以下より、上記の回答に感じた違和を記しておきたい。
「3.保革対決について。」という質問に対する翁長さんの回答に、私は違和を感じる。上記の質問に対して、翁長さんは以下のように答えている。
そもそも保守とか革新はどのように定義されますか。政党ですか、政策ですか、考え方ですか。自民党に入ってない人はみんな革新と呼ぶんですか。自民党を離党した議員は保守ですか、革新ですか。
保守対革新という古い対立思想から脱却し、次の時代を担う子や孫の世代に誇りある豊かさを残すことが、今問われています。
そのような考えに賛同し、イデオロギーの垣根を乗り越え、自民党支持者を含め、多くの方々が参加し、オール沖縄で選挙母体を作っています。
この回答内容は、過去の翁長さんの発言と一貫していない。
なぜなら、下記の朝日新聞の記事から分かるように、翁長さんはかつて、「いまはオールジャパン対オール沖縄だ。沖縄の保守が革新を包み込まねば」という発言をしていたからである。
http://www.asahi.com/articles/ASG1C3D76G1CUEHF004.html
上記の記事から、かつて翁長さんは、保守と革新を彼なりに定義し、そして、保守が革新を包み込むという形で、オール沖縄という状態を構想していたことが読み取れる。
しかし、今になって翁長さんは、保守と革新の区別に意味はないかのように語り、オール沖縄という言葉のみを強調している。
翁長さんは、過去に自らが述べた「保守が革新を包み込まねば」という発言と、今回の回答内容とを、どのように折り合わせるつもりなのだろうか。
それとも、単に、考えが変わったということなのであろうか。
考えが変わることは人間だから仕方がないことである。しかし、政治家であるならば、過去の自らの発言との整合性について、説明が欲しいところである。これがなかったのが残念だ。
もう一点、違和を感じる回答がある。それは、「2.辺野古埋め立て承認を撤回しない理由」に対する翁長さんの回答である。この質問に対して、翁長さんは次のように答えている。
現知事が、4年前に県外移設を公約して、昨年の12月に埋立ての承認をしたという意味では、公約に違反して県民を裏切ったことになりました。
これは、知事本人がやった行為ですが、県民がそれに承認を与えたということではありません。
今度の知事選挙で、「NO」になれば、地元の理解の得られない辺野古移設には反対する立場ですので、その選挙結果をもとに、日米両政府へ基地建設中止を求める等、ありとあらゆる方法や手段でもって取り組む必要があり、承認の撤回や取り消しも選択肢の一つであると考えています。
この回答は、果たして、「辺野古埋め立て承認を撤回しない理由」といえるのだろうか。理由はどこに示されているのだろうか。
理由は見当たらないはずである。なぜなら、翁長さんは理由を示していないからである。翁長さんは、質問に直接答えずに、質問と関連した事柄について、問われていないことを勝手に答えているといえる。
「辺野古埋め立て承認を撤回しない理由」を質問されたならば、「可否を検討している最中であるため撤回をまだ約束できない」や、「撤回した場合に予想される損害賠償を警戒しているから撤回はしない」や、「撤回すると日本政府との全面対決になるためそれは避けたい。だから撤回は考えていない」などの、「辺野古埋め立て承認を撤回しない理由」を明言すべきであろう。
回答では、撤回については、「日米両政府へ基地建設中止を求める等、ありとあらゆる方法や手段でもって取り組む必要があり、承認の撤回や取り消しも選択肢の一つであると考えています」と書かれているのみであり、撤回がいまだ選択肢の一つでしかなく、その行使が現在約束できない理由が一切明らかにされていない。検討中であるかどうかさえも明言されていない。全体として、「漠然とした所信・方針表明」という印象を与える回答内容となっている。したがって、翁長さんの回答は、問われていることからずれた回答といえる。
現在、沖縄県民の少なからずが、翁長さんを応援しているようであるが、沖縄県民は「翁長さんが答えたこと」に断片的に注目するのではなく、「過去の発言との一貫性」や、「どのような質問をされて、どのように答えたのか」という批判的な観点から、翁長さんの発言を評価すべきだと私は考えている。
沖縄にとって大きな転換期といえる現在の、その鍵を握る人物を選挙で選ぶのであれば、沖縄県民は、翁長さんを、部分ではなく、全体から見て、彼が県知事に本当にふさわしい人物かを厳しく真剣に吟味して判断する必要があると思うが、どうだろうか。
今回の翁長さんの回答には、過去の発言との一貫性に欠ける点(その釈明もない)と、質問に答えることを避けている点が指摘できるため、現時点の私は、翁長さんに不誠実さを感じている。そのため、彼に投票することはまだできないと判断している。
不誠実? 政治家なら、多少は当たり前に備えている性質ではないだろうか。質問に真正面から答える政治家は、むしろ無能なのではないか。嘘もすりかえも方便。公約や政策の実現のためなら、多少のダーティーさは許容範囲ではないか
このように述べる人もいるかもしれない。しかし、このようなことは、公約や政策が実現された後でしかいえないことである。
このような「達観」を述べる人は、ダーティーな政治家というものを、「公約や政策の実現のためにダーティーな振る舞いをしてくれる人」と勝手に無根拠的に思い込んでいるが、「ダーティーな政治家が、公約や政策を反故にするぐらいダーティーである場合」を全く想定していない点で、ナイーブと言わざるを得ないだろう。誠実さは、公約や政策を実現させる意思の有無を見極めるための、一つの有効な指標と私は考えている。