私は大目に見るべきなのではないか。

上記のような疑問が頭を巡り、翁長さんに投票するか、それとも投票を棄権するかで私はずいぶんと迷いました。

疑うことが大事

このような、悶々とした日々を送っていたある日、私はツイッター上で、次のようなツイートを目にしました。

そして、次のようなことを私は考えました。

これはどういう意味なのだろう。「疑うのは大事」と書かれている。しかし、「疑い続ける事で、既に裏切った人達を結果的に応援してない?」と書くことで、疑うことの価値が否定されてしまっていないか?「疑うのは大事」ならば「疑い続ける事」も大事と述べるべきではないのか?矛盾していないか?それともこのツイートは、疑うことに一定の価値を認めつつも、最後には疑うことをやめるべきだと言いたいのだろうか?

このような具合に、ひとしきり、疑うことについて考えた結果、私は次のような結論に至りました。

疑うことを放棄し、特定の立候補者を盲信してはダメであろう。疑うことをやめるのではなく、むしろ絶えず疑い続けながら、自らの責任において、誰に投票するのかを決める。そして、自分が投票した立候補者が当選した後も、公約を守るだろうかと常に疑い続け、必要があれば文句を言う。これが有権者としての責任ある態度ではないか。

選挙期間中は、ネット上で、「〇〇さんしかいない!」と強く思い込み、〇〇さんの言動を、〇〇さんの言っていないことを勝手に自分で深読みして補完することによって、自分の思い込みに合わせて都合良く解釈し、結果的に、〇〇さんの抱える問題点や曖昧でグレーな点から、目を背けてしまっているような人を大勢見かけました(〇〇にはお好きなお名前を当てはめて下さればと思います)。

「〇〇さんしかいない!」と思い込み、その思い込みに合った情報ばかりに注目するだけでなく、本人が言っていないことまで勝手に補完して〇〇さんを称賛してしまうことは、ファシズム全体主義と親和性の高い、かなり危うい態度に思えました。〇〇さんの言動を冷静に吟味することを放棄し、単に〇〇さんを礼賛するのは、無責任であり、危険な行為であろう。むしろ、現在の私のように、疑い続けているほうが、社会にとってはプラスなのではないか。思い込みではなく、データに基づいて冷静に評価すること。反対意見を大きな声や罵倒でかき消そうとするのではなく、論理的に批判しようとすること。これさえ私ができるならば、たとえ私が翁長さんに投票して翁長さんが当選し、その後彼が裏切ったとしても、問題ないのではないか。

このように考えることができたので、私は翁長さんに投票することができました。ジョージさんという人について私は良く知らないのですが、偶然この方のツイートを読んだおかげで思考が進みました。どうもありがとうございます。

今後の翁長さんに期待すること

他者に対して傲慢な態度を示し、言うことを頻繁に変え、質問をはぐらかす。このような特徴が、翁長さんにたとえ存在しているとしても、これを基地反対という文脈で、日本政府や米国政府に対して発揮し、公約を実現してくれるならば、私は文句を言いません。

しかし、公約破りを批判する沖縄県民に対してこの特徴を発揮するならば、私は容赦しません。徹底的に批判させていただきます。一人の沖縄県民として、翁長新知事の今後のご活躍を、心から期待しております。